観光地づくりオーラルヒストリー<第4回>溝尾 良隆氏  2.「観光」における取り組み(3)

2015.07.14

●地域とのつきあいその1 新治村

 長く付き合ってきた地域はいくつもありますが、その一つが群馬県新治村(現みなかみ町)です。最初のきっかけは、新治村のリーダー格のひとが財団に訪れ、たまたま相手をしたのが私でした。別荘開発をやろうと思っているので相談にのってほしいということでした。当時は別荘開発が盛んでした。

 私はその時に「眺望がいいなど別荘の適地であっても、別荘を買う人は軽井沢などの有名な場所を求めるから、新治村ではダメですよ。私は群馬県人だからよくわかる」と言ったら、「え、群馬県人なのですか」という話になり、「だったらまず場所を見てください。すごくいいところだから」と言われて、見に行きました。確かにいい場所だったので、別荘は無理だけれど、村をよくするために何を作ればいいか考えようということになりました。その土地の観光的利用計画を策定することにしました。

 それで村の中でこれはという人に会い、新治村どうしたらよいかとヒアリングしました。その一人として猿ケ京ホテル社長を紹介されました。私が聞き役でしたが、話が終わったら、そばにいた奥さんが、私の話も聞いてくれと言う。「この旅館をどうしたらよいか、自分と主人は全然方向が合わない。私は団体旅行とか受けるのは実はいや」。私は、将来的には奥さんの目指す方向がいいと思うが、今のうちに団体旅行でお金を儲けて、そのお金で好きなように改築したらいいいいとアドバイスしました。

 ロビーにあるゲームコーナーはやめた方がいい、地下のお風呂の明るいところに、と気づいたことを指摘していたら、コンサルタントをお願いしますと言われて500万円の予算がつきました。私は旅館の経営診断はそれまで経験がなかったのですが、社長と奥さんがいないところで、職員にヒアリングさせてくれるよう頼んで、その意見を元に部屋数を減らして、質をあげて値段もたかくすることもでき、売上も増えました。

 そうこうするうちに、猿ケ京の観光協会や旅館組合が研修旅行に行くとき、いつも私がコーディネーターとして同行するようになりました。その時に、「将来、村をしょって立つ男だ」と紹介されたのが鈴木和雄村会議員でした。彼が村長選に出ることになり、私も応援演説しました。

 鈴木さんが村長になってから、新治村との本格的なおつきあいが始まりました。特に策定した「農村公園構想」が実現して、毎日新聞社からその年の最優秀賞である「毎日・地方自治大賞」をもらいました。


写真3 新治村・須川宿(溝尾先生より)
写真3 新治村須川宿



●地域とのつき合いその2 米沢市

 米沢市とのつき合いも長いです。財団にいた頃、観光基本計画(図8,9)を作ったのですが、それから20年後、立教大学に務めるようになってから、もう一度米沢市から3人がみえて「会津と手を組んで広域観光をやりたい。まずはそのためのシンポジウムを開催したい」と相談されました。

 それに対して私はその程度のことはみなさんでできるでしょう。「観光サミットを米沢で開いて、全国に発信したらどうか」と提案しました。「メンバーは山形県出身のJTBの舩山社長(当時)を呼ぼう」。あとは国際交流に詳しい、当時立教の観光学部にいた鳥飼玖美子教授、山形県副知事、当時JRで東北支社長だった清水慎一さんになり、それぞれ20分ずつ話してもらい、その後に私が質問するという形式のシンポジウムを開きました。

図8(表紙)米沢市観光レクリエーション基本計画報告書 MZ54-19
図8 『米沢市観光レクリエーション基本計画 報告書』(1980)  


図9(表紙)米沢市観光レクリェーション実施計画 MZ-56-38
図9『米沢市観光レクリェーション実施計画 報告書』(1982)


 それが終わった後、これからどうしたらいいという話になり、観光に関する人材を育成する塾をやろうという話になりました。塾はゼミ形式にして、当初応募人数は20人を予定していましたが、ふたを開けてみると80人以上の申し込みがありました。そこで親しい人は落とし、男女や地域、職業などのバランスを考え50人に増員してメンバーを選びました。その中には議員も行政の人もいました。

 それから2年間、私は2か月に1回現地に通いました。私が彼らに言ったのは「観光というと、みんなああすべきだ、こうすべきだと勝手なことを言うけれど、意見を出すときにベースが同じであることが大事だ」。共通するベースがないまま、それぞれ好き勝手なことを言っていては、何もまとまらない。そこで半年間、私が都市観光や温泉地などについて観光の基本を話し、夏休みには米沢をどうしたらいいか宿題を出しました。秋に再び開講すると、提出した宿題の答えをテーマごとに分類して、5つの課題に絞り込みました。この5つを解決すれば米沢はよくなるということで、男女、年齢、職業をばらつかせて10人ずつ5つのグループを作って研究をしました。

 次の年は研究結果を具体化する作業に入りました。最後に発表会が行われましたが、私は市長や観光協会長、商工会会頭といった来賓の挨拶はやめて、彼らが発表を聞き、どう思ったか感想を話してもらいました。

 米沢の小野川温泉にも関わっていました。前に基本計画を作った翌年、市の依頼で小野川の計画をつくりましたが、もの別れになった。地元の旅館の人たちからスキー場を1基から5基に増やしたいと希望したのを、「5基程度では客は来ない。その前に一人前の旅館と観光地を作れ」と言ったらケンカになってしまい、報告書は反故にされました。

 でも、その息子の二代目になったら「うちの親父達が間違っていました。計画は正しかった。その通りにやります」と言ってきました。

 彼らは、頑張っていてソフト事業が評価されて、小野川が注目され始めていた。しかし、小野川温泉はソフトだけでなく、やはりハードもよくないと魅力がない。ハード先行ではダメだとよく言われるけど、ハードを作る時にちゃんと考えられたソフトが入っていればいい。

 いま、小野川温泉では旅館1軒1軒が改築する場合のデザインが決まっているので、10年くらい経てば変わるだろうと思います。そうやって頑張っていると、国も県も自然と応援してくれるようになってきています。


図10(表紙)小野川温泉整備計画 MZ-60-35
図10『小野川温泉整備計画』(1986)


(2)観光分野での業績は何か


●「広く浅く」観光をカバー

 コンサルの仕事は相手がテーマを決め、それに対応するからどうしてもフィールドが広く浅くなります。なんでも対応できるようになる。1つの研究課題を掘り下げて行く学者とは違います。学者は理論からフィールドに入るけど、私たちはその逆のパターンで、フィールドを経て理論にたどり着くボトムアップのアプローチを長年やってきました。

 学者のように同じことをずっとやり続けるという、一つの山をじっくり攻略するより、ある山を登った瞬間にすぐ次の山を目指すタイプです。「日本百名山」を著した深田久弥もそうだったと思います。ですから、私の著書や研究範囲はこれまで話したように資源評価、民宿やクルーズなど多岐に渡ります。ご当地ソングの歌謡曲を地域の観点から全部研究して『ご当地ソング 風景百年史』(2011)(図11)という書籍も出しました。守備範囲は「広く浅い」と言えます。

 ただ、調査テーマを変えながら、次々と仕事が来て長い付き合いになった群馬県新治村、新潟県佐渡島、香川県琴平町、私の地元川越市については、『観光まちづくり 現場からの報告』(2007)(図12)として刊行しました。

 また、何かテーマを与えられたら、自分で全部やるというより、どうやったら最善の解決ができるか、誰にどういう形で頼むのが一番いいかをまず考えます。自分でできることはもちろん自分でやりますが、その分野で自分よりスキルが上の人、あるいは自分にはないスキルがある人に頼むことで、よりよいものになります。

 それはやはり、いろんな分野のいろんな人を知っていないとできません。広く浅く、いろいろな分野をカバーしてきたことである意味、プロデューサー的な視点も育まれたと思います。


図11『ご当地ソング 風景百年史』(2011)
図11『ご当地ソング 風景百年史』(2011)


図12『観光まちづくり 現場からの報告』(2007)
図12『観光まちづくり 現場からの報告』(2007)


●自分の勉強が相手の勉強に

 とにかく現場には足を運んで、徹底的に見るようにしていました。平成の大合併の前、日本の市町村は東京と大阪の区を入れて3,323あった。2007(平成9)年現在、私は調査などの目的でそのうちの57%に足を運んでいます。いずれもただ通過しただけではなくて、ちゃんと降り立った場所です。泊まったところは全市町村の27%くらいを占めますね。佐渡のように、何十泊もしていても、記録は数か所です。

 私はわがままだから、熊本県でも愛媛県でも、仕事する先の地域は全部見せてくれと言って、ほとんど車で回ってもらっていました。今は委託する側も受ける側も、そういう余裕がなかなかないから難しいとは思いますが、現場を見ることは大事だと思います。

 米沢市では市役所に入りたての新人と仕事することになって、彼に米沢じゅうを車で案内してもらいました。彼に言ったのは「2~3年で異動になるけど、観光の部署にいる間は残業もいとわずめいっぱい頑張って観光の専門家になってしまうことだ」。彼はその後に別の部署に行ったけど、最後は観光部長になってまた戻って来た。今も仲良くしています。「若い頃に勉強してよかった」と言われました。「あれこれ質問されて、それに答えなきゃいけないので、運転して回った方も勉強になりますから」。愛媛県の課長も「溝尾さんの運転手をやって勉強になりました」とよく言います。

 相手側にもそうやって伸びていく人、若い頃から輝いている人がいる。そういう人とは、観光に関係ない部署に行っても、よく飲んだりしながら結果的に長くつきあっています。そこから広がっていくネットワークもありますね。

第4回・・・ (前)帝京大学経済学部 教授 (元)立教大学観光学部 教授 溝尾 良隆氏

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