古書展示ギャラリーにて「木下淑夫と木下文庫」を展示中です

2018.10.01

 旅の図書館は2018年10月で開設40周年を迎えます。当館では明治・大正・昭和の戦前期に発行された旅行案内書や地誌、社史、雑誌など約2300冊の古書・貴重書を所蔵しており、移転・リニューアルを機に古書の整理・収集・公開に力を入れてきました。今年度は開設40周年特別展示として

  • 第1弾(2018年7~9月):「出版物からみるジャパン・ツーリスト・ビューローの歴史」
  • 第2弾(2018年10~12月):「木下淑夫と木下文庫」
  • 第3弾(2019年1~3月):「日本における観光行政のあゆみ ~国際観光局を中心に~」
をご紹介します。

 当館にお越しの際は、ぜひご覧下さい。

<第2弾(2018年10~12月):「木下淑夫と木下文庫」>

 木下淑夫という人をご存知ですか?日本の鉄道の近代化に大きく寄与した人物として知られていますが、実はジャパン・ツーリスト・ビューロー(以下、ビューロー)の生みの親でもあり、日本の観光黎明期に大きな役割を果たしました。

 1874(明治7)年に京都府に生まれ、大学では土木工学、大学院では法律と経済を専攻した木下は、明治32年に逓信省鉄道作業局に入局しました。非常に研究熱心で、2度にわたる海外留学や海外で開催された鉄道連絡会議への出席などを経験し、国際感覚を養うとともに、先進的な各国の鉄道・観光事情を肌で感じていました。

 木下は観光事業においては、ビューローの設立や国立公園調査の実施、『An Official Guide to Eastern Asia(全5巻)』の編纂などをおこない、鉄道事業においては旅客貨物の運輸規定の改正、食堂車の開始、定期回数券の大衆化、汽車時間表の統制、特急列車の運行などをおこないました。木下は夢想家であったと同時に企画の才に富む理想家であり、利用者本位で様々な改革を成し遂げていきました。

 1923(大正12)年、多くの人に惜しまれながら49歳という短い生涯を終えますが、木下の意思を継いだ多くの後輩たちが日本の鉄道・観光政策を担っていくことになります。

 1929(昭和4)年の7回忌には、有志によって木下文庫が設立されました。木下文庫には木下の蔵書をはじめ、生野團六や新井堯爾などの蔵書なども寄贈されました。残念ながら太平洋戦争でその多くが散逸したとされていますが、当館には90冊ほどが保管されています。木下文庫は旅の図書館の原点だったと言えるかもしれません。

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