観光地づくりオーラルヒストリー<第5回>古賀 学氏  3.「観光」に関する失敗と反省

2015.03.31

●市町村合併が与えた観光地づくりへの影響

 利賀村は、当初からお付き合いがあり、観光地づくりは上手く進んだ事例だと思っています。ただ、当時利賀村のやる気から様々な省庁が補助金をもってくるといった状況もありました。それに任せて様々な計画、施設整備を行ってきた。立ち止まり考えるゆとりがなかった。それが良かったという面もありますが、今ひとつゆっくりと共に考える余裕を持った方が良かったと思っています。

 また合併があり、例えば全麺協という組織も市町村合併でちょっとおかしくなっちゃったんですよ。当初はそばでまちおこしをしていた村や町が会員だったんですが、合併で全部吸収されてしまいました。合併すると、そういう経費をまず削るじゃないですか。だから今は行政会員がゼロになってしまって、個人会員ばかりとなってしまいました。

 元の村や町は、合併後もそばでまちおこしを一生懸命やろうとしているんだけど、自治体という枠が消滅しちゃうと、今まで通りの活動ができなくなってしまうんですね。ここが市町村合併の一番の問題だと思いますね。今までやってきた活動の価値を、合併先の自治体が汲めるかどうかが結構大きいです。宝を得たと考えるのか、お荷物を背負ったと考えるのか。そういう意味では市町村合併によって観光が一番打撃を受けたかもしれませんね。情報が均等になり、その分中身が薄くなってしまったから

●予算オーバー

 宝塚市におけるCI(Corporate Identity)計画で実費が委託費を上回ってしまったことです。その原因は、行政の言うなりになったことと、そうしなければできなかったことです。マーク一つと思いますが、市のシンボルとなるものを作ることの大変さを実感しました。今はゆるキャラなど簡単にアイディア募集で数万数十万の懸賞金で作ることも多いですが、実際に市民に共感をえるものをつくるのは大変なことでした。また、当方の方がおもしろさにのめり込んでいってしまったこともあります。担当の課長と係長が昼も夜も一生懸命だったことも引き込まれる原因でした(笑)。月1回、夜行列車で朝8時からの会議(当時パワーブレックファーストが流行っていた)などもこなしました。当初観光のCIだったはずが、いつしか市のCIとなってしまっていたことです。できあがると待ってましたとばかり、市の企画がだした報告書の表紙を飾りました。委託内容の枠を維持することは、時として大変難しいこともあります。

●施設は作ったが、運営は?

 今まで関係した施設整備はあまり多くありません。村上市のサーモンパーク、利賀村のそばの郷及びそば資料館、高柳のじょんのび村、神津島村のどんたくハウスなどいくつかありますが、その運営への関わりがすべて中途半端でした。依頼された範囲以外のことについて口出しはしにくいのですが、生みの施設は、もっと運営まで出しゃばって関わり合っておけば良かったと、後悔しています。

●商売にならなかった?

 観光計画策定の仕事が商売になっているかというと、あまり大もうけする商売にはなっていないかもしれません。協会の会員のためということから、採算度外視の仕事ばかりをやっていたのでは。但し、その中で築いた人間関係だけは続いています。利賀の中谷さんや村の皆さん、高柳の春日さんやゆめおいびとの方々、神津島の河合さん、宝塚の村上さん、会津三島の鈴木さんなどなど、そんな繋がりができる仕事に携われたことを大変うれしく思っています。このようなことに満足をしている私は、本当に仕事というのをしてきたのでしょうか?はなはだ疑問です。

●失敗のないのが失敗?

 よくよく考えると、それほど失敗らしい失敗をしていないかもしれません。それは99%行政の仕事をしていたことからかもしれません。基本的に最終的にはまとめ上げる、というのが行政のお仕事であり、そうした中で計画や調査を実施していきました。行政の中には破天荒?な方もいましたが、そうした人とは気が合いすぎてさらによりよい計画ができたのではないかと思っています。

 行政の仕事をしていると、失敗を犯す余裕すら無かったのかもしれません

第5回・・・元(社)日本観光協会 総合研究所長  古賀 学氏

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