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	<title>後藤 健太郎 | (公財)日本交通公社</title>
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	<description>公益財団法人日本交通公社は、観光を専門とする実践的学術研究機関です。旅行・観光に関する学術的、実践的な調査研究を通して、わが国の観光文化の振興に寄与し、豊かな社会の実現を目指します。</description>
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		<title>賢明な未来を選び取る、「観光地のグロースマネジメント」 —まちづくりと観光事業⑱　[コラムvol.538]</title>
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		<dc:creator><![CDATA[webkamitomo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 03 Mar 2026 01:05:50 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>はじめに―観光地の「成長」とは何か、代謝する各主体・要素の今 地域の発展を如何に捉え、如何なる方向へと向かうべきか。この問いは、いつの時代も都市・地域論の中心的な命題であり続けてきた。人々が暮らす「まち」は、常に変化とい･･･</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<h3>はじめに―観光地の「成長」とは何か、代謝する各主体・要素の今</h3>
<p>地域の発展を如何に捉え、如何なる方向へと向かうべきか。この問いは、いつの時代も都市・地域論の中心的な命題であり続けてきた。人々が暮らす「まち」は、常に変化という名の代謝を繰り返す生き物である。昨今、「脱成長」や「包摂的な成長」など、成長を巡る概念は多様化しているが、何れの文脈にせよ、その代謝を適切に調整・制御し、次なるステージへと繋げるマネジメント機能が不可欠である。
</p>
<p>観光分野においては長らく、Butler(1980)の「観光地ライフサイクル（TALC）モデル」が参照されてきた。観光地の発展を大きく成長・確立・停滞等の線形で捉える同モデルは、今日においても基礎となる理論的枠組みである。しかし、同モデルの提唱から半世紀を経てもなお、発展の各段階に応じた対策やマネジメントの知見が体系的に蓄積されているとは言い難い。現代においては、気候変動、インフラの老朽化、そして住民の受容限界といった複雑な外的・内的要因の相互作用も考慮に入れなければならない。
</p>
<p>勿論、世界を見渡せば事例は多数存在する。しかし、地域ごとに前提条件が異なる且つ複数の利害が複雑に絡み合うため、万能な成長管理モデル（処方箋）は成立し得ないだろう。結果として、地域政策と観光政策が交錯する領域で、対症療法的に部分的な管理がなされているのが現実である。視点を変え、成長におけるステークホルダー間の動的な均衡状態を捉えようとVICEモデル（訪問者・産業・コミュニティ・環境）をベースに俯瞰しても【図参照】、各主体のあり方や主体間の関係は時代とともに変容しており、その境界線も融解しつつある。
</p>
<p>また、メガシティ<sup>*1</sup>と中小規模の都市とでは、事象の捉え方も政策の調整手法も異なる。まちごとに異なる背景を持ちながらも、観光が地域社会での存在感を増す中で、規模の大小を超えて共通する潮流がある。それは、物理的な公共空間の整備にとどまらず、社会的に共有される体験や居場所づくりを重視する「パブリック・レルム（Public Realm: 公共的領域）」<sup>*2</sup>や、「観光コモンズ」の創出への志向である。すなわち、現代においてまちの魅力の核心は、人々が交わり体験を共有する「器」の質へと移行している。</p>
<figure>
<div style="text-align: center"><img decoding="async" src="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2026/02/column538_image1-1.png" alt="研究員コラム図表" width="80%"></div>
<div style="text-align: center"><figcaption>出典：「A Practical Guide to Tourism Destination Management」(UNWTO, 2007)のVICEモデル*および「訪れてよし の観光地づくり-まずは住民意識の把握から!」（（公財）日本交通公社、2013）、「沖縄観光成果指標（整理軸）」、「近江八幡市観光振興計画」（2023）の関係図をもとに、筆者作成　*Visitor、Industry、Community、Environment and Cultureの頭文字</figcaption></div>
</figure>
<p>例えばメガシティの代表格であるニューヨーク市は、マンハッタンへの一極集中を緩和すべく、ブルックリン等の開発を通じて賑わいと共生の場を生み出し、5区内外での多極・分散を図ってきた。一方で、グリーン・ジェントリフィケーション（環境改善に伴う地価高騰と低所得者の排除）等の副作用の内部化も試みている。地元雇用や生活賃金の保証、地元調達、低廉な住宅や公共空間の確保等を開発事業者と地域コミュニティ連合が直接契約する、民間主体の「コミュニティ還元協定（CBA：Community Benefits Agreement）」、さらに公的投資を約束する「合意事項（POA: Points of Agreement）」等の重層的な枠組みを通じて、開発時やその後の地域の持続性を担保している。こうした制度は、今後の観光地マネジメントにも参考となるだろう。前例を踏まえ、事前調整的なシステムを如何に実装していくか。その知恵が今求められている。
</p>
<h3>グロースマネジメント再考―量と質、そして「速度」を捉える複眼</h3>
<p>さて、ここからは都市計画の領域で培われてきた「グロースマネジメント（成長管理）」の展開を踏まえながら、“成長”という概念を再定義する視点から捉え直していく。</p>
<p>都市の成長管理の発祥である米国の都市計画の歩みを振り返ると、1970〜80年代にかけて、都市の無秩序な拡大（スプロール）を抑制するため、開発の量や場所、速度・タイミングを規制的に調整する「グロースマネジメント」が隆盛した<sup>*3</sup>。例えば、サンフランシスコのベットタウンとして人口が急増したカリフォルニア州のペタルーマ（Petaluma）は、1971年にプランを策定し、1972年から5年間、住宅建設許可に年間上限を設ける数値割当（Quota）を導入した。また、ニューヨーク州のマラポ（Ramapo）では、1969年に資本整備計画に基づくインフラ整備水準と開発許可を連動させる〔状況を得点化し、その点数に達しないと許可しない〕という段階的成長管理システムを設けた。こうした時間軸を有する制度形成の動きは、観光地及び観光領域の成長管理へと展開されていった。
</p>
<p>90年代には、成長をより良い形態へと誘導する質的なアプローチ「スマートグロース（賢明な成長）」へと議論が移行していく。その後、様々な議論や展開を経て、近年では、社会経済的な縮小を所与の前提として「スマートディクライン（賢明な縮小）」（我が国では「スマートシュリンク」）という概念も問われるようになっている。多種多様な地域・観光地が存在する中で今日直面している課題は、過剰な観光がもたらすオーバーツーリズムだけではない。施設の老朽化に伴う更新や空き家・廃屋の撤去、施設の集約化を通じたダウンサイジングもまた、視野に収めるべき切実な課題である。そして重要なのは、こうした課題への対応は単なる「後退」や「縮小」ではないという点だ。住民の生活の質（QOL）の向上や、地域に対するシビックプライドの醸成といった、別軸の規範的価値増大を目指すという意味において、これもまた広義の「成長」の一形態と言える。本コラムでは、これら多様なベクトルを包括して「観光地のグロースマネジメント」<sup>*4</sup>と呼称する。
</p>
<p>そして、半世紀を振り返り、改めて着目すべきは、「量・質・速度」という三つの次元である【前の図参照】。1970年代、我が国の観光政策審議会の場では、既に適正な規模（サイズ）と適正な速度（スピード）に眼差しは向けられていた<sup>*5</sup>。以下では、速度変化への対応として一時停止措置（モラトリアム）に焦点を充てて、海外の事例を幾つか概観する（観光モラトリアム研究自体の目的は、後藤（2024）を参照）。
</p>
<h3>モラトリアム―賢明な「足踏み」戦略の導入</h3>
<h4>事例 サンフランシスコ市―住居確保に向けたモラトリアム（1979）</h4>
<p>1970～80年代にかけて、サンフランシスコ市は急激な不動産開発と高級化、いわゆるマンハッタン化が進み、その発展の影で深刻化したのが、低所得者向けの住宅供給（単身者向け居住用ホテル（SRO: Single Room Occupancy））<sup>*6</sup>の減少である。市場原理に任せれば消失するであろう危機に対して、1979年、市議会に相当する同市の監督委員会は、観光客向け宿泊施設（ホテル・コンドミニアム）への転用を制限するため、「居住用ホテル（SRO）ユニット」の解体・転換を禁じる一時的措置（モラトリアム）を決定した。この猶予期間における議論を経て、1981年には「居住用ホテルユニット転換条例」として恒久化された<sup>*7</sup>。
</p>
<p>同条例の制度的核心は、SROを観光用途に転換する事業者に対して、開発がもたらす外部不経済の内部化を厳格に課した点にある。開発事業者は、①立ち退きを余儀なくされる居住者への移転支援を行うとともに、②喪失する居住ユニットと同数の居住ユニットを新たに新設・改修して置き換えるか、あるいは③金銭で補填するか〔相当額の「代替負担金（in-lieu fee）」を市の住宅基金に納付するか、公的機関・団体に資金提供して代替ユニットを確保するか〕という選択を迫る制度とした。なお、同条例は、観光宿泊施設の増設自体を完全には阻害しておらず、転用許可の代替として住居供給を強制するものである。
</p>
<p>また、こうした動きは、同時代の都市における成長管理の全体像と、サンフランシスコ市における時系列的な展開の両面から捉える必要がある。同市では、1980年代に住宅供給量とオフィス開発上限を連動させるリンケージ制度〔目標未達成の場合はオフィス枠の削減〕を設けるなど、絶えず制度改善を繰り返しながら現在に至る。
</p>
<h4>事例 ワイキキ―猶予期間が導く、センス・オブ・プレイスの体現に向けた規制の適正化へ（1990）</h4>
<p>モラトリアムは、より厳格な開発規制強化への助走だと捉えられがちである。しかし、過去の硬直化した規制がもたらした停滞を解きほぐし、規制の適正化（実質的な規制緩和を含む）へと向かう布石となることもある。1980年代後半、ハワイ州ホノルル市郡のワイキキ地区は国際的な観光地競争力の低下と施設の老朽化という課題に直面していた。1976年設立のワイキキ特別地区（WSD）で導入した厳格な基準（規制）が再投資を阻害していたことが要因の一つであった<sup>*8</sup>。
</p>
<p>この制度的ジレンマを打開すべく、ホノルル市議会は、1990年、ワイキキ地区における新規建設許可の発行を1年間に限定して停止する暫定開発規制（IDC (Interim Development Control)）条例を可決した<sup>*9</sup>。新規建設を停止して「新方針の検討に充てる戦略的猶予期間」を確保したのだ。この停止期間を利用して抜本的な制度設計の見直しを行い、1992年にはワイキキ・マスタープランを策定。そして地域の文化的・規範的価値「ハワイアン・センス・オブ・プレイス」を体現するための質的誘導（規制緩和を含む）を図る土地利用条例の改正（1996年）へと展開した<sup>*10</sup>。モラトリアムを契機として更新を阻むボトルネックを解消し、従前の規制の継ぎ接ぎ的緩和を回避しつつ、文化的な質向上への誘導と民間投資の促進を両立させる制度再構築を行った。
</p>
<p>なお、ホノルル市郡では、1980年代後半には既に他の地区でIDC条例を導入した先例があり、既存の制度的枠組みをワイキキという国際的なアーバンリゾートに適用した<sup>*11</sup>。</p>
<h4>事例 バリ島―異なるレベルの政府間調整による選択的開発と再配分（2026）</h4>
<p>直近の国際的な動向として注視すべきは、インドネシア・バリ島での開発調整と財政メカニズムを組み合わせたモラトリアムである。バリ州政府（以下、州政府）は2026年1月より生産的な土地（農地や森林、保水地等）、特に水田におけるホテルやレストラン、商業施設の新規建設許可の発行を停止した<sup>*12</sup>。
</p>
<p>バリ島では、コロナ禍からの回復期において、観光による負の影響が深刻化し、モラトリアム論争が再燃した<sup>*13</sup>。混雑と過剰開発を前に、ホテル、ナイトクラブ、ヴィラの建設を一時停止する計画や、新規建設の許可・監督権限を州政府に移管する案も浮上した<sup>*14</sup>。しかし、2025年初頭、州知事は経済的影響を危惧しモラトリアム導入を見送った。
</p>
<p>その後は、長年の課題である南北の空間的な経済格差と過度な土地開発に対処するため、州政府は、2025年7月に州内の県・市と新たな財政面での合意を形成した。それは、観光開発が集中する南部地域（Sarbagita地域）が徴収するホテル・レストラン税の10%を、州が基金化し特別財政支援として北部地域６県に直接再配分するというものである。対象地域に対しては、財源移転を受ける条件として、新規のホテル・レストランの開発抑制と農地・環境保全を義務付けた。これは法規制ではなく、経済的インセンティブによる調整を通じた島全体での異なる政府間調整を通じた成長管理の試みである。
</p>
<p>さらにその後、一度見送られたモラトリアムが2025年9月の大洪水を機に再検討されることになった。災害の原因の一つは、上流域における雨水浸透機能を有する緑地の減少、すなわち農地の無秩序な商業施設や観光宿泊施設への転用にあった。この環境的危機を受け、州知事は直ちに方針を強化し、2026年1月、生産的な土地における商業施設やホテルの新規建設許可を厳格に禁止するモラトリアムを正式発動した。税の再配分という「インセンティブ」と、「規制」の二段構えにより、バリ島は持続可能な地域へと近づく道を模索している。
</p>
<p>なお、この結実の背後には、州政府による「バリ州新時代100年ビジョン2025–2125」（2023年）の提示、州政府による空間計画（RTRW）（2023年）の見直しがあり、モラトリアムはその方向と合致していること。コロナ以前と異なり、今回は中央政府も州政府のモラトリアムを支持していること（2024年）、さらに遡れば、中央政府はバリ州を再規定する法律を公布（2023年）しているなど、幾重もの環境変化や体制の整備等があることも付記しておく<sup>*15</sup>。
</p>
<h3>おわりに―観光客との共生/共創を捉えた規範的価値の構築へ</h3>
<p>三つの事例（サンフランシスコ、ワイキキ、バリ島）が共通して示しているのは、モラトリアムという「変化速度の一時停止」が単なる開発の拒絶ではない、という事実である。「自ら歩みを止める」という政治的決断を下すことで、居住権の保護、投資環境の適正化、あるいは環境保全と富の再配分といった、「地域はどうあるべきか」（規範的価値）を再定義し制度として実装・介入していくための「猶予期間」を獲得したのである。
</p>
<p>社会的包摂、レジリエンス（回復力）、住民のウェルビーイング等といった多様な指標が現代の新たな成長の対象となる中で、より求められてくるのは、「成長を如何に管理するか」という受動的な問い（対応）を超えて、「地域としてどう在りたいのか、どのような状態を目指すのか」という、規範的ビジョンを自ら定義し選び取る能動的な意思である。成長、成熟、あるいは賢明な縮小や撤退といった多様な状況からの道筋は、地域の規範的価値、確固たるビジョンに基づいて選び取られ、デザインされなければならない。そのためには、最初に述べた、時代とともに変容する各主体のあり方や相互の関係性の「今」を捉えたビジョンを確立し、とりわけ観光客を地域を構成する主体の一つと正面から捉え、その共生/共創を見据えた規範的価値を構築することが不可欠である。こうした能動的な意思に基づくビジョンのもとでこそ、観光という調達エネルギーを用いたまちの良質な更新は実現し得ると筆者は考える。
</p>
<h4>【注】</h4>
<ul>
<li>*1 ここでは、東京、ロンドン、パリ、ニューヨーク、北京、上海、重慶、深圳、広州、ソウル、バンコクなどの高密度都市を想定。国連経済社会局（UNDESA）『世界都市化見通し2025年版』では、人口1,000万人以上の都市圏を「巨大都市（メガシティ）」と定義している。<br />
        <cite>https://www.unic.or.jp/news_press/info/53356/</cite><br />
        <cite>https://www.un.org/development/desa/pd/sites/www.un.org.development.desa.pd/files/undesa_pd_2025_wup2025_summary_of_results.pdf</cite>
    </li>
<li>*2 品川駅北周辺地区まちづくりガイドラインによれば、「所有関係にかかわらず、広く不特定多数の人々が利用し、認知する空間領域」を意味し、「空間」づくりの先にある「場所」づくりを強調する欧米諸国の先進的都市デザインを特徴づけるキーワードの一つとされる。<br />
        <cite>https://www.jreast.co.jp/press/2016/20170320.pdf</cite>
    </li>
<li>*3 当初は地方自治体主導で進められていた。しかし、スプロールの広域的影響や自治体間の調整が難航したことから、州レベルでの包括的な土地利用計画や成長管理法の制定がその後進んだ。オレゴン州の事例は代表的だが、ここでは、基礎自治体の事例を扱う。また、同時期に制定された連邦政府レベルの「都市成長・新コミュニティ開発法（National Urban Growth and New Community Development Act）」（1970年）等は今回は扱わない。</li>
<li>*4 当財団研究顧問である西山徳明氏（北海道大学）の言葉。本コラムでは、同用語の扱う範囲および射程を改めて設定し話を展開する。</li>
<li>*5 『望ましい観光地づくりの方向 観光政策審議会報告』（内閣総務大臣官房審議室編、1977）では、進士五十八氏は「10.「適正スケール」による観光地づくり」の中で、適正規模・適正速度・適正収容力の3つの必要性について述べている。『望ましい国内観光の実現のために』（内閣総理大臣官房審議室編、1982）では、「適正な規模と速度で整備を進めること」が述べられている。勿論、質に関する議論も当時からなされている。
    </li>
<li>*6 居住用ホテル（SRO）とは、単身者向けの低価格な居住用ホテルであり、ユニットとはSROの中の1つ1つの個室を指す（当時Airbnbのような民泊サービスは存在しないことに注意）。</li>
<li>*7 背景については以下を参照。<br />
        <cite>https://www.foundsf.org/1980-1991:_RENT_CONTROL_WARS</cite><br />
        また、条例については以下を参照。主に建物自体の保存（「住宅ホテル解体・転換条例（Residential Hotel Demolition and Conversion Ordinance）」（1980年制定、1981年改正））から、観光用途への転用を防ぐ「住宅ホテルユニット転換条例（Residential Hotel Unit Conversion Ordinance）」（1981年6月制定）へ。<br />
        <cite>https://law.justia.com/cases/california/court-of-appeal/3d/177/892.html</cite>
    </li>
<li>*8 Ken Schmidt, Jamie Peirson, and Mark Lierman : Waikiki Zoning: The Waikiki Special District (WSD) &#8211; Polishing Hawaii=s Jewel<br />
        <cite>https://proceedings.esri.com/library/userconf/proc98/PROCEED/TO750/PAP703/P703.HTM</cite>
    </li>
<li>*9 正式な文書では「モラトリアム」という言葉は必ずしも用いられていないが、1993年の市都市計画局による発表（報告書「ワイキキ開発：規制プロセスの合理化」（1998年）より）や民間のニュースレター（1992年）等で「モラトリアム」と呼称されることもあったことが確認される。<br />
        <cite>https://lrb.hawaii.gov/wp-content/uploads/1998_WaikikiDevelopments.pdf</cite><br />
        <cite>https://www.lwv-hawaii.com/alohavoter/av9201-waikiki.htm</cite>
    </li>
<li>*10 ホノルル市郡政府の土地利用条例の規定により、提案の開始日から1年を超える期間には適用されない旨が明記されている。</li>
<li>*11 付録21-E: 暫定管理条例<br />
        <cite>https://codelibrary.amlegal.com/codes/honolulu/latest/honolulu/0-0-0-23040</cite><br />なお、同時期にマウイ郡でもホテルの暫定開発規制措置を講じている（後藤、2024）。
    </li>
<li>*12 適切な許可があれば、法的に指定された土地（イエローゾーン）に別荘やホテルを建設することは可能。一律全面停止でないことに注意。適正化と農地保存を主眼。</li>
<li>*13 バリ州政府によるモラトリアムの発動は、今回が初めてではない。2010年、州政府は、供給過剰を危惧する民間側の声を受け、モラトリアムを通達し、翌年に発動した。島南部地域に限って星付きホテル等の許認可発行を原則一時停止するもので、同措置は市場の需給調整を図ること、飽和状態にある南部の観光開発を分散し、島全体の均衡ある経済発展を促すことを目指すものであった。これは学術的な需要調査結果が得られるまでの暫定的な措置であった。しかし、当時、同地域は、国の投資注目地域に指定されており、また、建設許可発行権限のないバリ州政府のモラトリアム通達は有効には機能しなかった。<br />
    コロナ明けにおいては、過密化が進む南部地域の新規建設許可の凍結措置とは異なり、南部の過剰開発抑制し北部を開発する方針から、北部の開発抑制と環境保全する方針へと舵が切られた。
    </li>
<li>*14 BTB-GIPI Supports Bali Hotel Moratorium<br />
        <cite>https://www.balidiscovery.com/btb-gipi-supports-bali-hotel-moratorium/</cite>
    </li>
<li>*15 州政府による長期ビジョンの名称は「Haluan Pembangunan Bali Masa Depan, 100 Tahun Bali Era Baru<br />
        2025-2125」。2023年5月に中央政府により公布された法律の内容は、バリ州の位置付けの再規定、文化的特性や伝統制度の明文化、財源措置の法的根拠整備（外国人観光客への課徴金制度の根拠）について。ジョグジャカルタ特別州のような地位を有したわけではないことに注意。
    </li>
</ul>
<h4>【参考文献】</h4>
<p>＜日本語文献＞</p>
<ul>
<li>アラン・B・ジェイコブス著、蓑原敬他訳（1998）：『サンフランシスコ都市計画局長の闘い 都市デザインと住民参加』、学芸出版社</li>
<li>梅川智也（2008）：1 成長管理と地域マネジメントの考え方（第９章 観光計画と地域マネジメント）、『観光まちづくり』、学芸出版社、pp.257-260</li>
<li>小泉秀樹、西浦定継（2003）：『スマートグロース―アメリカのサスティナブルな都市圏政策』、学芸出版社</li>
<li>後藤健太郎（2024）：ホテルモラトリアム－公共政策による環境変化への介入（特集1　ハワイにおける観光パラダイムシフト）、観光文化、260号、pp.17-20<br />
        <cite>https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka260/260-06/</cite>
    </li>
<li>後藤健太郎（2025a）：持続可能な地域のための観光―韓国の観光関連政策を通じて、観光文化、265号、pp.44-50<br />
        <cite>https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka265/265-07/</cite>
    </li>
<li>後藤健太郎（2025b）：海外事例から読み解くオーバーツーリズム対策、国立公園、（一財）自然公演財団、No.838、pp.21-24<cite>https://www.npfj.or.jp/wp-content/uploads/2025/12/838_202511.pdf</cite>
    </li>
<li>後藤健太郎（2026）：視察の全体像と観光地マネジメントの基盤強化（特集2 欧州山岳リゾートにおける観光地マネジメントとゲストカード）、観光文化、260号、pp.20-24<cite>https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka268/268-08/</cite>
    </li>
<li>中島直人編著、関谷進吾・北崎朋希・三浦詩乃・三友奈々著（2024）：『ニューヨークのパブリックスペース・ムーブメント－公共空間からの都市改革』、学芸出版社</li>
</ul><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi18-goto/">賢明な未来を選び取る、「観光地のグロースマネジメント」 —まちづくりと観光事業⑱　[コラムvol.538]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>市場志向の力点－まちづくりと観光事業⑰　[コラムvol.522]</title>
		<link>https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi17-goto/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=column-machi17-goto</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[webkamitomo]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 21 Mar 2025 01:58:30 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>住民の暮らしや環境と観光利用との調和が問われ、誘導と規制を効果的に組み合わせて対策を検討することが求められる場面が多くなっている。そのような現代だからこそ、市場や顧客に正面から向き合い、ニーズに応える具体的なアクションが･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi17-goto/">市場志向の力点－まちづくりと観光事業⑰　[コラムvol.522]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>住民の暮らしや環境と観光利用との調和が問われ、誘導と規制を効果的に組み合わせて対策を検討することが求められる場面が多くなっている。そのような現代だからこそ、市場や顧客に正面から向き合い、ニーズに応える具体的なアクションが一層重要と考える。今回のコラムでは、尾瀬国立公園の一例に、市場志向の戦略と合意について少しお話したい。</p>
<h3>自然と調和した利用－需要調整を図る際の視点</h3>
<p>福島県、栃木県、群馬県、新潟県の4県にまたがる尾瀬国立公園は、日本最大の山岳湿原である尾瀬ヶ原の湿原と尾瀬沼〔写真1〕の壮大な自然の美しさで知られている。総延長65kmに及ぶ木道は、尾瀬を連想させる風景の一つにもなっている。また、尾瀬は日本における自然保護運動の発祥地として象徴的な地域でもある<sup>(1)</sup>。尾瀬は、これまで自然保護の観点から、過剰利用（オーバーユース）の問題に長年取り組んできた。尾瀬では、1996年に尾瀬の入山者数が過去最高の64万人〔図1〕に達したことを受けて、入山適正化に向けて、適正利用のあり方の検討を行った。検討結果として、入山総量規制は今後の課題とし、入山者の集中に着目し、これを緩和する手段（抑制と分散）を摂ることが提案された。具体的には、1日1万人を目安とする特定日における入山抑制が提言され、その後、マイカー規制など各種対策が行われることになった。2000年に入ってからは収容力調査も行われた<sup>3)</sup>。<br />
その後、2007年に、尾瀬は日光国立公園から独立し、尾瀬国立公園が新たに誕生した。尾瀬では、「尾瀬ビジョン」（現在は「新・尾瀬ビジョン」）にもとづく協働型管理運営が行われている。現在、尾瀬の自然を享受できるのは、先人たちの努力の賜物であり、現在もその自然を守り、利用環境を維持管理する人々の尽力の結果である。</p>
<figure>
    <img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2025/03/goto-k-522-1.png" alt="写真1"><figcaption style="text-align: center">写真1　尾瀬の風景（左：尾瀬ヶ原、右：尾瀬沼）<br />
    </figcaption></figure>
<p style="margin-top: 2em">
<p>ただ、その後、尾瀬を含む日本国内の観光地の抑制の取り組みをデマーケティング<sup>(2)</sup>という観点から研究した小原（2015）は、「本稿では、いわゆる規制をデマーケティングとして扱ったが、規制は本来の意味でのデマーケティングではない」と述べ、マーケティング的発想の需要調整ではなく規制が中心となっていること、顧客志向で需要調整を図る視点が十分でないことを指摘した。顧客との呼応の違いに着目したものとも見える。<br />
さて、その後の尾瀬国立公園の入山者数は、高速バスツアーの廃止など外的な環境変化の影響もあるが、減少傾向にあった〔図1〕。</p>
<p style="margin-top: 2em">
<figure>
<div style="text-align: center"><img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2025/03/goto-k-522-2.png" alt="図1" width="90%"></div><figcaption style="text-align: center">図1　尾瀬国立公園の入山者数の推移<br />出典：参考文献<sup>1)</sup>および<sup>2)</sup>より作成</figcaption></figure>
<h3>市場志向の行動へ</h3>
<p>新型コロナウイルス感染症の発生に伴う環境の変化により、入山者数が大幅に減少した結果、尾瀬では地域が担ってきた利用施設の維持管理が一部で困難となる事態が生じた。このままでは尾瀬全体の管理水準が著しく低下し、適正な利用環境を提供することが難しくなることが懸念された。そこで、尾瀬は、利用状況を改めて調査し、課題を分析・整理した上で、その課題解決を試みた。こうして2024年に策定されたのが、「尾瀬国立公園利用アクションプラン」（以下、利用AP）である。利用APは、3年にわたり多種の利用者調査を積み重ね、その結果をもとに検討・検証を行い策定されたものである。<br />
利用APの特徴の一つは、楽しむ活動と守る活動の相乗効果を図る戦略（通称：尾瀬ファンベース戦略）を実現するために、利用者をビギナー、リピーター、ファンの3つの層に分け、それぞれに応じた取り組みやプログラムを実施している点である。各プログラムにおいては、これら3つの利用者層からさらに具体的なターゲットを定めて、取組を試行実施しながら作成が行われた。<br />
では、尾瀬はなぜこのような戦略を採ったのか。</p>
<p style="margin-top: 2em">
<figure>
    <img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2025/03/goto-k-522-3.png" alt="図2"><figcaption style="text-align: center">図2　尾瀬利用APおよび尾瀬ファンベース戦略の概要<br />出典：参考文献<sup>5)</sup>のp.44,46より作成</figcaption></figure>
<p>尾瀬は、利用者（顧客）のリピート率が高く、満足度も再来訪意向も高い水準にあることが、これまでの調査や策定期間中に実施された調査で明らかになっている（利用AP参照）<sup>(3)</sup>。しかし、コロナ禍前から利用者数はずっと減少傾向にある。全国を対象とした「JTBF旅行意識調査」結果〔表1〕によると、市場全体での尾瀬の認知度、来訪経験率、(再)来訪意向は、約20年間で見ると下がっており、年代別にみると、数値が時間の経過とともにスライドしているのが一部で確認できる。また、他地域との比較として、全国の34公園と比べると、尾瀬は利用者の年齢層が高いことも確認される〔表2〕。利用者の高齢化が他の公園より進んでおり、このまま10年経過すると、利用者数のさらなる減少が見込まれる。それを回避するために、潜在層にもアプローチし新規来訪者を確保する取組が必須であった。</p>
<p style="margin-top: 2em">
<p style="text-align: center">表1　尾瀬の認知度、来訪経験率、(再)来訪意向</p>
<figure>
<div style="text-align: center"><img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2025/03/goto-k-522-4.png" alt="表1" width="80%"></div><figcaption style="text-align: center">注：上記では、無回答を除いて集計している。20代には18,19歳を含む。<br />出典：「JTBF旅行意識調査」((公財)日本交通公社)より作成</figcaption></figure>
<p style="margin-top: 5em">
<p style="text-align: center">表2　年間国内利用者数（年代別）</p>
<figure>
<div style="text-align: center"><img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2025/03/goto-k-522-5.png" alt="表1" width="80%"></div><figcaption style="text-align: center">注：位置情報ビッグデータを用いた推計結果<br />出典：参考文献<sup>5)</sup>のp.11より作成</figcaption></figure>
<p>こうした利用分析やマーケティングのSTPの重要性は、今さら言うまでもないことだが、尾瀬で耳にした印象深い言葉をここでは伝えておきたい。</p>
<p>「尾瀬はこれまでも利用者調査を行ってきたものの、それは <u>自然保護をするための利用者調査で、利用者ニーズに応えるための利用者調査でなかった</u>のではないか」（下線は筆者）。</p>
<p>これはコロナ禍に、長年、現地で自然保護と利用に携わってきた関係者が、自戒を込めて語った言葉である。</p>
<p>各地域において、「尾瀬ビジョン」のような地域計画の枠組みの中で、観光の役割を総合的見地から再確認することや、分野間調整等を図ることは重要である。しかしながら、それと同時に、市場志向<sup>(4)</sup>の戦略とその合意形成を観光計画の中核に据えること <sup>12)</sup>が観光で地域存続を図る上では求められる。昨今においては、オーバーツーリズムや観光が与える、住民の暮らしや環境など内側に掛かる負荷軽減を目的に、誘導と規制を効果的に組み合わせた抑制策を検討する場面も増えてきている。ただ、その際にも、そして、いずれかは待ち受ける外側（需要側）の変化に対応するためにも、市場、顧客に常に正面から向き合い、ニーズに応える具体的なアクションにつなげていくことが重要、と筆者は考える。</p>
<h4>【注】</h4>
<ul style="list-style-type: none">
<li>(1) (公財)日本自然保護協会の前身である「尾瀬保存期成同盟」は1949年に設立された。</li>
<li>(2) デマーケティングとは、Kotler,P.とlevy,S.j.によって1971年に発表された需要を抑制するマーケティング手法で、「一般的デマーケティング」「選択的デマーケティング」「表面的デマーケティング」「無意識のデマーケティング」の4つ分けられる。小原（2015）によると、コトラーが観光地のデマーケティングの例としてバリ島の事例をあげていたことが紹介されている。</li>
<li>(3) 参考文献<sup>8)</sup>の調査結果と比較すると、例えば、リピート率は、尾瀬が高いとは言えない。</li>
<li>(4) 「市場志向」は、マーケティングを実施する上で重視される志向の一つで、①顧客志向、②競争志向、③職能横断的統合志向の３つに区分される。類似した概念である「顧客主導」との違いは、潜在的な顧客にも能動的に提案し、新たな価値を創造することに主眼を置くことにある。
<li>出典：恩蔵直人（2010）：市場志向 [market orientation],<br />時事用語事典　<cite>https://imidas.jp/genre/detail/A-125-0062.html</cite></li>
</ul>
<h4>【参考資料】</h4>
<ul style="list-style-type: none">
<li>1) 環境省関東地方環境事務所：報道発表資料 2024年 尾瀬国立公園の入山者数について<br /><cite>https://kanto.env.go.jp/press_00099.html</cite></li>
<li>2) (公財)尾瀬保護財団：尾瀬の入山者数推移<br /><cite>https://oze-fnd.or.jp/oza/a-sg/nbp/</cite></li>
<li>3) (財)尾瀬保護財団（2005）：利用体験から見た尾瀬の収容力に関する総合報告書</li>
<li>4) (公財)尾瀬保護財団（2024）：尾瀬保護レポート 令和5年度版<br /><cite>https://oze-fnd.or.jp/wp4/wp-content/uploads/2024/03/c0e2a128b444b3559cf8824550c4162a.pdf</cite></li>
<li>5) 尾瀬国立公園利用アクションプラン検討小委員会（2024）：尾瀬国立公園利用アクションプラン<br /><cite>https://kanto.env.go.jp/content/000209146.pdf</cite></li>
<li>6)  環境省 尾瀬国立公園 各種資料 尾瀬国立公園における利用の適正化 尾瀬国立公園協議会<br /><cite>https://www.env.go.jp/park/oze/data/council.html</cite></li>
<li>7) 小原満春（2015）：デスティネーション・デマーケティングの類型に関する考察～尾瀬国立公園の事例～, 産業総合研究, vol.23, pp.29-46</li>
<li>8) 観光庁観光地域振興部 観光地域振興課（2010）：観光地の魅力向上に向けた評価手法調査事業報告書</li>
<li>9) 佐藤尚之（2018）：ファンベース─支持され、愛され、長く売れ続けるために, 筑摩書房</li>
<li>10) 芹澤連（2022）：“未”顧客理解 なぜ、「買ってくれる人=顧客」しか見ないのか?, 日経BP</li>
<li>11) 本田哲也（2022）：パーセプション 市場をつくる新発想, 日経BP</li>
<li>12) 後藤健太郎（2019）：7.大分県由布市, 観光学全集, 第8巻, pp.90-101</li>
</ul><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi17-goto/">市場志向の力点－まちづくりと観光事業⑰　[コラムvol.522]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>地域のブレンド力を磨く―まちづくりと観光事業⑯　[コラムvol.506]</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 05 Apr 2024 06:48:24 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>世界観光機関（UN Tourism）によると、2023年の国際観光客到着数は、強力な繰越需要に支えられ、パンデミック前のレベルの88%に回復。2024年にはパンデミック前の水準に完全に回復すると予想されており、2019年･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi16-goto/">地域のブレンド力を磨く―まちづくりと観光事業⑯　[コラムvol.506]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>世界観光機関（UN Tourism）によると、2023年の国際観光客到着数は、強力な繰越需要に支えられ、パンデミック前のレベルの88%に回復。2024年にはパンデミック前の水準に完全に回復すると予想されており、2019年の水準を2%上回る成長が示されている<sup>1)</sup>。<br />
約3年にわたったコロナ禍。現在は一定の収束を見せているが、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置解除明けに観光地の現場で見た旅行者の明るく喜びに満ちた表情は、今後どのような環境変化があろうとも、観光に携わる仕事をする者の根源にある喜びとして胸に刻んでおきたい。</p>
<p></br></p>
<figure>
   <img decoding="async" src="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2024/04/506-image1.jpg" alt="コロナ禍に調査員として旅行者に接した尾瀬鳩待峠登山口でのアンケート調査現場" width="800" class="aligncenter" /><figcaption style="text-align:center">写真1 コロナ禍に調査員として旅行者に接した尾瀬鳩待峠登山口でのアンケート調査現場</figcaption></figure>
<p></br></p>
<p>さて、今回はこれからの観光社会において求められるであろう視点の一つ、地域の「ブレンド力」についてお話する。</p>
<p>「ブランド力」の打ち間違い？</p>
<p>そうではない。地域の「ブレンド力」である。厳選し合組（ブレンド）することで、単一で醸し出せる風味とは異なる重層的な味わいが生まれるのである。品種の選定や配合調整を試行し、そこから生み出される最適な配合比率は研究の結果であり、配合は技術そのものである。</p>
<p>こうしたブレンド行為を観光地に当て嵌めて考えてみたとき、今の我が国の観光地は、どのくらいの「ブレンド力」を有しているだろうか。ブレンドする主体は一義には地域である。地域では、どのような観光客に訪問して欲しいか、観光客像は明確だろうか。観光客にどのように過ごしてもらうことで地域でブレンドを図るのか。滞在の仕方、過ごし方、交流の仕組み・仕掛けは準備されているだろうか。複数ある客層間の配分、地域住民と観光客のバランスも意識する必要があるだろう。観光地に置き換えて考えれば、こんなところだろうか。<br />
新型コロナによるパンデミックが落ち着き、観光需要が回復傾向にある中で、果たして今日本の観光地で上手くブレンドできている、と言える観光地は幾つあるだろうか。</p>
<p>無論、そんな簡単な事ではない。実社会の中での試行錯誤無きに最適なブレンド、配合など見いだせない。そのための時間もそしてテクノロジーの力も必要である。ただ、常に観光と向き合う社会が眼前に在る今、「なぜ自分たちは観光客という‟外からの糧″を受け入れ、どのような暮らしの味わいある地域を創ろうとしているのか」は、これからの未来に向けて強く意識する必要があると観光プランナーである筆者は考える。</p>
<h3>■観光地の新陳代謝、呼吸作用―外に開き、何を取り入れるのか</h3>
<p>「地域のブレンド力」という言葉は、由布院温泉（大分県）のまちづくりのリーダー中谷健太郎氏の言葉である<sup>2)</sup>。1970年代より「生活観光地」を掲げてきた由布院は、90年代以降「花咲くよりも、根を肥やせ」と生活の充実を一層図っていくと同時に、地域の中と外との“望ましい関係”を手探ってきた。観光地としての発展とともに地域外資本による参入・開発など様々な問題を抱える中で、1990年には、潤いのあるまちづくり条例の制定や由布院観光総合事務所の設立(1)など、その後行う「観光地の成長管理」の基盤を構築。その中で最も目を向けるべきは、その根底にある思想の重心転換である。<br />
70年代後半に生まれたフレーズ「最も住みよい町こそ優れた観光地である」が町勢要覧(1990)で大きく謳われると同時に、「由布院観光の長期ビジョン」として「市場(バザール)のある温泉のある温泉リゾート村・構想」が1990年に打ち出された。「市場(バザール)があるから、文・物が移出し、ムラが世界につながる。それがムラの消費文化を豊かにし、生産文化を活性する」と、地域外からの活力を受け入れ、暮らしを活性することが模索された。<br />詳しくは、参考文献<sup>3)</sup>に譲るが、中谷氏は、外の人との交流をまちの呼吸作用と捉え、外の人を支持、応援を得てまちの新陳代謝を図ろうとしていた(1)。</p>
<p>昨今、オーバーツーリズムの再燃を懸念する声が聞かれる。その中には観光に対する批判も少なくない。しかし、「観光客の来訪を通じて何を取り入れ、どのようなまちの方向を目指すのか」。来訪なしで、まちの新陳代謝を図れるのか。現状、観光客の消費のみに着目し経済的利益を求めるあまり、機会損失をしていないか、などを一度考えてみてほしい。</p>
<h3>■住民と観光客－町づくりの同標</h3>
<p>地域でのブレンドとは、観光においては、地域住民と観光客の共生のあり方そのものを考えることである。先ほど紹介した中谷氏は、「由布院観光の長期ビジョン」を打ち出す時期に、「よそ者か、地元か」といった平地の戦術的発想ではなく、自地域が輝き続けるためには、他の地域にとって「自分たちがナニモノであるか」を問うこと。遠近を問わず引力の関係で見ることが重要だと述べている<sup>5)</sup>。<br />
オーバーツーリズムの再燃が懸念される中、ややもすると、観光による負の影響だけが取り上げられ、住民生活の擁護策に目が向けられがちである。もちろん、それは急務であり即応が求められる。しかしながら、中長期的には、住民、観光客の望ましい共生のあり方、クロスオーバーする未来像を描けなければ、新たな文化の創造も生まれないだろう。未来像なしには、(観光客を含めて)具体的に地域の外から何をどのように取り込むか、交換するのかは決められまい。我が国の湯治場がそうであるように、住民、観光客、両者を捉える複眼が今こそ必要なのである。</p>
<p>さて、我が国の戦後の観光史を辿ると、高度成長期に観光公害が問題視されていた京都市の観光にも両者を捉える視点が垣間見れる。例えば、1971年の『10年後の京都の観光ビジョン』（京都観光会議）では、まちの特性や資源、住民だけでなく観光、観光客に正面から向き合う意識が確認される（以下、前半だけでなく後半までを一つに捉えることが重要）。</p>
<blockquote><p>「京都は文化観光都市ではあるが，観光都市としてつくられた街ではない。文化観光都市の意味は，文化都市に徹することによって，おのずから観光都市になることであろう。<b>もちろんこれは観光客の受入体制をないがしろにしてよいということにはならない。むしろ，積極的に観光客の受入体制をつくる</b>ことによって，文化都市としての機能を発揮できる面が大きい。」（太字及び傍点は筆者加筆）<sup>6)</sup></p></blockquote>
<p>そして同提言では、以下の3つが今後の観光行政上の基本政策とされた。1,2に留まらず、訪れた観光客が「本当に来て良かったな」という気持をいだかせるような、観光の質的な側面を重視した方針に変えていくことが必要という認識であった。</p>
<p>1. 京都の良さを守り育てること<br />
   2. 市民生活の擁護<br />
   3. 京都の真のよさを味わえるように対処すること
</p>
<p>また、観光客の多寡等に関わらず半世紀にわたって一貫して「観光都市ではない」「観光目的でない」と発してきた近江八幡（滋賀県）のまちづくりのリーダー川端五兵衞氏は、「真の観光」は何よりも重要であり、住民だけでなく観光客の“本態性ニーズ”を捉えることの重要性も問うている<sup>7),8)</sup>。</p>
<p>実は、当財団では、観光公害が問題視されていた1970年代に用語「住民＋観光者」を用いて自主研究を行った。それは、1960年代の住民への観光によるインパクト、負荷を軽減する配慮的・問題除去的な対応に留まるのではなく、「住民＋観光者」、両者を捉えた望ましい地域社会像を描くという点において従前とはやや異なるとも言えよう。<br />
1975年度、当財団では観光分野で「町づくり」という用語を用いて、当時観光公害に悩む津和野町（島根県）にて自主研究を行った<sup>9)</sup>。そして、同時期、草津町（群馬県）からの要請を受けて観光計画より上位の総合的な「社会開発計画」を町づくりの視点から作成、提案した<sup>10)</sup>。同開発計画では、「“住民を満足させ得る”と同時に“観光客をも満足させ得る”ことを町づくりの同標として心がけなければならないのは、観光地としての責務」とし、「定住人口＋観光客」という観点から「観光地という特殊性の故に、定住人口に観光客を上乗せして生活環境水準を考える」モデル地域として、魅力ある温泉街の再開発と住民にとって豊かで住みよい“町づくり”の方向性を描いた。「人々(観光者)がもたらす情報、様式をいかに草津の文化育成に活用するか」（括弧は筆者が加筆）という問題意識のもと、住民と観光客とのコミュニケーション（接触、対話）を施策に掲げ、「リゾートをも志向する以上、住民生活環境の向上」がその前提となると考えていた。</p>
<p>観光を取り巻く環境変化は加速し転換期にある今、観光を地域政策の柱に据えて歩むのであれば、単に住民を射程範囲に収めるだけではなく、住民、観光客の本質的なニーズに同時に正対する姿勢のもとで長期ビジョンを描くことが重要ではなかろうか。ある一時の考え、視点で終わらせることなく、また拙速を排しながら、関係者と対話を積み重ね大局的な方向を描くことが遠回りかもしれないがよりよき観光地域を形成する近道と考える。</p>
<p>最後に、当財団が観光文化を冠した基金「観光文化振興基金」を設置して50年を迎えた(1974年3月に各種基金等を再編)。同じ50年後に未来を生きる世代から豊かな観光文化の振興、醸成に資する研究であったと言ってもらえるよう、日々の業務・研究にこれからも地道に取り組んでいきたい。</p>
<h4>【注】</h4>
<ul style="list-style-type: none">
<li>(1) 参考文献<sup>4)</sup>「由布市観光基本計画」（2011）では、由布院のまちづくりの特性を踏まえて基本理念の一つに、以下の一節がある。<br />
      「今後も、今日まで受け継がれてきた古き良き風習や慣習、まちの佇まい、醸し出される暮らしぶりなどを大切にしつつ、内と外との交流を通じて新しい“空気”（人脈、情報、芸術・文化、新たな価値観、刺激、感動、活力、、、）を取り入れることで、地域内外に新しき“風”を起こしていく。」</li>
</ul>
<h4>【引用・参考文献】</h4>
<ul style="list-style-type: none">
<li>1) UN Tourism Barometer<a href="https://www.unwto.org/un-tourism-world-tourism-barometer-data" target="_blank" rel="noopener noreferrer">(https://www.unwto.org/un-tourism-world-tourism-barometer-data)</a></li>
<li>2) 中谷健太郎（2006）：地域のブランド力と地域のブレンド力，『由布院に吹く風』，岩波書店，pp.32-33</li>
<li>3) 中谷健太郎（2024）：地域のブレンド力を磨く―この土地に運ばれたものを暮らしに編み込む由布院温泉（大分県），『観光文化』260号，pp.52-59<a href="https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka260/260-18/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">(https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka260/260-18/)</a></li>
<li>4) 由布市（2011）：由布市観光基本計画</li>
<li>5) 中谷健太郎（1990）：「幻視ゆふいん&#8217;90―何かが道をやってくる」、『風の計画』、湯布院企画室「西方館」、p.32</li>
<li>6) 京都観光会議（1971）：10年後の京都の観光ビジョン－呼び込み観光との訣別，『京都観光会議報告書』，pp.1-31</li>
<li>7) 川端五兵衞(2019)：観光は終の栖の内覧会－死に甲斐のある終の栖のまちづくり－（巻頭言），『観光文化』240号，p.1<a href="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-02.pdf" target="_blank" rel="noopener noreferrer">(https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-02.pdf)</a></li>
<li>8) 後藤健太郎（2021）：地域におけるまちづくりと観光の関係に関する研究～近江八幡における川端五兵衞氏の観光に関する言説を通じて～，『観光研究』，Vol.33(1)，pp.49-62<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jitr/33/1/33_49/_pdf/-char/ja" target="_blank" rel="noopener noreferrer">(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jitr/33/1/33_49/_pdf/-char/ja)</a></li>
<li>9) 財団法人日本交通公社（1976）：津和野 保存と町づくり（昭和50年度観光文化振興基金調査報告書）</li>
<li>10) 財団法人日本交通公社観光計画室（1977）：草津町社会開発計画</li>
<li>11) 渡邉一成（2006）：新連載 第6回 町民の、町民による、町民のための草津　東京工業大学 名誉教授　鈴木忠義先生，土木学会誌，vol.91，no.9，pp.86-87<a href="https://committees.jsce.or.jp/engineers/node/15" target="_blank" rel="noopener noreferrer">(https://committees.jsce.or.jp/engineers/node/15)</a></li>
<li>12) (公財)日本交通公社(2017)：観光地づくりオーラルヒストリー＜観光計画・観光地づくりの要諦を探る＞<a href="https://www.jtb.or.jp/book/category/tourism-oral-history/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">(https://www.jtb.or.jp/book/category/tourism-oral-history/)</a></li>
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			</item>
		<item>
		<title>観光の量と質への意識－まちづくりと観光事業⑮　[コラムvol.495]</title>
		<link>https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi15-goto/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=column-machi15-goto</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[webkakishima]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 12 Jul 2023 04:35:03 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">https://www.jtb.or.jp/?post_type=column&#038;p=48171</guid>

					<description><![CDATA[<p>今回のコラムでは「観光の量と質」について、まちづくりの視点からコロナ前も含めて回視しつつ、今後の観光のあり方に関する幾つかの視点を提示しておきたい。 「観光の量と質」に関しては、一般的に、観光客の数を量として、観光客の満･･･</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>今回のコラムでは「観光の量と質」について、まちづくりの視点からコロナ前も含めて回視しつつ、今後の観光のあり方に関する幾つかの視点を提示しておきたい。</p>
<p>「観光の量と質」に関しては、一般的に、観光客の数を量として、観光客の満足度や消費額等を質として捉えることが多い。近年においては、「持続可能な観光」がより重要視され、オーバーツーリズム（Overtourism）も問題となっていたことから、観光の量から質への転換は、今まで以上に意識されるようになってきている。</p>
<p>そうした中で、本コラムでは、「持続可能な地域社会」の実現という視点から、地域住民の住みよさやその実現のためのまちづくりに機軸を置いて、「観光の量と質」に目を向けてみたい。
</p>
<h3>■量に起因する問題</h3>
<p>海外からの個人旅行の受入や入国ビザ免除の再開等の水際対策の緩和措置（2022年10月11日）、新型コロナウイルス感染症の5類感染症への移行（2023年5月8日）もあり、平時を取り戻しつつある我が国の観光において、需要の回復状況が定期的に報じられている。観光業界にとっては、ようやくお客さんが戻ってきたという感じであろう。コロナ前のようにインバウンド客の関心や過ごし方等を紹介する報道も多くなっていると感じている。一方で、戻りつつあるインバウンド客のゴミのポイ捨てやマナー問題等も報じられている。</p>
<p>こうした問題に対しては、コロナ前から「Responsible Tourism（責任ある観光）」の取組の中で、旅行者に責任ある行動が求められてきた。コロナ禍においてもこうした動きは停止していない。具体的には、ハワイでの「Malama Hawaii（マラマハワイ）」の取組や、京都で「京都観光行動基準（京都観光モラル）」、国レベルではニュージランドでの「Tiaki Promise（ティアキ・プロミス）」等が挙げられよう。京都を拠点とする団体による、観光客と住民がお互いに寄り添う意味を込めた「TOURISTSHIP（ツーリストシップ）」(※1)の活動も非常に重要な取組である。これからの観光地の未来は、普段はある場所の住民である旅行者一人ひとりの意識と行動に掛かっている。</p>
<p>他方で、コロナ前のオーバーツーリズム時代には、質の良い旅行者であっても、混雑など量に起因する問題を引き起こしてしまうことが指摘されている<sup>2)</sup>。旅行者がルールやマナーをより遵守するようになっていったとしても、群衆による混雑など、観光の量に起因する問題は依然として残ること、適切な管理が必要であることを意識しておかなければならない。オーバーツーリズムが世界で社会問題化した一因は、観光客の量（絶対数）の増加にある。コロナ前、「都市観光の予測を超える成長」が話題になっていたことも思い起こしてほしい(※2)。将来、量で線を引かなければならないフェーズが来るかもしれない(※3)。抑制のためにデ・マーケティング（Demarketing）も真剣に考えていかなければならいかもしれない<sup>3),4)</sup>。</p>
<p>なお、我が国のオーバーツーリズムの問題については、「観光客の急増による混雑問題や観光客のマナー問題に回収されがち」<sup>5)</sup>との指摘があったことも見落としてはいけないだろう。詳細は、各文献に譲るが、今後に向けては、地域が観光の統制の取れる規模を維持すること<sup>6)</sup>、過度な観光活動による界隈の社会構造の変化と地域資源への再投資なき消費が発生しないよう注視すること<sup>5)</sup>も観光再始動において意識しておかなければならない。</p>
<h3>■住民と観光客、両者を捉える複眼</h3>
<p>さて、観光の量に関しては、例えば、コロナ前のオーバーツーリズム時代には、住民一人あたりの観光客数や面積あたりの観光客数等が報じられていた。この時代には、急激な観光客の増加による生活環境への影響等から「住民の〇倍の観光客が来訪」という状態は好意的には報じられなかった。コロナ発生以降、こうした数量については報じられなくなったが、好意的か否定的かは別として、観光を地域で振興していく上では、自らの状態を定点観測し予兆を把握することは必要だろう。海外では、「観光圧度（Tourism Intensity）」（＝居住者数と観光客数の比率）に関する研究等が幾つか確認される<sup>7),8)</sup>。1996年のVan Der Borgらの研究では、町の中心部と町全体での2つ単位で観光による圧度を計測している。また、個別観光地での観光圧度の経年把握だけではなく、他の観光地との計数比較を可能とすることで、観光による圧力を相対把握できるようにしている(※4)。この観光圧度は、オーバーツーリズムの状態を測る一つの指標として着目されていた。</p>
<p>日本では、『鎌倉市観光基本計画』<sup>9)</sup>での把握が確認されるが、ここからは、住民と観光客、両者を捉える眼差しという点から2つの具体事例を見ていこう。</p>
<h4>○自らの状態を測る物差し<br />
―定住人口と一日あたりの交流人口が同じまち</h4>
<p>由布院温泉（大分県）は、1970年代に「生活観光地」、「住みよい町が最も優れた観光地」を理念として掲げ、まちづくりを進めてきた。70年代には、暮らしよい町とした結果、流動人口が流れ込むことも想定しつつも、由布院が一定の広さしか持っていないという「限界」を認識し、暮らしよい状態を保持するためには「計画と規制が必要」と認識していた<sup>10)</sup>。その後、日帰り観光客の増加や地域外資本の進出等により様々な問題が発生し、生活と観光の均衡が変化する中で、90年代半ばには、定住人口と一日当たりの交流人口の関係を数量で意識し始めた<sup>11)</sup>。由布院では、両者はほぼ同数である（図）。そして、2000年以降は、調査や社会実験等を実施し、観光客と地域の暮らしの折り合いをいかにつけるかを検討していった<sup>12)</sup>。</p>
<p style="text-align: center;"><b>図　定住人口と一日当たりの交流人口の推移（旧湯布院町）</b></p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2023/07/495_image1.png" alt="" width="1100" height="640" class="aligncenter size-full wp-image-48169" srcset="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2023/07/495_image1.png 1100w, https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2023/07/495_image1-688x400.png 688w, https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2023/07/495_image1-1031x600.png 1031w, https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2023/07/495_image1-768x447.png 768w" sizes="(max-width: 1100px) 100vw, 1100px" /></p>
<p style="text-align: right;">注：2005年以降は、合併後の由布市全体のデータしか公表されていない。<br />
出典：「国勢調査」（総務省）、「ふるさとゆふいん物語」（由布市）、参考文献13)より作成</p>
<p>由布院は、早くから住民と観光客の関係を数量で意識した事例であるが、ここでもう一つ着目したいのは、「定住人口と一日当たりの交流人口が同じまち」という表現は、まちの特性を表す一つにもなっていることである。予兆把握や状態観測の数値として意識し続けることはなかなか難しく、町の特性を表し地域内外を惹きつけるための一つの表現として活かしているのは、現場の知恵なのだと思われる(※5)。</p>
<h4>○市民と観光客のバランス意識と誘客視点<br />
－市民3分の1、県内客3分の1、県外客3分の1<br />
</h4>
<p>観光圧度から話は逸れるが、こうした内外を惹きつける、誘客目線も組み込んだ現場の知恵としては、近江八幡（滋賀県）の誘客・客層管理が挙げられる。近江八幡は、1975年には「住むに値し、訪れるのに値する魅力と生気ある街」<sup>14)</sup>を提唱し、1990年代後半から「住んでよかったまち、訪れてよいまち、もう一度訪ねたいまち」を旗印に観光振興に取り組んでいる。オーバーツーリズムが各地で話題となっていたコロナ前は、近江八幡でも観光客数は増加傾向にあった。そうした中、近江八幡市は総合計画（2019年策定）において、観光入込客数を減じる目標（5年後、10年後）を自ら設定した<sup>15)</sup>。長年、住んでよい町を一義としてきた近江八幡の姿勢が垣間見える。</p>
<p>また、近江八幡観光物産協会事務局長によると、現場では市民と観光客をアプローチ対象として一括りの中で見ており、「市民3分の1、県内客3分の1、県外客3分の1」というバランスを意識しているという。市民と観光客の交流による好循環を意識しつつ、市民についてはまちづくりの視点から誇りと愛着の醸成のため、県内客については、誘客と県民評価向上のためという発想から生まれたものである。後者については、京阪神や中京圏からの誘客にあたって近江八幡単体での訴求力が必ずしも十分でないこと（県内地域の人々との連携も必要）、また同時に近江八幡のイメージや提供物には、近江商人、近江牛、琵琶湖など、県単位で成立しているものも含まれており、県民の体験に基づく理解と評価向上が自地域の観光の質保証にも結び付くとの考えからである。勿論、時期等によりその構成比は変わるが、市民と観光客、両者を捉える複眼を持ち、そのバランスを意識した客層管理の一例と言えよう。</p>
<h3>■まちづくりと歩調を合わせた観光による安定した再生産</h3>
<p>再度「観光の量と質」の話に戻ると、京都市では、近年のオーバーツーリズム問題のように、高度成長期に観光公害が問題視されていた(※6)。当時も様々な対策が講じられたが、その中には、現在にも通じる示唆がある。</p>
<p>京都市は、1971年に『10年後の京都の観光ビジョン－呼び込み観光との訣別』（京都観光会議(※7)）を発表している。そして、同ビジョンの「はじめに」には、次の一節がある。</p>
<blockquote><p>「(1)現在の京都の観光の問題を解決し、今後10年の観光ビジョンの骨格となる方向を重点的に考えて、総花的になることを排するとともに、(2)観光の質的な側面に重点をおいて、その量的な検討は今後の段階にゆずることとした。」<sup>16)</sup></p></blockquote>
<p>観光の量から質への重心移動は必要だが、それは量に関する議論から完全に離れることを意味しない(※8)。また、同ビジョンの中でもう一つ目に留まるのが次の一節である。</p>
<blockquote><p>「京都が大きな岐路にたたされていることを考えると、京都の街の将来像そのものが、これからの観光のあり方を規定していくだろう。したがってまず京都のあり方そのもの大きくとらえ、その中で観光を位置付けていく必要がある。」<sup>16)</sup></p></blockquote>
<p>「観光の量と質」を考える際は、まちのあり方、将来像を明確にしていくことが同時に必要だろう。その導出自体は、観光分野が扱う範疇を越えるが、まちの将来像は、まち全体を総べる地域政策の要であり、観光の方向性を判断する上で重要な価値軸でもある(※9)。</p>
<p>由布院での実務経験や研究をもとに「住んでよい町が訪ねてよい町」を提唱した猪爪氏は、地域住民から遊離した観光開発が問われていた1980年に、観光地であっても住む人にとって好ましい条件を整えることが第一であり、住んでよい町を作るには、その地域条件に立脚した「確固とした町づくりの論理が必要」と述べている<sup>20)</sup>。オーバーツーリズムが問題視された近年においては、堀田氏は、観光の持続可能性を問う中で「観光開発を観光振興の枠の中のみで考えるのではなく、地域計画のなかに落とし込んで、地域づくりの一部として、その推進と管理を検討することが求められる」と述べている<sup>21)</sup>。事例で取りあげた近江八幡市は、2001年に策定した総合発展計画の中で、過度な観光地化を避け、観光による「安定した再生産」を地域にもたらすために、まちづくりの取組と歩調を合わせた観光を推しすすめると述べ、その後を歩んできた<sup>22)</sup>。</p>
<p>こうした示唆や実例も踏まえながら、まちづくり全体の中で「観光の量と質」を考えてみることが、コロナ前の状態に安易に戻らないために必要な過程だと筆者は思っている。</p>
<h4>【注】</h4>
<ul style="list-style-type: none;">
<li>※1：（一社）ツーリストシップ（旧（一社）CHIE-NO-WA）が提唱する考え。参考文献1)によると、ツーリストシップは、スポーツマンシップという言葉に着想を得た造語である。住む人、働く人、訪れる人、みんなが寄り添い、交わる社会の実現に向けて、ツーリツーリストシップを世界標準のコンセンサスに育て上げ、世界の常用語にすることを目指している。</li>
<li>※2：2019年には、UNWTO駐日事務所・（一財）アジア太平洋観光交流センターの共催で「都市観光の予測を超える成長に対する認識と対応～観光地をいかにマネジメントするか?」と題したシンポウムが京都で開催された。世界全体の国際観光客到着数は、2018年には、「UNWTO2030長期予測」の予測値（14億人）を2年前倒しで達していた。</li>
<li>※3：海津ゆりえ氏は、2019年度に自然公園での利用に関して、「適正な利用はより高度な体験の質や安全管理に通ずるが、現場でこうしたことを議論すると、数量的なコントロールの話が必ず出てくる」と言う。地域のルールを守っている人であっても1カ所に集中するという現象は生じてしまい、それをコントロールするためには、「量で線を引かないといけないという段階が出てくるだろう」と述べている（自然公園制度のあり方検討会 利用のあり方分科会 第2回 議事要旨，p2）。</li>
<li>※4：観光圧度は観光地管理のための一つの指標になり得るが、これだけを持って状態を判断することには注意が必要である。定住人口と交流人口はそれぞれ推移するものであり、観光圧度の変化が定住人口の増減によるものか、交流人口の増減によるものか、観光圧度を見るだけでは判断できない。それぞれの絶対数をあわせて見ていく必要がある。</li>
<li>※5：1959年に国民保養温泉地の一つに指定された由布院温泉は、自然環境の他、最も恵まれているのは医療設備であり、対人口比率におけるベット保有数が全国稀という認識であった。そして、予防のために旅館に滞在し通院するなど、観光と医療とを結び、明るい健康な保養地形成を描いていた（広報ゆふいん，第180号，p.4，1975.1.1）。</li>
<li>※6：当時は、高度成長期にあり、住宅不足、交通混雑、公害の発生等で市民生活が脅かされていた。観光公害は、公害の一つとして捉えられていた。</li>
<li>※7：同ビジョンは、1970年に設置された京都観光会議がとりまとめたもの。同会議は、京都市文化観光局の提唱により設けられた研究協議機関であり、観光、交通、都市計画、歴史、社会等の学識経験者と文化観光局職員により構成。全4回の会議が開催された。</li>
<li>※8：当時、人口に対する宿泊客の比率が算出されている。京都市は平均毎日0.8（京都の夜間人口100人の中に占める観光客数は、一人にも満たない）に対して、草津は27.7、白浜 は34.7、熱海は41.3であった（参考文献17），p.20）。</li>
<li>※9：参考文献18)、19)によると、1969年に京都市で初めて総合計画「まちづくり構想－二十年後の京都－」が策定された。同計画は、※6のような社会情勢に対して、「くらしの環境を良くしつつ人間を大事にする、住みよいまちづくりを進める」とする中で、市民共有のビジョンとすべく作成されたものである。</li>
</ul>
<h4>【参考文献】</h4>
<ul style="list-style-type: none;">
<li>1)田中千恵子（2023）：『TOURISTSHIP 「ツーリストシップ」で、 旅先から好かれる人になってみませんか 未来の旅行が 驚くほど楽しくなる 旅行者の心構え!』，ごま書房新社</li>
<li>2)佐滝剛弘（2019）：『観光公害 インバウンド4000万人時代の副作用』，祥伝社，pp.85-87</li>
<li>3)小原満春（2015）：デスティネーション・デマーケティングの類型に関する考察 尾瀬国立公園の事例，産業総合研究，23，pp.29-46</li>
<li>4)奈良美和子，前川佳一（2019）：京都のオーバーツーリズムの現状と観光地のデ・マーケティング，京都大学経営管理大学院，pp.1-36</li>
<li>5)阿部大輔（2019）：オーバーツーリズムに苦悩する国際都市，『観光文化』，第240号，pp.8-14</li>
<li>6)金振晩（2019）：居住地での観光を許容制限する対応～韓国ソウル・北村韓屋村～『観光文化』，第240号，pp.35-39<a href="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-10.pdf">(https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-10.pdf)</a></li>
<li>7)Van Der Borg, J., Costa, P. and Gotti, G.（1996）：“Touris m in European heritage cities”, Annals of Tourism Research, Vol.23 No. 2, pp.306-321</li>
<li>8)McKinsey &#038; Company and World Travel &#038; Tourism Council（2017）：COPING WITH SUCCESSMANAGING OVERCROWDING IN TOURISM DESTINATIONS</li>
<li>9)鎌倉市（2019）：『第3期 鎌倉市観光基本計画』，p.12</li>
<li>10) 明日の由布院を考える会（1971）：『町造りの雑誌 花水樹』，No.5，p.24</li>
<li>11)中谷健太郎（1995）：『湯布院幻燈譜』，p.78</li>
<li>12)後藤健太郎（2020）：由布院 生活型観光地が模索する暮らしと観光の距離感，『ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略』，pp.171-192</li>
<li>13)米田誠司（2011）：「持続可能な地域経営と地域自治に関する研究-由布院の観光まちづくりを事例として-」，熊本大学博士論文</li>
<li>14)読売新聞：八幡堀を復元しよう 市民運動の手引き，パンフ5000部を作成 修景計画盛り込む 近江八幡青年会議所，1975年1月30日</li>
<li>15)近江八幡市（2019）：『近江八幡市第１次総合計画』，p.78</li>
<li>16)京都観光会議（1971）：10年後の京都の観光ビジョン－呼び込み観光との訣別，『京都観光会議報告書』，pp.1-31</li>
<li>17)京都観光会議（1971）：10年後の京都の観光ビジョン，『観光』，Vol.7 No.3，pp.17-20</li>
<li>18)小林博（1969）：京都市まちづくり構想にみる観光都市への将来像，『観光』，Vol.5 No.4，pp.23-30</li>
<li>19)田中優大，阿部大輔（2019）：1960年代の京都市における総合計画からみる都市像の変容について，日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集，17(0)，pp.97-100</li>
<li>20)猪爪範子（1980）：地域と観光－トータル・システムとしての観光のあり方を問う，『月刊 観光』，160，pp.16-18</li>
<li>21)堀田祐三子（2022）：観光の持続可能性を問う―持続可能な世界の実現に向けて，『都市問題』，113 (10), pp.36-46</li>
<li>22)近江八幡市（2001）：近江八幡市総合発展計画，p.77</li>
</ul><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi15-goto/">観光の量と質への意識－まちづくりと観光事業⑮　[コラムvol.495]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「観光都市ではない」（1961）の真意－まちづくりと観光事業⑭　[コラムvol.477]</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 12 Sep 2022 10:54:13 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>インバウンドも視野に入れた観光需要の回復に期待が寄せられる中、オーバーツーリズム再燃を懸念する声が時折り聞かれる。新型コロナウイルス感染症の影響により問題現象は収まりを見せたものの、オーバーツーリズムのすべてが自助努力に･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi14-goto/">「観光都市ではない」（1961）の真意－まちづくりと観光事業⑭　[コラムvol.477]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>インバウンドも視野に入れた観光需要の回復に期待が寄せられる中、オーバーツーリズム再燃を懸念する声が時折り聞かれる。新型コロナウイルス感染症の影響により問題現象は収まりを見せたものの、オーバーツーリズムのすべてが自助努力によって解決されたわけでないとすると、今後も同様の問題が生じる可能性はあるだろう。オーバーツーリズム時代に試行された具体策に加えて、今後の技術革新等により問題解決に至る場合も勿論あると思われるが、ここでは、京都市を入口に異なる観点からオーバーツーリズムについて考えてみたい。</p>
<p><strong>「京都は観光都市ではない」</strong></p>
<p>これは、オーバーツーリズム時代に、京都から幾度か発せられた言葉であり、市民生活との調和に向けて京都市が観光政策の舵を切る、その前置きとなるフレーズでもあった。ただ、ここで引用しているのは、今から半世紀以上も前、1961年の記事からである。当財団の旅の図書館で公開している雑誌『旅』の京都・奈良特集の記事の一つである。旅行者向けの記事がラインナップされる中でひと際目を引くのが同タイトルである。執筆者は大阪市立大学助教授（当時）の梅棹忠夫氏<sup>1)</sup>である。今のところ、筆者が確認する限り「京都は観光都市ではない」の初出は同記事である。文量は5ページにものぼる<sup>2)</sup>。</p>
<h3>■観光は多面的な大都市京都の一側面に過ぎない</h3>
<p>梅棹氏は、同記事の最初に、自身も他の地域に行けば同じかもしれないと前置きした上で、一般の京都市民の立場から観光客をどのような目で見ているか、そして、京都の観光についてどのように考えているかを観光客に知ってもらうのはお互いに必要なことだろうと述べている。その中で、筆者の印象に残ったのは、次の２点である（以下、一部筆者の解釈を含む）。</p>
<p><strong><u>①「京都は観光都市である」が与える誤解と主客転倒</u></strong></p>
<p>おびただしい数の観光客が来訪している事実から、京都は観光がさかんな都市ではあると認めつつも、観光は多面的な大都市京都の一側面に過ぎないこと（学問の都、美術の都、工芸の都、宗教の都、商業都市、工業都市）。一国の首都として発展してきた様々な要素を含み、複雑な構造を持つ都市が京都であり、「観光都市」という一面的な呼び方やその考え方は、危険でお互いに誤解を生ずるもととなる、と考えていた。</p>
<p>観光客からの批判（無知、無理解によるものも含む）に対する対応の根底には、「お客は王さま」という考え方が垣間見えるが、観光に従事していない市民にとっては王さまでも何でもない、と述べる。そして、観光客に対しては、「観光都市」という名に誤られて、観光客は何か特権があるかのように誤解しているフシがある、京都は観光都市だからサービスするのが当然だと思っているような発言が聞かれることから、「京都は観光都市ではない」と旅行雑誌において主張したようである。当時の京都観光の現状を案じ、京都文化の全面開放を恐れ、観光による主客転倒を懸念した梅棹氏のまとめの一節は以下である。</p>
<blockquote><p>「もっともおそるべきことは、観光地とよばれる土地に住む人が、観光を意識することによって、みずからその土地と文化の主人公であることを忘れて、何ものか、えたいの知れぬ連中に奉仕しはじめることである。」<sup>3)</sup></p></blockquote>
<p>自らの地域を観光地だと最初から捉えて、旅行者も観光を構成する一主体である、と地域住民等と同等に捉えてよいかについては、わが国の観光に関する議論の文脈を調べ、もう少しさまざまな見方、意見を収集した上で検討すべきだろう。京都は、観光客本位で造られてはいないのである。</p>
<p><strong><u>②所有と使用の権利は国民全体、管理と保護は市民の責任という構図に対する疑問</u></strong></p>
<p>また、梅棹氏は、観光客からの批判として大いに警戒を要するのが「京都の文化財は、日本民族全体の共有物であって、京都市民だけが独占すべきものではない」という発言だという。所有と使用の権利だけは国民全体という、「不特定無責任」なものに保留する一方で、管理と保護だけは京都市民に押し付ける構図に対して苦言を呈していた<sup>4)</sup>。同文章の前には、観光税に加えて、入市税をとっても良いのではという発言も確認されるが、前後の文章も含めて解釈すると、使用（利用）時の負担、責任だけではなく、「非使用時」においても京都の文化財が存在し（続け）ている。その価値を国民全体が享受しているのだとすれば、国民全体はどのような責任を今負い、そして今後どのような責任を負うべきなのか。昨今問われる利用者負担や責任ある観光より、より広い土俵で国民の一人として観光を考える視点を梅棹氏は提示していると言えよう。</p>
<h3>■折りあるごとにゆきたくなるようなところであってこそ、真の観光地</h3>
<p>では、梅棹氏は、どのような観光のあり方を望ましいと考えていたのか。否定的なフレーズは印象が強く注目されがちだが、いざ物事を進めるときは、どのような未来像を描いているのか、望ましいあり方を「肯定的」に提示していく必要がある。</p>
<p>梅棹氏らは、1961年から十数年の時を経て出版された『日本人の生活空間』（1974）において、「折りあるごとにゆきたくなるようなところであってこそ、真の観光地であるはずだ」とし、「ところが、日本では、客が一度しか来ないことを前提とした観光地ばかりである。つまり一見観光地である。」と考えを述べた<sup>5)</sup>。そして、この背景として、観光を営む事業主が、本来の商人ではないことを挙げている。</p>
<h3>■近江商人の倫理、近江八幡の気品、静寂と観光</h3>
<p>さて、観光を否定的に捉え表現しつつも自ら肯定的に観光を定義してきた地域と言えば、滋賀の近江八幡だろう。まちづくりを進める中で、当初から「観光目的ではない」、「観光都市ではない」としつつも、半世紀をかけて観光の概念を固めてきた。「究極の観光とは何か」、「観光は崇高なもの」と観光を取扱注意で丁寧に扱っている、「観光地の本望とは何か」を考えている、そんな地域がどこにあろうか。その詳細は、参考文献(9)～(11)に譲るが、実は、梅棹氏は、「京都は観光都市ではない」と寄稿した翌1962年に近江八幡を訪れている。そして、参考文献(8)では、以下のような言葉を残している。</p>
<blockquote><p>
「いまは京都においても失われつつある気品と静寂が、この町には残っている。人通りはほとんどない。」<br />
「しかし、凍結されたままで、町がすっかり時代から残されていると考えるなら大間違いである。かれらは、外観・内容ともになまはんかな都会の人よりはるかに近代的であり都市的なのである。」<br />
「人口四万人の都市に喫茶店が１軒もない、という驚くようなことが起こるのである。」<br />
「表構えはつつましやかでも、奥のほうは随分立派な住宅が多いということである。」
</p></blockquote>
<p>梅棹氏は、京都と同様にそのまちの特性、特徴を踏まえた上で、同文献の中で、近江八幡が「三流観光地」とならないように、（当時の）工場誘致と観光をお寒い発展策と揶揄し、「全くたいした倫理体系を作りあげたものである」（1954）と言わしめた近江商人の商いを機軸にしたまちの方向性について提言をした。京都と近江八幡、まちの規模は異なるものの、この二都市からオーバーツーリズムを考える幅広い論点が提示されていると筆者は考えている。</p>
<p><small></p>
<h4>【注】</h4>
<ul>
<li>1)民族学･比較文明学を専門。1920年京都市西陣生まれ、京都大学理学部卒業。1949年大阪市立大学理工学部助教授、1965年京都大学人文科学研究所助教授、その後、同大学教授を経て、1974年に国立民族学博物館初代館長に就任。2010年に逝去。京都市名誉市民。</li>
<li>2)小見出し一覧：ただの市民の立場／祇園祭のチマキ／観光都市ではない／観光客はマナーを守るべし／おのぼりさん概念の確立／隔離の原理／一元さんお断り／権利と責任／だれのための大文字か／観光返上</li>
<li>3)参考文献1），p.45。梅棹氏は、同文献の中で、文化に対しては、「京都の文化は、京都市民のためのものであって、観光客のためのものではない。」（p.43）、「もし旅行者が京都市民とともに、京都の文化の一端を享受しようと思えば、高くつくのは当然だ。」（p.43）、「これはどこまでも市民の生活、市民の文化を中心に考えてゆくべきものである」（p.44）、「文化というものは、それをになう主体が、その文化に確信と誇りをもった場合にだけ、さかんにもなるし、つづきもする。」（p.44）とも述べている。</li>
<li>4)京都市民による管理と保護の例として、市中にある文化財を守っている消防組織は人も設備も京都市民の税金で賄われていることが挙げられている。</li>
<li>5)参考文献6)，p.104-110。同図書では、観光については「娯楽であるとともに、教養のための行動である」と述べている。観光旅行には、さまざまな制約もあるため、一度しか訪問できない場所も多い。また、人生で一度は訪れておきたい場所もあるので、同点についてはさまざま意見があるだろう。</li>
</ul>
<p></small></p>
<h4>参考文献</h4>
<p>■京都について</p>
<ul>
<li>(1)梅棹忠夫（1961）：京都は観光都市ではない　観光客のために存在しているとは困る！，旅，35(10)，日本交通公社，pp.41-45</li>
<li>(2)梅棹忠夫（2004）：梅棹忠夫の京都案内，角川ソフィア文庫</li>
<li>(3)梅棹忠夫（2005）：京都の精神，角川ソフィア文庫</li>
<li>(4)中井治郎（2019）：パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市，星海社新書</li>
<li>(5)広原盛明（2020）：観光立国政策と観光都市京都，文理閣，pp.32-33</li>
</ul>
<p>■観光について</p>
<ul>
<li>(6)梅棹忠夫・上田篤・多田道太郎・西川幸治（1974）：日本人の生活空間，朝日新聞社</li>
</ul>
<p>■近江商人・近江八幡について</p>
<ul>
<li>(7)梅棹忠夫（1954）：近江商人（知性，1(2)），pp.32-34</li>
<li>(8)梅棹忠夫（1962）：風土記&#8217;62 近江八幡，pp.76-84</li>
<li>(9)<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jitr/33/1/33_49/_pdf" rel="noopener" target="_blank">後藤健太郎（2021）：地域におけるまちづくりと観光の関係に関する研究—近江八幡における川端五兵衞氏の観光に関する言説を通じて—，観光研究，Vol.33(1)，pp.49-62</a> （外部サイト）</li>
<li>(10)<a href="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2022/06/3.KounosinMurai_omi8.pdf">村井幸之進（2022）：修養のために訪れる地、それが近江八幡―ここには見本となる “生き方” “生き様” がある（ヒアリング記録３）</a></li>
<li>(11)<a href="https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2021/06/4.HirokiTanaka_omi8.pdf">田中宏樹（2022）：訪問者が背筋を張って生きていける、その後押しになれるようなことが観光地としての本望（ヒアリング記録４）</a></li>
</ul><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi14-goto/">「観光都市ではない」（1961）の真意－まちづくりと観光事業⑭　[コラムvol.477]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>品格ある観光、節度ある観光、責任ある観光－まちづくりと観光事業⑬　[コラムvol.457]</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 26 Oct 2021 05:48:55 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>発出されていた緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置が9月30日をもって全都道府県で解除された。新型コロナにより大きな打撃を受けた観光業界や観光地では、観光再開に向けた期待が高まる中、観光活動が本格化する前に備え考えておく･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi13-goto/">品格ある観光、節度ある観光、責任ある観光－まちづくりと観光事業⑬　[コラムvol.457]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>発出されていた緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置が9月30日をもって全都道府県で解除された。新型コロナにより大きな打撃を受けた観光業界や観光地では、観光再開に向けた期待が高まる中、観光活動が本格化する前に備え考えておくべきことは何だろうか。</p>
<p><strong>「品格ある観光、節度ある観光、責任ある観光」</strong></p>
<p>私はこの三つだと思っている。</p>
<h3>品格ある観光</h3>
<p>ここで言う品格とは、いわゆる格式ばったものや格式の高いものを意味しない。地域の人々が自らの歴史・文化に誇りを持ち、堂々と暮らしている、そんな人々の生き様や生き方自体が人を惹き付ける地域の魅力の根源であり、それらがまちの品位、気品をカタチづくっている。日々の暮らしに根差した文化が拙速には生まれないことを理解し、まちづくりの過程を大事にして丁寧に歩んでいる。そんな地域のまちづくりを基盤とした観光のあり様をここでは「品格のある観光」と呼びたい。</p>
<p>「品格ある観光」を考える上で、筆者自身に影響を与えた地域を一部紹介する。1960年代後半から暮らしの中身から観光を立ち上げてきた「生活観光地」由布院。歴史と文化に責任を持つまちとしてまちづくりと人づくりを行ってきた「まちづくり都市」金沢、近江商人としての倫理、道徳を大切に今でも質素倹約に生きる「終の栖のまちづくり」を続けた近江八幡。</p>
<p>華やかなものを観光客向けに安易に仕立てあげるのではなく、洗練されてはいない土着のもの、鄙びたもの、ハレではなくケの暮らし中に息づく文化の重要性にも気づき、時間を掛けて守り育て磨いてきた、そんな地域である。そして、地域の魅力の正体とは何か、地域の個性とは何か、地域らしさとは何かを議論し続けてきたまちで「世界観のある地域」だと筆者が感じる地域である。こうした地域は一朝一夕にはできない。</p>
<p>さて、「観光地の品格」として既に端的にまとめられた文章があるので紹介しておく。</p>
<blockquote><p>「魅力的な観光地とは、わがままを何でも受け入れてくれるような受動的なところではなく、生き方へのメッセージをなげかけてくるようなところだと考えています。メッセージの発信者はいうまでもなくそこに暮らしている人たちです。彼らの静かなる誇りが、表情やしぐさとして表現されて観光地の品格をつくり、その品格が人を魅きつけているような気がします。」（寺崎，2008）</p></blockquote>
<p>品格ある観光には、日々の暮らしの中にある心の豊かさを意識したまちづくりが欠かせない。</p>
<h3>節度ある観光</h3>
<p>「過剰な観光（オーバーツーリズム）」による好ましくない影響が確認された近年、改めて考えさせられたのは、観光か生活かの単純な二者択一ではなく、どの程度に観光を留めて暮らしの質を維持していくかであろう。問題現象が顕在化していない地域においても、観光のみに過度に依存しない「節度ある観光」について一度考えてみてほしい。近年の指標を用いて状態や進捗を把握する動きや規範・ルールづくりも「節度ある観光」の一つの顕れだと見ている。</p>
<p>「節度ある観光」には、全体を見る目と変化への反応を細やかに読み取る目がまずは必要となる。前者については、広がる観光領域をただ取り込んでいっただけでは成し遂げられない。ここ数年の観光に関わる領域の総合・統合化とはやや異なるからだ。観光に直接関係のない領域も含む「全体」を見て観光を相対的に捉え位置づける視野を持ち、観光に限らない具体的な取組・事業を実行していくことになる。例えば、竹田市・長湯温泉（大分県）では、単眼思考を避け複眼思考で地域経営がなされてきた。個性ある温泉地づくりの一環として、温泉を活かした足元の健康づくりにも取り組んできた。また、土湯温泉（福島県）では、東日本大震災を機に温泉熱を利用した再生可能エネルギーによる発電売電事業にも取り組むなど、観光一本足にならないための取組が展開されている。</p>
<p>「過度な観光地化」による観光公害を防ぎ、節度ある観光を進めるためには、「望ましい観光のあり方とは何か」を正面から考えるだけではなく、一つの分野への過度な依存、偏重をどう（未然に）防ぐか、そして、観光産業以外に地域が拠って立つ新たな施策、産業振興に試行錯誤することである。それは簡単なことではないが、時間を掛け着実に取り組んできた先駆的な地域が現に存在しているのだ。そこには、観光をどうするかというビジョンではなく、まち全体がどういう方向に歩んでいくかについての確固たるビジョンがある。</p>
<p>その他、「節度ある観光」としては、由布院からはほどほどの哲学、近江八幡からは磨き過ぎず温存するという考え方を学んだ。これらについては別の機会に述べる。</p>
<h3>責任ある観光</h3>
<p>近年、観光業界で聞かれる言葉の一つが「責任ある観光」である。「レスポンシブル・ツーリズム」とカタカナで紹介されることも多い。コロナ前のオーバーツーリズム時期から聞かれていた言葉ではあるが、コロナ禍においてより発出されている印象がある。ただし、責任ある観光については、昨今は旅行者にフォーカスした責任を求める情報が先だってしまっているようにも感じる。旅行者の責任ある行動はもちろん重要である。旅行者の価値観の変化とそれに伴う行動変容が観光地の健全化に寄与するのは言うまでもない。</p>
<p>他方で（観光というより）まちづくりを機軸に考えると、自らのまちの責任は、住んでいる人自身がまず持つべきもので、旅行者の責任を切り出して問うことに違和感がある。また、自らが住まう地域で、そして他の地域で旅行者に求める行動を取れているのかという点でも違和感を生じる。近年環境問題への関心は高くなっており、旅行者に環境配慮をした行動を求める動きもあるが、そもそも自らの足元での暮らしはどうだろうか。質素倹約な暮らしを今でもする近江八幡を見ると、自分たちの暮らしの中にそうした意識がないと、矛盾を生じないだろうか。</p>
<p>自らの行動を律するとは、根源にある人間の際限のなき欲求を律することができるかということである。律し方にはいろいろあると思うが、究極的には、今の生活が先祖から受け継いできた「預かりもの」であるという自覚と、未来の世代、子供たちの「幸せな人生」を想いどのような社会を、環境を残していくのかという使命感でしか決断できないような気がしている。三方よしの精神を伝える近江八幡には、「吾、即ち先祖の手代なり」という言葉が引き継がれている。そして「まちづくりとは、子孫にどのような環境を残すかについて考え行動すること」と定義し、「浪費なき繁栄」を志したこの地域の生き方、生き様を見ると、そう思ってしまう。由布院でも、1977年に「この町にこどもは残るか」というシンポジウムを開催している。何の目的で誰のためのまちづくりなのか、そのあたりが見えていないと形だけの取り組みにならないか、やや心配される（余計なお世話だろう）。</p>
<h3>さいごに</h3>
<p>「品格ある観光、節度ある観光、責任ある観光」、この三つはそれぞれ相互に関連し重なり合うものであるため上記のように分解してしまうことが適切かはわからないが、地域での「観光再始動に向けた心構え」として観光に関わる皆さんと一緒に考えていければと思う。</p>
<p>なお、今回の３つの観光は私が考えたことではない。既に述べられていることを三つに整理したに過ぎない。個別の事例ベースで理解することが重要と考えるため、関心があれば、以下の資料（一部）を通して読んでみてもらえるとありがたい。</p>
<h4>参考文献</h4>
<ul>
<li>中谷健太郎『たすきがけの湯布院』（1984），『湯布院幻灯譜』（1995.7），『湯布院発、にっぽん村へ』（2001.9），『毛づくろいする鳥たちのように』（2005.4），『由布院に吹く風』（2006.2）など
<li>溝口薫平『虫庭の宿―溝口薫平 聞き書き』（野口智弘，2009.8）</li>
<li>山出保『金沢の気骨—文化でまちづくり』（2013.4），『金沢らしさとは何か―まちの個性を磨くためのトークセッション』（+金沢まち・ひと会議、2015.12），『まちづくり都市 金沢』（2018.1），『都市格を磨く―金沢、まちづくりへの思い』（2021.3）など</li>
<li>川端五兵衞・かわばたごへえ『まちづくりはノーサイド』（1991.6），『続・まちづくりはノーサイド』（2017.12），「<a href="/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-02.pdf">観光は終の栖の内覧会～死に甲斐のある終の栖のまちづくり</a>」『観光文化 240号』（2019.1）など</li>
<li>田中宏樹「<a href="/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-06.pdf">地域らしさと町の品格に相応しい観光振興のあり方とは</a>」『観光文化 240号』（2019.1）</li>
<li>首藤勝次『御前湯日記』（2001.6），「有由有縁 市長コラム」『広報たけた』（2009.8-2021.3）
<li>寺崎竜雄「<a href="/column-photo/column-dignity-of-destination-terasaki/">「観光地の品格」について考えてみませんか</a>」[コラムvol.15]（2008.1.18）</li>
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			</item>
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		<title>まちづくりと観光事業の間にある壁⑫－本来の価値と本当に大切なもの　[コラムvol.440]</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 01 Mar 2021 02:00:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[NEWS・新着情報]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>新型コロナ感染症の影響が続いたこの一年。急激な環境変化の中で、いかに観光産業の存続を図るか。ニューノーマルな時代の観光を模索し、各地で新たなカタチが具体的に提案された一年でもあった。それは、単に今一時を凌ぐということに留･･･</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>新型コロナ感染症の影響が続いたこの一年。急激な環境変化の中で、いかに観光産業の存続を図るか。ニューノーマルな時代の観光を模索し、各地で新たなカタチが具体的に提案された一年でもあった。それは、単に今一時を凌ぐということに留まらず、それ以前から観光が抱えていた課題にも向き合い、コロナを契機に持続可能な観光へとより大きく舵を切る。そんな一年であったと見ている（現在も続く）。</p>
<p>さて、今回のコラムでは、そうした動きの中で、お客さんの数が例年より少ないこの時に、観光地としてだけでなく‟地域”として持つ本来の価値にも目を向ける意識を幾ばくか持つための視点を提示しておきたい。以下で取り上げる事例は、必ずしもコロナ禍のものではないため、その前提が現在と異なる部分もある。しかし、なぜ今このテーマを取り上げるか。今という時を考える参考の一つとなると思うからだ。つまり、一部の地域で表面化した「オーバーツーリズム」への対応状況、そして、コロナ収束後の観光旅行需要の反動なども見越し、「ポスト・オーバーツーリズム」「ポスト・コロナ」時代に中心に据えるべき‟地域の暮らし“とは何か、を再考する一時（いっとき）とするためだ。</p>
<p><img decoding="async" class="size-full wp-image-26448 aligncenter" src="/wp-content/uploads/2021/03/440_image1.jpg" alt="" width="279" height="99" /></p>
<h3>本来の価値を見つめ直す</h3>
<p>ここでは、以前にも取り上げた近江八幡（滋賀県）のまちづくり（コラムVol.316,376,420）を別の側面から取り上げる。近江八幡では、1970年代に本格的に八幡堀復元運動を始め、その後、近江八幡のまち全体の方向付けを行い、まちづくりを進めた地域である。同地域は「観光目的でない」と観光から一定の距離を置いてまちづくりに取り組んだ点で特異であり、1970年代後半には、以下のような考えを持つ人物がいたことが確認される。</p>
<blockquote><p>「好むと好まざるにかかわらずこの運動が成功していった場合、町並が観光化されることは避けて通れるものではないだろうと言うことなのだ。何故なら町並で象徴される郷土文化が内外で再発見されることにより、その価値を求めて人が集まり、さらにその集まりのムードに乗って本来の価値を無視した形で観光活動が展開されるのであろうことは十分予想されているからである。そして、そうなった時、誰もその大きな流れをくい止めることは出来なくなるであろうことも自覚されているからだ。だからこそ、観光という大きなエネルギーの渦が発生しないうちに、本来の価値を確かな眼で見つめ直しておこうと言うものである。」（※1）</p></blockquote>
<p>観光旅行需要が回復し、訪れる人々を絶え間なく迎える日常が戻った時、地域の人々は日々の生業に追われていることであろう。観光客が再び増加する時期には、観光対象を守り育てるというよりは、集まる人々を対象にして稼ぐ産業が増加し、地域が変容して地域本来の価値が見えにくくなることが将来起こり得るかもしれない。いざ走り出すと、その勢いで針を戻せなくなることも少なくない。だからこそ、一定の”静けさ”や‟落ち着き”のある今を大切にしてほしい。</p>
<p>近江八幡では、当時敢えて観光を遠ざけ、まちが宿す本来の機能－近江商人を輩出したまち、教育のまちであることに立ち返り、知的再生産のまちとして「商業博物館構想」を掲げてまちづくりを進めた。物見遊山ではなく学びに来る人－観光客ではない客層－が来訪することで、観光客目当ての喫茶店や土産物店などが乱立するのを防ぐことができるとも考えていた（※2）。こうした一連の積み重ねが、現在の近江八幡の観光のスタンスや、まちの落ち着き、品格にも繋がっていると筆者は考えている。</p>
<h3>本当に大切なものを見極める</h3>
<p>ただ、地域本来の価値を見つめ直したからと言って、観光の大きなエネルギーの渦を止められるかは別の話である。以前のオーバーツーリズムの状況を見れば、行き過ぎた観光を抑制しコントールするのは、容易ではない。しかし、地域がどのような行動を採るか、その基となる価値基準、判断基準は、地域本来の価値が損なわれていないかであり、そのためには、地域にとって「本当に大切なものは何か」が予め見えていないといけない。そしてそれは、観光客の関心を惹くものか否か、訪れるに値する価値があるものか否か、を前提とした見方のみで自分の地域を見つめ直しても十分に見極められるものではない。</p>
<p>外の目線、観光客の目線を介して新たな地域の魅力・素材や切り口が見つかり、地域の再発見につながることはある。ただし、まちづくりに立ち返り、再発見した魅力や課題も含めて「この地域でどのように生きていくか、どう生きたいか」を問う議論、地域でのプロセスを経なければ、大切か否かを十分に見極められないと考える。「外の目線で新たな魅力の再発見→では、それをどう観光客に提供するか」と観光の枠組みの中で収めて歩むだけでは、不十分である。</p>
<p>以前に取り上げた由布院（大分県）を事例として挙げよう。地域の暮らしそのものが観光の中身と捉えまちづくりを行ってきた地域である。1970年前後にまちづくりをはじめた当時の町造りの雑誌『花水樹』では、外の人が由布院の美しさを讃える中で、由布院の魅力の正体が何かを地域の人自身が知った上で、それらを守り育ててゆくべきとしつつ、「私たちがどんな家に住み、どんな食べものを愉しみ、どんな樹の繁る路を歩き、どんな産業で生許を立てるべきか」を考えることが唯一の町造りの方法とする（※3）。ここには前後も含めて「観光」という文字は一つも登場しない。別の言葉では、生き方にまで明確に踏み込んでいる。</p>
<blockquote><p>「由布院の町がどんな産業を持ち、どんな文化を形成しうるかということは、すなわち私たち由布院に住む者が、あなたが、私が、どんな産業を望み、どんな家に住みたいと思い、どんな食べ物を美味しいと感じ、どんな生き方を好ましいと考えるか、要するに私たちがどのように生きるかにかかっている」（※4）</p></blockquote>
<p>その後、由布院を訪れる観光客が増加した際にも、暮らしと観光の適切な距離感を測ろうと模索する動きの根底には、暮らしに軸足を置いてまちづくりを行ってきた積み重ねがあるからであろう（※5）。暮らしを見つめ直すことは、生き方を考えることである。コロナ禍に話を移すと、由布院では、ある動画作成を通じて、由布岳の麓に広がるまちや暮らしが、過去、そして現在も「生活の原点」であることは間違いないと考え直したという。地域の暮らし―どのような地域であるかをきちんと表現するストーリーが重要とした上で、次のような発言が確認される。</p>
<blockquote><p>「地域の強みが何なのか、観光に限らずこのまちにとって何が大切かを含めてきっちり認識しないと表現できないし、ブレてしまうと思います。」（※6）</p></blockquote>
<p>「観光に限らず」、この視点が筆者は、地域で観光を進める上で、非常に重要だと思っている。筆者自身は、 観光の議論を進めることが求められることから「観光ありき」で話をすることが多いが、是非地域には、観光に留まらない視点、視野を持ち、自分たちにとって「本当に大切なもの」を見極めてほしい。</p>
<p>なお、そうした大切なものを守って生きていくためには、「どのような不便を地域が享受するか、甘受するか」もあわせて考えていく必要があり、その点は、また別の機会に述べるとしたい。</p>
<h4>注</h4>
<p>※1：近江八幡青年会議所（1979）：「町並保存と観光開発」，『ひろば』，p.2<br />
※2：かわばたごへえ（1991）：『まちづくりはノーサイド』，p.104<br />
※3：中谷健太郎(1970）：「町造り雑誌「花水樹」を発刊する理由」，『花水樹』70年 創刊号、由布院の自然を守る会，p.10<br />
※4：前掲書，p.9<br />
※5：後藤健太郎（2020）：「第9章　由布院－生活型観光地が模索する生活と観光の距離感」，『ポスト・オーバーツーリズム』，阿部大輔編著，学芸出版社，pp.171-192<br />
※6：生野敬嗣（2020）：「自然災害を乗り越えてきた、由布院の経験とチャレンジ」，『2020年度観光地経営講座講義録』，p.38</p>
<h4>【参考資料】</h4>
<p>1）西村幸夫（2020）：「巻頭言 足元からの再興」，『観光文化』247号（<a href="/tourism-culture/bunka247/247-01/">https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka247/247-01/</a>）<br />
2）大分合同新聞：「忘れていた&#8221;根っこ&#8221; 観光客増加、量で自慢しても　旅館「亀の井別荘」の相談役 中谷健太郎さん（コロナ禍に想う 雑談 おおいた）」，2020年4月24日<br />
3）西日本新聞：「聞きたい新型コロナ にぎわいが消え、気づいた「原点」 これからも人に魅力がある地に　由布院を長くけん引してきた観光カリスマ 溝口薫平さん」，2020年5月18日</p><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi12-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑫－本来の価値と本当に大切なもの　[コラムvol.440]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>まちづくりと観光事業の間にある壁⑪－‟本命の観光客”は誰か－［Vol.420］</title>
		<link>https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi11-goto/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=column-machi11-goto</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Apr 2020 06:30:25 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p>新型コロナウイルス感染症による世界的規模での急激な変化を誰が予想できただろうか。昨年度は、国際観光旅行市場の予測を超える成長とオーバーツーリズム（過剰観光）が世界的な話題になっていたが、その対応方策を国内外で共有し、検証･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi11-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑪－‟本命の観光客”は誰か－［Vol.420］</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>新型コロナウイルス感染症による世界的規模での急激な変化を誰が予想できただろうか。昨年度は、国際観光旅行市場の予測を超える成長とオーバーツーリズム（過剰観光）が世界的な話題になっていたが、その対応方策を国内外で共有し、検証を図る前に、その需要圧力自体が激減してしまったのだ。現在は、「ポスト・オーバーツーリズム」を飛び越え、「ポスト・コロナ」を見据えた対応方策が模索されている。人の移動自体が制限される、旅行を自粛せざるを得ないという、観光業にとって極めて厳しい状況下において、その影響を最小限に抑制するための対策や観光需要の早期回復に向けた準備がそれぞれの立場から進められている。現在進行形で日々刻々と状況が変化する中で、即応すべき対処方策を見極め備えることは重要である。</p>
<p>他方で、『観光文化240号』の「特集１ 観光による地域への負の影響にどう向き合うべきか」（<a href="/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-04.pdf">https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-04.pdf</a>）では、観光そのものとは異なる文脈から観光需要が激減し（※1）、観光客の来訪や観光事業者の活動による負の影響への対応に関する知見・経験が蓄積されていないという我が国の過去の状況についても触れた。少し長い視点から述べると、新型コロナウイルス感染症の影響下やポスト・コロナ期においても、オーバーツーリズムの発生状況の有無を問わず、そこで得た知見が本当のストックとなるよう、少なからず意識しておくことが望ましい。</p>
<p>以上のような考えから、今回は、観光文化で掘り下げられなかった部分について補足的に話をしておきたい。</p>
<h3>新しい市民的モラルをつくる</h3>
<p>1970年代、観光による負の影響が問い沙汰された時代に、近江商人発祥の地、近江八幡（滋賀県）にて第２回全国町並みゼミが開催された。その中で、京都大学工学部建築学科で教鞭を執られ、近江八幡のまちづくりに関わられていた西川幸治先生が記念講演２の中で「観光の矛盾を克服」するための方法について話をされている。1979年（昭和54年）のことである。</p>
<p>西川先生は、記念講演１で歴史学者で商業や商人等についても研究されている宮本又次先生（大阪大学）の「文化観光は節度をもって」という話も踏まえつつ、次のような発言をされている。</p>
<blockquote><p>「観光する側、観光される側がそれぞれ一つのモラルとかルールとかいうもので結び合わされる。そのためにも、新しい<ruby><rb>市民的なモラル</rb><rt>・・・・・・・</rt></ruby>を作っていくことができるのではないかと思うわけです。」（参考資料1）より。傍点は筆者が加筆。）</p></blockquote>
<p>これは町並み保全での話とはなるが、ポイントとしては、観光される側（地域）が観光する側（観光客）に対してモラルを問い、ルールの遵守を求める、というような現在の国内外でのオーバーツーリズムの議論で見られる構図、対応とはやや異なることである。相手に課すものという片方向なルールづくりではなく、双方を結び合わせるという視点でのモラルやルールの検討であり、更にそれが「新しい市民的モラル」という、意識の基軸が市民側、自分たち側に置かれていること、かつ自らにとっても（従前の仕組み・慣習そのままではなく）新しいものであるという点である（※2）。</p>
<p><b><br />
<div id="caption-attachment-29660" style="width: 1010px" class="wp-caption aligncenter"><img decoding="async" aria-describedby="caption-caption-attachment-29660" src="/wp-content/uploads/2020/04/420_image2.jpg" alt="" width="1000" height="509" /><p id="caption-caption-attachment-29660" class="wp-caption-text">図第２回全国町並みゼミの冊子</p></div><br />
</b></p>
<h3>究極の観光客－観光は終の栖の内覧会</h3>
<p>更に西川先生の話は、続く。</p>
<blockquote><p>「私は、今日お集まりいただいた皆様が地道な日々の努力を積み重ねることによって矛盾を克服し、明日の人々がその土地に自信と誇りをもって住むような町をつくることによって、<u>必ずや深い尊敬の念をもって他の地域の人々が関心を抱き、そして訪れてくることになるのではないか</u>と思います。それによって観光のもつ矛盾というものも自然と克服できるのではないかと思うのです。」（参考資料1）より。下線は筆者が加筆。）</p></blockquote>
<p>オーバーツーリズムの発生によって一部で観光客のマナー等を批判する声や観光客はもう要らないとの声もあったが、現実的には、望まない観光客を排することは難しい。では逆にどのような人に来てほしいか、どのような人であれば受け入れられるのか、どのような過ごし方を想定しているか、地域側が“本命の観光客”像を明確に持ち、積極的に告白していく、ということも必要だろう。</p>
<p>全国にある（観光地ではなく）まちづくりの先進地と言われる地域の中で、近江八幡が他と異なるところがあるとれば、それはまちづくりを行う中で「どのような人に訪れてほしいか」まで到達しているところである。2000年代に入って「究極の観光客」という地域固有のワードにたどり着き、近江八幡にとって観光とはその人たちのための内覧会＝「観光は終の栖の内覧会」（詳しくは、参考資料2）を参照））であると自ら定義づけた。まちづくりの延長線上に、①<ruby><rb>自らの観光客像</rb><rt>・・・・・・・</rt></ruby>を設定した上で、彼らを想定して②地域にとっての観光の意味、あり方を定義づけたのである。</p>
<p>ポスト・コロナ期においては、観光のあり方、地域での観光の位置づけ自体が見直されるかもしれないが、観光の依存度が低い地域においても、自分の地域にとって“本命の観光客”は誰か、観光をどのようなものとして位置付けるか。観光客が大幅に減少している今、長い未来に備えて少し考えてみてはどうだろうか（※3）。勿論、緊急対応策を第一にしつつ。</p>
<h4>注</h4>
<p>※1：観光地ブランド、信頼を低下、失墜させ観光客の減少が生じてしまうような問題（偽装問題等）以外のものを観光そのものとは異なる文脈としている。</p>
<p>※2：妻籠の三原則｢売らない・貸さない・壊さない｣（1971年（昭和46年））という自主規範等も含むが、ここで筆者が考えているのは、観光客を受け入れる側の行動として次のような問題も確認される中で、市民的モラルをどのように考えるかである。例えば、自然分野において、知床ネイチャーオフィスの松田光輝氏は、「ガイドをしていて困るのが、説得力を持ってルールを説明できないこと。ガイドが説明する傍らで、地元の人が山菜などを採っている。利用者から見ると、矛盾を感じる。今後こういったルールの周知、徹底も必要になってくる。」と述べている（自然公園制度のあり方検討会利用のあり方分科会（第１回）より）。また、問題現象の解決方法は発生場所それぞれによって異なることが想定されることから、観光する側、観光される側の双方の視点や内容を必ず含んでいないといけない、とここで述べているわけではない。加えて、ホスト－ゲストの力関係で、後者が弱い立場であることが多いことも考慮して考える必要がある。さらに、近年講じられたオーバーツーリズム対策が地域にとっては「苦肉の策」である場合があることも十分に考慮すべきである。</p>
<p>※3： ‟本命の観光客”だけで地域経営及び観光産業が成り立つかと言えば、正直成り立たないだろう。ただ、特定の場所・時期において需要圧力が高い場合には、時には受け入れ地域側が告白し客層を転換していくことは重要であり、まずは、そうした観光客像を地域側で見つめることが必要である。大量の観光客が流入する前に、顕在化した問題が管理可能な段階にあるときに、落ち着いて考えてみることが重要である。なお、今回のコラムでは、まちづくりの延長線上に観光客像を見据えたことに重きを置いているため、マーケティング分野の「ペルソナ」のこととして整理してしまうことを避けている。また、「ペルソナ」とは、顧客像を検討する際の時間軸や具体の程度等が異なっているため、安易な整理は時期尚早と考えた（顧客像という表現自体がそもそも適さないかもしれない）。</p>
<h4>【参考資料】</h4>
<p>1）西川幸治（1979）：記念講演２ 町なみ保存とこれからの町づくり<br />
2）川端五兵衞（2019）：観光は終の栖の内覧会 －死に甲斐のある終の栖のまちづくり－ （<a href="/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-02.pdf">https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-02.pdf</a>）</p><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi11-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑪－‟本命の観光客”は誰か－［Vol.420］</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>まちづくりと観光事業の間にある壁⑩－「家族の平和な暮らし」－　[コラムvol.397]</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Jun 2019 04:24:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[NEWS・新着情報]]></category>
		<category><![CDATA[観光地経営]]></category>
		<category><![CDATA[インバウンド]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>生活と観光、と安易に観光と対置して語られてしまう「生活」に今一度焦点を当てて話をしてみたい。というのは、生活と観光と並べて話すと、「生活」をどのように捉えているのか、どのような「生活」を想い描いているのか、がぼやけてしま･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi10-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑩－「家族の平和な暮らし」－　[コラムvol.397]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>生活と観光、と安易に観光と対置して語られてしまう「生活」に今一度焦点を当てて話をしてみたい。というのは、生活と観光と並べて話すと、「生活」をどのように捉えているのか、どのような「生活」を想い描いているのか、がぼやけてしまうからだ。観光と同程度の深度で「生活」を語ることを余儀なくされ、「生活」に込められた想いが見えづらくなるのを何度か感じたことがある。</p>
<p>さて、今回もこれまで紹介してきた生活観光地「由布院」（コラムvol.358（<a href="/column-photo/column-machi8-goto/" target="blank" rel="noopener noreferrer">https://www.jtb.or.jp/column-photo/column-machi8-goto/ </a>）を参照）を扱うが、これまでとは違った角度から同地域の「生活」「暮らし」を掘り下げてみたい。</p>
<h3>スイスの中を守ったのでは、スイスの中に生きている自分の家族を守れない</h3>
<p>平成22年10月15日、四日後に開催される「由布院スピリット研究会」<sup>(1)</sup>の事前説明のため、亀の井別荘を訪れた。庭に置かれたテーブルで待つ3人に対し、自然に語り始めた中谷健太郎氏。話の出だしは、スイスの映画監督ダニエル・シュミット氏<sup>(2)</sup>が「なぜ映画を作るのか」であった。</p>
<ul>
<li>「スイスの中に生きている自分の家族を守るためには、スイスの外でスイスを囲んでいるドイツやフランスやイタリアやロシアやいろんな列国に住んでいる人々の希望を育てて、きちっといいものにしない限りはスイスの（中の）希望は守れない」<sup>(3)</sup></li>
<li>「家族がそこに暮らすスイスの小さな村は、山を越えて軍隊が来たらイチコロになる。どうしたら“家族が平和に生きられるか”を考えたら、軍隊ではかなわないので、自分は全力をあげて映画をつくる。「人間はどのように希望を持って生きれるか」ということをまっすぐに、分かりやすく輸出できるのは映画だ」<sup>(4)</sup></li>
</ul>
<p>永世中立国であるスイスにも軍隊は存在する。バチカンを守っているスイス衛兵を日本人も目にしたことがあるだろう。軍隊を擁するものの、</p>
<ul>
<li>「スイスは小国であり、自国だけで成り立つことは難しい。だから“ソト”の人たちが、スイスへの好意を寄せ、その力によって成立する―そういうルートを作るしかない。そのために、シュミット監督は映画と言う手法で“スイス”を伝えてきた。多くの人にスイスを知ってもらい、スイスに好意を持ってもらうために。母国スイスが一国として成立するために」<sup>(5)</sup></li>
<li>「外に人的拠点をつくっていく、そうすると初めて中が守れる」<sup>(4)</sup></li>
</ul>
<h3>小さな町で地域の中と外との関係を考える</h3>
<p>シュミット監督が生まれたのは、スイスの山の中の小さな村だと言う。中谷氏が暮らす由布院も小さな町である。そんな小さな町で、家族が平和に暮らしていくためには、中に住む人々が希望を持って生きるためには、地域の外とどのように付き合っていけば良いだろうか。</p>
<p>シュミット監督の話から考えると、外の人に好意、善意を抱いてもらい中を支えてもらうために、中のことを伝えていくことになるだろう。由布院を応援する人の拠点を外に作り、その人たちの力によって地域を成立させる、地域が守られる、そんなルートを作っていくことになる。そのために、中谷氏は「ここからホスピタリティ―人はこのように生きたいよね、このように一緒に生きる、出会った場所がこのようであるとどんなにかすばらしいよね、というストーリー―を外へ輸出」してきたのであり、「すると外の人たちが、中を支えてくれる、そのことを<ruby><rb>とりあえず</rb><rt>、、、、、</rt></ruby>観光と呼んでいる」<sup>(4)</sup>のだと言う。</p>
<p>生活と観光の共存が求められる今日において、「生活と観光」「住んでよし、訪れてよし」「住民と観光客」のように並べて漠然とその共存を考えるのではなく、また観光の存在ありきで考えるのではなく、由布院・中谷氏のように、普段の暮らしのなかで、自分たちの地域は【地域の中と外との関係】をどのように考え、どのような方法で関係を構築していくのか。まずその輪郭線を描くことが重要と考える。その上で（、あるいはそのなかで）、外からの観光客や観光事業者とどのように向き合っていくのか、観光に関することもいろいろ考えてみてほしい。また、自身が外の観光客の一人として、外の（観光）事業者・企業の一つとして、他の地域にどのように関わっていくのか、そのあたりまで考えられる社会になっていく必要があるだろう。</p>
<p>以上が由布院・中谷健太郎氏を通じて筆者が感じたことであり、世界的に観光旅行市場の拡大が見込まれる今だからこそ、私も含めて一人ひとりが「観光立国に<ruby><rb>暮らす</rb><rt>、、、</rt></ruby>者」として、【地域の中と外の関係】を今一度考えておく必要がある、と最近よく思う。</p>
<p>最後に、小さな町、小さな日本を支えたい・守りたいと思う外（の希望）は、2003年の観光立国宣言以降にどのくらい育っただろうか。着実に育ってきているはずだと信じて、これからも観光の仕事に真摯に向き合っていきたい。小さな地方で生まれ育った一人の人間として。</p>
<h4>注</h4>
<ul style="list-style-type: none">
<li>(1) ダニエル・シュミット監督（Daniel Schmid, 1941年12月26日～2006年8月5日）。</li>
<li>(2) 2010年度自主研究の一環で実施。ただし、筆者自身は、第1回研究会には参加していない。</li>
<li>(3) 第169回 参議院 国民生活・経済に関する調査会 平成20年2月27日 第3号より。（ ）は筆者加筆。当日庭でお聞きした話は正確に記録していないため、その後のスピリット研究会記録をはじめとした文献等の言葉を以降では用いている。同段落のタイトルは、同記録より。</li>
<li>(4) 第1回由布院スピリット研究会議事録、公益財団法人日本交通公社、平成22年。傍点は筆者加筆。</li>
<li>(5) 「憧れの温泉地」由布院の“秘密”（後編）地域一体となった取り組みが生んだ継続的な町づくり、日経BP、2007年</li>
</ul><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi10-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑩－「家族の平和な暮らし」－　[コラムvol.397]</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>まちづくりと観光事業の間にある壁⑨　対処療法型の観光振興で本当に良いか？［コラムvol.376］</title>
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		<dc:creator><![CDATA[mktvadmin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Aug 2018 08:15:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[NEWS・新着情報]]></category>
		<category><![CDATA[観光地経営]]></category>
		<category><![CDATA[観光指標]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　コラムでは、時事的な話題を扱うというよりは、地域のまちづくりや観光振興にこれまで携わってきた経験や体験などを通して、少し長い目で見たときに大切なことは何か、私自身が得た気づきなどを伝えたいと思っている。どちらかというと･･･</p>
<p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi9-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑨　対処療法型の観光振興で本当に良いか？［コラムvol.376］</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　コラムでは、時事的な話題を扱うというよりは、地域のまちづくりや観光振興にこれまで携わってきた経験や体験などを通して、少し長い目で見たときに大切なことは何か、私自身が得た気づきなどを伝えたいと思っている。どちらかというと、観光の盛衰や注目の話題、流行などに左右されないテーマを扱うことを心がけている。
</p>
<p>　そうした中で、少し気になる観光の話題と言えば、「オーバーツーリズム」かもしれない。正直この新たな用語を自信を持って説明もできないが、各地での状況を見て聞くたびに、一部の現象を除いては、かつてから観光地で生じていた問題ではないかと思うことも少なくない。</p>
<p>　今日起きている現象を詳らかに把握し、問題の要因特定に努めることは勿論大切と考えるが、それをもとに対処法を検討していくだけで本当に望ましい地域の暮らしと観光振興は両立し得るだろうか。</p>
<p>　以下、これまでも取り上げた近江八幡の事例から、一緒に考えていきたい主な事項をほんの少しだけ触れて今回のコラムを終えることとしたい。</p>
<h3>地域自らがどのような観光が良いか、そのあり方を定めているか？</h3>
<ul>
<li>近江八幡市が1999年に実施した市民に対するアンケート調査結果(1)によると、近江八幡市の観光振興のあり方として、市民の43.4%が「観光客増加に躍起にならない観光」と回答している（図表1）。</li>
<li>近江八幡市が2006年に策定した観光振興計画では、近江八幡市の観光を「近江八幡市の暮らしと文化を観ること」と定め、「特定の施設による集客観光ではなく、市のまちづくりの基本理念「誰もが住んで良かった、ここで生涯を終えてもよいと思えるまち」を目指し、それによって創造される「暮らしと文化の豊かさ」を資源とし、観光を展開しようとする」(2)とされている。	</li>
<li>2013年に改訂した観光振興計画では、「今後の方向として、まちづくり観光の方向から、観光客の量的拡大をさらに追及するのではなく、現在の観光入込数を保持しながら、本市の歴史文化を深く味わおうとする来訪者の拡大を主要な目標とし、来訪目的性をさらに高め、滞在時間の拡大とリピート性を強化する方向を目指した取り組みを進めることとする」(3)と観光客数の増加に対する方向を明確にしている。	</li>
</ul>
<p>→住民の許容を超える程度まで過剰に観光客が増加した後ではなく、また観光客数の浮き沈みに左右されてではなく、地域の観光あり方、そもそも地域が何を観光客に見てもらいたいのかを明確にすることが重要ではないか (4)。現実問題、その場での対応は必要であるし、地域が方向性を定めても現実的にそのようになるかは別問題ではあるが。
</p>
<p style="text-align:center"><strong>図表1　近江八幡市の観光振興のあり方（1999年）</strong><br />
<img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2018/08/omi-01.png" alt="近江八幡市の観光振興のあり方（1999年）
" class="aligncenter" /><br />
<small>出典：『近江八幡市総合発展計画改訂』に伴うまちづくりのための市民アンケート』平成11年<br />
</small>
</p>
<h3>住民に対するアンケート調査は必要でも十分ではない？</h3>
<ul>
<li>過去の資料を確認すると、近江八幡市民が求める未来像はこれまで12回把握されてきており、「観光リゾート都市」は1-3位に位置してきている（図表2）。</li>
<li>現在の近江八幡の観光に対する考え方は、『近江八幡市観光振興計画』と同様、<a href="https://www.omi8.com/gaiyo/torikumi.htm" rel="noopener" target="_blank">近江八幡観光物産協会のホームページ「観光に対する取り組みと考え方」</a>においても明確に示されている。例えば「営利目的ではない」と。	</li>
<p style="padding-left: 3em">近江八幡市ではいわゆる営利目的だけの観光客誘致を行ってきませんでした。（中略）近江八幡市における観光は、観光客のための観光ではなく、市民を中心としたまちづくりの結果として生まれるものであり、まちの重要な資源である歴史や文化・自然・景観等に市民が愛着を持って守り育てながら、その資源としての価値を活用し、未来へとつないでいく営みです。</p>
<li>図表2のアンケート調査結果は特に取り扱われてはいないが、元市長である川端氏の図書によると、ニーズには「本態性ニーズ」と「流行性ニーズ」の二つがあるとし、1969年に実施した青年会議所で実施したアンケート調査では、「堀を埋め立て駐車場にする」と「町の将来像は工業都市である」が約30%で第1位という結果であったが、流行性ニーズ、一過性のニーズとして捉え、堀の再生に進んでいる。</li>
</ul>
<p>→居住者の意識を定期的に把握し、それに応じて対応策を講じていくことは重要であるが、また、そうしたアンケート調査と下図表の調査は性格を異にするものだが、観光地における住民の観光に対する意識調査結果を持って判断することが十分か、は考える余地があるだろう（状態管理には必要ではあるし役立つとは思ってはいるが）。
</p>
<p style="text-align:center"><strong>図表2　近江八幡市の未来像支持率の推移</strong><br />
<img decoding="async" src="/wp-content/uploads/2018/08/omi-02.png" alt="近江八幡市の未来像支持率の推移
" class="aligncenter" /><br />
<small>出典：「広報おうみはちまん」No.414、6月、近江八幡市活力創生部広報課、平成7年6月1日、p.2より作成<br />
</small>
</p>
<h4>注</h4>
<p>(1) 参考文献1)より<br />
(2) 参考文献2),3)より<br />
(3) 参考文献3)より<br />
(4) 近江八幡からは離れるが、何百万もの人々が訪れるようになった小樽運河の保存運動に関わってこられた峯山氏は「私は観光に来る人たちにも何を見るかをはっきりさせて来て欲しいし、迎える側も来た以上はこれを見てくださいとう明確な考えを持たないといけない」と述べている。参考文献4),p.41</p>
<p>【参考文献】<br />
1) 近江八幡市（2001）：『近江八幡市総合発展計画』<br />
2) 近江八幡市（2006）：『近江八幡市観光振興計画』<br />
3) 近江八幡市（2013）：『近江八幡市観光振興計画』<br />
4) かわばたごへえ（2017）：『続・まちづくりはノーサイド』,文芸社<br />
5）西村幸夫・埒正浩（2007）：「峯山冨美－小樽―運河とともに生きるまちは過去・現在・未来に生きる人たちの共同作品」『証言・町並み保存』、学芸出版社、pp.27-50</p>
<p></small></p><p>The post <a href="https://www.jtb.or.jp/researchers/column/column-machi9-goto/">まちづくりと観光事業の間にある壁⑨　対処療法型の観光振興で本当に良いか？［コラムvol.376］</a> first appeared on <a href="https://www.jtb.or.jp">(公財)日本交通公社</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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