視座
高い付加価値を得るとは、どういうことか
公益財団法人日本交通公社
理事・観光研究部長・旅の図書館長
山田雄一
2007年1月に施行された「観光立国推進基本法」の前文において、観光の意義、効果について、以下のように述べている。「観光は、地域経済の活性化、雇用の機会の増大等国民経済のあらゆる領域にわたりその発展に寄与するとともに、健康の増進、潤いのある豊かな生活環境の創造等を通じて国民生活の安定向上に貢献するものであることに加え、国際相互理解を増進するものである。」
すなわち、国として観光に求めるものは、経済振興、国民のクオリティ・オブ・ライフ、そして、国際関係良好化の三つとなる。
このうち経済振興については、国内・訪日・海外を含めた旅行・観光消費額は、2015年25・5兆円、2019年27・9兆円まで伸張。コロナ禍によるパンデミックを経て、2023年時点で29・5兆円となっている。
消費額は、人数×単価によって構成される。人数が増えることで、消費額は増大していくが、単純な量の増加は地域コミュニティに大きな負荷をかけることになる。オーバーツーリズムと呼ばれる現象がそれである。すなわち、観光は実施する人々にとって、自身のクオリティ・オブ・ライフを高める行動である一方で、それを受け入れる側の地域の人々にとっては、自身のクオリティ・オブ・ライフの低下につながるリスクをもっている。
一方で、経済のサービス化が国際的に進む中で、少子高齢化が進展する我が国において、自然、歴史、文化、我々が生み出す各種の製品やサービスに付加価値をつけ、経済価値へと転換していくことが求められる。「観光」は、そうした取り組みにおいて象徴的な存在である。
すなわち、我が国において観光は、国および地域の振興に重要な意味を持つ一方で、人数増に過度に頼ることは、むしろ地域を弱めるという相反性を有している。
この相反性を解決していくことが、観光を地域振興の手段として活用していくことにおいて重要である。
その一つの方策が、人数ではなく、単価に注目することである。人数を変えなくても(増やさなくても)単価を増大させることができれば、消費額は増やすことができる。人数を抑えつつ、消費額を増やすことができれば、訪問先となる地域への負荷を抑えながら、観光による経済効果を得ることができると考えられるからだ。特に、地域経済に付加価値をもたらすような消費活動を多くしてくれる顧客を増やすことができれば、地域への貢献度は高くなる。
そもそも、観光とは、実施者にとって費用のかかる活動である。その市場動向の推移を見ても、国や地域の経済成長と旅行・観光市場の成長は連動している。現在、オーバーツーリズムが叫ばれるほどに市場が拡大した背景にも、21世紀以降の新興国の経済成長がある。衣食住といった基本的な生活を実現できるだけの経済力を得たことで、人々は観光を楽しむことができるわけである。

そのため、当然ながら、誰でもが観光を楽しんでいるわけではない。実際、現在、日本では毎年1回以上、宿泊を伴う観光旅行を実施している人は、国民の半数でしかない。かつて、女性の一人旅が忌避されたような、観光を実施するにあたっての、社会的な制約、タブーはほぼ無くなっているが、それでも国民の半数しか宿泊観光旅行を実施していないのは、経済力が大きく影響しており、世帯年収で500万円程度がボーダーラインとなることが指摘されている。
つまり、観光を実施している人々は、相対的に所得の高い人々ということになる。
もう一つ、観光活動は、サービス活動の一種であるため、実際に経験をしないとそれがどういうものなのかを理解することは難しい。このように購入し使用した後で初めて品質を評価できる商品やサービスは、経験財と呼ばれる。さらに、観光の場合、経験する人(観光客)の経験値によっても、その評価が大きく異なるという特性を持つ。
観光は、日常生活とは違う。自宅以外の場所に宿泊する機会は観光ならではだし、新幹線や航空機に日常的に乗る人もいない。温泉や、グルメ、スポーツなども、日常生活ではあまり体験しない活動だろう。住んでいる地域によっては、品揃えの多い商業施設での買い物も同様である。
つまり、観光活動の中で経験することは、観光客にとって、それまであまり経験したことがない、相対的に経験値の低い活動ということになる。観光が、非日常または異日常を求めて行う活動だと考えれば、これは当然のことだ。
これまであまり経験したことがないことを経験する場合、人はどうするか。
緊張もするだろうし、失敗しないようにリスク回避したいと思うだろう。
特に、観光のように費用がかかり、時間もかかることについては、失敗できない経済行為となり、それを実行する際には強い高揚感を覚える。
市場の拡大期とは、経験値の低い人たちが市場に参入するタイミングということであり、多くの人々に品質が確認され、旅行会社などによってもその内容が担保されたコトを、皆と一緒にベルトコンベア式に体験し、ハメを外しやすくなる……いわゆるマスツーリズムが展開されるのは、当然のことだと言えよう。
ただ、5年、10年と観光活動を反復的に実施していくことで、経験値は高まり、その人にとって観光は特別な活動ではなく、日常生活の延長線上で反復的に行われる活動となっていく。そうなれば、自身の観光活動において、リスクを認知し、一定のリスクも許容することで、多様なポートフォリオを組むことが可能となる。FIT(Free Individual Traveler)は、そうしたポートフォリオが生み出したものである。
これが、時間経過とともに、観光行動が団体から個人へ変わっていく理由である。
経験値が上がることで、観光時の高揚感は調整されることになるし、個人旅行化によって、旅行先も分散化し、集団心理も抑制されていくと考えることができる。
が、現実は、そうシンプルではない。
改めて、先の図1に注目してほしい。
宿泊観光旅行を年1回以上、実施しているのは国民の半数であるが、年間2回以上の実施者は30%、3回以上は20%、4回以上が10%となっている。
つまり、旅行している人たちも、その実施回数は人によって、大きく異なる。
そのため、例えば、同じ20歳であって、年4回以上、旅行する人と、数年に1回程度しか旅行に行かない人では、30歳になった時の観光経験値は大きく異なることになる。
つまり、時間経過とともに、市場にいる人々の経験値には大きな差が生じるようになっていく。
これは同時に、観光活動が多様化していくことを意味している。経験値が上がっていくことで、人々は様々な体験を行い、自分の嗜好にあった活動を新たに創造し、観光活動は分岐していくことになるからだ。
こうした観光活動の多様化、分岐は、◯◯ツーリズムといった様々な「形容詞観光」で示されるようになっている。
昨今は、ウェルネスツーリズム、アドベンチャーツーリズムが注目を集めているが、ガストロノミー・ツーリズムや、エコツーリズムに取り組んでいる地域も多い。これら形容詞観光に含まれる要素は、無印ツーリズムに含まれているが、そこから、特定の嗜好に合わせて切り出され、編集、演出された観光活動の一形態だ。当然に、魅力を感じる顧客は限定されるため、特定の顧客層をターゲットとした展開となる。
つまり、どの形容詞観光に取り組むのかという課題は、同時に、どういった顧客を地域に招きたいのかという課題とセットとなる。
さて、こうした市場構造において、地域経済への貢献度の高い「高付加価値の顧客を狙う」ということは、どのように整理されるのだろうか。
まず、改めて認識しておきたいのは、必ずしも富裕層=高付加価値層ではないということだ。もちろん、観光活動への支出額は、所得額(資産額)に概ね比例するので、富裕層ほど、観光消費の額が大きくなるということは肯定すべき事実である。
が、富裕層が行う高額な観光消費が、そのまま、地域に高い付加価値を及ぼすわけではない。地域に生じる付加価値というのは、モノやサービスに地域内の取り組みによって新たに付与された独自の価値である。例えば、地域のレストランに、10万円のコース・ディナーがあったとする。ただ、同じ10万円でも、フランスワインや、域外のブランド牛などをふんだんに使ったディナーと、地元のお酒、食材をアレンジしコースに仕立てたディナーでは、付加価値は全く異なることになる。前者のディナーであれば、その付加価値は域外のフランスワインやブランド牛に帰属するからだ。
つまり、地域に高い付加価値をもたらす消費というのは、価値形成に「地域」が関与した商品サービスだということだ。
ただ、ここで現実的な問題が生じる。
価格は、ブランドによって形成されやすいということだ。
例えば、物理的に同じしつらえのホテルであっても、ローカルブランド(例:山田ホテル)で展開するのと、インターナショナルブランド(例:マリオット)で展開するのでは、販売価格が大きく異なることになる。これは、著名ブランドに対する信頼性、知覚価値が確立されているからだ。
結果、先にあげたディナーで言えば、フランスワインなどを用いたディナーは10万円で売れるが、地元食材でアレンジしたディナーは5万円でないと売れないということが生じる。仮に、前者の付加価値率が30%、後者が50%だとしたら、前者の方が結果的に残る付加価値は高くなる。
ここで鍵となってくるのが、特集1で整理した「消費者関与」の概念である。ローカルブランド(=広く知られた存在ではない)だが、地域で付加価値が創造されている商品サービスに関心を持ってくれる人々は、観光活動について「高関与(能動的)」な人々ということになるからだ。
特集4で取り上げたKURABITO STAY は、日本酒づくりに蔵人のように取り組むというプログラムであるが、起業時に、そのコンセプトに賛同した人はごくわずかだった。しかしながら、デザインやストーリー、そして価格設定を、とことん突き詰めることによって、高関与志向を持つ一部の人々に、深く刺すことができたことで、今日に至っている。
Tale Navi は自身でコンテンツを創造しているわけではないが、高関与志向を持つ人々のカウンターパートとなり、奈良地域とつなぐことで事業を成立させている。これによって、観光活動がなくても成立している「地域の生業」に、観光活動という付加価値を付与している。
では、高付加価値コンテンツは、低関与層へリーチすることはできないのだろうか。
筆者は、そうではないと考えている。
なぜなら、イノベーター理論によれば、特定の商品サービスに最初に関心を寄せるのはイノベーター(革新者)、アーリーアダプター(初期採用者)と呼ばれる人々であるが、その後、アーリーマジョリティ(前期追随者)、レイトマジョリティ(後期追随者)と関心を寄せる人々は増えていくとされるからだ。
高関与層は、自身がもつ探究心によって新しい商品サービス、経験を見つけ出し、体験する人々であるため、イノベーター理論で言うイノベーター、アーリーアダプターに相当すると考えられる。であれば、彼らに見出され、評価された〝経験〞は、その後、低関与層を含む、より多くの人々の関心を呼び寄せることになっていく。
これは、ブランディングのステップとしても整理できる。当初は、ごくわずかな人々に評価される存在だが、体験した人々がSNSなどで、情報を再発信していくことで「あそこに行けば、こういう体験ができる」という共通理解が広がっていくと考えられるからだ。
このブランディング・ステップをうまく活用しているのが、特集4で取り上げたryugon だろう。ryugon は、雪国文化という明確なコンセプトを持つが、客室数も多く、シーズナリティもあるために、ある特定の〝経験〞に絞り込み発信することが難しい。そこで、日本の旅館や小規模ホテルに特化したTHE RYOKAN COLLE CTION に加盟するだけでなく、エコロッジジャパンin雪国、サクラクオリティなどに取り組むことで、関連する外部ブランドを積極的に取り込んで、自身のブランディングに活用している。これは、ブランド・アンブレラ戦略と呼ばれる取り組みであるが、これによって、顧客のトラベルリテラシーに応じた懐を深く持ちつつ、核となる価値を、自身(地域)で創り出していることで、付加価値の高い事業となっている。
KURABITO STAYのように、小さく生んで、大きく育てていく手法もあるが、一般に、事業を成立させるには、相応のパイが必要となる。ryugon の取り組みは、地域で高い付加価値を形成しつつ、低関与層の関心も集めることで事業性を確保する手法として注目される。
ここまで整理してきたように、高付加価値旅行者というのは、旅行者だけで成立するものではなく、地域側に高付加価値の商品サービスを提供する事業者があって、初めて成立するものである。資力のある旅行者が、単なる高額消費者で終わるのか、地域に多くの付加価値を及ぼす旅行者となるのかは、地域で提供されるサービス内容に依存するからだ。
単価を上げるだけなら、国際的なハイブランドのホテルや、レストランを誘致すれば良い。ただ、その場合、創造された付加価値の大部分は域外の主体に還元されてしまい、いわゆるザル経済という状況が形成されるだけだということを認識すべきだろう。
観光を通じて、持続的な地域づくりを行うのであれば、見かけ上の消費額、単価ではなく、実際に、地域に残る(地域で創造された)付加価値を増やしていくことを意識し、そうした取り組みを支援することが重要である。
また、特集2で整理しているように、地域で付加価値を創造していくことができるようになることは、より良質な、地域コンシャスな人々を呼び寄せることにもつながる。これは、地域にソーシャル・キャピタルを生み出していく土壌となり得る。実際、米国コロラド州のベイル・タウンは、北米有数のスキー場を持つ自治体であるが、その雄大な自然環境、生活に惚れ込んだ人々が移り住み、彼らがまちづくりに関与することで、北米における環境対策の先進地ともなってきている。
地域で付加価値を創造するというのは、地域の本質的な魅力を高めることでもある。それによって、単なる消費者ではなく、地域のファン、サポーターとなるような人々を増やしていくことも目指していきたい。
一方で、地域の魅力が高まるほど、それをビジネスチャンスとみた人々を呼び寄せることになることに注意が必要である。こうした人々は、前述したイノベーター理論のマジョリティ段階に集まってくることになる。ゼロから、付加価値を創造することは難易度の高い取り組みであるが、その取り組みをコピーすることは容易であるため、類似の取り組みが地域内外に氾濫することが多い。模倣品は模倣品でしかないが、低関与層には識別ができないため、市場の混乱を招くことにもなる。
また、魅力上昇にともなう価格上昇は、資力の低い人たちが排除されるという側面も持つ。国際的に、経済格差が拡大する中での円安傾向もあり、日本地域への投資は進みやすい状況にある。投資が進むことで、サービス価格だけでなく、不動産価格も上昇し、それまで地域に居住していた人々の居住継続が困難となる事例が出てきている。これは、ジェントリフィケーションと呼ばれる現象であり、もともとは都市部で生じていた現象であるが、一部、観光地でも確認されるようになっている。
地域の魅力が上がった結果、そのプレイヤーである人々が排除されてしまうというのは、本末転倒であろう。
これを避けるには、付加価値を地域内で創造するだけでなく、それを循環させ、地域全体のベースラインとなる資力を高めていくことが重要となる。
必要に応じて、新規開発の抑制、公的な住環境の提供など、行政的な規制や支援も求められることになるだろう。
このように「高い付加価値を得る」ことは、観光地域づくりにおいてゴールではない。観光地域づくりは、多数の変数の組み合わせであり、ある特定の変数が変化することで、波及的に他の変数も変化していくという特性をもっている。地域の持続的な振興のためには、どのような取り組みを行い、どのような人々に来訪してもらい、そこから何を得て、次につなげていくのか、常に俯瞰的、時間的な視点をもって、戦略的に取り組んでいくことが必要である。
