特集⑤ 欧州における「ゲストカード」の展開とデータ取得

公益財団法人日本交通公社観光研究部副主任研究員 江﨑貴昭

1.はじめに

 筆者は、2025年2月発行の観光文化264号「世界の観光ダイナミズム2024」の特集3‐3「シティカードをベースにした観光地マネジメントの実践」において、アムステルダム及びヴェネチアにおける、シティカードの取り組みについて紹介した。同号で述べた通り、欧州ではシティカードの取り組みが1970年代より実践され、現在、欧州だけでも40ほどのデスティネーション(主に都市型観光地)において、シティカードの販売により旅行者の周遊・滞在を促進している他、近年では一部の地域において、シティカードの利用データを用いた旅行者行動の把握が試みられている。
 一方、欧州では、地域内の宿泊者に対し、特典として同様のカードを「無料提供」する地域も見受けられる。このような特色を持つカードを本稿では「ゲストカード」と呼称することとするが、欧州の都市型観光地を中心に有料販売の形で広く展開されている「シティカード」と比べ、「ゲストカード」は欧州の一部地域、特にアルプス山岳リゾート周辺で展開されているという特色を持つ。
 本稿では、欧州の一部地域で展開されている「ゲストカード」に着目し、各地の取り組みを概観するとともに、同カードの提供を通じた旅行者行動の把握の可能性について考察する。

2.ゲストカードの概要と主な特典内容

 ゲストカードは、特定の地域に一定泊数以上宿泊する訪問者に対し、無料で提供されるカードであり、滞在中の公共交通機関の無料利用、観光施設やアクティビティの割引または無料利用といった特典を付与するものである。同カードの主な目的は、旅行者の滞在満足度を高め、地域内の広範な探索を奨励し、公共交通機関の利用を促進することにある。さらに、滞在期間の延長や地域内での消費拡大を促す効果も期待される。
 前述したシティカードとの主な違いとしては、シティカードは「購入型」であることに比べ、ゲストカードは当該地域の宿泊者向けの「無料提供型」である。また、シティカードは観光案内所や主要駅で購入可能なことが多いが、ゲストカードは宿泊施設にてチェックイン時に提供されることが多い(事前に宿泊施設に連絡することで、デジタル形式のカードを入手し、チェックイン前の使用が可能なケースもある)。なお、両カードの企画・運営については、当該地域の観光局(DMO)が担うケースがほとんどである。
 ゲストカードの特典内容は、地域の特性等により様々であるが、概ね以下のような特典が包括的に提供されている。

❶ 公共交通機関
 最も一般的な特典であり、市内のバス・トラムから地域内の鉄道、さらには特定の観光シャトルまで、その範囲は多岐にわたる。公共交通機関の無料での提供は、旅行者にとって利便性の向上になるとともに、車移動抑制(脱炭素)による持続可能な旅行の推進や渋滞の削減といったデスティネーション側の目的とも合致する特典となっている。

❷ 博物館・観光施設
 地元の博物館、城、自然アトラクション(峡谷、公園)、レジャー施設(プール、アイスリンク等)への無料入場または割引も非常に一般的である。これらの特典は、訪問者が地元の文化や自然遺産に触れるインセンティブとなり、滞在期間の延長やあまり知られていない場所への訪問を促すねらいがある。

❸ ガイド付きアクティビティ
 特にアウトドア志向の強い地域においては、無料のガイド付きハイキング、スノーシューツアー、Eバイクツアー、シティウォークといった特典が含まれることが多い。特定のセグメント(ハイカー、家族連れ等)に対して訴求する効果を持つ。

❹ ケーブルカー
 アルプス地域では、無料または割引のケーブルカー乗車が大きな魅力となっており、しばしば滞在日数に応じて段階的に提供される。例えばオーストリア・インスブルックでは、2泊以上の宿泊で、公共交通や観光施設、ツアー参加といった特典を有する「ウェルカムカード」という名称のゲストカードが提供されるが、3泊以上の宿泊では、「ウェルカムカード・プラス」という名称のゲストカードが提供され、通常では高価なケーブルカーの無料利用が特典として追加される。ケーブルカーの特典は山岳地域のデスティネーションにとって重要な特典であり、滞在日数に応じた追加特典として設計されることで、長期滞在者を増やす効果を持つ。
 訪問者はゲストカードを利用することで、単に美しい自然景観や宿泊施設の質だけでなく、滞在全体を通じた体験の「パッケージ」としての魅力を体験することが可能となる。また、地域の特色を反映し、充実した特典を持つゲストカードは、そのパッケージが他地域との強力な差別化要因にもなり得る。このように、ゲストカードは経済的効果、訪問者の体験の質向上、持続可能性、差別化戦略という複数の戦略的目標に対応するシステムとして機能していると言える。なお、重要な点として、これらのカードは一般の旅行者が購入できるものではなく、あくまで提携宿泊施設等の宿泊者限定の特典であり、短期間の滞在者の増加を促すものではない(特典内容が変更された購入型のシティカードが同地域内で展開されるケースも存在する)。

3.オーストリアや欧州山岳地域での展開

(1)オーストリアでの展開状況
 ゲストカードの取り組みは、欧州の観光先進地域、特にアルプス山岳リゾートにおいて一般的となっているが、特にオーストリアにおいては、多くの地域(州・基礎自治体)でゲストカード(Gästekarten)が展開されており、オーストリア政府観光局のウェブサイトでは、各地域の多様なゲストカードが紹介されている(図1)。ここでは以下の通り、オーストリアの主要地域におけるゲストカードの提供状況を表にて整理した(表1)。
表1を概観すると、各地のゲストカードは、公共交通機関の無料利用や観光施設の割引といった共通の原則を持ちつつも、最低泊数の設定や特典内容等において、各地域の特性を反映した多様な制度を展開していることが確認できる。また、ゲストカードの提供がない州・地域においても、購入型のシティカードを展開していることが多い(ウィーン州等)。なお、このようにオーストリア各地でもはや一般化され、政府観光局のページで各地の特典の紹介までされているゲストカードであるが、オーストリア政府の観光計画等において、国策としてこのようなカードを展開することの記載や共通システムの整備といった施策は公表資料からは見受けられず、あくまで各州の戦略に基づいた取り組みとして展開されていると推察される。

(2)その他欧州地域等での展開状況
 オーストリアと同様の宿泊と連動した無料ゲストカードの仕組みは、オーストリア国外でも展開されており、特にアルプス山脈を共有するスイスやドイツ、北イタリアなどで広く見られる。これらの地域におけるゲストカードの提供状況を以下の通り整理した(表2)。これを確認す
ると、オーストリアと同様、各地のゲストカードは、公共交通機関の無料利用や観光施設の割引といった特典を主軸に展開されていることが確認できる。
 なお、欧州以外の地域(北米・オセアニア・アジア)においては、地域側や民間から提供するサービスとしての購入型カードの展開は確認されたが、宿泊と連動した無料提供のゲストカードの取り組みは、筆者による机上調査では確認できなかった。

4.ゲストカードを支える財源

 ゲストカードが旅行者にとって「無料」で提供される一方で、その運営費用は多くの場合、宿泊税(観光税、滞在税などとも呼ばれる)やモビリティ税等によって賄われていることが多い。例えば、フォアアールベルク州の「エクスプローラーズ・ゲストカード」は、フォアアールベルク州全域のバスと電車が無料で利用できる特典を持つカードであるが、公式サイト内の旅行者向けのQ&Aでは、カードの財源は地方観光税(宿泊税)から賄っていることが記載されている(図2)。また、ザルツブルク州では、2025年5月より宿泊者には既存の宿泊税に上乗せして徴収される「モビリティ税」が導入され、これを原資に宿泊者向けの公共交通機関を無料で利用できる「ゲスト・モビリティ・チケット」の提供が開始された(図3)。モビリティ税は宿泊者1人1泊あたり0・5ユーロ徴収され、これにより、州全域のすべての公共交通機関(市内バス、地域間バス、地域内列車、長距離列車等)が無料で利用可能となる。これらは、宿泊者が地域経済に貢献する施策の一環として支払う税金が、直接的な便益として還元される仕組みとなっている他、特定の地域や参加宿泊施設に滞在するゲストに対して、広範なサービスの提供が可能となるため、デスティネーション全体にとってもメリットのある取り組みと言えるだろう。

5.ゲストカードとデータ取得

 無料ゲストカードの提供は、ほぼ例外なく宿泊時の宿泊者の登録(チェックイン)と連動しており、これにより氏名、滞在期間、宿泊施設といった基本的な個人データが収集される。近年増加しているデジタル形式(Eメール、専用アプリ、モバイルウォレットパス等)でのカード発行は、Eメールアドレスの収集も伴っており、CRM環境の構築を可能としている。例えば、オーストリアのいくつかの地域のゲストカードシステムとして連携しているシステムプロバイダーでは、ゲスト登録とカード発行のためのインフラを提供しており、これにはデータ収集機能が含まれる。このようなシステムは、DMOがゲストデータを一元的に管理し、カードプログラムを運営するための基盤となっている。
 また、近年の物理カードからデジタル形式のカードへの移行により、訪問者の移動・サービス利用データの取得が可能となり始めている。例えば、デジタル形式のカードでは、公共交通機関や観光施設での利用に二次元コードのスキャンが必要となっており、これにより、「現在この地域にはどの国から来た人が多く、何泊し、どのようなサービスがいつ使われているか」といったデータの蓄積が可能となっており、DMO等が行う観光地マーケティング等の施策検討に活用するという点でも有効な方法であると思われる。

6.おわりに

 ここまで、欧州のゲストカードの取り組みについて概観してきた。欧州の特にアルプス山岳リゾート地域ではゲストカードの存在は一般的であり、その運営は主に宿泊客が負担する宿泊税等によって支えられている。これにより、宿泊客は追加費用なしに地域内の様々なサービスを享受できる。また、観光業界全体でデータ駆動型の意思決定とパーソナライズされたサービス提供の重要性が高まる中、ゲストカードを通じて得られる詳細な顧客行動データは、デスティネーション側にとって非常に価値の高い資産となり得る。総じて、ゲストカードは旅行者とデスティネーション双方にメリットをもたらす有効な施策と言っていいだろう。
 最後に、なぜゲストカードのような取り組みが欧州の特定地域でのみ普及しているかについて考えたい。欧州の特定地域におけるゲストカードの普及は、地元の宿泊施設、交通機関、アトラクション運営者(多くの場合、デスティネーション・マネジメント組織(DMO)を通じて)が協力し、訪問者の全体的な体験価値を高めるという、成熟し高度に連携された観光エコシステムの確立が背景にあると考えられる。このようなシステムは、「多大な調整」、「法定化され、共有された資金調達モデル(観光税とDMO事業等)」、そして多くの「公的および民間の利害関係者間の合意」を必要とする。このレベルの統合は、観光が地域経済の基盤であり、デスティネーションを魅力的にナビゲートしやすくすることに強い共同の意思があって初めて成し得ることができるだろう。よって、自律的で自治が強い文化を有し、比較的限られた事業者数で地域経営を行っている欧州の山岳地域だからこそ、発展したと推察される。無論、日本国内で同取り組みの検討は可能であるが、前述のような社会的背景を理解しながら、このような海外事例を参照することが必要だろう。

〈参考文献〉
インスブルック観光局公式サイト
「WELCOME CARD」(https://www.innsbruck.info/en/destinations/accommodation/welcome-card/welcome-card-summer.html)、
最終閲覧2025年5月30日
オーストリア政府観光局公式サイト「州と都市のゲストカード」
(https://www.austria.info/ja/planning/state-and-city-cards/)、
最終閲覧2025年5月30日
ボーデンゼー・フォアアールベルク観光局公式サイト
「Guest Card for Explorers」(https://www.bodensee-vorarlberg.com/en/guest-card)、
最終閲覧2025年5月30日
ザルツブルク観光局公式サイト
「Guest Mobility Ticket」(https://www.josalzburg.com/en/service-eventsguest-mobility-ticket.html)、
最終閲覧2025年5月30日