観光地づくりオーラルヒストリー<第7回>猪爪 範子氏  2.「観光」における取り組み(3)

2016.03.08

●定年直前で広島市役所へ

 58歳の時に、たまたま広島市が女性助役を募集していると新聞で見て、特に縁がある土地ではなかったのですが、軽い気持ちで応募したら最終候補までいっちゃいました。助役選任は市長の選任事項ではあっても、議会の同意が必要でした。

 でも、当時の市長秋葉さんと議会が不仲で、助役選任は3月の議会で否決され、次の議会でも否決。結局、企画理事という一般職で就職しました。就職にあたっては、今までの仕事は全部辞めるという前提でしたから、あちこちに不義理をしました。国の審議会と大学が難儀で、負担感も大きかったです。大分県湯布院町由布院温泉事務局長が、町役場の嘱託職員の辞令を受けたものだったので、2回目の役所勤務となりました。

 59歳で入って60歳で定年退職したので、広島にいたのは1年足らずです。三役に年齢のリミットはないけど、一般職員だったからしかたありません。でも、市長、助役、収入役、企画総務局長に次ぐポジションでしたから、市としてのデシジョンの場面を、全部見せてもらった感じでした。

 ごく短期間しかいませんでしたが、役所は一筋縄ではいかないということを実感しましたし、やはり縦割りの世界だからこそ、組織内のポジションが上でないと、偉くならないと全体が見えないということもよくよくわかりました。

 それにしても定年なんか自分で決めようと思っていたのに、フリーターの極みを自負していた私が定年退職するなんて、自分でもびっくりですよ。

●JICAの短期専門家でインドネシア各地へ

 広島市役所に就職する時にあらゆる仕事や所属を辞めたので、2002(平成14)年に定年退職した後は再び、フリーランスに戻りました。その後、国際協力機構(JICA)関連でいくつか国際交流関係の仕事をしました。インドネシアへの派遣もその一つです。

 当時のインドネシアはハビビ大統領に政権が変わり、それまでは「ジャワ主義」といってジャワ中心だった政治から地方分権を進めたいということで、そのための部署が新設されました。地方分権を草の根で進める体制や事業への助言が私の仕事でした。何度か現地を訪れましたので、通算したら半年くらいインドネシアに滞在したことになりますかしらね。

 この時に出会ったのが、ジョグジャカルタでの野蚕生産事業です。JICAとは無関係なプロジェクトでしたが、本題に留め置かず、キョロキョロするのが私の癖なものですから。ジョグジャでの寄り道は、日本にもいますが、インドネシアにいる野生の蚕は、桑ではなく、マカダミアナッツとかカシューナッツなどの樹木の葉を食べて育つ、さされたら痛くなる、どちらかといえば害虫に類する大きな蛾の繭です。繭も蛾も通常のカイコの何倍も大きいんですよ。

 ジョグジャカルタは独立時に初代大統領になったスカルノが拠点を置いた都市で、その時、日本軍が独立に好意的だったそうで、対日感情も悪くありません。日本では京都にあたるような古都で、実際、京都とは姉妹都市提携を結んでおり、現地に西陣から人が来て、糸をつむいでいろいろな製品を作る技術支援をしていました。繭が金色で、ゴールデンコクーンとして今では知られているようです。

 このほかJICA九州では、ASEAN諸国の公務員を対象に一村一品運動についての研修を行っていて、私は数年間、日本の内発的な地域振興の経過についてレクチャーしました。

●ツーリズムおおいたの事務局長

 2005年、大分県のツーリズムおおいたの事務局長に就任しました。当時、大分県庁の中に観光協会がありましたが、様変わりさせるために、別府に移しました。いろいろともめ事があって、私はすぐに辞めましたが、辞めてから、大分県の観光戦略をつくりあげました。これは、九州地方整備局の予算を得て作成したものです。このツーリズムおおいたは、観光協会の名称を変え、民間化する試みでしたが、従来からの県が主導する体制をそのまま継承してしまっていて、私のような民間人が許容できない内部事情を抱えていました。就任早々で逃げ出しましたが、その前に面白い女性に出会いました。

 県南部の、佐伯市蒲江のリアス式海岸に住んでいる橋本正恵さんです。少し前まで、定置網の権利を持っていて、漁業で稼いでいるなかなかのやり手の女性ですが、「背広にネクタイの男は信用ならん。自分たちが始めたことがうまく動き始めると崩しにかかる」と、怒っていました。

 彼女が、自分の思いを本にしたいというので、資金を調達して、知り合いに聞き書きを頼み、書き下ろしの本を作りました。「海業(うみぎょう)」というタイトルは私がつけました。漁業ではなく、海業。林業ではなく、森業。地域に根差した産業は、それを可能にする環境、広くその地域の生活や生活者をも含んで成立しています。前から使っていましたが、彼女の話は、私の問題意識に、ぴったりと沿ったものでした。

 橋本さんは、地域の津々浦々に知恵があり、それを役所がコントロールして押さえるのではなく、伸ばさないと地域は発展しないと言っています。ちゃんと本にすると、言いたいことがきちんと伝わり、「変なおばさん」の妄言ではなくなります。県が、あちこちの部署で買って配ってくれたそうです。京セラ元会長の稲盛和夫さんも、訪ねて来たそうです。この本が介在していることは間違いないでしょう。

●ツーリズムおおいたの事務局長

 2005年、大分県のツーリズムおおいたの事務局長に就任しました。当時、大分県庁の中に観光協会がありましたが、様変わりさせるために、別府に移しました。いろいろともめ事があって、私はすぐに辞めましたが、辞めてから、大分県の観光戦略をつくりあげました。これは、九州地方整備局の予算を得て作成したものです。このツーリズムおおいたは、観光協会の名称を変え、民間化する試みでしたが、従来からの県が主導する体制をそのまま継承してしまっていて、私のような民間人が許容できない内部事情を抱えていました。就任早々で逃げ出しましたが、その前に面白い女性に出会いました。

図11 『大分ツーリズム戦略』(社)ツーリズムおおいた図11 『大分ツーリズム戦略』(社)ツーリズムおおいた
図12 『海業』表紙図12 『海業』表紙

(2)観光分野での業績、そして自慢できる功績は何か

●自治体学会の公募研究論文一席受賞

 1980(昭和55)年、懸賞論文で東京農大から造園大賞を受賞しました。40歳少し手前の頃です。1982(昭和57)年に、「もう一つの学校」というタイトルで自治体学会の公募論文に投稿して一席を受賞。この内容は、そろそろ、生涯教育の必要性も言われはじめていた頃でしたが、教育とは学校教育だけではない、生涯学ぶ機会を持ち、新しいことをインプットし、考えながら自分を変革し、そこから社会とつながれば、社会も変わるというようなことを書きました。随分前の論文ですが、今の世の中、そういう方向が当たり前になりました。2000(平成14)年には、東京農大で受理された学位論文に対し、日本都市計画学会から論文奨励賞をいただき、これには驚き、かつ恥じ入っています。

第7回・・・ 都市・農村計画 猪爪 範子氏

【PDF版(1.10MB)】