活動報告
第1回【研究懇話会】
観光は国民の「インフラ」たり得るか?
当財団では2025年度、研究顧問を招いて様々な角度から話題を提供いただき、研究員と対話する研究懇話会を実施している。
全5回の開催を予定しており、5月22日に行われた第1回は、交通・都市・国土学を専門とする家田仁氏から話題提供が行われた。
家田 仁(政策研究大学院大学特別教授、東京大学名誉教授)
観光の本質は「不調和」にあり
「袖すり合うも他生の縁」などのことわざが表すように観光にはポジティブな面がある一方、「旅の恥はかき捨て」ということわざや、かつて夏目漱石が『草枕』で「人でなしの国」と表現したように、現代の列車内では乗客同士が互いを人とも思わないような光景が見られるなど、ネガティブな面もある。
近年は、オーバーツーリズムやモラルハザードなどの齟齬や軋轢なども課題となっている。
だがこのアンビバレンス、不調和と動的性格こそが観光の本質ではないかと私は考える。そもそも観光とは異質性と非日常性の希求であり、そこで生まれる不調和はダイナミックなエネルギーとなり得る。こうした特性を持つ観光を「インフラ性」という面から見ると、新たな展開、躍進の可能性があるのではという観点から今日は話をしたい。
施設から社会関係資本まで〜拡大するインフラの概念
インフラ性という言葉を説明する前にインフラに関する根本的な考え方を整理すると、以下の3点に集約されると言える。

(1)はインフラ=道路や下水道といった狭義の捉え方で、『インフラストラクチャー概論』(中村英夫編・2017年)では「社会全体を支える社会共有の施設」と定義されている。
インフラをより広義に捉えたのが(2)で、経済科学者の宇沢弘文は『社会的共通資本』(初版1973年) で「一つの国ないし地域に住むすべての人々が、豊かな経済生活を育み優れた文化を展開し人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能とするような社会的装置とした。言いかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件と定義している。
施設だけでなく自然環境や制度資本までインフラと捉えているのが特徴である。
私はさらにインフラの概念は拡大の余地があり、ソーシャルキャピタルと称される社会関係資本も含まれるのではと考える。それが(3)で、稲葉陽二は『ソーシャル・キャピタル入門 孤立から絆へ』(2011年)で、「人々が他人に対して抱く信頼や互酬性の規範、人や組織の間のネットワークによって、集団としての協調性や市場では評価しにくい価値が生み出される」と述べている。この考え方はジョン・デューイやジェイン・ジェイコブズにはじまり、ジェームズ・コールマンやロバート・パットナム など、社会学・政治学分野で唱えられているコミュニタリアン的な理念と柔らかい組織・活動論につながる。
こうしたインフラを構築するアプローチは、以下の4点があると考えられる。(1)(2)は今回の話題とは関連が薄いため説明を省き、(3)(4)について具体的な事例を紹介する。(図1)

(3)の事例に、英国のパブリック・フットパスがある。日本ではフットパスというと道を作ることに関心が向きがちだが、英国の事例で重要なのは、私有地もコモンズであるという考え方である。
英国では繊維産業が発達すると農地で羊を飼うようになり、土地の囲い込み運動が盛んになってコモンズだった土地が私有地化された。「立入者は処罰する」と書かれた看板があちこちで見られるようになったが、私有地も公衆に解放するのは当然という考え方から「歩く権利」を主張する運動が行われ、パブリック・フットパスが生まれた。
コモンズ的発想が生きた現代の事例では、東京の下北沢の再開発がある。
小田急線が立体交差化で駅を地下化した際、大規模な事業者による高層再開発ではなく、地元主導で小規模開発を行い、ボトムアップ的なスローでスモールなまちづくりが功を奏している。
宗教がインフラに関与した(4)の事例は世界中で見られるが、日本の有名な事例として鎌倉時代最大の仏教教団「律宗」を挙げたい。律宗は戒律が厳しく利他修行を重視するのが特徴で、利他修行の一環としてインフラ整備に尽力した。
律宗の代表的な僧として知られる忍性(1217年‐1303年)は道路や用水路整備を行い、瀬戸唐橋をはじめ全国に189の橋を架けたほか、鎌倉幕府の港として和賀江や金沢六浦などを築港した。
これらの財源は寄附と利用料で、もう少し時代が下るとやはり宗教を基盤にお接待や善根宿、同行二人などの文化が生まれ、これらはチャリティの精神によって支えられてきた。
主役は「私たち」、価値観もインフラ
これまでの話でわかるようにインフラは事柄もアプローチも様々で、ハードもあればソフトもあり、人工物も天然物もあり、これらがうまく絡み合って機能していると言える。では、このように多様な種類が存在するインフラに共通する「インフラ性」とは何か。私は4点が挙げられると考える。(図2)

ポイントとなるのは(2)と(3)で、「私たち性」とは、私でもなく彼らでもない「私たち」が主役であることだ。また、道路や法律を作ったり、自然管理を考える際には何か共通の価値観がなければならない。その価値基盤そのものが人間の行動を直接規定するインフラと考えることができる。
これまで論じてきたことをまとめると、人間の諸活動は5つのインフラの上に成り立っていると言える(図参照)。その上でインフラを改めて定義すると「多くの人々(私たち)が共有・共感する有形・無形の存在であって、人々の共有価値の確保・向上を目指し、継続的に人間の諸活動の基盤となるもの」と言えるだろう。
求められるのは多重で多様な「私たち性」
では、観光は国民のインフラたり得るかという本題についてだが、観光立国推進基本法の前文を見ると「観光は、国際平和と国民生活の安定を象徴」「地域の住民が誇りと愛着を持つ」「我が国固有の文化、歴史等に関する理解を深める」「国際社会における名誉ある地位の確立」など、インフラ的な共有価値基盤を示す文言が多く見られる。
ここから、観光のハードやソフトは国民にとっての基礎インフラとなることが目標視されていると考えられる。
話は変わるが石器時代に遡り、原初のインフラを考えることでインフラ性の一要素に挙げた「私たち性」に言及したい。当時の狩猟民や農耕民には集団内における狭い結束があり、その一方で、流通民・芸能民・客人を介した広い交流が存在していた。
前者を狭い「私たち」とすればそこでのインフラは「絆」であり、後者を広い「私たち」とすれば、そこでのインフラは「信用」だったと考えられる。
原初のインフラには狭い結束における絆と、広い交流における信用という「多重の私たち性」があり、ともに価値観の共有が基盤にあったと考えられる。
観光の本質は、観光立国推進基本法の前文が謳うように根本的にインフラ性が高いものだが、その現状を見ると「私たち」としての一体性は希薄で、共有価値基盤も脆弱であり、必ずしも「インフラ性」が高いとは考えにくい。
観光の本来の趣旨を踏まえ、現在生まれている諸課題の解決を目指すためには、改めて観光を「国民のインフラ」と位置づけることが必要ではないかと考える。その際のポイントは「私たち性」と「共有価値基盤」にあるのではないだろうか。
観光を国民のインフラを位置付けるには、多重で多様な「新たな私たち性」の構築が必要であり、冒頭で述べた観光の特性である不調和、不安定さの持つダイナミズムを活用することによって「共有価値基盤」となると考える。
これらの点に着目して、具体的な取り組みのアイデアを列記したので、参考にしていただきたい。(図4)

