観光地域づくりオーラルヒストリー<第9回>阿比留 勝利氏  3.「観光」に関する失敗と反省

2017.01.06

(1)わが国の観光の何が問題か

●「住んでよし」の理念が、観光計画にはまだあまり組み込まれていない

 成熟度を増す内外の観光需要に対応する観光地域づくりには、「非日常性」ならぬ、「異日常性」を介した「生活者交流」という視点を入れた対応を具体化することが必要だと考えています。つまり、異なる地域に住み、異なる生活文化(異日常性)をもつ人々が、その異質性の魅力を相互に訪ね・交流して楽しむことを軸にするということです。そうすれば「まちづくり」が地域の個性(地域文化=生活文化)を育み、地域らしさとして発信力を高め、観光交流につながります。
 過去にまちづくりやコミュニティ文化を基底に据えた「まちづくり観光」(今は「観光まちづくり」)というコンセプトがだされたことがあります。これは「住んでよく、訪れてよいまちづくり」が観光地域づくりの基本理念であることを提起したもので、40年程前に四国大洲市での地域主義の研究者や住民との実践の中から産み出されたものです。観光立国推進基本法の理念の解説によく援用されますが、それならば地域主義にたったまちづくりの基本姿勢をもっと大切にして観光振興に組み入れるべきでしょう。しかし、未だにそういう取組が実質化されているところは多く見られないように思います。「住んでよし」の部分がどうもお題目にとどまっている感じがする。これを実質化して観光分野と接合するには「まちづくりに観光性を投入」し、そのまちづくりを根底に据えた観光交流との重層的な合わせ技で進める必要があるように思います。
 観光圏整備を見ても、コミュニティや住民サイドを観光・交流に結びつけていく視点はあるが依然としていわゆる観光分野を中心に生活分野の表層をなめるだけですね。生活分野に深入りできていない。これは集落・地区計画、いわばコミュニティからの観光まちづくりが弱いことに起因するのではないか。改めて、観光需要の国際化・成熟化の中で、「豊かで潤いのある地域生活なくして地域観光は成立しない」という認識を共有する必要があると思います。住民が交流による地域文化の受発信を求め、地域外の人々がその魅力を感知して来訪し交流するニーズが高まっている。観光資源とは生活資源であり、人の生活活動とその所産のすべてが魅力となり得ることを住民等関係者が広く再確認する必要があると思います。地域文化(生活文化)はそこの風土と生活から育まれるという意味で個性的でこれからそれがより観光対象たり得るからです。観光ニーズは「図」(突出した観光対象)から「地」(地域生活や基盤環境)へと広がりと深味を増していること、生活者も発信と交流を求めていることを認識し、それらをうまく接合する仕組みをつくることが課題ではないでしょうか。
 敷衍すれば、観光サイドからの問題以上に「地域の光を観(しめ)す」コミュニティづくりのあり方を再考する必要があるように思います。その一つはかつての公民館運動による自立自助のまちづくりが範となるように思います。例えば、観光案内人を郷土資料館、地区公民館が地域キュレーターとして育成するといったまちづくりと観光地域づくりを連携、重層化させる取り組みなども端緒を拓くのに有効ではないかと思います。

●観光行政の役割の縮小に象徴される観光のコーディネート機能の弱体化

 観光は地域の自然、産業、文化、生活のすべてを対象とする交流文化であり、その産業的側面は地域文化産業(JTB提唱の交流文化産業)だと思います。
 観光地経営を行政分野でみると、観光行政の守備範囲は狭くなり宣伝PR・情報提供などソフトの特定機能に限定されてきている気がします。一方、観光以外の行政部門では観光との連携施策が増大している感じを受けます。他分野と観光分野がつながることは良いとしても観光が地域づくりにおける他部門の複合戦略分野でかつ「地域づくりの総仕上げ」であるならば、他部門に観光性を投入し、それらを横断的にマネージる観光行政の位置づけと役割を担保できる仕組みが欲しいですね。地方公共団体でいえば、観光行政を企画調整等総合行政部門として位置づけるか、先の熊本市の例のように観光以外の行政部門に観光性を投入して計画調整できる役割をもたせられればよいと思います。
 大きなところでは観光庁が国交省の中にあるという意味での限界性もうかがえます。次のステップでは、観光の総合性を発揮できる計画調整力ある独立省化を期待したいところです。
 以上は行政分野を軸にお話ししましたが、裏を返せば、官民併せて考えると、観光交流を戦略とする地域ぐるみの観光地マネージ機能の社会化(例えばDMO)の期待につながります。今、地域の自然、産業、文化(生活を含む)と観光交流から複合化する新たな組織形成が求められていると言えそうです。

●観光の社会効果に対する認識が低い

 国際観光分野でいえば、観光は「平和へのパスポート」「見えざる貿易」と言われますね。見えざる貿易の部分は経済効果なので力が入りますが、平和へのパスポートという、異文化の相互理解、友好親善といった社会効果についての認識は高くない感じを受けます。
 国内観光も含めて敷衍すれば、経済効果はもちろん大変重要で産業的側面でその確立は不可欠です。しかし、「観光=産業」的側面だけでは捉えきれない。国の内外を問わず、異なる地域文化(生活文化)の刺激の授受は観光交流の大切な部分です。まして人口減少社会化、過疎化の進むわが国の地方圏の振興を考えると、国内外の一人の若者の来訪でも100人の集落は元気がでる。域学連携、少し主旨は違うが地域おこし協力隊は一面でそれを物語っている。まさにカルチャーショックの重要性です。元気が出れば知恵が育まれ、金を儲ける動きにもつながります。この社会効果からの展開の回路もないがしろにしてはいけない。目先の経済効果だけで金、金、金に流されないためには文化交流や社会効果の波及にもっと目を向ける必要がありそうです。
 既に外国人観光旅客の“爆買い(モノ観光)”の次のステップは“コト観光”といわれますが、経済事情や観光キャリアが向上すれば当然観光形態は変化するもので、大切ですが、まことしやかに語るほどのものとは思えません。

 (2)わが国の観光政策は有効に機能してきたか

 戦後の観光政策も、戦前同様に戦災復興のための外貨獲得が重視され、併せて温泉法、旅館業法、国際観光ホテル整備法等個別法の制定と国際観光文化都市建設法等などが推進されてきました。そして東京オリンピックを目前に観光基本法が制定されました。基本法の制定は早かったのですが各論が弱く、他の分野との関係性は余り議論されていないと言われています。観光は後発政策的で、その総合性に反して縦割領域に甘んじてきた感じです。
 高度成長期の国民観光需要の伸びを予測して大規模レク開発などが各省主導で推進されましたが発生需要を喚起する可処分所得の増加、休暇制度の改変や需要見通しも甘かった。石油危機で頓挫しなくてもそれらの実現が担保できたかどうかは疑わしい。その意味で観光政策は模索段階だったと思います。ただ、この時期は観光地の受入基盤や観光施設等の量的不足に対して「施設づくり」政策が中心でした。自然破壊やゴミ問題等の紆余曲折はあったにせよ、ソーシャルツーリズム的な性格を持つ国民宿舎、家族旅行村などの面ではそれなりに政策は有効に機能したのではないかと思います。
 バブル時代の政策は総合保養地域整備法、国際観光モデル地区、テンミリオン計画などに代表されますが、テンミリオン計画は政策面で有効であったと思います。しかし、プラザ合意を背景とした内需振興策として出てきたリゾート法は観光需要の見通しの弱い中で「ものづくり投資」に狂奔した。これはうまくゆくはずがないことを分かっていながら土建業的ものづくりに走った観がある。高度成長期と位相は違うが又かという感じでした。失敗ですね。
 その後のところでは、グリーン・ツーリズム、エコツーリズムなどの政策が導入・展開され、併せて今日につながるインバウンド政策も台頭する。前者はバブル崩壊と持続可能な開発などの流れに対応し、後者は脱工業化、人口減少社会とグローバル化の中での国の活力再生産の面で当然の政策選択だったように思います。
 その流れから観光立国推進基本法が制定された。その展開として特にインバウンド需要の喚起、端的にアジア圏の旅行者に対するビザ発給要件の緩和、受入態勢整備の面では、観光圏整備法による着地主導性の担保、そのための観光地経営システムとして日本版DMOの育成などが進められている。これらの総合的政策評価はまだ出来ないが、2016年10月末時点でインバウンド旅行者2000万人を突破し政策も国際観光に一段と拍車がかかっている。その面での政策は有効性をもっていると思います。
 しかし、年間の国内における観光消費額では国民観光のウエイトが断然高いのも事実です。人口1億人を超す国内観光需要の更なる誘発や観光地域の魅力化施策をもっと重視すべきだと思います。そのためには、観光圏整備などで「住んでよし」の部分が弱い。観光プロジェクトにまちづくり分野を同席させる程度の参画ではなく、コミュニティやまちづくり自体に個性化、発信力の担保と交流展開を高めるためのテコ入れをし、双方を連動させる推進の仕組みを骨太に工夫する必要があるでしょう。DMOの実質化も問われます。

 (3)観光分野で何を失敗し、何を反省しているか

●計画期間における施策実現の時間的な読みが弱かった

 観光計画には計画基準年と目標年次があり、この期間で目標を達成するといった推進プログラムをつくります。計量予測をし定性的判断を含めて前後の誤差を配慮し「このくらいの期間でいけそうだ」と思っても、計画通りにはいかないことが少なくないですね。計画目標期間で対応すべき内容が半歩ではなく数歩先まで行き過ぎてしまう傾向が私にはありました。現実は計画が遅れ気味に推移し、目標年次を過ぎてから実現環境が整う場合が少なくありませんでした。以前は10年でできるかと思ったら20年後くらいに芽が出てくることもあって計画家としてはダメだなと・・・(笑)。
 近年は、歳を重ねたので担当した計画の事後評価サンプルも増えてきたせいか、計画期間、地域社会の変化の読み、計画内容の実現の適合度が少しはよくなったようには思いますが、ともあれ計画の実現スピードの読みについては大いに反省しています。

●「計画づくりは外部委託、実施は地元」の中で計画コンセプトを繋ぐことに失敗

 担当したいくつかの事業で計画コンセプトや内容を地元の実施事業者に繋ぐことができなかったことですね。往々にして「計画づくりは外部」、「実施は地元事業者」といった流れが少なくない。多様な関係者が絡んで進められるので、計画づくりの意図が実施事業者に緻密に伝わり実現されるのは難しい面がある。私の場合、計画コンセプトを理解して、実施主体に落とす調整の仕組みをつくる努力をすべきだったにも拘わらず政治的な動きも絡んでそれが出来なかったものがいくつかあります。今考えれば駆け出しの頃で、経験や老獪な知恵がなかったこと、何よりも勇気がなかったことが悔やまれます。対応の姿勢が甘かったことを反省しています。

第9回・・・城西国際大学観光学部客員教授 阿比留勝利氏

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