観光を学ぶということ

ゼミを通して見る大学の今

第26回 立教大学 観光学部交流文化学科

千住ゼミ

「映えない」ゼミを運営し続ける拘り


千住 一(せんじゅ・はじめ)
立教大学観光学部交流文化学科教授。1999年、立教大学社会学部観光学科卒業。
2005年、立教大学大学院観光学研究科博士課程後期課程満期退学。
2007年、博士(観光学)。専門は近代日本を対象とした観光歴史学。近著に、『帝国日本の観光』(共編、日本経済評論社、2022年)、『都市と文化のメディア論』(分担執筆、ナカニシヤ出版、2024年)、『鉄道百五十年史 第二巻』(項目執筆、交通協力会、2025年)。

はじめに

 何とも「映えない」ゼミである。観光学部でありながら、地域や企業との共同プロジェクトに取り組むわけでもなく、行政への政策提言や観光地でのフィールドワークも行わず、ただ淡々と教室で歴史と観光の関係について考え続ける。結果、国内外での合宿を含めた学外活動を重視しているゼミや、観光にかかわるステークホルダーとの連携事業をテーマにしているゼミには毎年10名以上の入ゼミ生が集まるなか、私のゼミは3学年を合計しても10名を超えることがほとんどない。いわゆる不人気ゼミである。
 具体的な話に入る前に、立教大学観光学部におけるゼミの位置付けを概観しておきたい。まず前提として、ゼミと卒業論文は必修科目でない。要は、卒業要件と無関係なのである。そして、ゼミは2年次の春学期から始まる。そのため1年次の秋学期になるとゼミの説明会や相談会が始まり、書類選考や面接などを経て、1年次が終わるまでには所属ゼミが決定している。こうして2年次、3年次とゼミ活動を行い(正式な科目名称は「演習」)、4年次になると卒業論文の執筆を目指す(正式な科目名称は「卒業研究指導」)。
 以上は2025年度時点での状況であるが、この仕組みはずいぶんと長い間維持されているようである。いつから始まったのか定かでないが、少なくとも私が観光学部の前身である社会学部観光学科に在学していた頃から基本的なことは変わっていない(選考スケジュールや科目名は変更されているが)。なお、現時点での学部定員は1学年あたり370名(観光学科195名、交流文化学科175名)であるが、学生は異なる学科の教員が担当するゼミを履修することもできる。

ゼミの概要

 前置きが長くなったが、私のゼミにおける取り組みを紹介しよう。前述したとおり、秋学期になると1年次生向けにゼミ説明を行うが、そこでは、「歴史」という観点から観光について考えるのがゼミの根幹であることと、ここでいう「歴史」には以下の3つの視点が内包されていることを解説する。第一が、かつて観光はどのような様態を伴っていたのだろうか、という視点。
第二が、かつての観光のありようは現在の観光とどのように連続あるいは不連続しているのだろうか、という視点。
第三が、こんにちの観光において歴史的な出来事はどのようなかたちで資源化しているのだろうか、という視点である。換言するならば、「過去」、「過去から現在」、「現在」という3つの視点に立脚しながら、歴史と観光の関係についての多面的で立体的な理解を深めるゼミである、と。
 続いて、3学年にわたるゼミでの学習計画を提示する。2年次と3年次は私が指定したテーマにもとづいて学習を進め、2年次ではテーマに沿った課題図書を講読し、それについてのディスカッションを行う。3年次ではテーマに沿った個別研究を進め、各自が論文というかたちで2年間の成果をまとめる。そして4年次では、それまで指定されてきたテーマからは自由となり、自らの知的好奇心にしたがって構想された卒業論文を執筆する、という段階的な取り組みである。
 こうしたゼミ説明に対する学生の反応が芳しくないのは既述のとおりである。私の説明が稚拙であることはさておき、その理由として以下の3点があると考えている。第一が、高校までに培われてきた「歴史アレルギー」である。歴史といえば年号や人名を暗記するだけの役に立たない学問、という固定観念は学生のあいだで根強い。第二が、卒業論文が学習計画に組み込まれている点である。卒業論文執筆に対する心理的ハードルは、教員が想定するよりも高く設定されている。そして第三が、「映えない」ことである。文献講読、ディスカッション、論文執筆と、そこにSNSに投稿して友人に自慢できるような場面は存在しない。

2年ゼミ

 2年ゼミのねらいは、「文献を読む」ことと「ディスカッションをする」ことにある。
前者については、これまで慣れ親しんできた小説や評論とは異なるジャンルが存在することを知ってもらうことから始める。
そしてそこで強調するのは、「疑いながら読む」ことの重要性である。
文献に書かれていることは信用に値するのか、著者は何を根拠にそのような主張をしているのか、別の事例でも同じことが言えるのだろうか、文献で指摘されていないことを調べてみたらこんなことが分かったなど、いわゆる「批判的読書」の端緒である。
 後者については、自分とは異なる意見を持つ相手の論破を目的とした「ディベート」ではないことを徹底する。つまりそこで目指されるのは、まず、文献を読んで得た自分の見解を自分のことばで他人に説明してみる。次いで、他人の口から語られる自分とは異なる意見に耳を傾けてみる。そして、自分の意見と他人の意見をすりあわせながら、自分にとって腑に落ちる見解に練り上げてみる、という試行錯誤のプロセスである。言語を媒介とした「自己の相対化」の訓練としてもよいかもしれない。
 いずれにしても2年ゼミの主眼は、教科書に書かれていることはすべて正しい、自分の意見を主張するのは控えた方がよいなどといった、多くの学生が高校までに刷り込まれてきた教育の枠組みを取り払うことにある。そして、文献講読に関しては、報告担当者を決めずに毎回全員が該当箇所を読んでレジュメを作成し、ディスカッションに関しては、そのレジュメの解説から始まることもあって毎回必ず全員が発言する。こうした取り組みを、1年間ただただ繰り返す。
 表1は、過去5年間のテーマと課題図書の一覧である。基本的に時宜にかなったテーマを設定したいと考えているが、他方で関連書籍や既存研究の充実ぶりにも目を配る必要がある。また、学生にとって身近で行こうと思えばすぐ行けるという理由から「東京」をテーマにすることが多くなっているが、そろそろネタ切れでもある。いずれにしても課題図書は学術色の強い新書を中心に選択しているが、学生からの反応は悪くない。ディスカッションは基本的に学生だけで進行され、私は出てこなかった論点とまとめを最後に15分程度話すだけである。

3年ゼミ

 3年ゼミのねらいは「論文を書く」ことにあるが、ここで私が最も重視しているのは、「自分で決める」ことである。先述したとおり、テーマは指定されているものの、個別に取り組む研究の「問い」は学生自身が模索することになる。換言すれば、自分で問いを立てるには、どのような材料をどの程度いつまでに集める必要があるのかを、ひととおり経験してもらうのである。ちなみに、かつては個別研究ではなくグループ研究を行っていた。グループ研究は共同作業という点において得るものも多いが、一方で他の学生に依存する者が必ず発生する。その弊害に鑑みて現在は個別研究に落ち着いているが、他ゼミと比較して履修者が少ないゆえに可能な取り組みかもしれない。
 ゼミの進行はシビアだ。基本的に毎週1コマ(100分)がひとりの学生に与えられ、春学期は論文の方向性を確定させるべく研究の進捗報告と質疑応答を繰り返し、秋学期は論文を完成させるべく提出された原稿を声に出して読み、推敲を重ねていく。半期は14コマで構成されるので、年によってばらつきはあるものの、概ね半期で3〜4回はこれらの作業を経験することになる。特に秋学期の工程は、他の講義で課せられるレポートではなおざりにされる作業の連続であるが、自分で書いた文章を声に出して読み、時間をおいてから再び見直し、納得がいくまで赤字を入れていくというプロセスは、まさに自分自身と向き合っていくことと等しい。
 こうして書かれた論文は「成果報告書」にまとめられ製本される。近年の傾向としては、先に提示した「過去から現在」に着目する第二の視点に立脚した論文が最も多く、「現在」に着目する第三の視点がそれに次ぐ。そして、報告書の表紙も特集タイトルも、すべて学生が決める。2年間にわたるゼミ活動はこのようなかたちで結実し、学生は学習の成果をまさに手に取るわけであるが、仄聞するに、就職活動の際に持参すると頗る反応がよいらしい。
成果報告書の意図せぬ使い道である。

4年ゼミ

 ここまで来れば教員としてやることは特にない。卒業論文ではこれについて書きたいです、という学生のプレゼンを聞いて簡単にコメントするだけである。すでに述べたように、それまで設定されていたテーマからは自由になるが、ある学生は3年次に執筆した論文の続きに取り組み、ある学生はまったく異なる題材に挑戦する。そこで私が気をつけているのは、ゼミの基本理念である歴史と観光の関係をめぐる3つの視点のいずれかに立脚するよう目配りをすること、好きなことを書きなさいと言い続けること、学生が持ってきたテーマを一緒に面白がることくらいだろうか。
 それにしても4年次ともなると、毎年その着眼点に唸らせられる。私が知らない事象であるのはもちろん、既存研究で十分に検討されていないテーマを探し出してきては、未見の史料を提示してくる。こうした「発見」は、近年におけるオンラインデータベースのめざましい充実と発展に支えられていようが、それと同時に、インターネット経由ではアクセスできない文献や史料も膨大に存在することを学生に伝える必要がある。いずれにしても4年ゼミは、私が研究者として学生に対峙できる貴重な時間であるとともに、学生からの多くの示唆に満ちた幸せな空間でもある。
 表2は、過去5年間に提出された卒業論文の題目一覧である。題目だけ見ると歴史と距離があるように思えるものもあるが、すべての論文において考察対象がたどった歴史的変遷がきちんと整理され、その知見を踏まえた議論が丁寧に展開されている。歴史と観光の関係という一見すると退屈な視点であるが、その解釈は多様でまだまだ発展可能な余白を有する領域であることを、毎度学生に教えられている。

 さて、昨年度のことである。
ある学生が韓国・ソウルにある観光地の形成過程を明らかにした。その際に大きな手がかりとなったのが、現地の博物館で接した展示だったという。というわけで4年次生全員(といっても3名だけだが)と卒業式前の2月末にソウルへ赴き、学生の案内で現地を歩きまわり、博物館でその展示を実見した。卒業論文は観光学部における学修の集大成として書かれるもの、というのが従来の私の立場であったが、執筆後に現地を訪れたからこそ得られる教育的効果もあることを実感した。今後のゼミのあり方を再考するきっかけになるかもしれない出来事である。

おわりに

 多くの学生から支持されないにもかかわらず、「歴史」を前面に押し出したゼミを観光学部で開講し続ける意義は何であろうか。あるいは、観光学部の教員として私は何に拘ってゼミを運営しているのだろうか。ひとつは観光学の多様性を維持するためである。言うまでもなく、観光学は学際性によってその知的活動が担保されている。つまり、たとえ希望する学生がごくわずかであっても、歴史に興味を持つ学生が存在する限りはゼミを開講する義務があると考える。特に観光学において、「○○するべき」とか「○○したほうが合理的だ」といった指向性から距離をおいた考え方を学生に向けて提示することは、極めて重要である。
 もうひとつは、きちんと文献を読み込み、意見の異なる他者と交わり、自らの主張の根拠となるデータを探し出し、自分で問いを立てそれに対する答えを導き出せる人材の育成を大学の使命とするならば、歴史はそのための非常に有効なツールであると考えるからである。歴史と観光の関係という視点にもとづきながら、これまで述べてきた一連の作業をゼミで繰り返し経験し、多くの学生が「パフォーマンスが悪い」として忌避する卒業論文に真摯に取り組むことで、たとえ卒業後に観光とは縁遠い業界に身を置くことになったとしても、そこで十分に渡り合えるだけの基礎力は身についているはずだ。
 私のゼミでは、毎年卒業生を呼んで報告会を行っている。時には3年次生の論文構想に、時には4年次生の卒業論文に対して鋭い指摘を投げかけるが、卒業生のそうした姿に触れるたびにゼミ運営のあり方が間違っていなかったことを実感する。卒業生の多くが観光とは無関係の職種に就いているものの、大学を離れた後もさらなる研鑽を積み続け、観光について考えることや観光という切り口から社会を理解しようとする試みを止めていない。こうしたマインドを持つ卒業生をひとりでも多く輩出すること。これが「映えない」ゼミを運営し続ける私の拘りである。
 ところで、3年ゼミが始まると学生が足繁く通うようになる場所がある。
国立国会図書館と旅の図書館である。
私のゼミの活動は、これらの「聖地」抜きには成立し得ない。