「五感」で楽しむ [コラムvol.147]

 先日、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントに参加してきました。“まっくらやみのエンターテイメント”というコンセプトのもと行われているこのイベントは、暗闇の中に6~8人くらいでグループを組んで入り、中で様々なことを体験するというプログラムです。
 イベントへの参加は、視界を遮断されることでそれ以外の感覚に目を向け、“五感”とは何かを改めて考える機会となりました。

■視覚に頼りすぎている人間の感覚

 受付から誘導された会場の中は完全な暗闇。光が一切差し込まないので時間が経っても目が慣れることはありません。頼りになるのは先導してくれるガイドと一緒に体験するグループの人たちの声。人や物にぶつかることもしばしばで、気配や匂いですぐに分かるだろう、という思いは見事に裏切られました。
 会場の中には「カフェ」もあり、飲み物と軽食を楽しむ時間が設けられていたので、早速ビールを注文。暗闇の中で飲むビールは普段よりもずっと香りと味が豊かに感じられるような気がしました。そこに先導役の方が投げかけた「銘柄は何だと思いますか?」の声。私の他にも数人ビールを飲んでいた人がいましたが、正解した人はいませんでした。私も例外にもれず不正解。普段飲み慣れている銘柄だっただけに自分の感覚のあやふやさを痛感しました。
 人間は情報を得るにあたって8割を視覚に頼っていると言われています。銘柄を当てられなかった私は、どうやらこれまで舌ではなく目だけでビールを味わってきたようです。おそらく値段の高い銘柄の瓶にこっそり安いビールが入れてあったとしても、おそらく何も気づかずに美味しく飲んでしまうでしょう。
 イベントではその他にもいかに視覚に頼りすぎていたかを痛感した場面がありました。会場内ではグループがひとかたまりになって移動することが多かったのですが、お互い至近距離にいても気づかずにぶつかることもしばしば。ガイド役の方によると、グループは満員電車くらいの密度で集まっていたそうです。でも実際は体が触れ合わない限り、満員電車で感じる圧迫感はおろか人がすぐそこにいることすら気づきません。つまり、満員電車の圧迫感は“目が感じている”だけということになります。体感していると思っていた圧迫感は、実際は視覚によるものだったということにとても驚きました。
 視覚からの情報が必ずしも正しいわけではないということの代表的な例は“錯覚”でしょう。人間の視覚はいつも正しいとは限らない、でもそんな感覚に私たちは大きく依存しているということに改めて気づくこととなりました。

■五感が記憶や行動に及ぼす影響

 一方で、人の記憶や行動に五感が及ぼす影響というのは必ずしも視覚が絶対的に優位というわけではないようです。消費者の購買行動等や記憶に五感が及ぼす影響の大きさを分析したところ、視覚が一番影響は大きいものの、その他の感覚との差異はそれほど大きくなく、五感全てが重要だと結論づけられたそうです*1
 旅行雑誌やパンフレットのツアー紹介でも“五感で楽しむ”というキャッチフレーズをよく見かけますが、他の消費財に比べると、旅行は五感をフル活用することが多い活動と言えるのではないでしょうか。旅行の思い出がいつまでも色褪せないのはそういったことが影響しているのかもしれません。
 ただ、最初に触れたように人間はつい視覚に頼りがちな生物です。聴覚や触覚、嗅覚や味覚といった感覚は意識して活用しようとするか視覚を遮断しない限り、なかなか有効に働きません。美しい風景、波の音や鳥のさえずりを聴きながらとる美味しい食事、そしてスパでのマッサージ……、こういった要素をただ漫然と五感に働きかけても、必ずしも視覚以外の感覚に届いているとは限りません。
 もしみなさんがご旅行を、または自分の地域を旅行者に強く印象づけたいと思われるのであれば、五感を、特に視覚以外の感覚をフル活用させるような一工夫をしてみてはいかがでしょうか。
 ここ数年に行った旅行の中で最も印象に残っているのは、ニュージーランドでのワイポウアの森のナイトツアーでした。樹齢3000年を超える森の神である一本の巨木の前にたどりつくと、ガイドの方はみんなに灯りを消すように命じます。暗闇の中、聴こえてくる鳥の鳴き声や葉の擦れ合う音、マウリのガイドの方の森の神へ捧げる歌、そして暗闇で見えないにも関わらず強く伝わってくる巨木の存在感。同じ森を昼間に訪れて見たときの印象よりもずっと強く、心に残っています。

【参考文献】
*1 マーチン・リンドストローム著,ルディー和子訳『五感刺激のブランド戦略』ダイヤモンド社,2005年,p104.
ローレンス・D・ローゼンブラム著,齋藤慎子訳『最新脳科学でわかった五感の驚異』,講談社,2011年