わたしの1冊
第17回『坂の上の雲』
司馬遼太郎/著
文春文庫1999年(文庫初版は1978年。単行本は初版1969年~1972年、新装版2004年)
道後御湯 ホテル椿館 代表取締役 宮﨑光彦

小説『坂の上の雲』との最初の出会いは、高校2年の夏休み。司馬遼太郎氏が40歳代の10年の歳月をかけて執筆した大作の圧倒的内容と愛媛松山出身の主人公、正岡子規や秋山好古・真之兄弟の生き方や活躍に感動し、8冊一気に読破したことを鮮明に覚えている。
維新を経た小国日本が、欧米列強に追いつこうと近代国家としての体制を整え、亡国の危機感を持って日露戦争においてロシア帝国を破るまでのことが立体的に描写され、まるで現場にいるかのような臨場感のもと、先人への感謝の気持ちとともに、その志に触れることができた。
開花期を迎えようとしていたこの時代は、初めて国民となった人々が、未完成の国家と自らの姿とを重ね合わせ、個人の栄達が国家の利益に結び付いた。
つまり今と違い、「誰もが努力さえすれば何にでもなれる」ある意味、楽天的で公平な環境のもと、自らが国づくりを担う気概を持ち、情熱と夢を持って目標に向かい、ひたすら己の道を突き進んだ姿が眩しく見える。
20数年前の子規記念博物館での司馬氏の記念講演の冒頭、「子規が好きで好きで」と4回語ったことが記録に残っている。立身出世の大志を抱き上京し、死と向き合いながらも命がけで俳句・短歌の革新を成し遂げた生き様と才能と人間性に魅せられ、漱石をはじめ多くの人が慕う。著者も子規の人生を描き切るには、その時代背景についても表現しようと、この物語ができたと言われている。
私が経験した前職の地方行政の仕事では、新しい時代を築いたエネルギーに共感しながら本書で意図する本来の〝公〞というものを常に意識するよう心掛けていた。現在の経営の場面においても、東郷平八郎、大山巌、児玉源太郎や山本権兵衛など脇役の域を超えた幾多の登場人物の統率力や構想力、胆力や度量、改革実行力など示唆と教訓は貴重。まさに謙虚な気持ちで自分を見つめ直す機会と勇気と元気を与えてくれる不思議な力があり、自身のターニングポイントでは欠かせない一冊だ。
松山には、子規が野球を楽しんだ城北グランド跡や子規と漱石が過ごした52日間のうちに二人で吟行した道後温泉界隈、秋山好古が全ての官職を辞し故郷の北予中学(現松山北高校)の校長となって馬で通った街路や、子規の幼馴染の知将真之がのぼった松山城壁の武者返しなど小説に登場する場所が点在。さらに、まちづくりの中核施設としての「坂の上の雲ミュージアム」も開館13年目を迎え、小説と現実との対比の中で、彼らの思いを感じ取ることができる。
一方、道後湯之町の初代町長伊佐庭如矢翁が、66歳を迎えた明治27年に100年先を見越して道後温泉本館建築を成し遂げ、現在の観光産業繁栄の基礎を築いたことも、もう一つの『坂の上の雲』の物語だといえる。
混迷を極め、閉塞感が蔓延している今こそ、若者も高齢者も「坂の上の青空に輝く一朶の白い雲だけを見つめ一途に坂をのぼっていく」意味を、主人公をはじめ明治を懸命に生きた人々、そして「人間とは何か、日本人とは何か」をテーマに書き続けた司馬氏からのメッセージとして胸に刻む時だと思う。

 

宮﨑光彦(みやざき みつひこ)
1956年愛媛県生まれ。 1978年岡山大学法文学部法学科卒業後、広島国税局、愛媛県庁にて税務、土木管理、企画、文化振興及び国際交流に従事。
1992年㈱宝荘ホテル入社後、2001年社長、2011年㈱ホテル椿舘代表取締役会長。 松山商工会議所副会頭、道後温泉誇れるまちづくり推進協議会会長、道後温泉旅館協同組合副理事長、愛媛県セーリング連盟会長。愛媛県行政改革・地方分権推進委員会委員