観光地づくりオーラルヒストリー<第3回>前田 豪氏  5.これからの「観光」・「観光地づくり」・「観光計画」への提言

2014.08.13

 この提言も観光プランナーという立場で、以下の4点を挙げたいと思います。

①観光の意味・意義と共にふるさと磨きの必要性を国民一人一人が自覚すること

 今、日本の観光で一番課題だと思うのは、観光の意味を非常に狭い従来型の観光業者、観光地という概念で捉えており、政府が掲げるインバウンド2000万人という目標もひたすら経済効果を訴えているのは、本末転倒だと思います。それよりも大事なことは、まずもって国民も参加して魅力的なふるさとや国土を創った上で、訪れてきた人をおもてなしするという発想です。そして基本となるのは、やはり「住んでよし」だと思います。

 「パリがいい」って言う人が多いですが、私が最初にフランスに行った時(1972)、マルセイユに住んでいる人たちが「なんでパリがいいんだ?、俺たちの町が絶対一番いいのに」と言われ、吃驚しました。空威張りじゃなくて、本当に自分たちの町はいいところであり、ナンバーワンだと思っているのが、非常に印象的でした。今の日本の地方都市で、「東京何するものぞ」という考え方を持っているところが、どれほどあるでしょうか。そういう気概を醸成してこなかったことが無秩序な東京一極集中につながり、間違いだったと思います。ただ、今の若い人の中には、自分のやりたい仕事を求めて積極的に地方に移住する人も出て来ていますので、若干考え方が違ってきているかもしれません。それが希望だと思います。

 地方都市の観光的魅力を表現するのに、「小京都」っていう言葉を未だに使っているところを見かけますが、そう呼んでいる限り京都を上回る魅力的な町にはならないと思います。金沢でも使っているのを見ると、情けなくなります。「天下の書府」の基礎を築いた前田利長・利常公も怒っているのではないでしょうか。その点、千葉県の佐原が「江戸勝り」というコンセプトでまちづくりをしており、その考え方はいいと思います。例えば、「ここにしばらく住んで、レストラン廻りなんかやったら面白いんだろうな」とか、「この町いいね、住みたいね」という魅力を感じるようなまちづくり、国づくりをしていかないと、この国は立ちゆかなくなるのではないかと危惧しています。

 情報発信もそうです。前述したように『ITALIAN  COUNTRY』という観光プロモーションの本は、中流家庭の居間や台所を写真に写し、その中に地元のワインが置いてあったりして、ごく普通の生活文化を見せています。それがイタリアの魅力であり、それをおしゃれな形で発信しており、それが目の肥えた観光客の誘致につながっています。情報発信にも一種の独断と偏見というか、いいと思ったことに絞って掘り下げた情報を発信していかないと、目の肥えたお客さんは惹き付けられないと思います。

 町の景観についても住民一人一人が関心を持ち、より美しくするにはどうすればいいかを考えるべき時代だと思います。町の景観は、町の営みの結果で造られていくもので、そこを大事にすべきだと思います。昔、伊豆半島を全て廻ったとき、海辺では塩分をたっぷり含んだ海からの風を出来るだけ避けようとしましたから、海に面するところには家は殆ど造られていませんでした。ところが観光客は海の眺望を求めますから、ホテルや別荘ではオーシャンビューを売り物にし、競って海が見えるところに建物を造るようになりました。その結果、以前は自然のスカイラインであったところが、我が物顔にホテルや別荘が出来、あたかも道を行く人たちを見下ろすようになっています。

 東京オリンピックに向けて、お台場に大型マンション群が生まれそうですが、私は非常に疑問視しています。3つの理由があります。一つは海辺の景観がますます悪くなり、海の眺望をそれらの高層マンションが全て奪ってしまうようになることです。本来海の眺望権は、国民すべてのものであって、それを高層マンション群が“奪う”のは、如何なものでしょうか。

 もう一点は、海岸縁に高いビル群が建ち並びますと、「風通し」がますます悪くなるということです。東京の都心部で夏の暑さを味わってみれば、如何に心地よい風に吹かれることの有り難さが身に沁みると思います。2013(平成25)年7月10日の『日本経済新聞』の「春秋」欄に、1934(昭和9)年に寺田寅彦が、東京湾から吹く夕風の心地よさを、「夏の夕べの涼風は実に帝都随一」と褒め称えているということを紹介していました。そして海風だけではなく、寅彦と同時代に生きた作家長谷川時雨も、「夏の下町の風情は大川から、夕風が上潮と一緒に押上げてくる。洗髪、素足、盆提灯、涼台(すずみだい)、桜湯—お邸(やしき)方や大店の歴々には味わえない町続きの、星空の下での懇親会だ」と紹介しています。

 今の東京の都心や下町の多くは、心地よい風などはおよそ期待できず、ヒートアイランド現象に悩まされ、電気が何処から来るかを考える余裕もなく、クーラーを掛けまくっているのが現状でしょう。東京の都市計画がお粗末だったことが原因ですが、日照権については考慮されていても、風に関してはビル風対策や暴風対策はあるものの、心地よい風を護ることは一顧だにされてこなかったことも問題です。2020年には東京オリンピックも開催されることですから、湿度の低い欧米からのお客さんには、東京の蒸し暑さには悲鳴を上げるのではないでしょうか。これからは風通しの良いまちづくりを目指し、「風通権」を確立し、快適な都市づくりを目指すべきではないかと思います。

 3点目は、総人口が増えないのにそういうものを造れば、その分都内(及び近隣県等)の人口が移動するわけで、都内でも過疎化が進むということです。その結果、郊外の商店街などは一層打撃を受けることになるでしょう。小生の事務所の近くの吉祥寺もそうです。今駅周辺の再開発が進んでおり、大きなビルをどんどん出来つつあります。駅ナカも含めてそこにたくさんテナントが入れば、駅から出ないで買い物が全て間に合ってしまいますから、周辺の商店街、とりわけ駅から離れた商店街は強烈なパンチを受けると思います。通勤の前後に買い物を済ませる世代には、便利かもしれませんが、住宅をベースに生活している人にとって、近くに商店街がなくなることは、ご近所を歩き回る楽しみが無くなり、まちを歩く人がますます少なくなります。小生の住む渋谷区富ヶ谷二丁目一帯も同様で、レイチェル・カールソンの『沈黙の春』は、ますます他人事ではなくなりました。

 今、地方において将来の人口減を見越してコンパクトシティ構想が検討されているようですが、東京などの都市でも同じで、歩いていける範囲で快適にくらせるコンパクトな空間を造るべきではないかと思います。毎日歩くのは、老人の運動にもいいですし、それで健康になれば国の医療費の軽減にも繋がりましょう。一人住まいの人だったら、しゃべるのはお店屋さんぐらいしかありませんから、季候・季節の話、子や孫がどうしたとか、そういう会話ができるように商店街も残こすことを考えるべきでしょう。

 コンパクトで快適な都市づくりにあっては、むやみにものを増やすことではなく、国土強靱化として鉄筋やコンクリートをぶち込むのではなく、これからは今まで造ってきた“悪いもの”をいかに取り払うか、「引き算」の時代ではないかと思います。この間、島村菜津さんの書いた『スローシティ』というイタリアの都市づくりを読んで改めて感じましたが、今、日本がやらなきゃいけないのは、住民の「昨日・今日・明日」を考え、「足を知る」ことではないかと思います。そして個々の人間もそうであるように、住む地域も個性を大切にし、誇りの持てる“らしい地域”に住みたいものだと思います。その延長線上に、国土総景があり、観光立国があるのではないでしょうか。

②集落単位で「観光からのまちづくり」を進めること

 そういう意味で、私としては「集落単位のふるさとづくり」という概念を、声高に主張したいと考えています。今住んでいるところを、出来るだけ自分達の力で魅力的にすることが、域外の人を惹きつけ、結果的に観光開発になり、集落の存続に繋がると考えています。

 全国の人口が減少し始め、東京等の大都市の総人口(域内では更なる人口集中がある一方で、人口が減少しているところもある)は、さほど変わらないと見られていますから、その分地方の人口減少は深刻で、消滅する集落も増えると見られています。そこで東京に人口が集中するのを防ぐ、ダムの役割を話すような地方の中核都市の育成を急げとか、1箇所に諸施設を集めるコンパクトシティ構想が喧伝されています。小生はそれには否定的で、まずもって各集落が趨勢に流され、諦める前に、「自分達のふるさとが無くなってもいいのですか!?、まだやれることがあるのではないでしょうか」、その思いで西米良村を応援してきました。

 再三言いましたように、西米良村は合併を拒否して、少ない人口ながら単独で生きていく道を、村民の総意で選択しています。職員の給与などは、率先して削減していますし、古い庁舎を建て替える計画などは聞いたことはありませんし、始業前の15分前に全職員が集まり、役場の掃除をしています。そうした風土の中で西米良村の「観光からのまちづくり」はスタートし、ゆっくりながら着実に成果を挙げてきています。まず、役場のある村所地区において、西米良温泉の整備が嚆矢となり、川の駅、村の駅等も加わり、観光客の誘致にそれなりの成果を挙げました。そして「負けてはならじ」と、かつてお城があり、中心地だった小川地区においても民話語りや山菜祭りが始まり、作小屋村を整備され、村所の人気を脅かすほどになりました。そして上米良地区でもジビエ工房が整備され、本格的な“集落おこし”が始まろうとしています。実際に目の当たりにして目を凝らして見れば、「これで大丈夫だろうか」という脆弱さを孕んでいるのが実状です。しかし、西米良住民は知っています。西米良村という名前から窺えるように、かつては東米良村という村がありましたが、1962(昭和37)年に西都市と合併し、以降火が消えるように寂れていったことを。そして西都市の職員が、「東米良の振興を図るべきではないか」と言われた時、「この財源が乏しい時、寝た子を起こすようなことは出来ない」と語ったことも耳にしています。

 人手の少ない集落の活性化は、始めるときもそうですが、始めた後でも大変で、“小さな成功”に酔っている暇はありません。コンサルタントが「新しい魅力を追加しないと墜落してしまいますよ!」とハッパを掛けますが、地元のスタッフは正直「もう目一杯」と思っておられるであろうことも、薄々感じています。しかし、是非とも皆さん方の集落を護り続けて欲しいと思っています。藻谷浩介さんが『里山資本主義』という本を出され、我が国の再生の一策が「里山の活用だ」と主張されています。理念や手法は少々違いますが、自分の居所がはっきりしている小さな集落の居心地良さは、今以上に評価される時期が来ると考えており、そこに観光的な魅力を感じる人が少しずつでも増えていたことを感じられたのが、小川地区の作小屋村であり、西米良村での貴重な体験です。今後どのような合併やコンパクト化があろうとも、西米良村は生き続けていけると思います。そして余生を掛け、西米良村を応援していこうと決意しています。

③不易流行の「不易」を大切にすること

 私も71歳になり、半世紀近く観光地域の盛衰を見てきて、松尾芭蕉の俳諧理論「不易流行」の凄さに、今更ながら感服しています。「流行」も時には必要でしょうけれども、基本はその地域ならではの「不易」を知り、大切にすることではないかと思います。観光施設にあっても、その施設ゆえの「不易」をしっかり踏まえるべきではないかと思います。

 例えば、宿泊施設について言えば、元々は家族で経営していたようなホテルや旅館が、高度成長期やバブル期に目一杯借金をして敷地一杯に施設を大型にし、契機の冷えに伴い行き詰まり、倒産したり、ファンド等に買われてしまった例を実に多く見てきました。そして今残っている施設を考えますと、日本の旅館の基本;不易はやはり個人企業ではないかなと思います。つまり、「家業」で、家にお客さんが訪ねてきたように、精一杯おもてなしをすることが、日本旅館の良さだと考えています。それと大事なのは地域への溶け込み、たたずまいづくりです。そして、「この宿いいですね、町いいところだね。ここに住まわせてもらおうか」と思えるのが、本来の観光地だと思います。

 「観光からのまちづくり」にあっては、人、自然、歴史・文化が不易中の不易だと考えています。西米良村の「観光からのまちづくり」にあっては、住民の人の良さ、凜とした生き方が基本になっています。見方を変えれば、どこの地域においても、人の魅力は必ず発見できると思います。綾町では、照葉樹林の「自然」が、旧南郷村では百済王族が逃れてきたという「歴史」が、基本コンセプトの核になっています。これらに関しても、人同様何処にでも「その土地ならではのもの」を発見できるはずですが、肝は何処までこだわり続けるか、だと思っています。

④学童に対する「観光教育」を進めること

 前述した『カリブ観光教本』に強い刺激を受け、宮崎県で我が国最初の「観光副読本わたしたちにできることってなあに」が出来、それがきっかけになって油津中学校の「僕ら観光隊」、鵜戸中学校のサーフィン受業、南郷中学校の課外事業でシーカヤックの課外事業が始まり、一躍宮崎県は「観光教育」の先進県に躍り出たことは、素晴らしい快挙だった考えています。しかし、残念ながら宮崎県の「観光教育」は一気に拡充というわけにはいかず、その後は一進一退の状況のようです。いわんやそれに追随したのは、全国で散見される程度で、国としては、まだ「観光教育」に取り組む姿勢を見せていません。観光が優れて文化であり、かつ成熟するには時間のかかるものですから、じっくり腰を落としてかかることも必要でしょうが、小さいときに肝心なことをしっかり教えることも大事でおり、学童に対する「観光教育」も一日も早く取り組むべきだと考えています。その意味で、東京オリンピックはいい機会ではないかと思います。

 戦後において、宮崎をして“新婚旅行のメッカ”に育て上げた岩切章太郎翁は、ガイドを乗せた観光バスを1931(昭和6)年に走らせています。その当時観光バスが走っているのは東京のはとバスの前身と別府だけでしたが、日本一を目指すなら宮崎でもやろうと決意し、バスガイドの養成も自ら取り組んでいます。「お年寄りが来たら自分の親戚のおばあちゃんなどのつもりでやりなさい、子どもさんが来たら親戚の子どもが来たようにやりなさい」と、指導をしたそうです。バスガイドが当時人気だったせいもあるけど、優秀な子も集まり、かつ優秀なトレーニングをしたことが、宮崎の観光の基礎をつくったわけです。子供達に「じぶんのふるさとを、大人の外国人が来たら自分の親戚のおじさんや小母さんに話すように、子どもの外国人が来たら、学校の仲間に話すように話しかける」ことを、教育するわけです。

 それに先駆け、じぶんのふるさとをきれいにする活動を実施すべきでしょう。自分達が植えた花なら余計大切にしますし、紹介する際にも誇りを持って話せるのではないでしょうか。花を植えるにあたって、最初は無いよりあったほうがいいですし、植えるなら量があったほうがいいし、珍しい花の方がいいとなっていきますが、最終段階には「その土地らしさ」という、たたずまいづくりに行き着くと思います。つまり、「我がふるさと縁の花」を、「我がふるさとらしい植え方で植える」ことを教えていくことが望まれます。

 最近は伝統芸能に関心を持つ子供が増えています。西米良村では、小生が最初に行ったときは、「神楽の舞い手がいなくなる」と心配していましたが、今の青年団は非常に熱心で、その姿を観て育ったこどもの中には、小学生から神楽を舞う子供達が出て来ました。これも立派な観光教育だと思います。小生が住んでいる渋谷区でも茶道をやりたいという男の子もわずかですが増えているそうです。渋谷区の千駄ヶ谷小学校では以前から、茶道を取り入れた教育を続けており、教えに行っている女房は、「すごく良い御菓子を使っており、子供達幸せ」と羨ましがっています。

 いろいろな形の観光教育がありますから、国はしっかり方針を決め、後は各自治体の裁量に委ね、しかるべき時に子供達をしっかり顕彰することだと思います。しかし、観光教育を受けた子供達は、訪れた方から「あなたの町素敵ね!」という言葉を、最高の宝として心に刻むのではないでしょうか。是非、こんな夢が一日も早く叶うことを願っています。


2013年11月6日

会場:リージョナル プランニング会議室

同席:リージョナル プランニング 前田暢

  取材者:公益財団法人日本交通社 観光政策研究部

梅川智也、後藤健太郎 

2014年6月24日文章校正・追加終了

7月11日最終校正終了

*あわせて『前田豪未発表コラム』(http://blog.livedoor.jp/mgcolumn/)もご覧下さい。

第3回・・・リージョナル プランニング代表  前田 豪氏

【PDF版(2.09MB)】

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