観光地づくりオーラルヒストリー<第4回>溝尾 良隆氏  1.「観光」への接近

2015.07.14

観光研究への意欲が新たな道を切り開く

-民間から大学へ、実務の経験を学術に活かして観光学の発展に貢献

             

 (前)帝京大学経済学部 教授、(元)立教大学観光学部 教授

溝尾良隆氏

(現 公益財団法人日本交通公社 非常勤理事)

 

1941(昭和16)年東京都に生まれ群馬県で育つ。1964(昭和39)年東京教育大学理学部地理学専攻科卒業。同年、株式会社日本交通公社外人旅行部入社。1969(昭和44)年、財団法人日本交通公社に移籍(調査室)。1989(平成元)年、立教大学社会学部観光学科教授、立教大学観光学部観光学科教授、観光学科長、観光学部長、立教大学観光学部交流文化学科 教授、2007(平成19)年、同大学を定年退職。同年、城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科教授、2009(平成21)年、帝京大学経済学部観光経営学科教授、2011(平成23)年、同大学経済学部地域経済学科教授・学科長、2015(平成27)年同大学を退職。

 

(1)なぜ観光の道を選んだのか

●小学校~中学

 子どもの頃から地理が大好きでした。児童年鑑みたいな本をよく見ていて、どこの県はどういう特徴があるかといったことにすごく関心がありました。この頃は大学に行くとは思っておらず、小学6年の時に地図帳で知った田中啓爾先生に「高校を卒業したら弟子にしてください」という手紙を出しました。この方は日本の地理学の大家でとても重要な人物です。返事は来ませんでしたけれどね。

 私が30代くらいの頃、中学時代の先生が「教育研修会に使いたいから、当時の地理のノートを貸して欲しい」と言われて、送ったこともあります。

 生まれは東京浜松町ですが、父が交通事故で亡くなったことと戦争に突入ということもあり、母の実家の群馬県松井田町で高校までいました。中学2年の夏休みの自由研究で『群馬県の地理』をまとめ、3年生の時には松井田の商店を全部訪ねて、ここに売っている品物はどこから来ているのか、松井田で作ったものはどこに行っているかなどを調べました。理科の自由研究では、中学の3年間、松井田町の天気(含む温度)を1日も欠かさずに記録して、東京と比較しました。



写真1 溝尾良隆氏への取材風景

写真1 溝尾良隆氏への取材風景
(2014(平成26)年10月7日、(公財)日本交通公社ライブラリー)


●高校時代~大学

 地理という科目は専門の先生が教えるとは限りません。高校では運が悪いことに、私のクラスの地理担当は社会学専門の大学出たての教員1年生で、地理のことを全然知らず、質問すると「わかりませんです」と答えるのです。私があまりに質問するもので、嫌われて試験では一番いい点とっても、Aをくれませんでした。

 3年になると補習授業で別の地理専門の先生に教わる機会があり、その先生とは以後、ずっと年賀状のやりとりをしていました。

 大学で地理学をやると初めから決めていました。家中は猛反対で、「つぶしがきかないからやめろ、経済をやれ」。でも聞きませんでした。

 当時一番地理学が強かったのが、東京教育大学でした。地理学で1番古い東大は生徒が5人くらい、先生が3~4人で理系の自然地理学でした。2番目の京都大学は文系の人文地理学で、歴史中心でした。調べたら、北大から名古屋大までは地理学は全部理学部に属し、そこから西になると文学部に属している。

 東京教育大学は後から地理学の講座を作ったので、自然地理学と人文地理学を総合化した形で、学生も先生も一番多く、1学年の学生は30人でした。ちなみに東京教育大学の先生は、定年になると立正大学に行っていました。立正大学は地理学の学生が100人もいて、私立の中では地理学が一番強い大学でした。

 私は落ちてもいいから、とにかく東京教育大学に行こうと決めました。当時一期校と二期校があり、二期は教員養成でした。私は先生になるつもりはなかったので、二期校は受けませんでした。

 でも、東京教育大学に受かるとは思いませんでした。浪人を覚悟して先に予備校の申込書を取りに行き、皆がいなくなった夕方にこっそり発表を見に行ったら、自分の番号があってもうびっくりしました。その時入ったのは25人でしたから、足切りの最後が私だったのでしょう。

 大学に入ったら、東京の連中は地理の鍛え方がやっぱり違う。レベルが違う、すごくショック。4年間じゃとても追いつかないと焦りました。卒業論文は人文地理の青野壽郎先生の指導で、当時異例の8名による共同研究でした。タイトルは『都市化の進展が地域に与える影響』で、それぞれ農業、住宅など異なるテーマを担当し、私は交通を担当しました。

 

(2)観光との出会いはいつ、どこで…

●株式会社日本交通公社への就職

 卒業後は大学院には行かず、民間企業に行こう、できれば地理に関係するところがいいなと思っていました。

 本が好きだったので岩波書店に就職したかったのですが、試験時期が遅く、落ちたらどこも行けません。そこで、まず日本航空に行きましたが「来年はパイロットしかとらないから。君はメガネかけているのでダメだね」と言われました。当時は日本航空の入社試験もそんなのんびりした感じでした。 

 元JTB社長の舩山龍二さんは大学の2年先輩で、すでに日本交通公社に入社していたので、「交通公社はこれからJTBになる」と興味ある話を聞いて、高校の先生なら決まっているので、「交通公社を受けるか迷っている」、「受かるかどうかわからないから、とにかく受けてみたら」と言われました。

 その助言にしたがい受けてみたら受かってしまったので、1964(昭和39)年4月に株式会社日本交通公社に入社しました。株式会社は前年の12月に財団から分離しているので、私たちは株式会社の第1号社員でした。日本交通公社への入社が私の観光との出会いとなっていくのです。 

 

表1 溝尾良隆氏の経歴

【経歴】

1941(昭和16)年 東京都生まれ
1964(昭和39)年 東京教育大学理学部地理学専攻科卒業
1964(昭和39)年 株式会社日本交通公社外人旅行部入社
1969(昭和44)年 財団法人日本交通公社に移籍
1989(平成元)年 立教大学社会学部観光学科 教授
1998(平成10)年 立教大学観光学部観光学科 教授
1996-2001(平成8-13)年 同大学観光学科長
2002-2003(平成14-15)年 同大学観光学部長
2006(平成18)年 立教大学観光学部交流文化学科 教授
2007(平成19)年 同大学を定年退職
2007-2009(平成19-21)年 城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科 教授
2009-2011(平成21-23)年 帝京大学経済学部観光経営学科 教授
2011-2015(平成23-27)年 帝京大学経済学部地域経済学科 教授、学科長


【業務実績】(財団在職時1969-1988年度)

・旅行業の営業所を一例として- 都市型立地産業の研究 基金論文(1972)
・入湯税による温泉市町村の利用実態(1973)
・観光地整備に伴う地域社会経済への波及効果に関する調査(1974)
・東北地区観光基礎調査(東北の観光の現状と将来)(1975)
・温泉地再開発基本計画の策定(温泉地の諸課題と今後の方策)(1977)
・佐賀県内商工会地区における観光開発と地域振興計画の策定(1978)
・店舗総合調査(JTB店舗網の出店と再編成のための調査)(1978)
・温泉地再開発基本計画の策定(温泉地の諸課題と今後の方策-宇奈月・山代)(1978)
・宇奈月温泉再開発計画調査(1979)
・白川村の発展振興に関する調査研究・計画策定(1979)
・宇奈月温泉再開発計画調査(1980)
・観光に関する13章 観光地の取り組むべき課題(1980)
・科学万博・関連観光コース認定に関する課題(1981)
・山形市観光基本計画策定業務(1981)
・山形市観光基本計画策定調査(1981)
・茨城の景観づくり調査(1982)
・外国人観光客受入体制整備計画調査(1982)
・観光基本計画の策定(山形市観光基本計画)(1982)
・佐渡観光基本構想計画策定(1982)
・国際観光の経済的社会的効果(1983)
・壱岐島観光レクリエーション開発基本計画策定調査(1983)
・東部地域観光振興計画策定調査(1983)
・はとバス定期観光バス事業商品計画調査(1983)
・広域観光ルー卜策定(1983)
・五島観光レクリエーション開発整備計画(1984)
・離島観光に関する基礎的研究(1984)
・瀬戸大橋観光ルート策定調査(1984)
・浅間温泉活路開拓ビジョン調査(1984)
・滋賀県観光資源フールド調査(1985)
・高速交通体系関連観光地整備計画調査(1985)
・小規模事業対策特別推進事業調査(1985)
・那珂湊市観光施設等整備計画調査(1985)
・商圏調査(商圏調査-1都市1店舗型-)(1985)
・瀬戸内海海上観光開発調査(瀬戸内海観光開発調査)(1985)
・南東北・越後広域観光ルート(広域観光ルート企画調査)(1986)
・愛媛県総合観光計画調査(1986)
・魅力ある観光地づくり事業調査(1987)
・観光資源の活用・展開に関する研究(1987)
・群馬県野外博物館構想と松井田町坂本宿保存開発計画(1987)
・旅行産業研究(1988)
・特進事業に係わる現地実査(1988)
・観光資源一覧表作成に関する調査研究(1988)
・川越市観光基本計画調査(観光行政施策検討調査)(1988)
・地方に於ける生活時間の変化に対応した都市作りの方向(1988)

【主な委員等】

・運輸省観光政策審議会専門委員会委員(1980~1981年、1984~1985年、1999~2000年)
・運輸政策審議会専門委員(1990~1991年)
・国土庁地域振興アドバイザー(1988~1996年)
・国土庁国土審議会山村振興対策特別委員会専門委員(1990~1998年)
・東京都観光事業審議会副会長・小委員会座長(1995~1999年)
・豊島区都市計画審議会委員(1995~2010年)
・旅行地理検定試験委員(1995年~)
・川越市伝統的建造物群保存地区保存審議会委員(1998年~)
・川越市景観審議会委員(1989~2002年)
・財団法人碓氷峠交流記念財団理事(1999~2013年)
・静岡県観光交流懇話会座長(2001~2005年)
・埼玉県 彩の国観光創造塾塾頭(2002~2007年)
・環境省エコツーリズム推進会議委員(2003~2004年)
・日本観光研究学会会長(2004-2005年)
・総務省富士山共生ワーキンググループ委員(2004~2005年)
・国土交通省観光マネジメント高度化のための人材育成検討委員会委員(2005~2006年)
・JICA国際協力機構 メルコスール観光振興プロジェクト国内支援委員会委員長(2005~2009年)
・日本観光研究学会評議員(2006年~)
・高速道路交流推進財団 観光資源活用トータルプラン委員長(2006年~)
・JICA国際協力機構 「観光セクター開発」課題支援委員会委員(2009年~)
・台東区ダウンタウンアートサポート懇談会座長(2009年~)
・コンテンツツーリズム学会名誉会長(2013年~)
・川越市第4次総合計画審議会会長(2015年2月~)

【主要著書(単著・共著)】

・『観光地の評価手法』(1970年)、(財)日本交通公社
・『旅行業』(1986年)、編著東洋経済新聞社
・『実践と応用 地理学講座6』(1989年)、編著、古今書院
・『観光事業と経営 たのしみ列島の創造』(1990年)、東洋経済新報社
・『観光を読む 地域振興への提言』(1994年)古今書院
・『戦後日本産業史』杉岡碩夫編著(1995年)東洋経済新報社
・『現代日本の地域変化』(1997年)、編著、古今書院
・『観光学入門』(2001年)、岡本伸之編著、有斐閣
・『観光地の再生と人材育成』下平尾勲ほか編著、日本評論社
・『観光まちづくり 現場からの報告』(2007年)原書房
・『観光学の基礎』(2009年)編著、原書房
・『ご当地ソング 風景百年史』(2011年)、原書房
・『観光学と景観』(2011年)、古今書院
・『改訂新版 観光学-基本と実践』(2015年)、古今書院

【論文等】

・景観評価に関する地理学的研究-わが国の湖沼を事例としてー、人文地理、35(1)、1983、pp.40-56
・「観光」の定義をめぐって、立教大学社会学部研究紀要・応用社会学研免35、1993.3、pp.39-48
・佐渡地域における観光客増加に果たした島内努力と市町村間における観光客不均衡の要因に関する研究、立正地理学会、地域研究、33(2)、1993
・観光施設の整備と観光の通年化、脇田武光・石原照敏編、「観光開発と地域振興」、古今書院、1996.4、pp.66-72
・群馬県新治村におけるリゾート開発計画とリゾート地域の形成過程,経済地理学年報,42(3)、1996.9、pp.18-32
・新治村の観光発展過程と観光地形成,立教大学観光学部紀要、2,2000.3、pp.1-16
・川越市一番街商店街地域における商業振興と町並み保全、人文地理52-3、2000.6、pp.84-99
・川越市における地域ブランドとしてのサツマイモのイメージ形成、立教大学観光学部紀要、4,2002.3、pp.57-67
・愛媛県西海町における民宿の経営実態、「漁村地域における交流と連携一最終報告」財団法人東京水産振興会、2004.3、pp.217-228
・ダイビング事業の進展に伴う地域社会との葛藤、立教大学観光学部紀要、6,2004.3、pp.1-12
・観光地の計画とあり方、山本正三ほか編「日本地誌第2巻『日本総論『人文・社会編』、朝倉書店、2006.8、pp.386-391

第4回・・・ (前)帝京大学経済学部 教授 (元)立教大学観光学部 教授 溝尾 良隆氏

【PDF版(1.24MB)】

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