観光の量と質への意識-まちづくりと観光事業⑮ [コラムvol.495]

今回のコラムでは「観光の量と質」について、まちづくりの視点からコロナ前も含めて回視しつつ、今後の観光のあり方に関する幾つかの視点を提示しておきたい。

「観光の量と質」に関しては、一般的に、観光客の数を量として、観光客の満足度や消費額等を質として捉えることが多い。近年においては、「持続可能な観光」がより重要視され、オーバーツーリズム(Overtourism)も問題となっていたことから、観光の量から質への転換は、今まで以上に意識されるようになってきている。

そうした中で、本コラムでは、「持続可能な地域社会」の実現という視点から、地域住民の住みよさやその実現のためのまちづくりに機軸を置いて、「観光の量と質」に目を向けてみたい。

■量に起因する問題

海外からの個人旅行の受入や入国ビザ免除の再開等の水際対策の緩和措置(2022年10月11日)、新型コロナウイルス感染症の5類感染症への移行(2023年5月8日)もあり、平時を取り戻しつつある我が国の観光において、需要の回復状況が定期的に報じられている。観光業界にとっては、ようやくお客さんが戻ってきたという感じであろう。コロナ前のようにインバウンド客の関心や過ごし方等を紹介する報道も多くなっていると感じている。一方で、戻りつつあるインバウンド客のゴミのポイ捨てやマナー問題等も報じられている。

こうした問題に対しては、コロナ前から「Responsible Tourism(責任ある観光)」の取組の中で、旅行者に責任ある行動が求められてきた。コロナ禍においてもこうした動きは停止していない。具体的には、ハワイでの「Malama Hawaii(マラマハワイ)」の取組や、京都で「京都観光行動基準(京都観光モラル)」、国レベルではニュージランドでの「Tiaki Promise(ティアキ・プロミス)」等が挙げられよう。京都を拠点とする団体による、観光客と住民がお互いに寄り添う意味を込めた「TOURISTSHIP(ツーリストシップ)」(※1)の活動も非常に重要な取組である。これからの観光地の未来は、普段はある場所の住民である旅行者一人ひとりの意識と行動に掛かっている。

他方で、コロナ前のオーバーツーリズム時代には、質の良い旅行者であっても、混雑など量に起因する問題を引き起こしてしまうことが指摘されている2)。旅行者がルールやマナーをより遵守するようになっていったとしても、群衆による混雑など、観光の量に起因する問題は依然として残ること、適切な管理が必要であることを意識しておかなければならない。オーバーツーリズムが世界で社会問題化した一因は、観光客の量(絶対数)の増加にある。コロナ前、「都市観光の予測を超える成長」が話題になっていたことも思い起こしてほしい(※2)。将来、量で線を引かなければならないフェーズが来るかもしれない(※3)。抑制のためにデ・マーケティング(Demarketing)も真剣に考えていかなければならいかもしれない3),4)

なお、我が国のオーバーツーリズムの問題については、「観光客の急増による混雑問題や観光客のマナー問題に回収されがち」5)との指摘があったことも見落としてはいけないだろう。詳細は、各文献に譲るが、今後に向けては、地域が観光の統制の取れる規模を維持すること6)、過度な観光活動による界隈の社会構造の変化と地域資源への再投資なき消費が発生しないよう注視すること5)も観光再始動において意識しておかなければならない。

■住民と観光客、両者を捉える複眼

さて、観光の量に関しては、例えば、コロナ前のオーバーツーリズム時代には、住民一人あたりの観光客数や面積あたりの観光客数等が報じられていた。この時代には、急激な観光客の増加による生活環境への影響等から「住民の〇倍の観光客が来訪」という状態は好意的には報じられなかった。コロナ発生以降、こうした数量については報じられなくなったが、好意的か否定的かは別として、観光を地域で振興していく上では、自らの状態を定点観測し予兆を把握することは必要だろう。海外では、「観光圧度(Tourism Intensity)」(=居住者数と観光客数の比率)に関する研究等が幾つか確認される7),8)。1996年のVan Der Borgらの研究では、町の中心部と町全体での2つ単位で観光による圧度を計測している。また、個別観光地での観光圧度の経年把握だけではなく、他の観光地との計数比較を可能とすることで、観光による圧力を相対把握できるようにしている(※4)。この観光圧度は、オーバーツーリズムの状態を測る一つの指標として着目されていた。

日本では、『鎌倉市観光基本計画』9)での把握が確認されるが、ここからは、住民と観光客、両者を捉える眼差しという点から2つの具体事例を見ていこう。

○自らの状態を測る物差し
―定住人口と一日あたりの交流人口が同じまち

由布院温泉(大分県)は、1970年代に「生活観光地」、「住みよい町が最も優れた観光地」を理念として掲げ、まちづくりを進めてきた。70年代には、暮らしよい町とした結果、流動人口が流れ込むことも想定しつつも、由布院が一定の広さしか持っていないという「限界」を認識し、暮らしよい状態を保持するためには「計画と規制が必要」と認識していた10)。その後、日帰り観光客の増加や地域外資本の進出等により様々な問題が発生し、生活と観光の均衡が変化する中で、90年代半ばには、定住人口と一日当たりの交流人口の関係を数量で意識し始めた11)。由布院では、両者はほぼ同数である(図)。そして、2000年以降は、調査や社会実験等を実施し、観光客と地域の暮らしの折り合いをいかにつけるかを検討していった12)

図 定住人口と一日当たりの交流人口の推移(旧湯布院町)

注:2005年以降は、合併後の由布市全体のデータしか公表されていない。
出典:「国勢調査」(総務省)、「ふるさとゆふいん物語」(由布市)、参考文献13)より作成

由布院は、早くから住民と観光客の関係を数量で意識した事例であるが、ここでもう一つ着目したいのは、「定住人口と一日当たりの交流人口が同じまち」という表現は、まちの特性を表す一つにもなっていることである。予兆把握や状態観測の数値として意識し続けることはなかなか難しく、町の特性を表し地域内外を惹きつけるための一つの表現として活かしているのは、現場の知恵なのだと思われる(※5)。

○市民と観光客のバランス意識と誘客視点
-市民3分の1、県内客3分の1、県外客3分の1

観光圧度から話は逸れるが、こうした内外を惹きつける、誘客目線も組み込んだ現場の知恵としては、近江八幡(滋賀県)の誘客・客層管理が挙げられる。近江八幡は、1975年には「住むに値し、訪れるのに値する魅力と生気ある街」14)を提唱し、1990年代後半から「住んでよかったまち、訪れてよいまち、もう一度訪ねたいまち」を旗印に観光振興に取り組んでいる。オーバーツーリズムが各地で話題となっていたコロナ前は、近江八幡でも観光客数は増加傾向にあった。そうした中、近江八幡市は総合計画(2019年策定)において、観光入込客数を減じる目標(5年後、10年後)を自ら設定した15)。長年、住んでよい町を一義としてきた近江八幡の姿勢が垣間見える。

また、近江八幡観光物産協会事務局長によると、現場では市民と観光客をアプローチ対象として一括りの中で見ており、「市民3分の1、県内客3分の1、県外客3分の1」というバランスを意識しているという。市民と観光客の交流による好循環を意識しつつ、市民についてはまちづくりの視点から誇りと愛着の醸成のため、県内客については、誘客と県民評価向上のためという発想から生まれたものである。後者については、京阪神や中京圏からの誘客にあたって近江八幡単体での訴求力が必ずしも十分でないこと(県内地域の人々との連携も必要)、また同時に近江八幡のイメージや提供物には、近江商人、近江牛、琵琶湖など、県単位で成立しているものも含まれており、県民の体験に基づく理解と評価向上が自地域の観光の質保証にも結び付くとの考えからである。勿論、時期等によりその構成比は変わるが、市民と観光客、両者を捉える複眼を持ち、そのバランスを意識した客層管理の一例と言えよう。

■まちづくりと歩調を合わせた観光による安定した再生産

再度「観光の量と質」の話に戻ると、京都市では、近年のオーバーツーリズム問題のように、高度成長期に観光公害が問題視されていた(※6)。当時も様々な対策が講じられたが、その中には、現在にも通じる示唆がある。

京都市は、1971年に『10年後の京都の観光ビジョン-呼び込み観光との訣別』(京都観光会議(※7))を発表している。そして、同ビジョンの「はじめに」には、次の一節がある。

「(1)現在の京都の観光の問題を解決し、今後10年の観光ビジョンの骨格となる方向を重点的に考えて、総花的になることを排するとともに、(2)観光の質的な側面に重点をおいて、その量的な検討は今後の段階にゆずることとした。」16)

観光の量から質への重心移動は必要だが、それは量に関する議論から完全に離れることを意味しない(※8)。また、同ビジョンの中でもう一つ目に留まるのが次の一節である。

「京都が大きな岐路にたたされていることを考えると、京都の街の将来像そのものが、これからの観光のあり方を規定していくだろう。したがってまず京都のあり方そのもの大きくとらえ、その中で観光を位置付けていく必要がある。」16)

「観光の量と質」を考える際は、まちのあり方、将来像を明確にしていくことが同時に必要だろう。その導出自体は、観光分野が扱う範疇を越えるが、まちの将来像は、まち全体を総べる地域政策の要であり、観光の方向性を判断する上で重要な価値軸でもある(※9)。

由布院での実務経験や研究をもとに「住んでよい町が訪ねてよい町」を提唱した猪爪氏は、地域住民から遊離した観光開発が問われていた1980年に、観光地であっても住む人にとって好ましい条件を整えることが第一であり、住んでよい町を作るには、その地域条件に立脚した「確固とした町づくりの論理が必要」と述べている20)。オーバーツーリズムが問題視された近年においては、堀田氏は、観光の持続可能性を問う中で「観光開発を観光振興の枠の中のみで考えるのではなく、地域計画のなかに落とし込んで、地域づくりの一部として、その推進と管理を検討することが求められる」と述べている21)。事例で取りあげた近江八幡市は、2001年に策定した総合発展計画の中で、過度な観光地化を避け、観光による「安定した再生産」を地域にもたらすために、まちづくりの取組と歩調を合わせた観光を推しすすめると述べ、その後を歩んできた22)

こうした示唆や実例も踏まえながら、まちづくり全体の中で「観光の量と質」を考えてみることが、コロナ前の状態に安易に戻らないために必要な過程だと筆者は思っている。

【注】

  • ※1:(一社)ツーリストシップ(旧(一社)CHIE-NO-WA)が提唱する考え。参考文献1)によると、ツーリストシップは、スポーツマンシップという言葉に着想を得た造語である。住む人、働く人、訪れる人、みんなが寄り添い、交わる社会の実現に向けて、ツーリツーリストシップを世界標準のコンセンサスに育て上げ、世界の常用語にすることを目指している。
  • ※2:2019年には、UNWTO駐日事務所・(一財)アジア太平洋観光交流センターの共催で「都市観光の予測を超える成長に対する認識と対応~観光地をいかにマネジメントするか?」と題したシンポウムが京都で開催された。世界全体の国際観光客到着数は、2018年には、「UNWTO2030長期予測」の予測値(14億人)を2年前倒しで達していた。
  • ※3:海津ゆりえ氏は、2019年度に自然公園での利用に関して、「適正な利用はより高度な体験の質や安全管理に通ずるが、現場でこうしたことを議論すると、数量的なコントロールの話が必ず出てくる」と言う。地域のルールを守っている人であっても1カ所に集中するという現象は生じてしまい、それをコントロールするためには、「量で線を引かないといけないという段階が出てくるだろう」と述べている(自然公園制度のあり方検討会 利用のあり方分科会 第2回 議事要旨,p2)。
  • ※4:観光圧度は観光地管理のための一つの指標になり得るが、これだけを持って状態を判断することには注意が必要である。定住人口と交流人口はそれぞれ推移するものであり、観光圧度の変化が定住人口の増減によるものか、交流人口の増減によるものか、観光圧度を見るだけでは判断できない。それぞれの絶対数をあわせて見ていく必要がある。
  • ※5:1959年に国民保養温泉地の一つに指定された由布院温泉は、自然環境の他、最も恵まれているのは医療設備であり、対人口比率におけるベット保有数が全国稀という認識であった。そして、予防のために旅館に滞在し通院するなど、観光と医療とを結び、明るい健康な保養地形成を描いていた(広報ゆふいん,第180号,p.4,1975.1.1)。
  • ※6:当時は、高度成長期にあり、住宅不足、交通混雑、公害の発生等で市民生活が脅かされていた。観光公害は、公害の一つとして捉えられていた。
  • ※7:同ビジョンは、1970年に設置された京都観光会議がとりまとめたもの。同会議は、京都市文化観光局の提唱により設けられた研究協議機関であり、観光、交通、都市計画、歴史、社会等の学識経験者と文化観光局職員により構成。全4回の会議が開催された。
  • ※8:当時、人口に対する宿泊客の比率が算出されている。京都市は平均毎日0.8(京都の夜間人口100人の中に占める観光客数は、一人にも満たない)に対して、草津は27.7、白浜 は34.7、熱海は41.3であった(参考文献17),p.20)。
  • ※9:参考文献18)、19)によると、1969年に京都市で初めて総合計画「まちづくり構想-二十年後の京都-」が策定された。同計画は、※6のような社会情勢に対して、「くらしの環境を良くしつつ人間を大事にする、住みよいまちづくりを進める」とする中で、市民共有のビジョンとすべく作成されたものである。

【参考文献】

  • 1)田中千恵子(2023):『TOURISTSHIP 「ツーリストシップ」で、 旅先から好かれる人になってみませんか 未来の旅行が 驚くほど楽しくなる 旅行者の心構え!』,ごま書房新社
  • 2)佐滝剛弘(2019):『観光公害 インバウンド4000万人時代の副作用』,祥伝社,pp.85-87
  • 3)小原満春(2015):デスティネーション・デマーケティングの類型に関する考察 尾瀬国立公園の事例,産業総合研究,23,pp.29-46
  • 4)奈良美和子,前川佳一(2019):京都のオーバーツーリズムの現状と観光地のデ・マーケティング,京都大学経営管理大学院,pp.1-36
  • 5)阿部大輔(2019):オーバーツーリズムに苦悩する国際都市,『観光文化』,第240号,pp.8-14
  • 6)金振晩(2019):居住地での観光を許容制限する対応~韓国ソウル・北村韓屋村~『観光文化』,第240号,pp.35-39(https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/01/bunka240-10.pdf)
  • 7)Van Der Borg, J., Costa, P. and Gotti, G.(1996):“Touris m in European heritage cities”, Annals of Tourism Research, Vol.23 No. 2, pp.306-321
  • 8)McKinsey & Company and World Travel & Tourism Council(2017):COPING WITH SUCCESSMANAGING OVERCROWDING IN TOURISM DESTINATIONS
  • 9)鎌倉市(2019):『第3期 鎌倉市観光基本計画』,p.12
  • 10) 明日の由布院を考える会(1971):『町造りの雑誌 花水樹』,No.5,p.24
  • 11)中谷健太郎(1995):『湯布院幻燈譜』,p.78
  • 12)後藤健太郎(2020):由布院 生活型観光地が模索する暮らしと観光の距離感,『ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略』,pp.171-192
  • 13)米田誠司(2011):「持続可能な地域経営と地域自治に関する研究-由布院の観光まちづくりを事例として-」,熊本大学博士論文
  • 14)読売新聞:八幡堀を復元しよう 市民運動の手引き,パンフ5000部を作成 修景計画盛り込む 近江八幡青年会議所,1975年1月30日
  • 15)近江八幡市(2019):『近江八幡市第1次総合計画』,p.78
  • 16)京都観光会議(1971):10年後の京都の観光ビジョン-呼び込み観光との訣別,『京都観光会議報告書』,pp.1-31
  • 17)京都観光会議(1971):10年後の京都の観光ビジョン,『観光』,Vol.7 No.3,pp.17-20
  • 18)小林博(1969):京都市まちづくり構想にみる観光都市への将来像,『観光』,Vol.5 No.4,pp.23-30
  • 19)田中優大,阿部大輔(2019):1960年代の京都市における総合計画からみる都市像の変容について,日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集,17(0),pp.97-100
  • 20)猪爪範子(1980):地域と観光-トータル・システムとしての観光のあり方を問う,『月刊 観光』,160,pp.16-18
  • 21)堀田祐三子(2022):観光の持続可能性を問う―持続可能な世界の実現に向けて,『都市問題』,113 (10), pp.36-46
  • 22)近江八幡市(2001):近江八幡市総合発展計画,p.77