観光地づくりオーラルヒストリー<第10回>鈴木 忠義氏  第1部一問一答 1.「観光」への接近

2016.09.07

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観光の“学と術”の体系化と観光計画

東京工業大学名誉教授
鈴木忠義氏 

1924(大正13)年東京都・向島生まれ。1949(昭和24)年東京大学第二工学部土木工学科を卒業。同大学林学科演習林助手、土木工学科助教授、都市工学科助教授を経て、1966(昭和41)年東京工業大学土木工学科助教授、1969(昭和44)年同大学社会工学科教授。1982(昭和57)年東京農業大学教授に転じ、1995(平成7)年退職。東京工業大学名誉教授。学部学生時代に観光地の研究を志す。1985(昭和60)年に「観光レクリエーション計画に関する一連の研究」で日本都市計画学会石川賞、1996(平成8)年に第14回日本造園学会上原敬二賞。日本観光研究学会初代会長。

(1)なぜ観光の道を選んだのか

 僕は今、92歳です。1924(大正13)年生まれですから、戦争も経験しています。戦争前も観光というものはありましたが、戦時中はそれどころじゃないという状況になりました。そして戦争で工業が全部ぶちこわされ、戦後になって日本は「これからは観光立国でいかないとだめだ」となったわけです。

本来なぜ、観光というものがあるかをよく考えてみると、人間の喜びを目的としていろんなことを考えないと駄目だというところにつながります。それは食べるのに精一杯という状態ではなく、文明国になったことです。ただ単に生きていくだけではなく、人間の生活の中に喜びの状態を作らなければいけないという思いがありましたね。

写真1取材風景
写真1 鈴木忠義氏への取材風景
(2016年(平成28)3月15日、東京都世田谷区)

(2)観光との出会いはいつ、どこで…

 最初は、やはり修学旅行です。それに、僕の出身は東京ですが、弘前の高等学校に行っていたんですよ。所変われば品変わるで、東京とは違う地方文化が面白かったですね。

 夏休みになると夜行で青森に行ったり、東京の家へ帰る時も羽越線を使ったり、奥羽線を使ったり、子どもが電車に乗ると窓の外を見飽きないように、20歳近くになっても車窓からの眺めが楽しく、旅の喜びをこの時に知りました。弘前の人には随分よくしてもらったので、卒業してからもずっとつきあっていました。

 理系は在学中に学徒動員で引っ張られたこともありませんから、東京~弘前の行き来などと合わせて全国的な視野が開けて、旅行することが面白いということを覚えたんですね。

 1949(昭和24)年に東大の第二工学部土木工学科を卒業して、まず農学部林学科の演習林で造園学の助手を務めました。ですから、演習林のことは全然やっていない(笑)。演習林担当の先生が「これでお前、旅行してこい」と旅費をくれて、随分いろいろなところに出張に行かせてくれましたね。その後、八十島義之助先生が東大工学部に都市工学科ができるから来いというので、1961(昭和36)年に工学部に戻りました。

 当時、観光を正規に勉強してる人なんていませんでしたが、全日本観光連盟(全観連・日本観光協会の前身で現在の日本観光振興協会)で観光地診断というのをやっていたんですよ。僕はその常連で、全国の観光地を見ることができました。

 東工大に移ったのは1966(昭和41)年、退官して東京農業大学へ移ったのが1982(昭和57)年でした。

表1 鈴木忠義氏の経歴

年                経歴
1924(大正13)年 東京都生まれ
1949(昭和24)年 東京大学第二工学部土木工学科 卒業
1949(昭和24)年 東京大学農学部林学科演習林 日雇
1950(昭和25)年 同 助手
1961(昭和36)年 東京大学工学部土木工学科 専任講師
1963(昭和38)年 東京大学工学部都市工学科 助教授
1966(昭和41)年 東京工業大学工学部土木工学科 助教授
1969(昭和44)年 東京工業大学工学部社会工学科 教授
1982(昭和57)年 東京農業大学農学部造園学科 教授
1995(平成7)年 東京農業大学 退職

第10回・・・ 東京工業大学名誉教授 鈴木忠義氏

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