視座
戦略的なデータ利活用と観光地域づくり
公益財団法人日本交通公社
理事・観光研究部長・旅の図書館長
山田雄一
観光地域づくりと経営学
2017年7月発行の観光文化234号「デスティネーション・マネジメントの潮流」で整理したように、観光地域づくりの手法は時代によって変化してきている。
観光地域づくりの手法が体系化されたのは1970年代の後半とされる。
この時に用いられたのは、システムズ・アプローチと呼ばれる手法である。同手法は、全体とその構成要素の関係性に注目し、問題を全体最適で捉えるもので、様々な要素(変数)が関わる観光地域づくりに適した手法といえる。このシステムズ・アプローチは20世紀後半に発達した手法であるが、同時期、経営学の世界では、同様に様々な事象を定量的なモデルへと転換し、最適な解決策を見出していく手法であるオペレーションズ・リサーチ(OR)が活用されるようになっていた。いずれも、複雑化する現実に対応する取り組みがなされていた。
1980年代になると経営学は、戦略論へと転換していくことになる。これは、企業活動が活発となることで、供給が増大し、供給>需要の市場構造となり、企業間の競争が、それまでの製品主義(マーケティング1・0)から顧客主義(マーケティング2・0)へと転化したことが主因である。ライバル企業との相対的な関係性の中で自社を選好してもらうために、戦略的な発想が必要となったのである。
一方、観光市場は需要増大が続いていたため、製品主義的な発想が継続され、より大規模で、統一感のある観光地を提供することに主眼が置かれていた。そこから「計画」的な観光地を実現するデスティネーション・プランニングと呼ばれる概念が生まれ、各国で大規模な観光リゾート地の開発が展開されるようになった。
その後、1990年代に入ると経営学は産業の主体が製造業からサービス業へとシフトするのにあわせ、新たにサービス・マネジメント領域が立ち上がっていく。さらにサービス業の中でも宿泊や飲食、アクティビティといった観光交流に関連する業種に特化したホスピタリティ・マネジメント領域を創造することになる。
同時期、観光分野においては、観光市場の増大も一段落し、さらに、観光需要も分散、多様化していった。これによって主眼は新規開発から、今ある地域のより良い管理へと移っていった。ここで概念化されたのが、ホスピタリティ・マネジメントで得られた知見を、観光地に展開したデスティネーション・マネジメント(DM)であり、その実践のために組織されたのがDMOである。このように観光地域づくりの手法は、歴史的に経営学の概念と近い関係にある。
EBDMの動き
その経営学において2000年代に概念化されたのがEvidence-Based Management(EBMgt)である。これは1990年代、医療分野において、医師の経験や権威に頼る医療から科学的根拠(evidence)に基づく医療行為を行おうとする取り組み(Evidence-Based Medicine)を経営分野に展開したものである。これによって、経営者の経験や勘ではなく、行動科学や経済学、統計分析など信頼性のある根拠に基づいて行うことが目指された。この動きは、さらに、その後、EBDM(Evidence-Based Decision Making)として特定分野に依存しない普遍的な意思決定手法として整理されることになる。
EBDMが、広範に活用されるようになった背景には、現代社会がVUC A(Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性))な時代だということがある(参考:観光文化263号)。
過去の経験が活用できないVUCA時代における合理的な意思決定には、多様かつ合理的な参考情報が必須となっているわけだ。
もう一つ、EBDMが注目されるようになった背景には、必要となるデータを得られる環境が整ってきたということもある。1990年代後半からのIT、DXの流れの中で、多様かつ大量の定量データが取得可能となり、また、それらのデータを分析した科学的、学術的な知見が蓄積されてきたからだ。
もともと、データ活用は、コンピューター発展の歴史と重なる。20世紀のコンピューターでも大量のデータを扱うことはできたが、それは、あらかじめ構造が定められた箱(データベース)に格納されるものであった。
インターネットの登場によって、多種多様なデータがデジタル化され、コンピューター性能の向上によって、それらを分析できる環境が現出した。こうした環境の変化を受け、1997年、NASAの論文においてビッグデータという言葉が登場し、その後、量(Volume)、速度(Velocity)、多様性(Variety)の3Vがビッグデータの定義とされた。
20世紀までの大量データと、21世紀のビッグデータの違いは、あらかじめ構造化されたデータか否かということにある。VUCAとは、未来が過去の延長線上ではない社会である。現在(過去)の知見で構造化されたデータでの対応には限界がある。一方、WEBページやSNS、スマートフォンを含むスマートデバイスによってデジタルで提供されるデータは、様々な情報を含んだものである。これを多面的につなぎ合わせ、分析活用することでVUCAにも対応できる価値を創出できるようになったのである。2010年代になると、この動きは大きく社会に拡がり、様々な分野で活用されるようになっていく。データ・サイエンティストといった言葉が生まれたのも、この時期だ。
さらに、ビッグデータの価値を高める技術革新が現在進行中で生じている。
それは、AIである。
AIが行うディープラーニングがビッグデータと融合することで、人では探索できないレベルにまでデータを活用できるようになるのである。ビッグデータとAIの組み合わせは、従来のデータ分析の域をこえた事象を、不可逆的に生み出していくことになるだろう。
観光分野におけるEBDM
当然ながら、こうしたEBDMに関するデータ活用分析の一連の流れは、観光地域づくりにおいても重要な意味を持つ。観光政策やマーケティング戦略立案者の経験や勘では、とても太刀打ちできない世界となっているからだ。
人は、基本的に「自分が経験したこと」について強いバイアスを持ってしまう。
百聞は一見にしかず、百見は一触(一験)にしかずとは、よく使われるイディオムであるが、これは、自身の価値判断が、自身の経験に大きな影響を受けているということを示している。
しかしながら、現在、我が国には様々な国からの来訪者がいる。国が違えば、価値観も文化風習も違う。日本では、全般的に宗教的な戒律に対する意識は低いが、それを高く意識している人々もいる。国内市場においても、高齢者と若者では当然に価値観、行動原理は異なるし、夫婦と子ども2人の「標準世帯」が総世帯数に占める割合は5%にも満たない。
つまり、観光市場において標準的な顧客像などというものは存在しておらず、当然に、自分の価値観や嗜好が、ターゲットとなる観光客と合致する可能性は、ほぼゼロである。
さらに、そもそも国内宿泊観光旅行を毎年1回以上実施しているのは日本人の5割程度に過ぎない。年に2回以上実施しているのは日本人の3割程度で、彼らの旅行のみで、全体市場の7割以上が寡占されている。観光活動を経験財(経験してみないと、その価値を評価することができない消費やサービス)と考えれば、前述の3割の人々と、その他の7割の人々では観光に対する評価軸は、全く異なることになるが、自治体の観光政策や、DMO関係者であっても「3割」ではないことはままある。
こうした市場構造を考えれば、担当者が自身の主観のみで、観光地域づくりを展開することは、非合理的であるということは明白であり、他分野に比してもEBDMの重要性は高い。
先行する海外の取り組み
本誌の特集1では、観光分野のEBDMで活用が考えられるデータ群について、整理を行っている。また、特集2、3では国内での取り組み事例、特集4、5では海外での取り組み事例を取り上げた。
これらで取り上げたように観光客の動態をデータとして捉える取り組みは、国内外で進みつつあるが、質・量ともに、海外が先行している状況にあることは否めない。
この背景には、DMに関わるEBDMには、多くの費用がかかり、その費用確保が国内では遅れているということが指摘できる。例えば、特集3では現在、我が国で取り組まれている観光客動態データについて取り上げているが、様々な可能性を持った技術は存在しているものの、EBDMとの関係が希薄なのは、関係者においてEBDMに対する意識が高まっていないだけでなく、それを実践していくだけの財源が確保できていないことが大きい。
DMという概念は2000年代初頭に生まれ、前述したように、それを実践する組織としてDMOが提唱された。欧米において、それが単なる提唱に留まらず実際に確立されていったのは、同時にDMにかかる財源改革を行ったからだ。例えば、アメリカのハワイ州では、1998年に州のDMを扱うDMOとしてHTA(Hawa‘i i Tourism Authority)を設立し、翌年、宿泊税の税率を6%から7・25%に引き上げ、その活動原資とした。また、スイスのグラウビュンデン州では、各自治体でバラバラな状態であった宿泊税制度を2012年、州法によって統一し、州全体でDMを進める体制を構築した。さらに2013年からは、一部地域において観光事業税の導入も行われるようになっている。
財源をDMに直結する税収に求めることで、DMOは、中長期的な時間軸でDMに取り組めるようになり、EBDMに関わるデータの収集分析にも安定的に一定額を投入することが可能となった。特に重要なのは、人材確保だろう。ビッグデータを活用するEBDMには、膨大な情報量から有為な情報を導出していくデータ・サイエンティストの存在が欠かせないからだ。しかしながら、データ・サイエンティストは、観光に限らず様々な分野で求められる人材であり、DMOが確保するハードルは高い。財源が確保されたことで、競争力のある待遇提示が可能となり、優秀な人材確保につながってきた。
対して、日本においては、2010年代にはDMOが観光政策課題となったものの、財源に関する議論は進まず、従来からの補助金や交付金に依存する状態が続いた。単発の予算でも、データ購入を行うことは可能であるが、人件費への充当は難しい。
特集2で取り上げた、下呂市は、国などの補助事業を利用しているものの、温泉観光協会が強い意思を持って、自らが費用負担を行ってきたことで、今日の体制がある。これは、宿泊事業者がEBDMの有用性を認識し、必要な費用負担と考えてきたためだが、様々な事業者が混在する他の観光地で同様の体制を構築することは難しい。実際、下呂市の事例は、以前からEBDMやDX文脈で取り上げられてきたものの、後続地域は限定されている。
ゲームチェンジャーとなる宿泊税
しかしながら、この構造が大きく変わりつつある。
それは、宿泊税の導入を検討する自治体が全国的に増加したということである。宿泊税導入の目的や使途については、自治体によって異なるが、ほとんどが観光政策のための法定外目的税として導入されている(条例が作られている)ことを考えれば、地域のDM活動、DMOの事業費に充当されていくことが自然であろう。
この財源がEBDMに投下されていくことになれば、我が国地域においても、欧米DMOのように、科学的なマーケティング/マネジメントが展開されることが期待される。実際、特集2で取り上げた倶知安町は、政令市ではない市町村で、初めて宿泊税を導入したが、その導入に合わせて観光統計の手法を改定し、より広範なデータを継続的に取得可能とし、それらデータの地域内共有も実現してきている。同地域は、インバウンド客が多いことでも知られているが、それは、単に下地があるということだけでなく、DMOたる観光協会がEBDMで事業展開を行っている成果でもある。
ただ、宿泊税が導入されれば、どこでもEBDMが拡がるかといえば、それは否である。前述したように、人は自身が経験したことに強い影響を受ける存在である。観光分野におけるEBDMが進んでいない状況ということは、EBDMの効果を実感している人も少ないということになる。また、EBDMは、その名の通り「意思決定」であって行動ではない。プロモーションや商品造成、二次交通整備など具体的な行動に費用を割くことが重要だという考え方もあるだろう。
こうした状況下で、宿泊税導入をEBDM実践につなげるためには、宿泊税導入の初年度より、財源の一部を意図的、明示的にEBDMに振り分けることが重要となるだろう。現在の入湯税がそうであるように、税収は一度、使途が割り当てられてしまうと、その後、使途を大きく変えることが難しい性格を持つからだ。
EBDMの実践に向けて
EBDMの実践には、データの収集と、データの分析の2つの取り組みが必要となる。データは、関連事業者から購入できるものもあるが、独自に取得しなければならないものもある。特に、特集5で示したような地域内でのきめ細かい観光客動態を捉えるには、自らが動く必要がある。データ分析については、今後、AIが活躍していくことが期待されるが、AIとやり取りし、展開すべきアクションを導出していくには、優秀な人材が必要となることに変わりはない。
EBDMの実践のため、これらの予算をあらかじめ一定枠を持って確保しておくことが必要となる。一方で、これら固定費が占める割合が大きくなりすぎると、機動的な事業展開の足かせにもなってしまう。
そこで、筆者は、税収のうち10%をDMO人件費、5%をデータ購入および収集システムの運用の費用とすることを提唱している。仮に税収が1億円であれば1000万円がDMO人件費、500万円がデータ取得システム費というイメージだ。1000万円という人件費は、データ・サイエンティスト(一般のDMOではCMOに相当)だけでなく、CEOや一般スタッフなども含むため、やや心もとないが、CMOは他業務との兼任でもOKであると考えれば、実現可能な水準と考えている。
宿泊税導入という機会が、EBDMの実践へとつながり、我が国のDMが世界に対抗できる水準に高まることを期待したい。