観光を学ぶということ
ゼミを通して見る大学の今
第5回 関西学院大学文学部・地理学地域文化学専修

荒山正彦(あらやままさひこ)
関西学院大学文学部教授。 大阪大学文学部助手などを経て現職。 専門は人文地理学、旅行の文化史。 近代期の旅行案内書55点を復刻した企画『シリーズ明治大正の旅行
旅行案内書集成』全26巻(ゆまに書房、2013〜2015年)と、ジャパン・ツーリスト・ビューローの機関雑誌『ツーリスト』全号復刻(ゆまに書房、2017年〜2022年完結予定)の監修を行っている。
近著として『近代日本の旅行案内書図録』(創元社、2018年)。

荒山ゼミ
「現在目の前にある観光は、必ず歴史の地層を持っている」
「その積み重なりを掘り起こしてみることも、大学で観光を学ぶための確かな方法であろう」

1 文学部で観光を学ぶ視点
関西学院大学には、観光を冠した学部や学科・コースはなく、観光の研究者は複数の学部に所属しており、それぞれのゼミ(演習)では学部の特徴を活かした教育が行われている。
筆者は、文学部地理学地域文化学専修の教員として、観光の文化的な面を学ぶゼミを開講している。一学年あたりのゼミの学生数はおよそ10名と、それほど大きな規模ではない。
文学部には地理学のほかに、哲学、美学、歴史学、文学、語学、心理学などの学問領域が同居している。こうした学際的な学部環境のなかで、観光を学ぶ視点はどこにあるのか。社会科学とは異なる人文科学としての観光研究とは如何なるものなのか。このことを筆者なりに考え、試行錯誤を繰り返しつつ、ここ数年は、観光に関わる歴史的な資料を読むこと、古書資料のなかに過去にあった観光の姿をみつけだすことにこだわってきた。
また、「観光」のかわりに「旅行」という言葉を使い、ゼミでは「旅行の文化史」をテーマとして掲げてきた。ここではそうしたゼミでの取り組みの一端を紹介してみたい。

2 古書資料を通して旅行の文化史を考えてみる
2019年度の三年生を対象としたゼミでは、ゼミ生各自がそれぞれ一点、一枚ものの古書資料を手にして、その内容を読み解き、分析と考察を行った。
古書の資料として用意したのは、旅行案内のリーフレット(ブローシャー)である。
旅行案内のリーフレットとは、折帖や折りたたみにされた一枚もので、イラスト、地図、鳥瞰図、写真などの画像と、旅行地を案内する文章が書かれている。古書店業界では「ぺらもの」、図書館や資料館などでは「エフェメラ」と呼ばれるようである。日本では、1920年代から30年代の大正後期から昭和初期にかけて数多く発行されたと考えられる。
ゼミ生たちは、それぞれが担当するリーフレットの内容を読み、画像と文章を分析するためにさまざまな文献資料を調べた。たとえば同時代の旅行の状況を客観的に知るための資料として、日本全国を網羅した旅行案内書である鉄道省編『日本案内記』全8 巻(1929・昭和4年〜1936・昭和11年)と、ジャパン・ツーリスト・ビューロー編『旅程と費用概算』(1920・大正9年〜)を参照した。
また、担当資料と同じ地域を対象とした他のリーフレットをウェブ上で調べ比較したり、リーフレットには発行年次が記されていないこともしばしばあるため、およその発行年について「状況証拠」を並べながら推測した。

3 ゼミ生によるリーフレットの分析と考察
10名のゼミ生が担当したリーフレットは、九州地方(4点)、瀬戸内海と中四国地方(4点)、関西地方(2点)と、関西の学生たちにも馴染みのある場所のものとした。なお、今回の分析の経験を踏まえて、主に東日本の旅行案内のリーフレットに関する分析と考察を、夏休みの宿題としたことを付記しておきたい。
以下にゼミ生によるリーフレット分析の一端を、リーフレットの書影画像とともに紹介したい。本文には適宜筆者が加筆修正をした。

●遊覧の鹿児島

鹿児島市役所内観光係によって発行されたリーフレットで、表紙にはこの時代の特産品である桜島大根と柑橘類を持つ女性の姿が描かれている。
リーフレットの中には「市内案内図」が掲載され、市内44ヶ所の遊覧地が記されている。この市内案内図などからリーフレットのおよその発行年代がわかった。
リーフレットには遊覧地のひとつとして、「商工奨励館」が記されているが、これは1932(昭和7)年に鹿児島県商品陳列所から鹿児島県商工奨励館へと改称されたものである。また鹿児島を代表する人物、西郷隆盛に関連する遊覧地が7 ヶ所記されているが、1937(昭和12)年に設置された西郷隆盛像の記述がみられない。これらのことから、このリーフレットは1932(昭和7)年から1937(昭和12)年の間に発行されたと考えられる。
またリーフレットには、お土産品としてボタンアメや焼酎、大島紬などがあげられており、現在のガイドブックのお土産リストと比べてもあまり差の
ないことがわかった。
さらに、「皇紀二千六百年 鹿児島」と題された別のリーフレットを調べたところ、1937(昭和12)年に完成した軍服姿の西郷隆盛像の写真が表紙に大きく掲載され、タイトルからは「遊覧」という言葉とともに特産品のイラストもなくなった。
皇紀二千六百年、すなわち1940(昭和15)年には、娯楽としての観光旅行という雰囲気が薄れていたことを2枚のリーフレットの比較を通してみつ
けることができた。(牧田梨紗)

●福岡市と近郊

1930年代後半から1940年の間に出版されたリーフレットである。
福岡市内と近郊をめぐる遊覧バス案内や、現在でもよく知られている博多織、博多人形などが名産品として紹介されている。
福岡市近郊には近世からの名所地である太宰府天満宮があり、リーフレットにも記されている。太宰府天満宮へのアクセスの歴史を調べてみると、1902(明治35)年に太宰府馬車鉄道が開通し、1913(大正2)年には馬車から蒸気機関車へと変わったことがわかった。この路線は後に九州鉄道と合併し、福岡市内からの直通電車が走るようになった。こうした交通機関の発達によって、次第に多くの人が太宰府天満宮を訪れるようになった。
福岡市内と近郊の観光の基礎は、このリーフレットが発行された80年前にはすでに完成していたと考えられる。(山田紗友美)

●栃木温泉 阿蘇登山

阿蘇山麓の栃木温泉にある小山旅館のリーフレットである。1927(昭和2)年6月14日に出版されたことが記されていた。またリーフレットの印刷は、熊本県から遠く離れた神戸市の三精堂印刷所で行われた。
リーフレットによると、この当時、小山旅館には200あまりの客室があり、春は桜、秋は紅葉の名所として多くの旅行客が訪れた。西郷隆盛や与謝野晶子、ヘレン・ケラー、そして亡命中の孫文も滞在したようである。
リーフレットには旅館を含めた鳥瞰図があり、「鮎返りの滝」に面した旅館の建物、そして旅館から阿蘇へと通じる登山道が描かれ、登山道の途中には「小山旅館特設休憩所」と「小山旅館山上出張所」が描かれている。小山旅館では、阿蘇登山の順路の案内やサポートが行われていたようである。
この小山旅館は、近年までは確実に営業していたと考えられるが、現在の状況はよくわからない。(岡本真依)

●紀元二千六百年に輝く聖地日向

日向観光協会によって1940(昭和15)年に発行されたリーフレットで、神武天皇東征遍路にゆかりのある名所を中心とした案内がされている。宮崎県は皇祖発祥の地とされ、聖地巡礼を目的とした旅行者を集めていた。
リーフレットには鳥瞰図があり、中央にはこの年に竣工した「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が描かれ、「天孫降臨」と「皇祖発祥」が図の主題になっている。しかし、渓谷などの自然の風景や温泉などの娯楽施設も記されており、聖地巡礼といいながらも、遊覧の要素が見え隠れしているところにこの時代の観光の特徴があるように思われる。(和田林槙子)

●出雲大社御案内

このリーフレットは、東京の日本名所図会社によって作成され、出雲大社前で現在も営業を続ける竹野屋旅館によって発行された。
このリーフレットの特徴は「書簡図絵」と記されているように、通信欄が設けられていることである。ここに出雲大社での思い出などを書き、切手を
貼って投函することができる。
またリーフレットには金子常光によって描かれた鳥瞰図があり、出雲大社を中心にして、遠く下関や朝鮮まで描き込まれている。作者の金子常光は、かつては吉田初三郎の弟子であったが、1922(大正11)年に小山吉三が「日本名所図会社」を設立すると、初三郎のもとを離れ、日本名所図会社に合流して多くの鳥瞰図を残した。(荻野隼宏)

●讃岐遊覧案内

1934(昭和9)年2月に大阪商船会社によって発行されたリーフレットで、表紙と地図にはイラストが多用されている。主に京阪神からの旅行客を対象としている。
『旅程と費用概算』によれば、京阪神から屋島や琴平をめぐる3日間の旅程で、旅費は約10円(現在の価格で約2万円)と比較的手頃であった。
リーフレットでは讃岐地方の遊覧地が数多くとりあげられているが、ダンス姿の少女が描かれた塩之江温泉が目にとまった。この時代の塩之江温泉には、宝塚歌劇団と非常によく似た少女歌劇団があった。この歌劇団は二つの組に分かれており、昼と夕方に温泉地の演芸場で公演を行っていたようである。(濱崎哲士)

●土佐航路案内

高知県への航路を運航していた土佐商船会社によって発行されたリーフレットである。表紙には特産品の文旦が描かれていて、女性の着物は土佐紬であると考えられる。
高知県の偉人、坂本龍馬に関する名所が数多く紹介されており、1928(昭和3)年に本山白雲によって制作された坂本龍馬像も、桂浜のみどころとして掲載されている。
『旅程と費用概算』によれば、大阪・神戸を起点とした室戸岬遊覧を含む高知県への5日間の旅程で、およそ30円(現在の価格で約6万円)の旅費であった。(久保拓実)

●恵門の不動 開帳御案内

大阪商船会社、屋島登山ケーブル会社など計9社の後援によって作製されたリーフレットである。恵門(けもん)の不動とは、小豆島八十八ヶ所霊場の一つで、洞窟内には不動明王が祀られている。リーフレットによれば33年ごとに約50日間の御開帳があり、この行事にあわせて作製されたと考えられる。
なお、現在では御開帳は30年に一度となっている。
リーフレットでは、恵門開扉参拝とあわせて源平古戦場の屋島や壇ノ浦、そして高松の栗林公園への遊覧なども宣伝されている。 (西 能克)

●近江八景めぐり

琵琶湖で遊覧船を運航していた太湖汽船会社によって作製されたリーフレットで、本文に皇紀2597の表記があるので出版は1937(昭和12)年
である。
近江八景は、中国湖南省の瀟湘八景に由来する8つの名勝で、鉄道唱歌の東海道篇39番から43番にかけても、近江八景のすべてが登場している。
『日本案内記』と『旅程と費用概算』を参考にすると、運航は3月中旬から10月末頃までの毎日と、それ以外の期間の日曜と休日で、近江八景めぐりの遊覧船は、午前10時から午後3時半までの5時間半におよぶ長い船旅であったことがわかった。
またこの時期、すでに琵琶湖沿岸は近世の風景そのままではなく、失われた風景や、コンクリートなどで再建されたものも存在した。しかし、そうした新しい近代の事物があっても、伝統的な「近江八景めぐり」という旅行スタイルが成立していたのは興味深い。(生越啓人)

●京阪電車 沿線御案内

京阪電車によって発行された沿線案内のリーフレットである。鉄道路線の開通状況から考えると、発行は1930年代半ば頃である。
旅行の案内は滋賀、京都、大阪にまたがり、表紙に10のマークがデザインされているように、寺院、神社、紅葉、名勝、桜、松茸、梅、学校、御陵、経営住宅地がとりあげられている。(山本真愛)

4 おわりに
以上のように、ゼミ生による分析と考察の一端を並べたが、提出されたリポートの全容はここには書ききれなかった。ゼミ生達たち、およそ80〜90年前の資料を手にして、最初は戸惑いながらも、何かを発見し、少しずつ疑問を解いていった。
大学入学当初の学生たちは、観光を勉強することとは、おそらく疑いもなく、現在の観光を対象とするものだと思っていたはずである。しかし、現在目の前にある観光は、必ず歴史の地層を持っている。観光を楽しみ、経験するだけであれば、わざわざ地層を掘り返す必要はないかもしれない。
けれども、過去に使用され、今日にまで残された古書資料=観光の痕跡を通して、われわれは観光の歴史の存在に気づくことができる。その積み重なりを掘り起こしてみることも、大学で観光を学ぶための確かな方法であろうと
考えているのである。
ゼミ生たちはこうして古書資料の存在を知り、使い方を学んだうえで、卒業論文のテーマを考えることになる。観光の事典や年表に記載もなく、全く知らなかった事例をゼミ生の発表から学ぶこともしばしばある。(あらやま まさひこ)