特集② データで進化する観光地経営〜下呂・倶知安の挑戦
下呂温泉では、特に東日本大震災以降、蓄積されたデータを基盤に、さまざまな環境変化を乗り越えながら、PDCAを継続的に回す観光地経営を実践してきた。一方、倶知安町では、世界的なマウンテンリゾートであるニセコエリアを抱え、観光客・事業者・住民それぞれにとっての〝最適解〞を模索しつつ、多様な利害の交点を見出そうとしている。いずれもデータ活用の先進地といえる。今回は、両地域におけるその具体的な取り組みを取材した。
事例① 下呂温泉
データとともに歩む観光地経営
―下呂温泉観光協会の取り組みから考える観光振興PDCA
公益財団法人日本交通公社 観光研究部 主任研究員 蛯澤俊典
1.はじめに
観光地経営における施策は効果検証に時間を要するため、PDCAサイクルの「C(評価・検証)」がおろそかになりがちだ。しかし、限られた資源(ヒト・モノ・カネ)を最大限に活用し、厳しい競争環境を生き抜くためには、まさにこの「C」から「A(改善・実行)」へのプロセスを重視し、データに基づいた客観的な検証を行うことが不可欠である。
観光地は、自然災害、感染症のパンデミック(新型コロナウイルス感染症)、国内の人口減少、インバウンド観光客の急増や急減といった社会環境の激しい変化に常にさらされている。
このような不確実性の高い状況下においては、勘や経験だけに頼るのではなく、収集・分析されたデータに基づいて現状を正確に把握し、戦略的な意思決定を行うことが、持続可能な観光地経営を実現するための鍵となる。
下呂温泉観光協会では、10年以上にわたりデータを活用し、状況に応じて計画・施策を改善してきた。(表①参照)これらの取り組みは、他の観光地にとっても非常に示唆に富むものだと思われる。この事例を深掘りすることで、観光地経営におけるデータ活用の具体的な意義が見えてくる。
2.2011年以降の環境変化と下呂温泉の観光動向
●東日本大震災のインパクト(宿泊者数の急減、初の本格的プロモーション)
下呂温泉観光協会にとっても東日本大震災は、大きな爪痕を残す天災だった。2011年4月の宿泊者数は前年比13・6%の減少。この震災の影響によって、下呂温泉としても本格的なプロモーション活動をせざるを得ない状況に陥った。
●交通インフラ事故・災害による動線の変化
(関越道事故、熊本地震など)
2012年4月に発生した関越道におけるバス事故は、減少しつつあった団体需要の減少傾向にさらに拍車をかける結果(とりわけ関東方面からの団体)となり、下呂温泉への団体客も翌月から11月まで事故前後で11・5%減少した。
また、同様の変化は2018年7月豪雨(前年同月対比▲23・3%)および9月の台風21号(前年同月対比▲6・8%)による影響が下呂温泉でもはっきり出ており、災害が観光地に大きな影響を及ぼすことが確認できる。
●法制度等の変更
(ETC割引、消費増税)への対応
2014年は消費税が5%→8%に引き上げになったことに加え、ETC割引の大幅変更により、各種割引の廃止や減額によって、自家用車による訪問客が減少した(2014年4月は前年対比▲4・9%)。
●コロナ禍と回復フェーズ:激減→個人旅行化・マイカー利用の急回復
2020年初頭からの新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、下呂温泉も例外なく一時的に急激な予約の減少を記録するが、速やかかつ効果的なプロモーション活動の効果で、全国でも例がない回復を見せる(2020年10月には自家用車利用者が前年度超え)。
3.データ収集・分析の進化(PDCAの「C」)とその具体事例
●初期(2011〜2015):宿泊者数やイベント参加数のモニタリング、大学との連携調査
相次ぐ天災や社会環境、経済環境の変化が著しい期間だったことで、団体→個人旅行へのシフト、若者の需要の取り込みの必要性などの高まりからOTA予約の情報取得やイベント参加数のモニタリング、大学との連携調査などを実施して、データ収集を行った。
●中期(2016〜2019):Google Analytics、交通系ICデータ、観光客アンケートの活用
DMOとして本格的な法人化を行い、さまざまな個人旅行向けの施策を実施するとともに、ウェブやデジタルデータの活用が進んだ。
●後期(2020〜現在):アクセス元(スマホ)分析、リピーターのデータ分析、世代別・エリア別行動傾向の検証、宿泊データ活用
コロナパンデミックが始まり、社会的には急激なデジタル化が加速。
観光庁主導の宿泊データ収集システムやアプリの導入によって、居住地を中心とした顧客の属性の精緻なデータを取得し、また国内OTAとの連携による送客を実現した。
●事例:若者向け「下呂に恋するフォトラリー」の効果測定と改善
成果:SNSを活用したプロモーションにより、特に20代から30代の若年層の来訪が増加し、フォトスポットを巡ることで、観光客の滞在時間が延び、地域内の飲食店や土産物店の利用が増加。
課題:SNSを活用する若年層に偏った参加者構成となり、他の年代層へのアプローチが課題になった。
投稿された写真の質や内容にばらつきがあり、統一感のあるブランディングが難しい面が出た。
●事例:Go To トラベル施策への柔軟な対応(OTAでのクーポン配布)
成果:
〇OTAとの連携強化:楽天トラベルやじゃらんなどのオンライン旅行代理店(OTA)と連携し、Go Toトラベルキャンペーンに対応した宿泊プランやクーポンの提供を迅速に実施。
〇即時予約・直前予約への対応:宿泊施設の予約可能期限を延長し、当日予約にも対応することで、直前予約の需要を取り込む体制を整備した。
〇地域限定プランの造成:愛知県民向けの特典付きプランなど、特定地域を対象とした割引プランを造成し、特定地域からの誘客を強化した。
課題:
〇需要の平準化:キャンペーン期間中に予約が集中したため、特定の時期に需要が偏る傾向が見られた。
〇地域内消費の促進:宿泊以外の地域内消費をどのように促進するかが課題となった。
4.下呂温泉におけるPDCAの実践:施策の変遷と実行プロセス
2011年以降、下呂温泉観光協会は観光客の動向をデータに基づいて把握し、PDCAサイクルに則った施策展開を続けてきた。特に「P(Plan:計画)」「D(Do:実行)」「A(Act:改善)」の3段階における変化と積み重ねが、継続的な観光地の活性化を支えている。
(1)Plan(計画):年次ごとの重点テーマ設計
協会では毎年、社会環境や観光客の動向を踏まえて「誰をターゲットに、何を重視するか」をテーマとして設定してきた。たとえば、震災直後の2011〜2013年は〝安心・安全〞を訴求軸に、団体客の回復と地域の信頼再構築を狙った。2016年頃からは「若年層誘客」や「平日稼働率の向上」が課題となり、フォトジェニックな観光資源やイベント企画が重視された。
コロナ禍を経た2020年以降は「密を避けた個人旅行」「東海圏からのマイカー来訪者」が中心となり、露天風呂めぐりや分散型スタンプラリーなど、時勢に合ったテーマが立てられた。
こうした年間方針は、観光庁の統計や自前の宿泊者データ、アンケート調査などをもとに設定される。
(2)Do(実行):柔軟な施策展開と現場連携
計画されたテーマは、紙媒体、デジタルプロモーション、イベント、施設連携など多様な手段で具現化された。若年層向けにはInstagram 投稿を促す「下呂に恋するフォトラリー」や、「ご当地スイーツマップ」などが展開され、実際に回遊行動や滞在時間の延伸が観察された。
また、キャンペーンや宿泊予約の動向に応じて、OTAとのタイアップや限定クーポン配布を柔軟に実施。
2020年のGo To トラベル期間中には、従来とは異なる層(都市圏のテレワーク層など)に対応したプランや情報発信を短期間で用意し、一定の成果をあげた。
実行フェーズでは、協会単独ではなく、宿泊業者・商店街・交通事業者などとの協働が重視され、現場の即応性が確保されていた点が特筆に値する。
(3)Act(改善):データに基づく評価と翌年への反映
施策実施後には、Webアクセス解析、位置情報の回遊分析、アンケート調査、SNS投稿数の変化など、多角的な観点から効果を評価。たとえば、ある年に実施したフォトコンテストの応募者の半数がリピーターだったことから、再訪誘導の成果が確認され、翌年度の施策にリピーター限定の特典企画が盛り込まれることになった。
また、「平日誘客」がテーマだった年に、施設の稼働率は上がったものの滞在単価が下がったケースでは、「質的な誘客」を次のテーマとし、コンテンツ改善やターゲットの再設定が行われた。こうした評価→改善のサイクルは、単年度の施策にとどまらず、下呂温泉全体の観光戦略の〝骨格〞を形づくる基盤となっている。
このように、下呂温泉ではデータを活用しながら、Plan・Do・Actを回し続けることで、観光地としての価値と柔軟性を同時に高めてきた。これは、観光地経営におけるPDCAの「持続的進化モデル」として他地域にも大きな示唆を与える取り組みである。
5.外部環境との対応と協働:柔軟性と共創による地域力の維持
下呂温泉観光協会の取り組みの特徴の一つは、急激に変化する外部環境に対し、柔軟かつ主体的に対応してきた点にある。自然災害、制度変更、コロナ禍といった突発的な外的要因に対しても、行政や交通事業者、民間OTAとの連携を通じて、現場主導での戦略転換を実現してきた。
たとえば、2011年の東日本大震災直後は観光需要が急減し、従来の団体旅行中心のモデルが機能しづらくなった。この状況下で、協会は地元自治体や宿泊業者と連携し、「安心・安全・癒し」の訴求を中心とした情報発信へと方針転換を図った。同時に、観光庁の補助金や広域観光圏事業も活用し、近隣地域との広域周遊促進に取り組んだ。
2015年以降は、LCCの拡充や訪日外国人旅行者の増加といった観光環境の構造変化を受け、セントレアや中部圏インバウンドセールスプロジェクトとの連携を強化。中国語・英語での対応の拡充、翻訳アプリの導入支援、インバウンド向けのデジタルマップ整備など、多言語対応を含む情報基盤の整備を進めた。
また、2020年以降のコロナ禍では、感染対策情報の発信に加え、Go To トラベル事業や地域共通クーポンに即応する形で、OTA各社と連携し、電子クーポンの即時発行や対象施設一覧の整理を進めた。加えて、地域の小売・飲食店と連動した割引施策も展開し、観光客の〝安心して使える街〞という印象づくりに成功した。
これらの対応において特筆すべきは、外部との協働が単なる「受動的な対応」ではなく、地域の強みと合致する形で「能動的に取り込む」姿勢を持っていた点である。観光協会がハブとなって行政・民間・住民をつなぐ中間支援的な役割を果たすことで、多様なプレイヤーが共に動ける「観光地経営体制」が醸成されてきた。
このような外部環境との協働の蓄積は、地域の対応力そのものを高め、変化が常態化する時代における「しなやかな観光地経営」の実践として他地域でも学ぶべきモデルとなっている。
6.データと協働を基盤とした「持続可能な観光地経営」へ
下呂温泉観光協会が長年にわたって実践してきたデータ活用とPDCAの取り組みは、個別施策の巧拙を超え、観光地経営の在り方そのものに変化をもたらしてきた。これは今後、人口減少・気候変動・社会構造の転換が進む中で、地域が自らの価値を見出し、磨き、伝え続けるための「しなやかな観光地経営モデル」として、全国の観光地に多くの示唆を与えるものである。
まず、今後さらに重要となるのは「構造変化に即応するデータリテラシーの強化」である。観光客の動向は、年齢や地域により異なるどころか、同一人物であっても旅行目的によりニーズが変化する。そのため、固定化された「典型的旅行者像」ではなく、リアルタイムで変化する行動や感情を読み取る力が問われる。観光地としても、データを取得・可視化するだけでなく、「読み解く」「翻訳する」「行動に移す」という一連のプロセスが求められる。
また、観光協会やDMOが果たすべき役割は、「イベント主催者」から「地域全体の意思決定支援機関」へと変化しつつある。地域住民、事業者、行政との中間支援的な立ち位置を活かし、情報と感性のハブとして機能することが求められる。その際、データに裏付けられた説得力と、地域固有の価値を発信するストーリーテリングの力の両立が鍵となる。
さらに、持続可能性(サステナビリティ)という観点からは、「短期的集客の最大化」から「長期的価値の最大化」へのシフトが求められる。観光による経済効果はもちろん、環境・文化・暮らしとの調和を図ることが、観光地としての信頼性を高める。
下呂温泉観光協会の実践は、地域がデータを通じて「自らを見つめ直し、よりよい未来を選び取る」力を蓄えてきたことを示している。この姿勢こそが、変化の時代における観光地経営の本質的な競争力と言えるだろう。
〈取材協力〉瀧 康洋
(下呂温泉観光協会会長)