私を旅へ誘うもの~旅立ちのスイッチ [コラムvol.4]

2007.10.18

研究調査部 岩崎比奈子

要旨

人を旅へと誘うものには、その人の趣味の世界や一緒に旅に出る人の存在、旅先で交流する人との温かいつながりがあるでしょう。観光・旅行業界全体として、心豊かな「将来の旅人」育ても大事な視点です。

旅に出るきっかけ

 今年の初夏、私は衝動的に旅に出ました。そのきっかけは、「見逃すと一生、後悔する美術展というものがあるとしたら、6月初めで終わってしまう2つの『若冲展』がそうかも知れない」(「日経WagaMaga」ホームページ「若冲を名古屋、京都で見る 逃せない絶好機」より)という一文でした。といっても、私は特段、熱心な美術鑑賞家というわけではありません。にもかかわらず、ほとんど思いつきで名古屋まで出かけてしまったのには、いくつかの条件が重なったからのように思います。
 第一には、「一生続く後悔はしたくない」という気持ちに火を付けた、冒頭の勧誘文句でした。そこに、当時立て込んでいた仕事がちょっと一段落した安堵感、「今旅に出ずして、今度はいつ時間があるんだ!」という切迫感、「ちょっと散財したい!」という解放感などが積み重なって、名古屋への日帰り旅行が敢行されたのでした。
 行きは、グリーン車指定席(「こだま」ですが)で。現地在住の叔父・叔母と久しぶりに再会して一緒に会席料理をいただき、午後から、平日のため余裕のある美術館内で伊藤若沖の作品を堪能。夜は、友人夫妻と会食、終電の新幹線で帰宅したのでした。
 この旅は、「美術鑑賞」と「親戚・友人との温かい歓談」「会席料理」という、今回の私の旅心を充分に満たしてくれる「名古屋」という土地が、時間的にも経済的にも手の届く場所にあったため、急な思い立ちであったにもかかわらず実現したものだといえるでしょう。その最初のスイッチを押したのが「一生後悔するかもしれない美術展」というフレーズでした。

旅の記憶

 秋の訪れを感じる9月末、「美術の遊びとこころ『旅』」展(三井記念美術館)へ行きました。いつもはすぐに展示室へ入るのですが、その日はまず逆に出口の方向へ向かい、全国各地の美術館・博物館の催し物を知らせる美しいポスターを見て歩きました。2年前に開館した九州国立博物館、茶道具の収蔵で有名な京都の美術館など、いくつも心惹かれるテーマが貼り出されていて、さながら旅行会社の店頭にある旅行パンフレットを見ているような心持ちになりました。「また、行ってしまおうか…」。
 入場者のほとんどが高齢の方で、自分が贔屓とする画家の作品や茶道などお稽古事に関する道具類を熱心に眺め、または友人同士で蘊蓄を傾けています。中には、かつて一緒に旅した鞍馬について、それが描かれた屏風絵の前で当時の想い出話をしているご夫婦もいらっしゃいました。私はといえば、展示作品に描かれている、かつての「尾張国」や「桜の名所の吉野」、屏風の端っこに描かれている「薩摩国」を、現在の各地の光景と重ねながら鑑賞していました。また、高校時代から細々と茶道に触れてきたこともあり、展示室の中で淡いライトをあびているお茶箱を、三井家の当主達が旅先でどのように取り扱っただろうかと想像しながら拝見しました。

「旅立ちのスイッチ」を押す

 今、全国の多くの地域が、観光・交流による地域振興を目指して、魅力ある地域づくりと情報発信に取り組んでいます。私自身が一旅行者として、何が人を旅へと誘うのかを考える時、制約条件としては休日や収入といった時間的・経済的な事情もありますが、大元には、その人の生活の中で育まれる趣味の世界や一緒に旅に出る人の存在、旅先で交流する人との温かいつながりがあるだろうと感じています。人々の心へ地域から発信された情報が響き、旅立ちにつながるかどうかは、少し大げさですが、人々がどれだけ多様で豊かな世界に囲まれて暮らしているかによるのではないでしょうか。今回はどの世界(分野)のスイッチが押されて旅に出るのか…。地域の側からみると、一人の旅行者が持つ「旅立ちのスイッチ」は一つや二つではないはずですし、自らの地域へ来てほしいという思う人々の「スイッチ」を、いかにうまく押すかを考えてはどうでしょうか。
 また同時に、今、活発に旅行している人々だけでなく、「将来の旅人」育ても大事な視点です。景気低迷やレジャーの多様化など経済的・社会的な動向によって、子どもの頃からの旅の経験が乏しくなることは、将来、観光・旅行業界に大きな負の影響を生じることでしょう。旅を通じて多様な世界を知り、心豊かな生活へとつなげていくことで、また新しい旅人も生まれてきます。人々の1回1回の旅行が次の旅立ちへ、その子ども達の旅立ちへつながっているのだという意識で、全国の観光地が魅力づくりに取り組み、そんな地域を応援してくれる心豊かな旅行者を増やしていくことも、今後一層大切に考えなくてはならないと思います。

※当財団発行の「旅行者動向2007」では、「いまどき若者の旅行マーケット」を特集しています。ぜひご一読下さい。

尾瀬 白山
仲間と歩く夏の尾瀬ヶ原 雪国のかつての生活を体験
(石川県白峰にて)

 

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