特集① 誰が本当の顧客か
富裕層依存から〝関与〞視点への転換
公益財団法人日本交通公社 観光研究部 主任研究員 福永香織
1.はじめに
近年、日本の観光政策において高付加価値旅行市場の開拓は重点施策とされ、現行の「第4次観光立国推進基本計画(2023〜2025年度)」では、「高付加価値なインバウンドの誘致」などが主要施策として盛り込まれている。特に日本の地方では「ウリ(魅力的なコンテンツ)」「ヤド(宿泊施設)」「ヒト(専門ガイド等)」「コネ(海外への販路)」の弱さといった課題が指摘され(1)、これらを強化する事業も多数展開されてきた。これらの成果もあってか、地域の事業者の方々と話をすると、多くが「ターゲットは富裕層」と口を揃える。しかし、いまだにその姿は漠然と、そして画一的に捉えられているように感じる。
資産規模の観点についてキャップジェミニが発行する『World Wealth Report 2025』(2)をみると、投資可能資産100万ドル以上の富裕層は約2280万人(世界の総人口のうち約0・3%)で、そのうち、投資可能資産3000万ドル以上の超富裕層(UHNWI)は1%(資産シェアは34%)、500万〜3000万ドルの中堅富裕層(VHNWI)は9・2%(資産シェアは23%)、100万〜500万ドルの富裕層(HNWI)は89・8%(資産シェアは43%)を占める。
また、JNTOで定義されている高付加価値旅行者(訪日旅行1回当たりの総消費額が100万円以上/人)は訪日外国人客(2023年)のうち、人数ベースで2・4%、消費額ベースで19・1%と年々その割合は拡大しているが、絶対数はやはり少ない。1回の消費額が大きいとはいえ、富裕層だけを対象としてもビジネスとしては成り立ちにくいのが実情であり、そこに準じる旅行者を獲得していくことも重要となる。
では、富裕層に準じる旅行者とはどういった層なのだろうか。そこで注目したいのは、いわゆる富裕旅行者や高付加価値旅行者の定義には当てはまらないが、自身の関心やこだわりのある項目に対しては支出を惜しまない旅行者の存在である。
富裕層については注目度も高く、彼らと日常的に接する機会の多い富裕層向けの旅行会社やホテルのコンシェルジュ、富裕層コンソーシアムのレポート等を通じて間接的ではあるが、その旅行実態をうかがうことができる。しかし、その一方で、一般の旅行者にも紛れ込んでいると思われる、特定の項目への支出を惜しまない旅行者については、その実態が十分に摑めているとは言い難い。
2.多様化・深化する旅行者の特性と関心
特定の項目への支出を惜しまない旅行者を探る前に、改めて高付加価値旅行者の実態も含めて整理をしておきたい。JNTOは、資産規模で一括りにされがちであった富裕層の価値観や消費スタイルの変化をふまえ、富裕旅行者の志向を、Classic Luxury(従来型:世界的に認知されたブランドホテルやミシュラン星付きレストランといった、物質的なステータスを示す贅沢を求める)とModern Luxury(新型:そこでしかできないユニークな体験や自己成長、地域文化との深いつながりといった、精神的・経験的な価値を重視)に分類し、消費性向(旅行タイプ)の視点から、All Luxury(航空券から宿泊、食事まで旅のあらゆる要素を最高級で統一)とSelective Luxury(交通費や宿泊費は抑える一方、自身の関心が高い特定の分野に集中的に投資)に分類している(3)。
また、富裕層に限ったものではないが、海外の調査機関などにおいても、旅行者の行動様式や志向性をふまえたタイプ分類をおこなっている(表1)。

例えば、Amadeusは、人とつながり、特別な思い出を作ることを旅の目的とするMemory Makers をはじめ、新しい体験や発見に価値を見出し、旅の計画も楽しむExcited Experientialistsといった未来志向の心理的動機に基づく4つのタイプに分類している。
また、Euromonitor International は、質の高い体験とステータスを求めるLuxury Seekersや、デジタル技術を駆使し、効率的な旅を求めるDigital Travellers、サステナビリティとを両立させた旅を好むEco-Adventurersなど8つのセグメントに分類している。同社のレポートによるとラグジュアリー志向の浸透度が最も高いのが30〜44歳のミレニアル世代で、次いで15〜29歳のZ世代となっている。これは、2040年までの20年間で富が若い世代に移行するという全体的な傾向と一致しており、2040年までに、ミレニアル世代は25万ドル以上の収入がある人口の36%(2610万人)を占めると予測されている(4)。
20〜30代のミレニアル世代が旅行者層の中心になっていることは10年近く前から指摘されてきたが、サステナビリティがベーシックニーズとなっていることとも連動し、自分だけの快楽のために何かを犠牲にする行動が好まれなくなってきていること、旅行の成熟化とデジタル技術の進化などによって、関心の深さや情報収集力の高まりはさらに顕著になっていることがうかがえる。
3.旅行者のこだわりに着目した「関与」の概念
資産を潤沢に保有していても、旅行先で支出してもらわなければ意味がない。富裕層か否かにかかわらず、重要なのは旅行者の支出と連動する「関心」の所在と内容である。それを探る上で整理しておきたいのは、心理学やマーケティングの分野で研究されてきた「消費者関与」の概念である。この概念は特に1950年代頃から研究が進み、広告の分野や旅行行動の分析等にも応用されてきた(5)。「関与」とは、ある対象への個人のこだわりや重要度のことである。例えば旅行においては、関与が高いほど自己実現や知的好奇心を満たすことに重点を置き、自分でさまざまな情報源にアプローチして情報収集をするため、パッケージツアーを好まず個人手配の傾向が強くなると指摘されている。また、その体験を積極的に発信する傾向も強いとされる。
一方で関与が低いほど、旅行は心身をリフレッシュさせるものとして捉え、旅行の計画に労力をかけることを望まないため、パッケージツアーやオールインクルーシブのリゾートを好む傾向が強いとされている。また、自分の体験を積極的に発信することはあまりしないとも言われている。
「関与」にはさまざまな種類があるが、旅行形態の選択には「永続的関与」や「状況的関与」が関係し、その測定に向けた既往研究やその課題が整理されている(6)。「永続的関与」は個人の趣味や価値観に根差した長期的・安定的な関心であり、「状況的関与」は新婚旅行など特定の状況のために一時的に高まるようなものである。
また、「関与」の軸と意思決定の軸(思考/感情)をかけ合わせた分析軸に、現代の旅行の要素(デジタル、SNS、サステナブル等)を加えた研究なども行われている(5)。つまり、同じ人でもその時の旅行目的や購入対象によってさまざまな種類の「関与」が同居し、「高関与」と「低関与」が混在しているといえる。

4.高付加価値化に向けた課題
冒頭で述べたターゲット像の解像度の低さの背景には、旅行者の価値観や外部環境が、急速に変化していることも挙げられる。しかしながら、訪れた富裕層が旅行自体にはこだわりのない「低関与」な旅行者であった場合、トラベルデザイナーが良かれと思って専門性の高い体験を手配しても、供給側の情熱と需要側の無関心というミスマッチが生じることになる。そして往々にして、提供する側が強いこだわりのある「高関与」な存在である確率も高い。となると、相手の関心度合いに関係なく、自分で伝えたいことや価値観を押し付けすぎてしまうことといったことも起こりうる。
加えて、これとは逆のミスマッチも存在する。旅行経験が豊富で、高い情報収集能力を持つ「高関与」な旅行者は、うわべだけの豪華さや、価格に見合わない質の低いコンテンツには決して満足しない。人件費や原材料の高騰を理由に価格を上げることは必要ではあるが、提供するコンテンツの本質的な価値も高めていくことが重要になる。
今、地域や事業者に求められているのは、「富裕層」という漠然とした姿を単に追うことではなく、地域の成長や持続可能性にも寄与しうる「高関与旅行者」の姿をていねいに紐解き、彼らの情熱に応える、真に価値のある滞在体験を創造していくことではないだろうか。
本特集号では、多様化する高付加価値旅行者や、「高関与」な旅行者の姿を、定量・定性的な視点から多角的に整理するとともに、体験コンテンツを提供するサプライヤーに対する取材などを通して、価値を高めるとはどういうことかを考えていきたい。なお、執筆者により異なるが、本特集では高付加価値旅行者が富裕旅行者をさす場合もあれば、「高関与」な旅行者をさす場合もあることを付け加えておきたい。
<参考資料>
(1) 観光庁(2022年)「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくりに向けたアクションプラン」
(2) World Wealth Report 2025(Capgemini Research Institute)
(3) JNTO(2025年)「高付加価値旅行市場規模調査」
(4) Meet the New Luxury Travel Seeker: Discerning, Digitally Savvy and Diverse
https://www.euromonitor.com/article/meet-the-new-luxury-travel-seeker-discerning-digitally-savvy-and-diverse
(5)「 消費者関与」概念による旅行者行動の理解に向けて」西村 幸子, 同志社商学, 61(3) pp57 – 69, 2009年10月
(6) Leisure Involvement Revisited: Conceptual Conundrums and Measurement Advances Mark E. Havitz & Frédéric Dimanche, Journal of Leisure Research (1997)
