Discover Noh in Kyoto
特集④-4 世界観に即したブランディングで能の本質を伝える
山根 樹(やまね・じゅりあ)

一般社団法人Discover Noh in Kyoto代表理事。日英通・翻訳者、京都市認定通訳ガイド。アメリカ生まれ。幼少期に父の故郷である日本に移住。
13歳から能楽のファンになり、1999年より観世流能楽師に師事。能楽堂の徒歩圏に居たくて日本に定住する。能を通して日本文化のさまざまな面を深く見るようになり、京都市認定通訳ガイドとなる。京都を拠点に、さまざまな伝統文化や芸術関係の通訳・翻訳に携わりながら、能楽の多言語での普及・発信に取り組む。
京都に息づく能の世界を広く伝える
― 25年以上、能楽の稽古を続け、京都市認定通訳ガイドでもある山根さんが、「Discover Noh in Kyoto」を立ち上げた経緯を教えてください。
私は2019年に京都市認定通訳ガイドになりました。それ以前に通訳の仕事をしていたときから、インバウンドの観光客は、日本の文化体験を求めているということを感じていて、通訳ガイドとして大好きな能を紹介できたらやりがいがあるだろうなと漠然と考えていました。そんなとき、通訳ガイドなどを対象にした能楽協会主催の講座に参加する機会に恵まれました。
その講座は、能楽協会が5年くらいの期間を設けていた事業の一環で、当初は講座とその成果発表会だけでしたが、4年目になって実際に海外から来られた方の感性に合うイベントを実践してみようということになったんです。2019年の夏に企画会議が始まり、いままでの受講生に手伝いをお願いしようという話になったそうで、私にも声がかかりました。そして、京都に住んでいる外国人向けに英語の解説付きでお寺で能を上演することに決まりました。
皆さん、忙しいからなかなか来られない方も多い中で、私はオタクだから喜んで毎回行くんです。そうすると自然と張り切り始める(笑)。そのお寺は西陣の妙蓮寺で、ちょっと分かりにくいところにあったので、ちょうど通訳ガイドの研修を終えたところだった私は、その企画をツアーにすることを提案しました。船岡山に行って、手織ミュージアムの織成舘に行って、西陣の妙蓮寺で能を鑑賞するというミニツアーです。これが私にとって初の自主企画ツアーになりました。このときの経験から、お寺で上演することで仏教と能との関係も見えますし、まち歩きをして周辺のことも一緒に経験したほうが能の世界に入りやすいということを感じました。
その後、コロナ禍になりましたが、京都で能の舞台となった名所を紹介するマップを作るなどして、活動を継続しました。そして、いよいよ能楽協会としての事業が2021年3月に終了した後、有志と共に6月に任意団体として立ち上げたのが「Discover Noh in Kyoto」です。以前の事業から同じ名前で活動していましたが、その看板ごともらって独立したかたちです。
独立後、最初の事業として、平安時代の刀鍛冶と稲荷明神の伝説に基づく能の演目「小鍛冶」の物語をたどりながら京都をめぐるドキュメンタリーを学生たちと一緒に作りました。

―主な体験プログラムや客層を教えてください。
当初は教育や普及の目的で留学生向けや通訳ガイド向けにやっていましたが、能の文化をより多くの方に伝えていきたい、そして経済的要因から今後のなり手不足が危惧される能の課題に少しでも貢献していきたいという想いからBtoC に拡大しました。最初は、お客さんがなかなか集まらず、難しかったですが、京都市観光協会の「インバウンドイノベーション京都」(インバウンド向け観光コンテンツ造成支援プログラム)に採択され、いろいろなところとつなげてもらって、赤字にはならずに済みました。
年々、売上は増加していますが、特に売れているものとしては、「Wabunka*」経由だと茶道と能を組み合わせたプログラム( 22万8000円/グループ)、直接予約だと、デモンストレーションに加えて能楽師と一緒に能面や装束を見ながら能について学ぶプログラム( 13万2000円〜/グループ)です。
そして私の案内で、能をテーマに京都をめぐる「The NŌWHERE Tours」(1万5000円〜/人)や能面工房を見学するツアー(6万6000円〜/グループ)も時々やっています。あと、能は特別な方をおもてなしするときに舞われたものであるということから、ラグジュアリーホテルのロビーで能のパフォーマンスをするプロデュースのほか、海外の大学や演劇関係の方々から依頼を受けてレクチャーや公演鑑賞のアレンジをすることもあります。京都は能の演目の舞台になっている場所がたくさんあるので、いくらでもツアーができます。
参加者の国籍でいうと、アメリカやヨーロッパの方が多いかもしれません。1万円台からの価格帯のものだとひとり旅の方、高額のプログラムになるとご夫妻やご家族が多いですね。そして、いわゆる富裕層のお客さんもいます。彼らはプライベート感を大切にしたり、自分のキャパシティの中で何にどれだけ割くかを決めているため、自分のパターンを崩さない人が多いような気がします。また、頻繁に旅行をしているせいか、あまり貪欲ではなく、若干淡白な印象もあります。ずばぬけて富裕でない方たちのほうがのびのびと能の世界に浸ってくれている気がします。
先日は、フランス在住の日本人がなさっている旅行会社から、日本の旅行会社を経由して、フランス人ご家族の1泊2日のコーディネートを依頼されました。お父様が日本文化に深い興味があるということからのリクエストだったのですが、能楽堂を貸し切って「三井寺」と「竹生島」を鑑賞した後で、近くの三井寺で演目に出てきた鐘をついてもらったり、夜は「竹生島」の舞台である琵琶湖近くの宿に泊まって、翌日は能楽師と竹生島へ行ったり。能のスペシャリストと一緒に、能を通して日本のいろいろな心を知るという2日間を楽しんでいただきました。
うちの場合は、流派に偏ることなく外の世界(お客様)と内の世界(能楽師)の中間の立場からお話ができますし、実際にいままで多岐にわたる方面の能楽師の皆様に協力をいただきお仕事をしてきました。だから、依頼してくださる方によると、伝統的な価値観とビジネス視点の双方を理解しながら柔軟に調整を試みる弊社が介在することでスムーズにお仕事ができるようになるらしいです。
いろいろな事業をやっていますが、ルートは結構バラバラで。つまり需要自体はそんなに大きくはないけれど、能の認知度は少しずつ高まっていると感じています。実際に、フランスではすでに認知度が高そうで、ほかの国でもう少し上がったらいいなというところですね。
能の世界観をきちんと伝えるブランディング
― 11月と12月には京都市観光協会と一緒に「IMAGINE NOH」というイベントを開催されるのですね。
副題は、「Legends and Laughter on Stage」。初心者も楽しめるものを目指して、能と狂言の両方を上演します。以前、「雷電」という演目のクライマックスだけを上演したときに大変好評だったので、同じように動きがダイナミックな曲の見せ場だけを見てもらうというコンセプトでプログラムを作るところから企画を始めたんですが、その場面の上演だけだと20分で終わってしまいます。狂言を入れても30分か35分。それでも、入場者数が100名くらいだと想定したうえで、経費を考えて逆算すると料金は2万円くらいになるので、上演時間が見合っているだろうかと考えました。この額でも高くないという考え方もあるかもしれませんが、ヨーロッパでこのくらいの料金を払って鑑賞するというとオペラやバレエです。時間は長いですし、内容にも密度があります。そこで今回は、まずウェルカム音楽として開演のときにお囃子だけを演奏し、続けて解説と短い場面を織り交ぜて一本のストーリーとして見立てようと思っています。上演後には能楽師に出てきてもらってQ&A、アフタートーク的なものも考えています。
―能に興味をもってくれそうな層にどのように発信していけばよいでしょうか。
分かりやすさはすごく大事だと思います。そこでファンになってもらいたいですから。ただ、ここでいう分かりやすさは、簡単にするという意味ではなくて、「どのようにすれば楽しめるか」を分かりやすくするという意味です。本当は、旅行会社などが旅程に組み込みやすいように、こうした初心者も楽しめるイベントを毎週でもやりたいのですが、「IMAGINE NOH」については、今回実施してみて、その評価次第で今後の方向性が決まるというところです。
「IMAGINE NOH」の客層としては、自国でも舞台やアートの展覧会を見に行くタイプの人を想定しています。だとすると、デザイン的にも洗練されていることが大事だと考えています。チラシもそういう人たちに響くものを目指して、ポーランドの若手デザイナーにお願いしました。こうして、初心者へのアプローチの仕方を含め、能の世界観をきちんと伝えるブランディングをしたうえでのプロデュース、それが能の付加価値を高めることにつながると考えています。
知的好奇心の高い観光客は本質を求めている
最近では、各地の能楽堂でもインバウンド向けにいろいろやり始めていますが、能の世界観を壊しているものも見受けられます。お客さんに喜んでほしいというサービス精神は分かりますし、能を親しみやすくしたいという気持ちは大切だと思いますが、親しみやすさを履き違えてしまうと、文化の質を下げてしまうと思います。
そもそも日本の観光では、お客さんを子ども扱いする文化があると思うんです。無知や幼さを美徳と捉える日本ならではの傾向といえるかもしれません。たとえば、ちょっとした解説をするときでも丁寧すぎるくらいに嚙み砕いて説明を始めますよね。でも海外から来る知的好奇心の強い観光客は、もっと大人っぽく核心をついたトークを楽しみたいと感じていると思います。
そのものを鑑賞したい、その世界を深く知りたい、学びたいと思っているのに、日本では丁寧すぎて、まるで子ども向けのような易しい方向にいってしまっているように思います。結果、提供するものと求めるものの間に乖離が出てくる。つまり、子ども向けの内容で喜ぶようなお客さんばかりを相手にしていると、能にとって本当にいいお客さんが来なくなってしまいます。
せっかく文化を知ろうとして来た人が能の本質に出会わずに帰ってしまうことも可哀想だし、能にとっても残念なことですから、客層の線引きは必要ですし、しっかりとしたブランディングが欠かせないと思っています。
能の本質と魅力を英語で伝えられるガイドの育成
能の本質を知ってもらうためにも解説は大事ですが、英語で上質な解説ができる人は多くありません。単純に英語でやればいいというものでもないですし、英語力と能の知識、両方が必要なのでハードルは高いとは思います。
でもお客さんのためにも、能のためにも、価値をしっかり伝えていける人を育てることは必要なことです。5年、10年とやっていって、そんな日来たらいいなという気持ちで、気長に取り組みたいと思っています。
毎年夏に、通訳ガイドをはじめ英語で日本文化を紹介する仕事に従事している方、もしくは目指している方に向けた能楽の講座を開催していますが、その参加者の中には、受講後に自主的に何度も能楽堂に足を運ぶくらい、能が好きになる方が多いです。やっぱり、最初が大事なんですよね。私がその導入の部分をしっかりプロデュースすることで、まずは通訳ガイドの皆さんに能のファンになってもらうことも必要だと感じています。人材を育てるという意味でも、通訳ガイドは元々、日本文化に興味がある人の割合が高いので、非常に有効です。
私たちが目指しているのは能の本質を伝えることなので、能の魅力と矛盾した型にはめて市場にのせることではなくて、能の本質を心から楽しんでくれる客層に届くマーケティングが必要です。そのためには観光と芸術とのバランスをうまくとりながら、デザインを含めたブランディングをしっかりとすることで、能の付加価値を高めていきたいと考えています。
〇聞き手:福永香織(JTBF)
*Wabunka:J-CAT株式会社が欧米豪を中心としたインバウンド富裕層向けに日本の魅力にふれる上質な非日常体験を特別仕様で提供する予約サービス
