特集②-1 オーストラリア観光統計に関する最新の取り組み
観光研究部 副主任研究員
川村竜之介
はじめに
筆者はこれまで、主に国や自治体の観光統計に関わる業務を経験してきた。解決すべき課題は数多くあるが、海外の観光統計に目を向けると、それらを改善するための試みがいくつも行われている。特に先進的な取り組みを継続的に行っている国については常に注視をしている。オーストラリアはそのひとつであり、近年、国の観光戦略における柱のひとつとして、新しい取り組みが進められてきた。特に、国内旅行に関する統計は大きな変革が進んでおり、今後、調査体系からアウトプットされる内容まで、従来とは大きく異なるものに変貌する。本稿ではその概要について報告したい。
Industry Data and Expert Analysis Working Group(IDEA)
まずは、観光統計の改良が、国の観光政策のなかでどのような位置づけになっているのかを整理する。オーストラリアでは、約10年毎に政府の長期的な観光計画を策定しており、現在進行しているのは2022年から2030年までを計画期間とする「THRIVE
2030」1)である。この計画では、7つの戦略の柱(Strategy Priorities)(表1)が設定されており、そのひとつに観光統
計やデータに関する「Improve data and insights」が設定されている。この中では、観光政策の成果指標について、即時性や質の面でデータ利用者の満足度向上を図ることや、既存の統計調査の改良、ビッグデータ活用やリアルタイム化、包括的な観光指標セットの開発などを行うとしている。そしてこれらを推進するために、Industry Data and Expert Analysis Working
Group(以下、IDEA)という委員会が設置されている。
IDEAは、「観光セクターにとって効果的なデータを迅速に提供するための方法を検討する委員会」とされている。メンバーには、観光に関する国の研究機関であるTourism Research Australia や政府統計局、学識経験者、政府観光局、観光事業者のデータ/リサーチ担当者などが含まれている。
2022年から2023年にかけて議論が行われ、2023年10月に提言書2)が取りまとめられた。IDEAでは、観光統計や観光指標に関する6つのプロジェクトについて検討がなされているが(表2)、本稿で紹介する国内旅行に関する統計の改善には、このう③Helix Personas と⑤Mobility dataが関連している。③は、民間調査会社の提供しているHelix Personas(消費者行動の予測に長けている54のペルソナ)と既存統計との統合プロジェクト、⑤は、モバイルデータ(携帯電話の位置情報データ)の既存統計への活用プロジェクトである。
これらのプロジェクトを主導しているのが、Tourism Research Australia(以下、TRA)である。TRAは、オーストラリア貿易投資促進庁に属する政府の研究機関であり、国の観光統計を中心とした各種調査やデータ収集、様々な経済予測と、それらの公表までを担っている。今回、筆者を含むオーストラリア視察チームは、首都キャンベラにあるTRAを訪れ、これから起ころうとしている観光統計の変革について、プロジェクトの担当者から話を伺った。
国内旅行に関する新たな調査体系
まず、現行のオーストラリアの観光統計であるが、日本と同様に、国内旅行市場と外国人旅行市場のそれぞれにおいて、異なる調査を実施する調査体系となっている。このうち、国内旅行市場については、発地側であるオーストラリア全土における、国内居住者を対象とした「National Visitor Survey」(以下、NVS)が実施されている。日本においては、観光庁の実施する「旅行・観光消費動向調査」に相当する。
この、オーストラリアの国内旅行に関する調査体系が2025年から大きく変わることになる。まず、現行のNVSについては、調査方法を変更し、訪問等によるインタビュー調査として、新たに「Household Survey」を立ち上げる。この調査は、オーストラリア最大の調査会社であるRoy Morgan 社が担う体制となり、調査の中に、回答者のライフスタイルや態度、消費習慣などについて把握をするための「Single Source」調査を取り入れることで、新たに、後述する「Helix ペルソナ」に関する情報がアウトプットされることになる。さらに、大手通信会社が提供するモバイルデータ(携帯電話基地局データによる位置情報)を用いることで、従来の統計では分析が困難であった、市町村別の細かい情報までアウトプットすることができるようになる。
整理すると、大きな変化のポイントは3点ある。1点目が電話調査から訪問等によるインタビュー調査への変更、2点目がHelix ペルソナとの統合、3点目がモバイルデータの活用である。
ポイント❶電話調査から訪問等によるインタビュー調査への変更
現行のNVS(表3)は、前述のとおり日本の旅行・観光消費動向調査に相当するが、調査方法や抽出方法が異なる。調査方法は、NVSがオペレーターによる電話調査(CATI)であるのに対して、旅行・観光消費動向調査は郵送による自記式の質問紙調査である。またサンプルの抽出方法は、NVSがRDD(Random Digit Dialing:無作為に電話番号を作成して架電)であるのに対して、旅行・観光消費動向調査は住民基本台帳からの無作為抽出である。
TRAによると、現行のNVSの大きな課題としては、調査への協力率の低下があるとしている。回答者の行動の変化や、詐欺電話やデータ漏洩に対する意識の高まりにより、電話調査への協力率が低下したことで、調査コストが上昇している。さらに、データの代表性という点では、高所得者のほうが調査への協力率が高い傾向にあるため、サンプルが高所得者層に偏るなどの影響がみられている。以上の、コスト増加とデータ品質の低下に対応するため、新たな調査方法として、訪問やオンラインによるインタビュー方式を採用した。この調査方法は、オーストラリアの国勢調査で採用されている調査方法と同じであり、データの質という点では、最良の方法を採用したと言える。
調査方法の変更により、サンプルサイズも大きく変わることになる。現行のNVSは年間約12万サンプルだが、新しい調査では年間約3万サンプルとなる。これは、後述する変化のポイント③モバイルデータの活用が可能になったことと関係している。
ポイント❷ Helix ペルソナとの統合
Helix ペルソナとは、Roy Morgan社が開発した、オーストラリア人を54のセグメント(ペルソナ)に分類したデータである 3)(図3)。性・年代、居住地、職業、年収などの、いわゆるデモグラフィック(人口統計学的)な属性に加えて、態度、価値観、行動などのサイコグラフィック(心理統計学的)な属性をもとにセグメントを分けることで、より正確に消費者行動の説明や予測を行うことができる。オーストラリアのメディア業界を中心に、様々な業界のマーケティングに活用されている。メインのデータソースは、Roy Morgan 社の独自調査であるSingle Source調査4)である。Single Source調査は、年間 5万人以上に対する対面インタビュー調査で、ライフスタイルや態度、メディア消費習慣、ブランドや製品の使用、購入意向、小売店への訪問、サービスプロバイダーの好み、家計、レクリエーションや余暇活動などについて質問している。
2025年から始まるTRAの新しい調査「Household Survey」はRoy Morgan 社が実施を担い、その中にSingle Source調査を取り込むことで、国内旅行に関する観光統計とHelix ペルソナを統合したデータを活用することが可能となる。これにより、例えば観光地単位で、どのペルソナがどの程度来訪しているのかが分かり、ペルソナを通じて、客層に関する解像度が大きく向上することになる。そして各ペルソナにどのようなマーケティング施策を実施すべきかが、明確に示されるようになると考えられる。
観光統計と接続されたHelix ペルソナの結果が、今後、誰に対してどのようにアウトプットされるかはまだ不明である。引き続き、動きを注視したい。
ポイント❸ モバイルデータの活用
2025年からは、旅行回数や旅行先に関する情報が、従来までのNVSの調査データから、モバイルデータ(携帯電話の位置情報データ)に置き換えられることになる。モバイルデータとは、具体的には携帯電話の基地局データであり、日本においてはドコモ・インサイトマーケティング社が「モバイル空間統計」として提供している。旅行回数や旅行先を質問紙やインタビュー調査から把握する手法は、観光統計では最も一般的な方法であるが、記憶に頼ることによる曖昧さを排除できないことや、詳細な移動経路までは回答してもらうことが困難であることから、細かくてもせいぜい市町村単位など、大雑把な情報しか得られないデメリットがある。これに対し、モバイルデータは行動履歴そのものであり、正確かつ詳細な情報を得ることができるうえに、即時性も大幅に向上する。前述の変化のポイント①で説明した、新しいHousehold Survey でサンプルサイズの削減が可能となったのは、モバイルデータで旅行回数や旅行先についてより正確に把握することができ、調査から把握する必要がなくなったためである。
一方、モバイルデータには開発にあたっての課題が2つ存在する。ひとつは、旅行の定義と一致させることである。旅行の定義については、例えば日本の旅行・観光消費動向調査の場合、通勤・通学を除く移動で、滞在の期間は1年未満、かつ「目安として片道の移動距離が80㎞以上または宿泊を伴うか所要時間が8時間以上のもの」5)とされており、日常生活による移動パターンと、移動の距離や滞在も含めた時間により決定される。モバイルデータから、この定義にあてはまる行動のデータだけを正確に抽出しなければ、観光統計として扱うことができない。もうひとつの課題は、データの代表性を確保することである。TRAは、モバイルデータの提供元として、いくつかある大手通信会社のひとつを採用したが、この通信会社のデータがオーストラリア人の全体を代表しているとは限らない。何らかの偏りがある場合は、それを補正する手段が必要となる。
これらの課題に対応するため、TRAは2018年から、通信会社とパートナーシップを組んで共同研究を進めてきた。約6年に及ぶ研究を経て、ようやく公的な統計として活用することができるようになった。逆に言うと、こうしたデータを統計として活用するには、その方法を検討するための研究や検証に、それだけの時間が必要になることを示している。
以上について、全体像を改めて整理する。従来は「属性・旅行内容」「旅行回数・旅行先」をすべて電話調査(NVS)から把握していた。これを、訪問等によるインタビュー調査に切り替え、「属性・旅行内容」については引き続き調査から把握しつつ、「旅行回数・旅行先」についてはデータソースをモバイルデータに置き換え、更に「態度・行動」に関する情報を新たに追加した。これらのデータは紐づけられており、すべてを統合して分析する基盤ができることになる。
データの質に対するこだわりが持つ強み
以上の取り組みでは、プロジェクトを主導しているTRAと、そこに関わっている主体との間でパートナーシップが組まれているが、こうした関係性は、いずれの主体にもデータの質に対するこだわりがあるからこそ成り立っていると考えられる。まず、言うまでもなく、TRAは専門の研究機関として、より正確で役に立つ情報を迅速に提供するために、データの質を高めたいという強い動機を持っている。そのためTRAが他の組織とパートナーシップを組む際には、その組織における、データの質に対する姿勢を特に重視している。その点、Roy Morgan社は、自社の実施するSingle調査において、統計学的に最良のサンプル抽出法や、最もコストのかかる「face-to-face」での調査法を採用している。またモバイルデータを提供する通信会社も、TRAからの要求に応えながら、政府統計として活用できる水準になるまで、長年にわたる共同研究を行ってきた。いずれもデータの質に対するこだわりを持っている証左であると言える。こうした姿勢を持つ組織があるからこそ、全く新しい、世界で最先端の観光統計が実現することになったのではないだろうか。
当財団では、長年にわたり旅行者の行動や意識に関する独自の調査を実施してきた。しかしデータの質の面では、こうした先進事例に学ぶ点も多い。今後、さらに「データの質」にこだわりを持ち、日本の観光統計や観光研究の更なる発展に向けて、調査の改良や新たな調査の開発を進めていきたい。
<参考文献>
1) Australian Trade and Investment Commission, THRIVE 2030 (2022)
2) THRIVE 2030 Industry Data and Expert Analysis Working Group,Recommendations Report (2023)
3) Roy Morgan, Helix Personas,
https://www.roymorgan.com/products-and-tools/helix-personas
4) Roy Morgan, How we collect and process Single Source data in Australia (2020)
5) 観光庁, 旅行・観光産業の経済効果に関する調査研究(2022)