視座

オーバーツーリズム下でのリバランス戦略
―欧州都市を通じて―

公益財団法人日本交通公社
観光研究部 主任研究員
後藤健太郎

1. はじめにオーバーツーリズムへの向き合い方

 本号の特集テーマは「オーバーツーリズム」である。当機関誌『観光文化』にてこの課題を特集テーマとして扱うのは今回が二度目となる。前回扱ったのは2019年1月、オーバーツーリズムが社会問題として認知されていく最中であった。当初、特集テーマを「地域に忍び寄るオーバーツーリズムの脅威」と設定したものの、最終的には「観光客急増で問われる〝地域の意思〞」〔図1〕と変更した。それは、次の理由からであった。
 まず「オーバーツーリズム」特集で事例として扱われることに対する地域が抱く懸念が想像以上に大きかったことである。地域内での議論もままならない中、オーバーツーリズム発生地域としてネガティブな印象が拡散することへの懸念であった。当時、事例地域の方から「如何なる姿勢、意図のもとでオーバーツーリズムを扱い、発信するのか」と厳しく問いただされたことは今でも記憶の深奥に刻まれている。
 とはいえ、特定の地域で問題が生じていたのは確かであった。観光文化の振興を通じた豊かな社会実現を目指す観光研究機関として「オーバーツーリズム」という現象にどのように向き合うのか。問題現象を正確に捉えることは第一歩であるが、問題提起や発信することを超えて、有効な解決策や指針を提示できるのか。急激な成長、過度な成長による痛みを軽減するだけでよいのか。需要獲得の機会を損失している状況も一部に見受けられる中で、「地域は観光を通じて負の影響だけではなく正の影響も受けており、前者だけをある立場から切り出して取り上げるだけでは、本当の解決に至らない」(後藤、2019)というのが当時の姿勢の着地点であった。そこで、前回の特集では、住民の暮らしと観光の共存を模索し続けた地域に焦点を当て、環境変化を経験しながらも議論を重ね、〝地域の意思〞を確立し、行動してきた各地の取り組みを紹介した。それらを通じて、日本の持続可能な観光のあり方を探ることが目的であった。
 あれから約5年の月日が過ぎた。新型コロナウィルス感染症は、観光産業に甚大な打撃を与えた。観光客数は一定程度回復しつつあるが、それだけを以て、新型コロナが観光業に与えた影響が消えた、とするのは時期尚早である。一方で、同時に目を向けなければならないのは、複数年にわたる厳しいコロナ禍において、「観光のあり方」そのものを見直し、オーバーツーリズム対策を積み重ねてきた地域も存在することだ。近年、オーバーツーリズム再燃を耳にする中で、本号では、最適状態を模索しリバランスを図る動きに着目して、欧州都市のオーバーツーリズム対策を取り上げる。欧州は、アジアよりも一早く観光旅行市場が回復している状況にあった。観光客数が従前の水準に戻る中で再燃しているオーバーツーリズムは、コロナ禍前と同じなのか否か※1。「観光客がいなければ、街のバランスも崩れてしまいます」(Amsterdam & Partners,2020)という言葉は、コロナ禍による観光需要の激減がもたらした新たな認識を示唆している。我が国に目を向けると、オーバーツーリズムの影響が顕在化している地域だけでなく、未然防止を目的とした取り組みが各地で展開されている。観光による正と負の影響を冷静かつ総合的に捉えようとする姿勢が育まれつつある。こうした時期に、我が国の持続可能な地域に資する観光のあり方、取組を捉え直す新たな視野、枠組みを提示しておきたい。

2. 欧州都市のオーバーツーリズムと都市観光

 本特集では、欧州都市に焦点を当てた。オーバーツーリズムの影響が都市部で深刻であることは従前から報告されているが、同時にオーバーツーリズム以上の議論の必要性として、「持続可能な都市観光(Urban Tourism )」に関する議論がなされている。都市化が進展する中で、他の観光形態と比べて都市観光が急速に増加していること。都市は多機能性ゆえ訪問者の動機や体験が様々で同時に実現できるが、観光客と住民のニーズ等が交差するにつれ、観光客による負荷は都市のバランスを崩し、市生活の質を低下させるおそれがある(Aall et al.,2019)。今回、特集記事を寄稿いただいたボルグ氏は、編著者として都市観光に関する図書『A Research Agendaf or UrbanTourism』(2022)を発行している。また、ボルグ氏を紹介していただいたインホラント応用科学大学では、2020年に「New Urban Tourism」を扱う研究グループが設置された。持続可能かつ回復力のある方法で都市観光を再建するにはどうすればよいかが今求められている(Koens, 2020)。
 本特集では、欧州における代表的な観光都市であるヴェネツィア、ローマ、バルセロナ等を対象にした。そして、欧州に居住または居住経験を有する三名の学識経験者に寄稿いただいた。日本から座して見るのではなく、欧州から見てみようという趣旨である(アムステルダムについては、前号『観光文化』264号「特集 世界の観光ダイナミズム2 0 2 4」で現地視察結果を報告)。また、都市の観光収容力(Tourism Carrying Capacity)については、我が国では研究の蓄積が十分ではない。そこで、巻頭言は、自然公園の環境収容力を専門とされる熊谷氏にご寄稿いただいた。以降では、まず特集記事から各地の状況等を振り返る。
【特集1】成功を乗り越えて:ヴェネツィアの教訓
 ボルグ氏は、継続的に内在する持続不可能性は、観光という商品の本質に起因する直接的な結果と述べる。
地理的環境に固有で再生産が不可能かつ希少な公共財である観光資源は、その配分を市場原理のみに委ねると、最適な配分にならないからである。
観光資源の非最適な配分は、オーバーツーリズムのみによって生じるものではなく、アンダーツーリズム(観光の活用不足)でも顕在化する。オーバーツーリズムに関する単純化された分析は、持続不可能な観光開発の要因を見えにくし、問題の本質的な理解を妨げるとされる。
 ヴェネツィアについては、観光の強度(Intensity)と観光収容力(TCC)の解析結果から、既に指標を大幅に上回っていること。現在、観光の需要と供給の量的及び質的な不均衡状態にあり、受け入れ側の負担やコストが恩恵を大きく上回り、恩恵の大部分は、観光産業に集中している状態にあること。観光が主要産業である当地では、経済的、社会的発展のための戦略に観光は不可欠な要素であり、観光は多様な生活側面と相互作用することから、観光戦略も強く全体戦略に統合される必要があるという。また、成功による弊害を抑えるため、観光地は環境負荷(フットプリント)と質を重視したモデルへ転換し、地域社会を基盤とした政策へと見直す必要があるとのことである。
【特集2】イタリアにおける観光と生活をめぐる現状と雑感
 佐野氏は、ローマという観光地に住んで感じた住宅事情の厳しさや、連日、深夜にまで及ぶ屋外飲食の騒音による迷惑等を伝えた。街が市民と観光客の笑顔で溢れ、人々で賑う一方で、ある調査結果から多くのイタリア人がオーバーツーリズムに関心を持っていること。また、家屋をめぐる観光客と住民によるせめぎ合いの最前線として、住まいを追い出された住民の目に見える抗議が即座に撤去されている状況と、中心市街地の周縁部でその痕跡が発見される状況を報告いただいた。
 イタリアのオーバーツーリズム対策は始動期にあり、問題の内容と範囲を明確にすること。住民の生活の質の低下や観光客の体験の質の低下に対応するため、小規模な政策集団による柔軟な対策が求められるとのことである。イタリアでは、国家よりも各自治体が前衛的であり、例えば、チンクエテッレでは観光客数を制限する方法が導入された。ただ、その妥当性については今後の議論と検証が必要であり、また、パラメータや閾値の設定が難しい地域も多いと指摘する。オーバーツーリズムの認識は主観的で、観光の恩恵を受ける人と被害を受ける人が存在する。被害を受ける人の声をすくい上げることが重要であると同時に、観光の恩恵を広く市民に周知することも不可欠である。市民間の対話の場を設け、観光推進か反観光かの二者択一ではなく、対立を乗り越える解決策を探ることが望まれると語る。
【特集3】「観光都市」から「観光とともに生きる都市」へ
―バルセロナにおけるオーバーツーリズム対策の最前線

 阿部氏からは、「観光とともに生きる都市へと脱皮を図るバルセロナの奮闘とジレンマ」を報告いただいた。
 再燃する住民の抗議運動の主題は、混雑やマナー問題ではないという。観光の成長がもたらす公共サービスへの圧迫や地価・家賃、物価の高騰が、住民や商店の入れ替えによる地域コミュニティの変容を招いてしまうこと。観光産業の利益の不当な配分が社会的不平等を拡大していること。そして、住民の危機感は「やがて我がまちバルセロナが誰のものでもなくなってしまう、という都市の存立に関わる意思表示」だと述べる。
 観光マスタープラン(2017)の特徴は、観光に関連する多分野(交通政策、都市計画、地域経済の発展、事業者の責任、宿泊税など)の施策を束ねている点にある。近年は、市長交代という社会情勢の変化の中で、「住民の繁栄と幸福促進」を最優先とし、「他の経済部門の発展を促す持続可能で敬意ある観光経済」を推進する方向にある。
 混雑マネジメントとして、「大混雑エリア」では、交通動線の再整理、事前予約制の強化、空間の市民利用の促進が進められている。宿泊施設の立地コントロールとして「観光宿泊施設特別都市計画」により、用途混在を図り、市民の住む権利を保障するとともに、公共空間での生活を維持し持続可能な経済活動の展開を図る。また、床面積の30%を低家賃の社会住宅に割り当てる都市計画措置も講じている。民泊全廃措置については、違法民泊の急増につながるという指摘があるという。課税については、州の宿泊税に市独自の追加課税を導入し、「観光市民還元基金」として、観光の負の外部性を緩和し、市民の生活改善を図る取組に再投資されているという。
 バルセロナの政策挑戦は、次世代の都市と観光のあり方として「市民の日常生活を維持し、観光によって更に高められ、観光魅力として再生される観光政策」を提示する。

3.リバランスへの道筋

 観光が持続可能性な地域形成に資するものとするためには、観光の持続不可能になる本質を理解することが重要である。その上で、リバランス戦略を考えなければならない。ここでは、まず欧州の持続可能な観光とオーバーツーリズムに関する近年の動向を概観した後(3‐1)、ボルグ氏から紹介いただいた「ドーナツ経済」をもとに、地域全体戦略に観光を位置づける上での俯瞰的な視野、視点について述べる(3‐2)。さらにバランスの検討、是正に向けて、観光戦略に落とし込むための視点をとりまとめる(3‐3)。

3-1 欧州における持続可能な観光

 UNWTO(現UN Tourism)は持続可能な観光という概念を「訪問客、業界、環境および訪問客を受け入れるコミュニティーのニーズに対応しつつ、現在および将来の経済、社会、環境への影響を十分に考慮する観光」(2005)と定義した※2。
 近年の欧州の持続可能な観光政策に関する指針としては、「Transition pathway for tourism 」(欧州委員会、2022)や「欧州観光アジェンダ2030」(欧州連合理事会、2022)といった重要文書が挙げられる。これらの指針は、グリーン化およびデジタル化への移行を一層加速させ、観光エコシステムをより持続可能かつ回復力の高いものへと転換する取り組みを推進している※3。これらの文脈を前提として、ここからは、本特集に関連する内容を断片的ではあるが紹介する。

〇アンバランスな観光の成長に
関する調査研究

 欧州委員会の「観光地レベルでのアンバランスな観光の成長 最終報告書」(2022)によると、「アンバランスな観光」は「オーバーツーリズム」と互換的に使用される一方で、観光による目に見えない影響を含意する用語として説明される。また、オーバーツーリズムは、単なる観光客数の多さに限定されない点や、都市部で発生した比較的新しい現象への批判として捉えられている点がマスツーリズムと異なるとされる。

〇持続可能なEU観光
―明日の観光の形成

 欧州委員会は、2023年にEU観光地の持続可能性とレジリエンス支援のプロジェクトを立ち上げた。ステークホルダーの成長志向の考え方に対しては、経済的利益と社会、文化、環境への影響のバランスが取れていない観光地は、環境の安定性、真正性、住みやすさ、そして、観光地としてのポジティブなイメージや評判を落とすリスクがあると指摘する。

〇持続可能な観光パートナシップ
アクションプラン

 EUの都市アジェンダに基づき2022年12月に発足した「持続可能な観光パートナシップ」は、都市政策における都市観光特有の課題への対応に重点的に取り組んでいる。2024年に作成されたアクションプランは、「環境」「開発」「アンバランスな成長」の3つの主要テーマから考察されたもので、より良い規制、より良い資金調達、より良い知識の3本柱のもと6つのアクションを定めている。

3-2 俯瞰的な視野と視点
―ドーナツ・デスティネーション

『ドーナツ経済(Doughnut Economics)』(2017)は、オックスフォード大学の経済学者ケイト•ラワースが2011年に提唱した理論である。人類の長期的な目標から始めて、バランスの取れた繁栄の道を探るために導きだされたもので、ドーナツのような同心円状の大小二本の輪で人類の持続可能な生活を可視化する。内側の小円(ドーナツの穴)は社会的基盤(Social Foundation )を示し、人々が健全に生活するために必要な最低限の条件を表す。外側の大円(ドーナツの外)は生態学的天井(Ecological Ceiling)を表わし、地球の環境負荷の限界を示す。ドーナツの生地の部分である小円と大円で囲まれる安全な空間を超えることは、経済がバランスを崩していることを意味する(「ドーナツ経済」の詳細説明は今回は省略)。このドーナツ経済を世界で初めて採用したのは、オランダのアムステルダム市である。
2020年には、サーキュラーエコノミー(循環経済)戦略の中核に据える都市像として『Amsterdam City Doughnut』を発表した。そして、この「ドーナツ経済」を観光の文脈に合わせて解釈し、調整したものが欧州観光未来研究所のハルトマンら(2022)による「ドーナツ・デスティネーション(Doughnut Destination )」〔図2〕である。
「ドーナツ・デスティネーション」は、ドーナツ経済の概念とそれに付随する7つの思考法を適用し、観光地マネジメントをより良い方向に再考できるかを探求し、再概念化したものである。
観光地が持続可能な繁栄を図るために、どのようなバランスを考えるべきか視覚的に示したもので、同モデルは、現在の観光の考え方(再生型観光、レジリエンス、トランジション思考、パーパス・エコノミー、環境収容力など)とよく共鳴しているという。

(1)超過と不足を防ぐモデル

 安全な空間内に定位することは、観光地が持続可能に運営されている状態を表す。安全な空間内に留まるために、観光地は、超過や不足を避けながら、4つの要素 ――起業家と従業員の労働環境の質、訪問者の体験の質、住民の生活の質、場所の質(公共スペース、遺産、生態系)――のバランスが取れていることが重要とのことである。安全な空間の外側へ突き抜けた状態「超過(オーバーシュート)」は、観光地が過度に開発され、環境や社会に悪影響を及ぼしている状態を示す。安全な空間の内側へ突き抜けた状態「不足(ショートホール)」は、観光地が必要な社会的基盤の水準を満たしていない状態を示す。安全な空間内に留まるためにその上限と下限、閾値を監視することは、利害関係者に対する早期警告信号と緊急信号として機能する。緊急信号を超えると、目的地のバランスが崩れているため、即時の対応が必要となる。

(2)観光地再構築に向けた7つの思考法

 ラワースは、新しい経済への大転換を促すため、ドーナツモデルとともに全体像を示すための7つの思考法を提示した。それを観光地に応用したものが観光地を再定義する7つの思考法〔表1〕である。「1.目標を変える:手段としての観光」「2.全体像を見る:観光はより大きな全体に組み込まれている」「3.人間性を育む:観光客は合理的な経済人ではない」「4.システムに精通する:観光は動的で複雑なシステムの一部である」「5.観光は再配的である必要がある:観光は全ての人に利益をもたらす」「6.再生のために創造する:観光は再生可能である必要がある」「7.成長にこだわらない:観光の成長は無限ではない」。同研究の内容を確認する限り、まだまだ議論の余地や補完の必要があると思われる。例えば、「1:手段としての観光」については、観光という手段を通じて何を得たいのか、その目的をまず明確に定め、それを検証可能な形で共有する必要がある。同時に、観光客の目的や行動に寄り添えなければ、「安全な空間」に定位するのは難しい。また、その際には、「計画が適切な観光市場を作っていくという発想こそが求められる」(阿部、 2019)だろう。「2:観光はより大きな全体に組み込まれている」については、ボルグ氏は、観光が孤立して存在するものでないことを説いた。持続可能な都市観光の枠組みで捉える上で「オーバーツーリズム以上の議論の必要」となる意味もここにある。
「7:観光の成長は無限ではない」については、具体例としてアムステルダム市の帯域設定(上限2000万人泊、下限1000万人泊)が紹介されている。しかし、現状、上限での措置に対し、下限を下回った場合の対応は見えていない※4。佐野氏は、チンクエテッレの愛の小道で導入されている閾値(観光客数の上限400名)を設定するシステマティックな対策は一つのあり方としながらも、「そのパラメータ設定が問題の本質をついているのか、その閾値が問題解決にとって適切なのか、絶えず議論や検証が必要」と述べる。
また、パラメータや閾値の設定が困難な地域がほとんどではないかと疑問を呈している。
 ラワースによると、そもそも7つの思考法は、具体的な政策や制度を提案するものではないという。「今後直面する変化の速さや大きさ、不確かさを考えるなら、将来の政策や制度を決めてしまうのは無謀」(ケイト・ラワース『ドーナツ経済』黒輪篤嗣訳、 2021、p・48)であり、その意味で思考法の内容は固定的であってはならない。モデルについても同様だ。実装のために、どのように活用していくか。目標に対して常にアップデートしていくことが重要となる。

3-3 実装に向けた視野と視点

 オーバーツーリズムに関しては、我が国においては、国内外の事例を参考にその対策(戦術)は既に一定程度整理されている。類似したものを提示することを避け、ここでは、リバランスに向けた視点から我が国にとって重要と思われる2点に絞って述べる。一つ目はアプローチする対象の拡大、再認識について、二つ目は全体最適に向かうためのシステム思考についてである。

(1)観光政策及びDMMにおけるステークホルダーの関係性
– 住民、従事者の生活の質

 観光政策及びDMM(Destination Marketing and Management)が対象とするステークホルダーの関係性を整理しているのがKagermeier(2022)による〔図3〕である。これはドーナツの断面と見ることもできるだろう※5。観光政策及びDMMは、対象を経済セクターから住民や働く従事者にまで拡げる必要が生じている。一方で、実際は住民は「一括りにはできないほど多様」(真野、2013)であるが、住民はほとんどの場合、同質のグループとしてこれまで扱われていた(Żemła and Szromek, 2024)。
熊谷氏、ボルグ氏、佐野氏からは、住民と言っても一様でないこと、観光の恩恵の受け方も異なり、見方が大きく異なる現実があることが指摘されている。従事者についても同様に均質であることはなく、一括りにできないほど実際は多様であろう。同じグループ内でも、意見や利害はしばしば異なり、矛盾することもある(Gómez and Alfonso, 2019)。観光客と同様に、住民や従事者についてもセグメントし、細やかにアプローチしていくことが今後は求められる。その対応としては、オーナーシップ(ownership)と誇りの醸成につながるかを意識しつつ、①負の影響の軽減の他、②意識の把握と共有、③観光の恩恵等に対する理解促進、④観光に関与・対話する場、仕組みの構築、⑤住民等の利用環境の確保や還元(配分)、⑥住宅政策の6つが挙げられる。我が国は、主に①と④については取り組んできたものの、その他は今後の課題である。

(2)システム思考
-全体最適に向けて

 オーバーツーリズムという複雑な問題の解決にあたっては、単なる表面的な症状に対処するのではなく、問題を深く掘り下げ、その背景や原因に目を向ける必要がある。また、問題現象を特定し、それを分解して個々の要素を捉えることを超えて、各要素の相互作用や影響を総合的に理解するシステム思考が求められる。これにより、短期的な解決策だけでなく、長期的な影響や副作用も考慮した包括的なアプローチを確立することが可能となる。そのためには、持続的な測定と監視を行い、観光キャパシティの最適化や問題の早期検出を目指して、観光データの収集範囲を拡大し、統計基盤を整備することが必要である。欧州委員会(2022a)の指摘の通り、旅行・宿泊に関する基本統計から観光の社会的・環境的・経済的影響に関するデータまで、幅広い情報を網羅することが重要である※6。
 オーバーツーリズム及びその対策による相互作用や影響の一例として、アムステルダム市内においては、宿泊施設が規制された結果、周辺自治体で宿泊施設が増加(ウォーターベッド効果)し、オーバーツーリズムの転移が懸念されるとともに、結局のところ、周辺から日帰りで市内を訪問するため、問題現象がそれほど減少しない、税収が漏出するという指摘が報告されている(五木田、 2025 ; 後藤、 2025)。
ボルク氏は、ヴェネツィアの経験から、観光客向けの宿泊施設の開発に更に厳しい制限をかけることは絶対に避けるべきと述べる。観光業の成長を妨げるのではなく、観光以外の経済活動や観光に代わる活動を促進すること(住宅補助等)が重要だという(Bertocchi et al., 2020)。
 今後は、データに基づく意思決定や行動基準を設けた、システム全体を構築することも検討していかなければならない。オーバーツーリズムの弊害を最小限に抑え、住民と観光客の双方が調和の中で共存できる環境を育む対策の連動が重要だ。

4.おわりにバランスのとれた観光

 オーバーツーリズムがもたらす影響は多面的であり、一朝一夕に解決できるものではない。都市の成長や社会の変化とともに、観光客のニーズの変化を見据えた継続的な投資と、住民の生活舞台である地域への再投資のバランスを見極め、対応することが今後は求められる。本特集では、欧州都市の事例を通じて、オーバーツーリズム下にある地域を持続可能なかたちで再構築するための観光のあり方、バランスのとれた観光の可能性を探った。観光は単独で存在するものではなく、都市の経済、環境、住民生活と密接かつ複雑に関わる。観光による経済効果を最大化するだけではなく、地域社会の課題解決に貢献できるような枠組みが必要である。ドーナツ経済の考え方を参考にしながら、地域全体の戦略の中で観光のバランスを考慮することが、今後の重要な視点となるだろう。本特集で示された知見を活かし、我が国においても、長期的な視野のもと、各地域の特性に応じた柔軟な政策を展開しつつ、観光の恩恵と負担の適切な配分を探りながら、地域の持続可能性を高めていくことが必要である。

【注】
※1…反観光社会運動の高まり回避のため、用語「オーバーツーリズム」の使用を抑制することも提案されているが、同現象が存在しないかのように装うことや意味論にこだわっても問題は解決しない(Cheer and Novelli, 2023)。また、コロナ禍の供給量の減少とその後の需要回復で顕在化した需給バランスによる問題現象全てをオーバーツーリズムと捉えるかは、慎重に判断する必要がある。
※2…経済、社会、環境は、トリプルボトムライン(TBL)と呼ばれ、CSRの分野で著名なジョン・エルキントン氏が1994年に提唱。しかし、同氏は2018年にTBLの形骸化を指摘し、その撤回を表明しつつ、3つのR(Responsibility, Resilience, Regeneration)への移行を提唱。
※3…観光指針の前提として、欧州委員会は、2019年12月に2050年に気候中立の実現等を目指す「欧州グリーンディール」を発表。
※4…解決策による観光客数の減少に伴う経済的なトレードオフが許容されるかどうかは全く別の問題とのこと(Cheer and Novelli, 2023)。
※5…世界観光機関が示すVisitor、Industry、Community、Environment and Cultureを包括的に捉えるVICEモデルもドーナツの断面として捉えられるが、今回は、住民や従事者に焦点を当てることとした。
※6…欧州ツーリズムダッシュボードは2022年10月に一般公開。EUの政策の柱である環境、デジタル、社会経済を指標とする。

【参考文献】
英語文献
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