インバウンド見聞録<番外編> 地域にとっての「中国人旅行者」を考える

2010.12.08
本稿は「地域開発 2011.2 vol.557」(2011年2月、(財)日本地域開発センター)の筆者原稿を加筆・訂正し、編集し直したものであり、東北地方太平洋沖地震発生以前の状況に基づくものです。
 本稿掲載時点(2011年3月31日)では、各地で中国を含む各国からの訪日旅行ツアーや宿泊予約等のキャンセルが相次いでおり、訪日旅行市場全体が、今後の見通しの立たない厳しい状況となっていますが、インバウンドを含めた観光の振興は地域に各種の効果をもたらすという意味で、復興を後押しするものであると考えています。本コーナーではこうした点を踏まえ、インバウンド推進のための今後の着実な取組に向けて、引き続き情報提供を行っていきたいと考えています。

<“海外旅行伸び盛り”の中国市場をどう捉えるか>

 世界最大、約13億人の人口を抱え、2010年、ついに名目GDPで日本を上回り、世界第2位となった中国。日本の隣国であり、世界最大の市場である中国は、言うまでもなく、日本がインバウンド推進に取り組むうえで、最も重要なターゲットです。
 実は多くの中国人にとって、日本を含む海外旅行が「手の届く」娯楽になったのはつい最近の出来事。香港、マカオへの親族訪問渡航が1983年ですが、団体旅行のみという制限がついたものの、親族訪問以外の海外旅行が本格的に解禁されたのは、1997年のことです。この規制緩和と近年の経済成長による所得向上が、一部の特権階級や富裕層だけのものだった海外旅行を、徐々にではありますが、都市部を中心とした一般市民にも手の届くものにしました。
 海外旅行の解禁から12年が過ぎた2009年、中国の出国者数は約4,766万人にまで拡大しました。この数字には特別行政区である香港・マカオへの旅行者が多く含まれていますが、本格的な海外旅行解禁から10数年での、まさに「大発展」には非常に驚かされます。

図1
▲日本と中国の出国者数の推移。
日本の低迷が顕著な一方、中国は急成長している
(出所:法務省「出入国管理統計」、中国国家統計局「中国統計年鑑」)

 日本も観光ビザの取得要件緩和を段階的に進め、この世界最大の「伸び盛り市場」の取り込みに注力していますが、渡航先別のランキングでは、シンガポール、韓国、タイについで第4位。中国人の旅行先としての日本には、まだまだ相当な伸びしろがあると言えそうです。
 観光庁の訪日外国人消費動向調査の最新の結果によれば、2010年の観光・レジャー目的の中国人旅行者の平均泊数は、韓国の4.6日、台湾の5.2日、香港の4.8日を上回る6.1日。東アジアの中では、比較的日本での滞在が長いことが分かります。また、同調査によれば、中国人旅行者の日本滞在中の総支出額は14.5万円となっていますが、これも韓国の6.8万円、台湾の7.8万円、香港9.1万円を大きく上回っています。この数字は、アメリカ14.6万円、イギリス15.0万円と比べても見劣りしないもので、中国は欧米先進国と比較しても見劣りしない高い購買力を有していると言えます。

各国旅行者の日本国内における旅行中支出(2010年) 東アジア4か国の平均泊数(観光・レジャー目的)(2010年)
▲各国旅行者の日本国内における旅行中支出
(2010年)。
東アジアの中では中国が突出している
(出所:訪日外国人消費動向調査)
▲東アジア4か国の平均泊数
(観光・レジャー目的)(2010年)。
旅行中支出同様、東アジアの中では
中国が最も多い
(出所:訪日外国人消費動向調査)

<各地の中国人旅行者取込み術>

 では、このような中国人旅行者を惹きつけるために、地域はどのような取組を行っているのでしょうか。
 雄大な阿寒湖の自然知られる、北海道の阿寒湖温泉。2007年の同地の中国人宿泊客数は年間僅か741人でしたが、2008年、その数は8,121人にまで急増。さらに2009年は1万1,347人にまで達しました。
 この背景にあるのが、2008年12月、道東を舞台とした中国映画「非誠勿擾(フェイチェンウーラオ)」(邦題・狙った恋の落とし方)。公開から19日間で3億元(約41億円)の興行収入をあげるなど大ヒットとなったことで、ロケ地となった道東、特に映画のクライマックスに主人公の男女が心の距離を縮め、お互いに理解を示し合う場面が撮影された阿寒湖温泉を訪れる中国人旅行者が急増したのです。 阿寒湖を訪れる中国人旅行者 ▲阿寒湖を訪れる中国人旅行者。
映画に登場した店の前で記念撮影
(写真提供:釧路市)
 また、ロケ地巡りという魅力もさることながら、広大な大地、真っ直ぐな道路など、どこか懐かしい風景そのものが、“癒し”を求める中国人富裕層の心を捉えたことも中国旅行者が増加している理由の一つと言えそうです。日本のおよそ25倍の国土を有する中国ですが、中国人に言わせると「開発による環境破壊で自然があまり残っていない上、雄大な自然のある地域は交通の便が悪く旅行には行けない」とのこと。そんな中国人旅行者にとって、阿寒湖温泉を含む道東は、魅力的な旅先のようです。
 更に、こうした地域の魅力を実際の誘客に繋げた、行政や民間事業者などの取組も、中国人旅行者の急増には欠かすことのできない要因です。地元の釧路市は市長自らがトップセールスを行ったほか、日本政府観光局も中国メディアを対象としたファムトリップや一般市民を対象とした北海道観光説明会を実施。ロケ地となった「あかん遊久の里 鶴雅」は、映画の制作段階から全面的な協力体制を整えました。
 一方、「ゴールデンルート」を巡る中国人の観光ツアーの殆どが訪れる富士山では、民間の宿泊事業者による取組が盛んです。中国人旅行者が富士山を訪れる際の宿泊先として知られる、河口湖畔の「富ノ湖ホテル」は現社長が「アジアの旅行客に特化したホテルは商売として成り立つ」との思いから外国人専門ホテルとして2001年にオープンさせたホテルです。現在、周辺にある姉妹店のホテルと合わせ、年間宿泊者数の約10万人の4割から5割が中国人宿泊客です。
 富ノ湖ホテルが外国人観光客で賑わっているのは、河口湖の目の前という立地や、富士山と河口湖を一望できる大浴場や露天風呂を備えているといった施設面の良さもさることながら、1泊2食付きで6,500円という手ごろな価格も大きな要因。同ホテルでは、この価格を実現するために様々な手法で運営の効率化を図っています。
 例えば、フロントやレストラン、売店、調理室といった人手が必要な施設を1階に集中させ、調理室以外の仕切りを全て外すことで少人数による対応を実現。外国人は夫婦2人での利用が多く、湯槽につかる習慣がないと見るや、全室をツインタイプ化した上で、内風呂をシャワー室にリニューアル。外国人の生活習慣に合わせつつ、清掃の手間が省けるような工夫を客室に施しています。

<最大のポイントは“中国を知ること”と“旅の品質維持”にあり!>

 こうした成功事例が数多く出てくる中で、今後も多くの地域が中国人旅行者の誘致に踏み出すことが期待されていますが、一方で、その受入拡大にはいくつかの課題があることも忘れてはなりません。
皇居を訪れる中国人旅行者 ▲皇居を訪れる中国人旅行者。
午前9時に浜松町を出発して、皇居、浅草を巡る
半日ツアーの様子。
 まずあげられるのは、相互理解の不足です。2010年の個人観光ビザの緩和によって、これまで添乗員が同行する団体旅行で日本を訪れていた中国人旅行者が徐々に「個人旅行」へとシフトしていくことが予想されています。そうなると、従来、一定の範囲内にとどまっていた旅行者の行動はこれまで以上に拡大し、地元住民にとっては、中国人旅行者と接する機会が日常生活レベルにまで飛躍的に増加することになります。携帯電話の使い方や喫煙の場所、車内や店内での会話のボリュームや列に並ぶ習慣、果ては入浴の仕方まで、様々な場面で生じうる地域住民や日本人旅行者との軋轢をいかに軽減していくのか。観光関係者による日本の生活習慣、そして社会のルールを伝える努力が求められると言えそうです。
 また、中国という、日本とは政治体制や社会構造か根本的に異なる国そのものへの理解も、今まで以上に必要になってきます。昨年9月の尖閣問題では数千人規模の予約キャンセルが発生し、中国市場が抱える潜在的なリスクが表面化しましたが、中国からの旅行者誘致に力を入れる上では、こうした“チャイナ・リスク”への理解も必要不可欠です。
 日本への旅行が「メジャー化」するにしたがって、中国の旅行社間では訪日ツアー商品の価格競争が激化しつつありますが、受入れる地域にとっては、 “日本の旅”の質の低下への対策も、今後の課題の一つです。現在、5泊6日の平均的な訪日ツアー料金はおよそ4千元(約5万円)。更に低価格な商品を開発しようとすれば、そのしわ寄せを少なからず受けるのは地域です。在日のランドオペレーターを使って、宿泊施設や食事の質を落としたり、リベートの入る土産屋に観光客を連れて行くなど、結果的に中国人旅行者の満足度を低下させるような安売り競争が横行すれば、旅先としての日本の魅力は失われるばかり。今後の経済発展によって中国人の生活レベルがますます高まり、旅行そのものの質が問われる時代になった際に、日本の伝統や文化、自然の素晴らしさを的確に伝えられる、旅行者にとって満足度の高い旅行商品を提供できるか否かが、地域が中国人旅行者の誘致に取組む上での最重要テーマと言えるのではないでしょうか。

<参考文献>
・『21世紀のリーディング産業へ 2009-2010』(社)日本ツーリズム産業団体連合会
・『百度式600万人中国観光客を呼び込む方法』陳海騰 東洋経済新報社(2010)

(梅川智也、守屋邦彦、石黒侑介 2011.3.31 UP)

 

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