活動報告
第2回【研究懇話会】
森とウェルビーイング
7月24日に行われた第2回研究懇話会は、秋田県の3つの公立大学が連携し、県内の森林価値を再定義する研究プロジェクトに取り組む熊谷嘉隆氏から話題提供が行われた。
熊谷嘉隆(国際教養大学理事・副学長・教授)
日本一高齢化率の高い秋田県で、森を活用して医療費2割減を目指す
私が勤める国際教養大学と秋田県立大学、秋田公立美術大学の3大学が連携し、2024年から10年間、科学技術振興機構による「共創の場形成支援プログラム」本格型プロジェクト「森の価値変換を通じた、自律的な豊かさの実現拠点」を秋田県で実施している。
予算は年間2億円で、この前に採択された本事業の2年間の育成型の期間を合わせると12年の長期に及ぶ。ゼロベースから森の価値の再定義を行い、新たな製品やサービスの創出を考える取り組みで、国際教養大学はターゲットの一つ「森の空間的活用を通じたウェルビーイングの追求」を担っている。
取り組みに至った問題意識は、日本全体の平均寿命と健康寿命に約10年の乖離があり、要介護認定者や認知症患者数が増加している事実がある。これらに伴う日本の健康保険制度の持続可能性、要介護世帯の財政的・心理的負担増、介護人材の慢性的不足、介護の心理的ストレスによる休・離職者数の増加なども懸念材料に挙げられる。
長寿化に伴い、快活で健やかに生きるには、今後は疾病後の対応よりも予防をどうするかが問われる状況にある。日本の国土の6割以上を占める森と、日常生活間の心理的・物理的距離を縮めることでウェルビーイングの向上を図ることは個人のみならず、家族、社会にとっても必要と考えられる。秋田県は高齢化率日本一と全国に先駆けて高齢化が進行する地域だが、本プロジェクトでは県内の豊かな森を活用して「未病」から健康に取り組むことで、県内の家庭及び自治体の医療費を20%削減することを目指している。
森林浴の医学的効果を裏付ける定量的データを長期的に収集
森林をウェルビーイングにつなげる取り組みを振り返ると、1982年に林野庁長官によって「森林浴」が提唱され、2004年には科学的なエビデンスに裏付けられた森林浴として「森林セラピー®」が生まれた。これは、森林の持つ植物由来の刺激が生理的リラックス状態をもたらすことで免疫機能を向上させ、病気になりにくい体にするという予防医学の視点を重視した概念である。(図1)

2005年に森林セラピー実行委員会が設置され、森林セラピー基地や森林セラピーロード®の認定事業が始まった。現在、全国で64か所がNPO法人森林セラピーソサエティにより認定されている。本事業は将来的に県内20〜30か所の森での展開を考えているが、森林セラピー認定事業には依らず、県の農林水産部と独自の取り組みをする方向で協議している。
森林浴により、血圧低下やストレスホルモンの減少、NK細胞の活性化により免疫力が高まり1か月後まで持続するなどの効果がわかっている。注目すべきは針葉樹が放出するαピネン、リモネン、サビネンなどのテルペン類が認知症予防に役立つという臨床的事実だ。これらを裏付ける定量的データの収集は今後の課題で、今回のプロジェクトでは県内3大学にとどまらず医学系研究者との連携を模索し、大規模な疫学的調査などを10年かけて行いたいと考えている。
気軽に歩ける森づくりには定期的な整備・維持の仕組みが不可欠
2023年に行われた内閣府世論調査の「日常生活の中で、森林でどのようなことを行いたいか」という設問に対し、「心身の健康づくりのための森林内の散策やウォーキング」という回答が70%と最も多かった。その一方で「ここ1年くらいの間に、何回くらい森林に行ったか」に対する回答は「1〜2回」が22・5%、「行っていない」が47・4%にとどまった。健康にいいとわかっているが、日常的に森に行く人は多くないことがわかる。
今回のプロジェクトでは、特別なウェアやシューズなどは着用せず、秋田県民が週に数回、日常的に近くの森に行ける文化の醸成を目指す。そのためには、都市公園や身近な里山を利用した森林トレイルを県内にたくさん整備する必要がある。
日常の延長で行ける森林トレイルについては昨年、海外で実地調査を行った。モンタナ州ミズーラ市のラトルスネーク国立レクリエーション地域のトレイルは道幅3mと広く整備され、多くの人がまさに日常生活の延長線上で、特別な装備もせずに歩いていた。
またオレゴン州ポートランドには市内から車で15分の場所に街の喧騒から隔離された巨大な森林公園があり、ここも気軽に歩ける遊歩道が整備され、アメリカでは気軽に森を歩く文化が根付いていると感じた。
さらにドイツでのシュバルツバルトには初心者から上級者まで多様なレベルに向けた森林トレイルが多く整備され、難易度と距離が一目でわかる標識が立っている。見通しもよく、下草の処理、間伐・枝打ちがしっかり行われていた。聞けば、トレイルを管理する巨大NPOがあり、比較的裕福な高齢男性が多く参加し、お金も時間も供出してトレイルの維持に努めているという。
秋田及び日本でこのようなトレイルづくりを実現するためには以下の課題があると考えられる。特に問題は誰がどうメンテナンスするかで、定期的なトレイル整備の仕組みづくりが課題と言える。(図2)

森を活用した民間企業のプログラムで離職者が激減した例も
林野庁では健康・観光・教育等の様々な分野で森林空間を活用した体験などの森林サービスを推進している。これを受けて様々な民間企業が、森を活用したプログラムを実施しており、その大半が「心と体の健康づくり」を主目的としている。
TDKラムダは一時期離職者が増加したが、こうした森のプログラム導入により離職者が激減したと聞いている。(図3)

我々が着目しているのが、病気を治すのではなく未然に防ぐことに力点を置いている「クアオルト®」で、山形県が熱心に推進している。ドイツではこのような健康促進プログラムへの参加に対し、健康保険が適用できる制度が整備されており、日本でも将来的には特区などを設けて導入推進したいと考えている。
ドイツのアウディ本社は、以前から森を活用したクアオルト®を導入し、費用対効果を計算している。導入によって従業員の創造性や生産性がどれだけ向上したか、疾病率が下がったか、長年にわたってデータを取っており、クアオルト®に投資しても、3分の1のコストで生産性が上がったというデータを出している。このような定量的なエビデンスは説得力があるので、日本でも取り組む必要があると思っている。(図4)

トレイルの整備には秋田県の森林環境税を活用
改めて、我々が秋田県で今後10年間かけて取り組むプロジェクトのポイントを下記に挙げた。「森林浴プログラム」については、クアオルト®にシフトしようと考えている。年齢や性別、歩く季節や健康状態に合わせて選べるよう、トレイルのバリエーションを整備し、一目瞭然でわかるよう、秋田県と協議をしている。(図5)
以下は今年度の取り組みで、「水と緑の森づくり基金」は秋田県が2008年に導入した「秋田県水と緑の森づくり税」を原資としている。私はこの基金の運営委員会の座長を15年ほど務めており、トレイル整備事業に直接・間接的に関わる事業を既に行っている。
研究は大学で行うが、トレイルに関するハード・ソフト面の整備はこの基金を活用して行う見通しだ。本「森と健康事業」では国際教養大学が開発したウェアラブルデバイスを活用し、学生を対象に森と健康の相関関係について予備調査を開始する。また、東北医科薬科大学と連携しつつ本学の試験林で森の香気成分の分析調査を行うほか、改めてドイツのクアオルト®、シュバルツバルトについて詳しく事例調査を行う。このプロジェクトでは3大学にとどまらず、多様な研究者と連携研究の幅を広げたいと考えている。(図6)

