特集②-4 オーストラリア・ニュージーランド視察の全体像と震災からの観光復興におけるガバナンスの様相
観光研究部 上席主任研究員
菅野正洋
オーストラリア・ニュージーランド視察の背景と目的
今回、オーストラリアとニュージーランドを視察対象地として選定したのには複数の理由がある。
まず、特集2‐1で川村が紹介しているようにオーストラリアにおいては、国家レベルのプロジェクトとして、観光統計のシステムに大規模な改変を加えようとしているという情報があった。また、特集2‐2で後藤が紹介しているようにオーストラリアやニュージーランドは移民の国として、もともと存在していた文化と新しくもたらされた文化のバランスを取りながら観光政策を進めていることが予想された。そして特集2‐3で岩野が紹介しているようにニュージーランドは日本と同様に地震国として震災を経験する中で、観光市場の変化に対応しつつ、復興を果たしてきている国でもある。
今回は、そのような両国を訪れることで、観光市場、地域資源、統計制度といった様々な側面からバランスよく観光のダイナミズムを実感・把握できうるとの目論見の下、視察を実施した。
上記の岩野の論考に続き、本稿では震災を経験した地域としてのニュージーランドの観光復興におけるガバナンスの様相について、概観していく。
はじめに
2011年3月11日に発生した東日本大震災から14年が経過しようとしている。その一方で、ルール大学ボーフム(Ruhr University Bochum)によると、日本は世界193ヶ国の自然災害(地震、津波、サイクロン、沿岸の洪水、河川の洪水、干ばつと海面上昇)に見舞われる可能性(Exposure)に関して、中国、メキシコに次いで高いと評価されている。また自然災害のうち地震に関して、南海トラフ沿いの大規模地震(M8からM9クラス)は、「平常時」においても今後30年以内に発生する確率が70〜80%であり、昭和東南海地震・昭和南海地震の発生から約80年が経過していることからも切迫性の高い状態であると評価されている。
さらにそのような中、2024年1月には能登半島地震が発生し、また8月には日向灘沖で地震が発生し、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」も発表された。
筆者は2011年の東日本大震災後、2012〜2015年度にかけて環境省が実施した「復興エコツーリズム推進モデル事業」に関与し、地域関係者が観光復興のために取り組む事業の側面支援を行っていた。上記の経験から、潜在的に災害発生のリスクを有している我が国においては、様々な事例の取り組みを客観的に概観することは、来るべき局面における含意を得る有用な手段であると考える。
そこで本稿では、大規模災害と、その観光復興のプロセスを事例として、観光地としてどのような計画やビジョンに基づき、またどのようなステークホルダー間の関係性の構造・リーダーシップの中で取り組みが進められてきたのかを把握・整理する。
調査概要
①調査対象
大規模災害の発生直後や中間期においては「復旧」対応が必要な一方で、観光産業や観光事業者の再興、あるいは旅行者の再獲得など観光面での「復興」は長期的な復旧のプロセスとなることが指摘されている(Faulkner, 2001)。
本稿では、東日本大震災とほぼ同時期に発生し、かつ発生から一定の期間が経過したニュージーランドのカンタベリー地震を対象とする。同地震は2010年9月4日(マグニチュード7・1)/2011年2月22日(同6・3)/2011年6月14日(同6・3)にクライストチャーチを含むカンタベリー地方一帯で発生した一連の地震の呼称である。
クライストチャーチはオークランドに次ぐニュージーランド第2の都市であり、南島の主要な都市圏を形成している。観光産業はこの地域における経済の中核をなしていたが、2007〜2009年の国際的な金融危機後は、特に主要なインバウンド市場(オーストラリア、英国、米国)が危機的状況に陥ったため苦戦を強いられていた(Amore&Hall, 2017)。
その経済にさらに決定的な影響を与えたのがカンタベリー地震であり、当時の人口30万規模のクライストチャーチにおいて、建造物被害は約10万戸(全壊約4000戸)、死者185名、負傷者約5800名の被害が生じた。経済的な損失額は約400億NZドルであり、国の資本ストックの2・5%、当時のGDPの20%に相当するとされている。
②調査方法
観光地としての計画やビジョン、あるいはステークホルダー間の関係性の構造・リーダーシップに関連する既往研究や公開されている行政資料、計画書、報告書等の文献を収集し、内容をレビューした。その上で、現地に赴いて復興の状況を目視するとともに、カンタベリー地震の復興局面における行政の対応や各ステークホルダーの動向について一定の知見を有する現地の大学の研究者と意見交換を行い、文献調査による情報を補完した。
カンタベリー地震からの復興局面における観光地ガバナンス
ここでは、Volgger ら(2017)が整理した「ガバナンスの主要な要素」のうち、「戦略的なビジョン」「リーダーシップ」「構造」をフレームとして、ガバナンスの様相を整理する。
① 「戦略的なビジョン」:クライストチャーチ中心地復興計画
クライストチャーチにおいては、時限付きで設立された行政組織であるカンタベリー地震復興庁(Canterbury Earthquake Recovery Authority:CERA)を中心として、2012年に「クライストチャーチ中心地復興計画」(Christchurch Central Recovery Plan)が策定された(その後2014年に改訂)。計画策定にあたっては、地域住民から復興のアイデアを募集しその結果が反映された(栗山ほか、2018)。
同計画では、掲げられた6つのキーワードの1つに「Great Place to work,live,play,learn and visit」があるように、観光交流も意識されたものとなっている。また、「Blue Print」(青写真)としてエリアをゾーニングしつつ、17の重点プロジェクト(Anchor Project)が計画されており(図1)、それぞれ具体的な位置が地図上で示され、併せて主導・連携する官民の主体の具体名が記載されている。
②「リーダーシップ」:復興局面においてDMOの果たした役割
クライストチャーチ市議会(Christchurch City Courcil:C C C)が出資し、同地域のDMOとして運営されていたクライストチャーチ・カンタベリー観光局(Christchurch and Canterbury Tourism:C&CT)は、観光客の回復を加速させるために、2012年に観光客回復戦略(Visitor Recovery Strategy:V R S)を発表した。同戦略は主要なステークホルダーと協力しながら、クライストチャーチとカンタベリー地域の競争力を高めることを目指していた。
観光地マーケティングを担う組織として、C&CTは主にオーストラリアや中国など主要な市場へのマーケティング活動に力を入れた。しかしながら、このような取り組みやクライストチャーチの再開発への関与にもかかわらず、観光客数の回復はVRSが予測した最悪のシナリオよりも遅れる状況となっていた。
その後2015年にC&CTは、CCCのイベント管理部門である組織等と合併し、単一の官民組織となった。
この新機関は、観光地のブランディングと都市開発を組み合わせるメリットを最大化し、重複によって生じていた非効率を最小化することを意図して発足したものである(Department of the Prime Minister and Cabinet(DPMC) New Zealand, 2017)。
AmoreとHall(2017)は、C&CTは復興局面の意思決定の議論において、わずかな役割しか果たせなかったと評価している。その背景には政府が進める地方自治体のガバナンスの改革の取り組みに、公共支出を引き締める「超新自由主義」的な特徴があったことを指摘している。特にDMOに関しては、海外市場に対するプロモーションのために国レベルのDMOに資金を投入する一方で、地方DMOに対しては資金注入が想定されておらず、主な活動資金を地方議会に頼るしかなかった状況があったようである。
③「構造」:復興のための財源
ニュージーランドでは、自然災害の歴史と第二次世界大戦を受けて1944年に地震・戦災基金が設立された。これは、すべての火災保険契約に上乗せされる賦課金によって、地震と戦争被害に対する保険を提供するものである。その後1993年に、地震・戦災基金は、地震委員会(Earthquake Commission:EQC)が管理する自然災害基金に置き換えられた。EQCが提供する保険はEQCover と呼ばれ、地震、自然地すべり、火山噴火、熱水活動、津波、これらの自然災害に起因する火災などが対象となる(Vero Insurance,2015)。このため、カンタベリー地震によって生じた損失額に対する保険による補償額の比率は他の大規模地震と比較して高くなっている(表1)。
2010年にかけて、この自然災害基金の残高は59億NZドルに達していたが、カンタベリー地震に関連する支出で使い果たすことになった。損害賠償請求がEQCの限度額を超えると、それ以上の保険損害は民間保険会社の責任となる。この請求の処理にあたり、査定に不満を抱く保険金受給者からの訴訟が提起されるなどの動きがあり時間を要することとなった(豊田ほか、2018)。
なお、この自然災害基金は住宅用不動産(住居、動産、土地)に関連する損失が対象であり、商業施設は対象としていない。住宅以外の事業者向け保険は住宅に比べて保険料が高額になるため、加入率は低く50%程度である。
このため、カンタベリー地震からの復興が遅れた原因として、クライストチャーチで多くの商業ビルが過少保険の状態にあったことも指摘されている(豊田ほか、2018)。
また、現地の研究者との意見交換では、復興の主たる財源が地震保険を原資とする基金と民間セクターである保険会社の保険金であったこともあり、不動産価値等の経済性が優先され、策定されたクライストチャーチ中心地復興計画の思想が十分に尊重されない、あるいは観光的な魅力の維持・創出に対する意識が働きにくいといった状況があったことも指摘された。
まとめ
本稿では、「ガバナンスの主要な要素」のうち、「戦略的なビジョン」「リーダーシップ」「構造」をフレームとして、文献調査や現地関係者へのインタビューを基にカンタベリー地震後の観光復興の取り組みにおけるガバナンスの様相を概観した。
その結果、カンタベリー地震においては、観光復興にあたってのガバナンスの要素として必要となる「戦略的なビジョン」やDMOを中心とした「リーダーシップ」が、それを支える「構造」としての「財源」の状況によって大きな影響を受けたことが把握された。すなわち、地方への財政支出を抑制する(代わりに民間に委ねる)政府の政策方針と、保険会社を中心とする民間の原資が復興財源の中心であったことが、結果としてDMOの活動のしやすさや計画推進のスピード、あるいは計画思想の尊重や観光魅力の維持・創出に対して抑制的に働いた状況が把握された。
一方、我が国の東日本大震災からの復興は、増税した国税や起債などの公的原資によってインフラや都市計画等の基盤となる部分を担保しつつ、公民連携のスキームによって地域側(行政・観光産業)の意向も取り込んだ復興が進められている。今回カンタベリー地震からの復興のプロセスを概観する中で、前記のような我が国の復興推進のあり方についての有効性を改めて感じた次第である。
また、わが国では近年、観光振興のための独自財源として各地で宿泊税の導入が進んでおり、その使途として公益性の高い事業や活動に充当されることが期待されている。将来的な大規模災害の発生が予期される中では、それに対する備え、いわば「事前復興」についても、財源活用を検討すべき使途の一つとなるのではないだろうか。
<参考文献>
1)大谷順子. (2014). カンタベリー地震の事例に見るニュージーランドの地震保険と被災地住宅の現状分析.
日本災害復興学会論文集, 6, 9-21.
2)栗山尚子, 大庭哲治, 石原凌河, 大島洋一, 岡絵理子, 辻川ひとみ他, & 森田恭平. (2023).
ニュージーランド・カンタベリー地震後の復興の都市デザイン. 都市計画報告集, 22(3), 474-478.
3)豊田利久, 金子由芳, 本莊雄一, & 山崎栄一. (2018). ニュージーランドにおける災害復興制度:現地調査を踏まえて. 災害復興研究, (10), 63-80.
4)Amore, A., & Hall, C. M. (2017). National and urban public policy in tourism. Towards the emergence of a hyperneoliberal
script?. International Journal of Tourism Policy, 7(1), 4-22.
5)Christchurch Central Development Unit. (2014). Christchurch Central Recovery Plan
https://ccc.govt.nz/assets/Documents/The-Council/Plans-Strategies-Policies-Bylaws/Plans/central-city/christchurch-central-recovery-plan-march-2014.PDF
6)Department of the Prime Minister and Cabinet (DPMC) New Zealand. (2017). Whole of Government Report: Lessons from the
Canterbury earthquake sequence
https://www.dpmc.govt.nz/sites/default/-files/2017-07/whole-of-government-report-lessons-from-the-canterbury-earthquake-sequence.pdf
7)Faulkner, B. (2001). Towards a framework for tourism disaster management, Tourism Management, 22, 135-147.
8)Office of the Auditor-General New Zealand. (2012), Roles, responsibilities, and funding of public entities after the Canterbury
earthquakes
https://oag.parliament.nz/2012/canterbury/docs/canterbury.pdf
9)Vero Insurance. (2015). Four Years on: Insurance and the Canterbury Earthquakes
https://www.vero.co.nz/documents/newsroom/deloitte-vero-four-years-on-insurance-canterbury-earthquakes-report-february-2015.pdf
10)Volgger, M., Pechlaner, H., & Pichler, S. (2017). The practice of destination governance: A comparative analysis of key
dimensions and underlying concepts. Journal of Tourism, Heritage & Services Marketing, 3(1), 18-24.
11)World Risk Report 2022. Bündnis Entwicklung Hilft, Ruhr University Bochum ‒ Institute for International Law of Peace and
Armed Conflict 2022.
https://weltrisikobericht.de/wp-content/uploads/2022/09/WorldRiskReport-2022_Online.pdf