観光の未来をつくる図書館 [コラムvol.172]

 旅の図書館は、観光文化の振興を図ることを目的に、公益財団法人日本交通公社が1978年10月に開設した専門図書館です。“旅”“旅行”“観光”というテーマに特化した、我が国でも非常にユニークな図書館として、開設以来30年以上にわたり活動を続けており、累計82万人強のお客様にご利用いただいています(2012年7月末時点)。開設当初は「知れば知るほど旅は大きくなる」をキャッチフレーズに、「旅行先の文化や歴史、風俗等を調べることによって、より充実した旅行を楽しめる」というPRを盛んに行い、さまざまな図書や資料の収集と公開を進めてきましたが、近年における、インターネットの普及、電子書籍やスマートフォンをはじめとする新たな情報メディアの登場、娯楽の多様化のなかで進んでいるといわれる活字離れ等、社会における情報環境の大きな変化を背景に、旅の図書館もまた、図書館としての存在意義を改めて大きく問われる時期にさしかかっています。
 果たして図書館は不要の産物なのでしょうか?新しい時代に価値を生み出すことのできない無駄な施設なのでしょうか?筆者は、本年3月に旅の図書館へ異動してからこの問いを自問してきましたが、今は、旅の図書館こそが当財団の使命である“観光文化の向上”に寄与する重要な文化施設であり、同時に、我が国の観光の未来を守り・育てていく大切な場となるべきだと確信するようになりました。
 そこで本稿では、筆者が考えている旅の図書館(という場)の可能性を提示し、さらに、図書館という文化施設が生み出す新しい価値についても考察したいと思います。

■“私たちの未来をつくる場”としての図書館

 図書館の将来を考えるうえでさまざまなヒントを与えてくれる事例として、米国ニューヨーク市にあるニューヨーク公共図書館が挙げられます。パン・アメリカン航空、ゼロックスのコピー機、ポラロイドカメラ、『リーダーズ・ダイジェスト』、これらの発明やアイデアは、すべて同図書館を利用した人びとが生み出したものです。また、映画監督のオリバー・ストーン、映画俳優のロビン・ウィリアムズやウディ・アレンといった著名人をはじめ、大勢の利用者が同図書館で自らの夢をかなえてきました。図書館とは「利用者が知的好奇心を満たし、自らの教養を高めるために本や雑誌等を読み、そこで得たものを吸収して完結してしまうという、いわば受動的な情報の接し方」をする場としてだけではなく、「情報を活用して新しいものを生み出すことを奨励する開かれた空間」としての可能性を備えているということを、ニューヨーク公共図書館は教えてくれます(文章中の括弧内は菅谷明子著『未来をつくる図書館』岩波新書から抜粋)。
 旅の図書館の将来を考える際にも、私たちは従来の固定化された図書館観から抜け出し、新たな視座に立脚した図書館の姿を模索するべきでしょう。公益財団法人日本交通公社の存在意義である「我が国の観光文化の振興に寄与すること」(公益財団法人日本交通公社 定款 第2章第3条)を果たすためには、我が国の国民一人ひとりが学ぶことを通して自らを高めることができる環境づくりが重要であり、それには、誰もが自由に情報にアクセスして学ぶことができる“知的インフラ”としての図書館が不可欠である、と筆者は考えます。観光に関わる人びとの夢を実現し、より豊かな観光文化を創造していく知の空間、すなわち“観光の未来をつくる図書館”として活動するという明確なコンセプトを持つことが、旅の図書館にとってまず何よりも重要です。

 では、観光の未来をつくるために、旅の図書館が具体的にやっていくべきことは何でしょうか。デジタル化への対応、来館者増に向けた効果的な告知やイベントの開催等、多くの課題が浮かび上がってきますが、筆者が考える最優先事項は、①利用者の立場に立った情報やサービスの提供(利用者が必要としている情報の把握と提供)、②利用者が求める情報を効率的に探し出すことを支援する“レファレンス機能”(図書館スタッフが利用者のさまざまな質問に回答し、最適な情報源や情報源にアクセスするためのノウハウを提供する)と“パスファインダー”(特定のテーマに関する基礎資料や調べ方を整理した情報の道案内サービス)の充実、③利用者と必要な情報を結びつける優秀なスタッフ(司書)の育成、の3点です。いずれも、単に本を借りたり調べ物をしたりするための場所という従来の図書館から脱却し、利用者が望む情報と図書館が持つ豊富なコンテンツを結びつけていくためには不可欠な要素だと言えます。

観光に関わる各主体に対して、旅の図書館が提供する価値および期待される効果
表1

■“我が国の観光の知的文化遺産を保管・活用する場“としての図書館

 図書館が有する最も重要な機能の一つは“アーカイブ機能”ですが、30年以上という長期間にわたって“旅”“旅行”“観光”というテーマに特化した資料を収集・保管してきた文化施設は、我が国では類例がないため、旅の図書館は我が国の観光の文献を所蔵する国内随一の専門図書館であると言ってよいでしょう。旅の図書館が所蔵する「木下文庫」(ジャパン・ツーリスト・ビューローの創設を進言した鉄道院営業課長・木下淑夫氏による当館への寄贈図書)、戦前の鉄道省による旅行ガイドブックや満州関係の資料、旅行雑誌『旅』等、過去の貴重な文献コレクションは、我が国の“観光の知的文化遺産”であると同時に、公益財団法人日本交通公社および株式会社ジェイ・ティー・ビーの“アイデンティティそのもの”を表現していると言っても過言ではありません。過去の資料を丁寧に収集・蓄積して広く一般に公開することは、先人の知恵や偉業を引き継ぎ、未来を新たに創造していくために不可欠な事業です。旅の図書館の重要な存在意義の一つは、我が国の観光の知的文化遺産である貴重な資料を保管・活用していく場を提供し、我が国の観光の過去と現在を結びつけ、貴重な遺産を未来に引き継いでいくことにあります。

 一方、現実的な問題として、図書館における“アーカイブ機能”を維持していくことは、限られたスペースと予算のなかで、いかに質の高い資料を収集・保管していくかということを意味しています。現在、旅の図書館が所蔵している蔵書を資料特性から分類すると、①一般旅行者向けフロー型、②一般旅行者向けストック型、③研究者向けフロー型、④研究者向けストック型、の4タイプに分けることができます(下図参照)。資料を収集(=選書・購入)するにあたっては、“利用者のニーズ”“資料自体がもつ価値”“館内資料の収集状況”“館内のスペース”等、さまざまな変数を加味したうえで、取捨選択していく必要があります。旅の図書館で資料を選ぶ者には、観光という領域を“現象面”と“学術面”の双方から全体的に俯瞰し、同時に個々の資料価値を判別できる“目利き”としての能力・経験が求められます。それは、観光の歴史をひもとき、現在のさまざまな事象を眺めつつ、その未来を展望していくという、一つの研究活動であると言ってもよいかもしれません。

資料の特性から分類した、旅の図書館の蔵書(試案)
図1

■“情報のつなぎ手”としての図書館

 図書館が持つ大きな可能性を引き出すうえで、もう一つ忘れてはならないのが、“情報のつなぎ手”として図書館が果たす大きな役割です。さまざまな領域の人びと(組織・団体や地域コミュニティを含む)をネットワーク化することは、図書館単独では決してつくりだせない新しい価値を創造することにつながっていきます。
 旅の図書館では、開館4周年(1982年)の記念企画として、当時では画期的な“日本乗り入れ航空会社の国際線機内誌(33誌)の展示”を実施しましたが、各航空会社からは、展示会終了後も継続して機内誌をご提供いただいており、それらは現在も旅の図書館の特色あるコレクションの一つとして閲覧できるものです。通常はその航空会社の乗客になって初めて読むことができる機内誌を、機内の外で読むことができる、しかも複数の機内誌を読み比べることができるという場所は、旅の図書館以外に存在しません。多くの航空会社のご厚意と(当時の)旅の図書館スタッフの熱意によって実現された機内誌の一般公開は、図書館単独ではつくりだせなかった“新しい価値”を生み出していると言ってよいでしょう。
 また、旅の図書館では、在日外国政府観光局や在京自治体事務所との間に幅広いネットワークを形成しており、ホームページの相互リンク(一部の在日外国政府観光局が対象)、ご提供いただいた資料やパンフレットの保管と公開、特別展示の開催時におけるご相談や資料のご提供等、多面的な協力関係を構築しています。在日政府観光局および在京自治体東京事務所にとって、東京駅に近く交通至便に立地する旅の図書館の存在は、観光案内やプロモーション情報を効率的かつ効果的に発信することができる場としての価値を持ち、一方で、旅の図書館にとって、在日外国政府観光局および在京自治体東京事務所の存在は、図書館単独では入手できない最新のコンテンツや人気の高いトピックを提供いただける強力なパートナーとしての価値を持っています。
 さらに最近では、東京ステーションホテルから「旅の図書館が所蔵する雑誌『旅』に掲載されている松本清張氏の連載小説『点と線』の第一回(現物のコピー)を借りて、2012年10月3日のホテルオープンに合わせた企画で展示したい」、丸ノ内ホテルから「丸ノ内ホテルが発行するホテルニュースに旅の図書館の記事を掲載したい」等、東京駅周辺の観光関連施設からさまざまなご相談やご依頼をいただくことも多くなりました。旅の図書館においても、今後は積極的に“東京駅周辺”という地縁的ネットワークを活かした連携や協力関係に力を入れる必要があるでしょう。

■“成長する有機体”としての図書館

 「図書館は成長する有機体である」インド図書館学の父と呼ばれるランガナータン氏の有名な言葉です。図書館は不要の産物ではないか、無駄な施設ではないかという問いかけは、社会環境や時代の変化に関わらず、常に私たちに突きつけられる命題でしょう。しかし、図書館は、人と同じように成長を続けます。“観光文化の向上に役立つような施設をつくりたい”という当時の財団法人日本交通公社・西尾会長の夢は、すでに私自身の夢になりました。成長は常に挑戦と変革を余儀なくされますが、そこに強い信念と情熱があれば乗り越えていけるはずです。旅の図書館のスタッフとともに“観光の未来をつくる図書館”をつくることは私の大きな夢です。その夢をかなえるため、情熱を持って取り組んでいきたいと思います。