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	<title>観光政策 | (公財)日本交通公社</title>
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	<description>公益財団法人日本交通公社は、観光を専門とする実践的学術研究機関です。旅行・観光に関する学術的、実践的な調査研究を通して、わが国の観光文化の振興に寄与し、豊かな社会の実現を目指します。</description>
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		<title>京都、レジリエントな都市の系譜 ―150年の知恵を次代の観光へ―　[コラムvol.540]</title>
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		<pubDate>Tue, 21 Apr 2026 02:36:41 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>はじめに 今年は、当財団の前身であるジャパン・ツーリスト・ビューロー（以下、ビューロー）が設立されて115年目にあたります。また、沖縄に続き、当財団2箇所目の地方事務所として「京都事務所（JTBF京都観光レジリエンス研究･･･</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<h3>はじめに</h3>
<p>今年は、当財団の前身であるジャパン・ツーリスト・ビューロー（以下、ビューロー）が設立されて115年目にあたります。また、沖縄に続き、当財団2箇所目の地方事務所として「京都事務所（JTBF京都観光レジリエンス研究センター）」を立ち上げてから1年が経過しました。</p>
<p>2025年度は京都の事業者の皆様にもご協力いただき、<a href="/book/tourism-culture/tourism-culture-267/">機関誌「観光文化267号：高付加価値観光の本質」</a>を発行した他、<a href="/seminar-symposium/doukou2025/">第35回旅行動向シンポジウム「価値を創り、価値を呼ぶ 地域が主役の高付加価値ツーリズムの実現に向けて」</a>を京都で開催しました。そして、今年度は交流機能や知財のストック（旅の図書館の分館）を備えた新しい京都事務所に深化させていくことを計画しています。</p>
<p>本コラムでは、私たちがなぜ京都を拠点にして研究活動を行うのか、そして名称に掲げた「レジリエンス」という言葉にどのような想いを込めているのか。京都の観光政策のルーツを紐解きながら、ご紹介したいと思います。</p>
<h3>観光政策の礎となった京都博覧会</h3>
<p>近代京都の歴史は、未曾有の危機から始まりました。1869（明治2）年の東京奠都により、人口減少と産業の衰退という深刻な危機に直面しました。京都府参事であった槇村正直は殖産興業に力を入れ、外国人技術者の招聘や工場の整備、職業教育を目的とした学校の建設等を進めていました。こうした中で、地元の豪商であった熊谷久右衛門、三井八郎右衛門、小野善助らによって企画されたのが「京都博覧会」でした。彼らは京都府の協力の元、1871（明治4）年10月10日から33日間の会期で、西本願寺書院を会場に日本初となる「博覧会」を開催し、陳列品336点、11,211人の観客を集めました。そして終了から4日後には彼らが主体となって京都府の協力を取り付け、半官半民の「京都博覧会社」を設立。翌1872（明治5）年3月には、規模を拡大した「第1回京都博覧会」が、本願寺、知恩院、建仁寺を会場に開催されました。以降、規模や名称は変えながらも昭和初期に至るまで、ほぼ毎年開催されることになります。</p>
<h4>先駆的な外国人受入環境の整備</h4>
<p>当時、海外の博覧会の存在は福沢諭吉の『西洋事情』などで紹介されていましたが、明治初期の外国人の行動範囲は開港地や居留地に限定されており、他地域への移動には「内地旅行免状」が必要でした。そこで、京都博覧会社は1871（明治4）年12月に「外国人入京御許可伺」を政府に申請。翌年2月には許可がおりました。一方で、来訪客によるトラブルの可能性も考慮し、英国領事館は補償金を預かることでトラブル時に備えていました。また、会場内には袖章をつけた「ポリス」を配備したほか、英語の立入禁止サインを設置するなど、治安維持にも万全を期していました。</p>
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<li>
<p style="margin-top: 0 !important;padding-top: 0 !important;line-height: 1.6">
            京都に到着した外国人は、寺町四条下ルにあった大雲院（外国人応接所）に赴き、そこから宿泊施設へ案内されました。宿泊費は3段階に分かれており、公使等の貴賓に対しては知恩院等の塔頭5箇所を、一般の外国人には19の宿を用意しました。食事も神戸のホテルから料理人を招き、パン、ローストビーフ、ワイン、コーヒーといった本格的な西洋料理を提供しました。
        </p>
<p style="line-height: 1.6">
            通訳は、長崎、足羽、豊岡、大阪等から通訳官を招聘し、各会場で交代で対応にあたりました。そして1873（明治6）年には、京都博覧会を訪れた外国人のため、京都府顧問であった山本覚馬が日本で最初の英文ガイドブック『THE Guide TO THE CELEBRATED PLACES IN KIYOTO &amp; THE SURROUNDING PLACES』を制作しました。
        </p>
<p style="line-height: 1.6">
            外国人の受け入れが未知の領域であった当時、多様な組織と連携しながら、極めてきめ細やかな受入環境を構築していたことがうかがえます。
        </p>
</li>
</ul>
<h4>住民とともに作り、住民自身が楽しむ京都博覧会</h4>
<p>博覧会は国内外の集客だけでなく、徹底して「住民のため」のものでもありました。1872（明治5）年3月には市民向けの広報誌『博覧新報』を発行し、博覧会開催の意義や出品物等の情報を解説しました。博覧会は「半日の見学が十年の読書に勝る」として学校生徒の来場を促し、無料入場が制度化され、同年には女紅場（女子教育機関）の生徒7,531人が来場しました。</p>
<p>さらに、住民の参画意識を高める工夫も凝らされました。一部町内には会場周辺を清掃するための費用（清掃費）が付与された他、住民自らも「案内役」として参画しました。そして第１回博覧会からは娯楽的要素（附博覧）が追加され、今では京都の春の風物詩となっている「都をどり」の他、能の公演や花火、競馬、抹茶の提供などが行われました。また、来場した住民に紅白祝餅を配るなど、教育的側面と娯楽的側面から盛り上げる演出がなされました。</p>
<p>旧皇室典範（1889（明治22）年）によって、即位礼の一部や重要な儀式は京都で実施されることが定められますが、毎年開催された京都博覧会も大礼記念のタイミングには盛大にとり行われました。例えば、1895（明治28）年に平安遷都千百年紀念祭とあわせて開催された「第四回内国勧業博覧会」では、日本最初の路面電車が京都に開業します。この時に平安神宮が創建され、博覧会会場の跡地は岡崎公園として整備されました。また、京都の三大祭の一つである時代祭もこの博覧会を契機に開始されました。</p>
<p>このように数々の博覧会を開催し、国内外から多くの喜賓、来訪客を受け入れてきた京都市は、1930（昭和5）年に行政として初めて観光課を設置します。1932（昭和7）年には全国の観光協会等とともに日本観光地連合会を結成するなど、日本の観光行政を牽引してきました。</p>
<h3>ビューローの原点と京都 ―日本初の「観楓列車」と英語ガイドブックの誕生</h3>
<p>当財団の前身であるビューローが発足したのは、1912（明治45）年のことです。設立の立役者となったのは京都（現・京丹後市）出身の木下淑夫（リンク：https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-kinoshita-bureau-fukunaga/）で、国の鉄道事業をサービスや制度面において大きく発展させた人物として知られています。ビューロー設立に先立つ1902（明治35）年には、国（鉄道作業局）として初めて、新橋（東京）から京都までを結ぶ京都回遊臨時列車（観楓列車）を走らせるなど、早くから京都の観光価値に着目していました。</p>
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    </li>
<li>
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            そして、ビューローとして初めて有料（30銭）で販売した英語ガイドブックも、京都を対象とした『MAP &amp; GUIDE OF KYOTO AND ENVIRONS』（1915（大正4）年）でした。ビューローとしても設立直後から海外のポスターやガイドブックを収集・分析し、当時三越の図案部にいた杉浦非水に表紙デザインを依頼する等、出版物には非常に力を入れていました。当時、海外で高い知名度と完成度を誇っていたマレーやテリーによるガイドブックも参考にしつつ、職員が自ら現地に赴き、正確性にこだわって編纂されたのがこの一冊でした。
        </p>
</li>
</ul>
<h3>おわりに　京都、レジリエントな都市の系譜 — 150年の知恵を次代の観光へ</h3>
<p>2026年3月に「京都観光・MICE振興計画2030」（リンク：https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000351851.html）が策定されました。京都の観光政策を紐解くと、その源流は明治期の京都博覧会、いわゆる「MICE」にあることがわかります。鉄道省の外局として国際観光局を設置した1930（昭和5）年に先駆けること半世紀以上も前から、京都では産業振興、市民教育、そして都市の発展を見据えたツールとして観光を位置づけ、官民一体となって戦略的に展開してきました。そして戦後以降も、京都は全国に先駆け文化財保護や景観政策などを打ち出してきました。</p>
<p>「京都は恵まれている」「京都だからできる」と評されることがあります。しかし歴史を紐解いてみれば、常に最先端の課題と向き合い、その都度しなやかな施策を講じてきたからこそ、今の京都があると言えます。</p>
<p>京都事務所の通称に「レジリエンス」という言葉を掲げたのは、変化の激しい時代において地域の観光に求められるのは、困難をしなやかに乗り越え、より良い形へと進化させる力、すなわち「レジリエンス」であると考えているからです。</p>
<p>この稀有な歴史の蓄積と課題解決のプロセスを「形式知」として整理しつつ、多様な研究・交流機会を創出しながら現代の難局を切り拓くヒントを見出していけたらと考えています。今後の京都事務所の活動と展開に、ぜひご期待ください。</p>
<h4>【参考文献】</h4>
<ul>
<li>『京都博覧会沿革誌』京都博覧協会、1903年</li>
<li>『京都博覧協會史畧』大槻喬編、京都博覽協會、1937年</li>
<li>『博覧新報』博覧会社編、1872年</li>
<li>「明治初期京都の博覧会と観光」工藤泰子、京都光華女子大学研究紀要、2014年</li>
<li>「明治四年京都博覧会について」畑智子、京都文化博物館研究紀要『朱雀』第25集、2013年</li>
<li>『万国博覧会の研究』吉田光邦編、思文閣出版、1986年</li>
<li>『THE Guide TO THE CELEBRATED PLACES IN KIYOTO &amp; THE SURROUNDING PLACES』山本覚馬・丹羽圭介・石田旭山、1873年（写真は復刻版）</li>
<li>『国鉄興隆時代 : 木下運輸二十年』青木槐三, 山中忠雄 編著、日本交通協会、1957年</li>
<li>「MAP &amp; GUIDE OF KYOTO AND ENVIRONS」ジャパン・ツーリスト・ビューロー、1915年</li>
<li>観光文化259号「ポスト・コロナの観光地マネジメント～京都市～」、（公財）日本交通公社、2023年</li>
</ul><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-exhibition-fukunaga/">京都、レジリエントな都市の系譜 ―150年の知恵を次代の観光へ―　[コラムvol.540]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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