特集① 観光客の動態を捉える視点と課題

カスタマージャーニーに基づくデータ種別の整理

公益財団法人日本交通公社
観光研究部 主任研究員
蛯澤俊典

1.はじめに

「観光客の動態を捉える」とはどういうことだろうか。この問いを本質的に考えるとき、単に旅行中の移動状況や来訪者数を把握するにとどまらず、観光客の行動・意識・感情の変化を含めた、より包括的な概念へと視野を広げざるを得ない。それは、動態を捉える目的が、単なる事実認識ではなく、より多くの消費を促進し、ターゲットに的確に訴求するためのマーケティング的視点、あるいは持続可能な観光地経営を実現するためのマネジメント的視点と不可分であるためである。
 では、なぜ今このテーマが重要なのか。それは、観光需要の回復と多様化、地域観光戦略の高度化、そしてデータ駆動型政策の潮流が、同時並行的に進行しているからである。コロナ禍を経た現在、観光需要は確実に戻りつつあるが、その構造はかつてと異なり、旅行者のニーズや行動様式は一層多様化している。マーケティングの観点からも、旅行者を一つの大きな集団として扱うことは難しくなり、セグメンテーションは細分化し、精緻なターゲティングが求められている。
 こうした需要の複雑化は、地域観光戦略のあり方にも直結する。かつては観光統計や基本指標を押さえておけば一定の施策立案が可能であったが、今日では旅行者の行動の変化そのものを〝動態〞として捉える視点が求められている。これは、地域資源の選択と集中を進めるうえで不可欠なことであり、限られた財政資源の中で課題の優先順位を設定し、戦略的に施策を実施するためには、まず観光客の実態を可視化し、現状を正確に把握することが必要不可欠である。
 そのためには、「現状の把握 ↓ 課題の抽出 ↓ 施策の実行 ↓ 効果の検証」という一連の流れを通じて、政策の質を高めるPDCAサイクルを機能させることが重要である。こうしたプロセスは、近年注目されているEBPM(Evidence-Based Policy Making /証拠に基づく政策立案)の考え方とも一致する。EBPMの実践においては、データに基づいた課題提起と、データによる施策評価が前提となり、それはまさにデータドリブンな政策運営と言える。
 本稿では、こうした背景を踏まえ、観光における「消費・購買行動=カスタマージャーニー」をフレームとして、観光客の動態を捉えるためのデータ種別の体系化と課題整理を試みる。その際、従来から整備されてきた観光統計指標と、マーケティング施策に直結する旅行者データを明確に区別し、それぞれの役割と限界を踏まえた上で、現場での実践的活用に向けた整理を行いたい。

2.カスタマージャーニーの観光への応用

 観光振興や観光マーケティングを推進するうえで、旅行者の行動や心理の変化を段階的に捉える「カスタマージャーニー」の視点は不可欠である。
とりわけ、旅行前(タビマエ)、旅行中(タビナカ)、旅行後(タビアト)の3つのフェーズに分けて分析することで、情報収集から現地体験、帰宅後の共有・評価に至る一連のプロセスが可視化され、観光地経営や情報発信における重要な判断材料となる。
 観光におけるカスタマージャーニーは、一般的な商品購買行動と異なり、「非日常性が高い」「感情の関与が大きい」「複数の事業者やメディアとの接点が複雑に絡む」といった特徴を持つ。
旅はモノの購入ではなく、時間や空間、体験に対する投資であり、その選択と行動には強い主観性と感情が介在する。また旅行者は、事前にSNSや口コミサイトを活用して情報を収集し、旅先でもリアルタイムで発信を行い、帰宅後には評価を投稿するなど、旅の全期間を通じて「能動的な情報の受発信者」として行動している。
 こうした背景のもと、観光地経営においては、ジャーニー全体を一つの流れとして捉え、それぞれの段階で旅行者にとって最適な情報提供、体験設計、接点の強化を図ることが、満足度の向上やリピーター獲得、さらには地域のブランド価値の構築に直結する。以下では、各フェーズにおける行動とデータの例を簡潔に整理する。

タビマエ(旅行前)
関心
検討
予約

 この段階では、旅行先を「知る」「興味を持つ」「比較・検討する」といった行動が中心になる。旅行者はSNSや動画、検索エンジンを通じて自分に合った情報を収集し、OTA(オンライン旅行代理店)等でプランを比較・検討する。
主な観光客の行動………………………
〇SNS・旅行系サイトでの検索・閲覧
〇OTA(じゃらん、楽天トラベル、るるぶトラベル等)での施設の比較・価格確認
〇キャンペーン・口コミ情報のチェック、ブログ・YouTubeの視聴
主なデータ活用…………………………
〇検索トレンド・閲覧ログの調査、SNS分析、流入経路の分析など

タビナカ(旅行中)
移動
体験
消費

 旅行中の観光客は、現地での移動・食事・観光・宿泊などを通じて観光地との接点を持ち、まさにその場で「体験の質」を評価している。SNSへの投稿やリアルタイムの情報共有行動は、他の旅行者への影響力も持つため、観光地にとっては重要な〝発信のタイミング〞でもある。
主な観光客の行動………………………
〇観光スポットの訪問、施設利用、買い物や飲食
〇地図アプリや乗換案内の活用、移動手段の選択
〇SNSへのリアルタイム投稿、位置情報付きの写真共有
主なデータ活用…………………………
〇GPSログ、Wi‐Fi接続履歴、施設の入退場ログ、SNSへの位置情報付き投稿など

タビアト(旅行後)
共有
評価
再訪

 旅行後は、旅行者が体験を整理し、SNSや口コミサイトに投稿することで記録・評価を行う段階である。
同時に、再訪や次回旅行先の検討が始まることも多く、「ファン化」や「情報の拡散」が期待される重要なフェーズである。
主な観光客の行動………………………
〇SNSや口コミサイトへの投稿、レビューの記入
〇写真や動画の整理とオンラインでの共有
〇次の旅行先の検討、再訪意向の醸成
主なデータ活用…………………………
〇口コミ分析、アンケート回収、再検索ログ、メールマーケティングへの反応など

 このように、カスタマージャーニーを段階的に捉えることで、観光施策の「どこで・誰に・何を届けるべきか」が明確になり、観光地としての施策設計やデータ活用の方向性が具体化する。次章以降では、このフレームに基づき、観光統計指標と旅行者データの役割と限界についての整理を進める。

3.観光統計指標と旅行者データの役割と限界

―補完的な活用による観光理解の深化

 観光に関するデータ活用が高度化・多様化する中で、代表的なデータ源として「観光統計指標」と「旅行者データ(リアルタイムデータ)」の二つがある。両者はその性質・粒度・取得主体・活用場面が大きく異なり、それぞれに強みと限界がある。したがって、片方だけでは観光地経営における戦略構築や施策評価は不十分であり、相互に補完的に活用することで、より立体的かつ実効性のある意思決定が可能となる。

(1)観光統計指標の役割と限界

 観光統計指標とは、国や自治体、研究機関が定期的に実施する調査であり、訪問者数、延べ宿泊者数、観光消費額、満足度などをマクロな視点で把握するための基礎情報である。例えば、観光庁の「宿泊旅行統計調査」や「訪日外国人消費動向調査(現インバウンド消費動向調査)」は、国全体や地域別の需要構造や変化を把握するうえで欠かせないデータである。特に、地域間比較や政策立案の根拠として強い信頼性と代表性を持つ。
主な役割…………………………………
〇地域観光の構造的な把握(誰が、いつ、どこから来ているか)
〇政策立案・予算配分のための根拠
〇時系列での変化の比較(コロナ禍前後など)
限界………………………………………
〇発表までに時間がかかる(速報性に欠ける)
〇粒度が粗い(月単位・都道府県単位など)
〇感情や行動の詳細までは摑めない
 これらの限界により、観光統計指標は「中長期的な傾向」を捉えるためには有効だが、現場での即応的な施策判断には不向きな場面も多い。

(2)旅行者データの役割と限界

 一方、GPS・モバイルアプリ・交通系ICカード・SNS・Wi‐Fiログなどを通じて得られる旅行者データは、個々の旅行者の行動や感情をリアルタイムで把握できるという大きな利点がある。DMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)やAI解析の進化により、これらのデータは単なる「ログ」から、「次の一手」を導くための戦略的インサイトへと転換されつつある。
主な役割…………………………………
〇実際の回遊ルートや滞在時間の可視化
〇SNS分析による観光体験の感情的評価
〇キャンペーン施策の効果測定(即時反応)
限界………………………………………
〇利用者の偏り(特定の属性に偏る可能性)
〇プライバシーへの配慮や同意取得が前提
〇個別データのため地域全体像の理解に必ずしもつながらない
 したがって、旅行者データは「現場での細やかなチューニング」には非常に有効だが、それ単独では政策全体の構想を描くには不十分である。

両者の比較と補完関係(表1)
 以下に、観光統計指標と旅行者データの違いをまとめた。

―相互補完による価値の最大化

 両者は決して対立するものではなく、それぞれの弱点を補い合う形で活用すべきである。例えば、観光統計指標によって「特定の月に来訪者が集中している」ことが分かれば、旅行者データでその時期の回遊ルートや滞在時間を把握し、混雑緩和のための誘導や施設配置の改善につなげることができる。
 このように、「マクロの地図(観光統計統計)」と「ミクロのレンズ(旅行者データ)」の両方を携えることが、データドリブンな観光地経営における本質的な競争力となる。地域の文脈に応じたデータ活用の設計と、分析から行動への橋渡しが今後ますます問われるだろう。

4.カスタマージャーニーに基づく観光データの体系化

(1)観光統計指標と旅行者データ、国内とインバウンドを横断する視点

 カスタマージャーニーに基づいて旅行者への理解を深める際、特に重要となるのが「活用するデータの種別」と「対象旅行者の違い」を適切に捉える視点である。特に対象とする旅行者が「国内旅行者」か「訪日インバウンド旅行者」かによって、使用可能なデータの取得方法・プラットフォーム・精度も大きく異なる。したがって、フェーズ(タビマエ・タビナカ・タビアト)×データ種別×対象者という3軸の整理が、戦略的な観光データ設計の出発点となる。

◇体系整理表(表2)
 これら3つのフェーズ×2種別のデータ×2タイプの旅行者、という形で体系的に整理する。

(2)対象別(国内/インバウンド)の違い

 国内旅行者と訪日インバウンド旅行者では、情報収集のチャネルや使用する言語、旅先での行動傾向、期待される体験の性質が異なる。国内ではスマートフォンや交通系ICカードなどを通じた行動ログが比較的取得しやすい一方、インバウンドでは、FF-Data(訪日外国人流動データ)や翻訳アプリの使用履歴、TripAdvisor・Googleマップなどの多言語レビューが有効なデータとなる。
 また、訪日インバウンド旅行者は国・地域によって嗜好や行動パターンが大きく異なるため、一括りに「外国人旅行者」として扱わず、国別/文化圏別の行動差を前提に分析・設計する視点が求められる。
 このように、観光地域や自治体がカスタマージャーニー分析を行う際には、「対象ごとに使えるデータが異なる」ことを前提とし、それに合わせた収集・可視化・分析の体系化が不可欠である。

(3)観光振興におけるPDCAとデータの融合へ

 カスタマージャーニーを軸にしたデータの体系化は、単に観光客の行動を分析するだけでなく、PDCA(計画・実行・評価・改善)を回すための基盤となる。特に、対象別(国内・インバウンド/若年層・高齢層など)、フェーズ別(タビマエ・タビナカ・タビアト)、データ種別別(定量・定性、リアルタイム・蓄積型など)に整理することで、施策の妥当性や優先順位を明確にし、柔軟かつ継続的な改善につなげることができる。
 たとえば、ある温泉地では、タビマエ段階のSNS広告からタビナカの交通データ、タビアトの口コミ評価までを統合的に収集・可視化。20代女性客の流入が伸び悩んでいる要因を「アクセス情報の分かりにくさ」と特定し、SNS連携型のナビゲーション動画を発信する施策を実施。
その結果、アクセス離脱率が低下し、満足度スコアも上昇した。
 また、ある山岳リゾートでは、欧米豪のインバウンド客を対象に、滞在中の移動データと観光施設での体験アンケートを組み合わせて分析。多くの訪問客が宿泊地から目的地までの移動に不安を感じていることが判明し、英語対応のオンデマンド交通サービスを導入した。結果として滞在満足度が向上し、口コミサイトでの評価も安定して高まった。
 このように、実際のジャーニーに沿った課題の把握と対応が、持続可能な観光地経営のカギとなる。これからの観光地経営においては、こうした多層的・多軸的なデータ活用と改善プロセスの構築が、地域の競争力を高める決定的要素となっていくだろう。

5.観光地経営におけるデータ活用の課題と展望

―分断を超え、持続可能な観光地経営へ

 近年、観光地経営におけるデータ活用は急速に進展している。スマートフォンやSNS、位置情報を把握する技術の普及により、従来は把握困難であった旅行者の行動や感情をリアルタイムで可視化できるようになり、「直感や経験」に依存しない、データに基づく意思決定が現場でも一般化しつつある。

 一方で、データ活用は「持っていれば使える」といった単純なものではない。現実には、技術面・人材面・制度面・文化面にわたる複数の障壁が存在し、それらを解消できなければ、持続的で実効性のあるデータ利活用体制の構築には至らない。

◇データ活用の主要な課題(表3)
 観光地におけるデータ活用の課題は、以下のように大別できる。
 これらの課題は、しばしば複合的に現れる。たとえば、DMPを導入しても、担当部門だけが扱い、現場と連動していなければ効果は限定的である。
また、データは持っていても、可視化・分析・アクションへの反映までが一気通貫になっていない例も多い。
 さらに、制度的支援やDMO(観光協会)の設立といった外部条件が整備されても、地域内での役割分担や運用ルールが曖昧なままでは、データは活用されずに眠ってしまうリスクがある。データ活用の本質は「技術」ではなく、「現場との接続」と「共通言語化」にある。

展望…統合・共創・個別最適の時代へ
 今後の観光地経営において、データ活用の展望として特に重要なのは、以下の3つの方向性である。

(1)データの「統合的活用」へ

 観光統計、GPSログ、SNSデータ、顧客アンケートなど、多様なデータを「ジャーニー」や「ターゲット」に応じて横断的に統合し、意思決定につなげる仕組みの構築が必要である。これには、データ設計力に加え、分析から可視化・運用へとつなげる「翻訳力」が求められる。自治体やDMOは、DMPやBIツール※を活用しながら、現場との情報の循環を意識した仕組みづくりを進めるべきである。

(2)多主体による「共創」へ

 観光データは単独の組織では完結しない。地域住民、宿泊業者、交通事業者、メディアなど多様な関係者が「データを共有する文化」を育むことが前提となる。自治体の持つ構造データと、民間事業者の持つ細粒度の顧客データを掛け合わせることで、よりリアルな旅行者像を浮かび上がらせることができる。

(3)観光客視点での「個別最適」へ

 今や「一律の観光案内」では響かない。旅行者の属性・行動・関心に応じて、リアルタイムに体験の提案を最適化する「パーソナライズド・ツーリズム」が主流になりつつある。たとえば、リピーターには限定イベント情報を、初訪問者には基本ルートとおすすめ体験を出し分けるなど、「誰に、いつ、何を届けるか」の設計が鍵となる。

6.むすびに

―未来の観光地は「情報の生態系」

 観光地にとって、データは単なる「管理の道具」ではない。それは、持続可能な観光地経営を支えるための〝地域共有財〞である。その活用は点的ではなく、地域全体をつなぐ「情報の生態系」として設計されるべきである。
 組織や部署、事業者間の分断を乗り越え、地域一体でデータを育て・使いこなす時代へ。本質的な観光価値を高めるためにこそ、データは〝道具〞から〝戦略資源〞へと進化する必要がある。

※BIツール:ビジネスインテリジェンスツールの略で、データダッシュボードと同義。PC上でグラフや表でデータを可視化し、分析するためのツール