旅立ちの日を前に [コラムvol.341]

 我らが「旅の図書館」では、観光文化231号で特集した「旅心を誘う、旅の本のレジェンド30選」のコーナーを期間限定で設置している。書棚には、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』、沢木耕太郎『深夜特急』、藤原新也『印度放浪』、金子光晴『どくろ杯』等々、その背表紙を見るだけで、心がザワザワと波打つ作品が並んでいる。「人はなぜ旅に出るのか」。使い古されたこのテーマに関して書いてみる。

あの日への旅、あの日からの旅

 2011年の5月、私は岩手県沿岸部に向けて車を走らせていた。盛岡から区界峠を越え、緩やかに下っていくと、いくつかの集落を抜けながら山間部を走る。3時間程国道を走り、緩やかなカーブをいくつか抜け、沿岸部に入ると、にわかに、本当に不意にあの光景が飛び込んでくるのだ。僅か線一本の差。津波が到達したところと、そうでないところは、全く違った光景が広がっていた。

 この町のそれまでの風景を私は知らない。だが、ある町の風景があの日を境に一変してしまったことは一目瞭然だった。学生時代、ネパールを旅している最中にお世話になった盛岡の人に、どこに行くべきかを聞き、車を走らせたのが、この町だった。ほんの少し前まで、日常の生活があったであろう沿岸の町並みは、僅かにコンクリートの基礎部分を残し、持て余された空間が広がっていた。この町は津波の後に、火災にもやられた。あれから2ヶ月近くが経ってもなお、町中には鼻腔を突く臭いが漂っていた。半壊となった建物には「○」や「×」のマークが付けられていた。焼け焦げた町中には工事の音がずっと鳴り渡っていた。震災の一ヶ月半前に子供が生まれていた私は、役場と小学校を訪ね、オムツとミルク、自分が子供の時に夢中で読んだ本や絵本を届けるのがやっとだった。役場のホールに堆く積まれた圧倒的な量の救援物資の数々と、校庭で元気に野球をしていた少年達の姿が、今でも脳裏に焼き付いている。

 それから2年程して、町から御礼状が届いた。その歳月が町の歩みを想像させた。「あの子達はどうしているかな?」。思わぬ時期の御礼状に、こちらが感謝の気持ちで一杯になった。

 そして、あの日から4年後の2015年。縁あって、この町の観光復興ビジョンを策定する業務とエコツーリズムを推進する業務にアサインされた。行政とコンサルだけが作っていく従来型のビジョン策定ではなく、町に暮らすいろいろな人が議論の席について、意見を出し合っていった。エコツーリズムの事業では、町の人々自身が自分達の町の暮らしを楽しむ多種多様な部活動も立ち上がった。どちらも、観光を通じて、人が繋がっていく仕事であった。牡蠣養殖業、農業、エコツーリズム、宿泊業、飲食業、物販業、復興支援の人々等、様々な人と出会うことができ、会議だけでなく、会議後の立ち話、宿泊先、飲み会等で様々に話をした。

 その過程で、オランダ島と小島という大小2つの島を擁す、静かな湾が、いかにこの町の人々の心象風景となっているかを知った。2011年にこの町を訪れた時の私には、海なんて見えていなかった。その鏡のような湾には、津波直後は流されてしまった牡蠣やホタテの養殖棚が、今はいくつも浮かんでいる。牡蠣が最も美味しいと言われるのは、養分をたっぷり摂って太った、ちょうど今頃、春先の時期である。この町の人々は、祭の時、御輿を担いで海に入っていく。地元の小学校で長年引き継がれている伝統劇、『海よ光れ』は地域の誇りである。

 それだけではない。町に行くまでには盛岡から約3時間掛かるのだが、道中、護岸工事のしていない小川が流れる山間部の風景が広がる。新緑の目映い季節、ほんの僅かの燃えるような紅葉の季節、葉を落とした木立の季節、その雪景色。当初、緊張をしながら車を走らせた道中は、実は美しい風景の中を走っていくことであることも知った。車窓の風景を見ながら走るのは、心を整えるための時間でもあった。

 それらの一つ一つが心に刻まれていった。

風景の中に見るもの

 アラスカの自然、そして人々に魅せられた写真家、星野道夫は著書の中で次のようなエピソードを紹介している。

 「いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえばこんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」

「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」

「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」

星野道夫『旅をする木』より

 美しい風景だけでない。悲しみを内包した風景を前にして、何を感じるのか。誰に出会い、何に心を動かされるのか。そして、自分がどのように変わっていくのか。アラスカで星野道夫を魅了したのは、自然の美しさだけではない。その自然を肌で感じて暮らす人々との出会いであり、それによって変わっていくことであったのだと思う。

 風景の中に見出すそれぞれの何か。それによって自分が変わっていくこと。
それこそが旅だと思う。

 この春、10年在籍した公益財団法人日本交通公社を退職し、来月からは新天地で働くことに決めた。忘れ難きこれまでの出会いの数々に感謝し、新たな門出に臨みたい。

 今まで本当にありがとうございました。また、いずれお目にかかれます時を楽しみにしております。

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 追記:あの美しい湾の風景は、コンクリート製の防波堤が建設されることによって、間もなく町から見えなくなってしまうという。ひとつの風景が消えてしまうのは事実である。だが、それぞれの心の中に広がる風景が、何かの折に鮮やかに語られ続けることを切に願う。