特集③-3 シティカードをベースにした観光地マネジメントの実践
観光研究部 副主任研究員
江﨑貴昭
1.はじめに
DMOの「M」は、「マーケティング」と「マネジメント」の二重の意味を持つことは広く知られているが、デジタル技術の進展等による顧客の行動変化やコロナ禍による社会環境の変化を背景に、地域が重視すべき取り組みは「顧客をどのように獲得するかのマーケティング」から「どのように良質な経験を創造し続けるかのマネジメント」へ移行し始めている。マーケティングとマネジメントは別個の概念ではないものの、筆者がコロナ禍以降に訪れた欧米豪のデスティネーションの現場や研究者において、同様の見解を見聞きしてきた。
その「マネジメント」に代表される取り組みのひとつに、「シティカード」というものがある。欧州のデスティネーションでは、古くからこのシティカードが導入されてきたが、近年のデジタル技術の進展により、同カードを通じた旅行者の利便性向上や旅行者行動・満足度の把握等が試みられている。
筆者はこれまで自主事業、受託業務を通じDMOの運営・取り組み支援に携わってきた経験や、国内外のDMOやリゾートでの取り組みを見聞きした経験から、今日的な観光地マネジメントのあり方を整理する必要性を感じており、そのひとつの例として、シティカードに代表される旅行者向けカードの取り組みに以前から関心を持っていた。
そこで本稿では、欧州の中でも先進的に取り組みを進めているアムステルダムのシティカードに着目し、取り組みの最前線について概観するとともに、併せて訪問したヴェネツィアにおけるシティカードのシステムを基軸とした独自の施策展開について一部紹介する。
なお、本稿は、前述の内容について、アムステルダムのDMO「amsterdam & partners」及び「ヴェネツィア市役所」、ヴェネツィア市の100%子会社で交通機関やイベント運営等を行う「VE.LA. S.p.A.」へヒアリングした内容や現地で視察したことを踏まえ、公表資料等をベースに再整理したものであることに留意されたい。
2.シティカードとは
シティカードは、欧州等のデスティネーションで来訪者の利便性を高めることを主な目的として展開されている、特典付きの周遊パスのことである。
シティカードを購入することにより、カード1枚で提携施設の入場料や体験プログラムが無料または割引になる他、公共交通の無料乗車や観光施設等の優先入場といった特典を得ることができる。欧州では1970〜80年代頃からシティカードが導入され、現在、欧州だけでも40ほどのデスティネーションで展開されている。また、欧州内でのシティカード導入地域同士のネットワークコミュニティが存在し、シティカードに関する調査研究の発表やプロジェクト報告の機会が定期的に設けられる等、欧州内でもシティカードの取り組みは重要視されている。なお、シティカード導入地域の多くは、カードの発売・運営等をDMOが担っている。
3.アムステルダムで展開される「I amsterdam City Card」
アムステルダムでは1982年よりシティカードの発売が開始され、現在は「I amsterdam City Card」という名称で主に国外からの来訪者を対象に展開されている。特典内容は美術館や博物館の入場特典、公共交通機関の利用、運河クルーズ、自転車レンタル等で構成されており(表1)、カードは24時間券〜120時間券の5種類で発売されている(表2)。また、カードはアプリカードと物理カードのいずれかを選択することができる。アプリカードはオンラインまたは専用アプリで購入が可能で、カード購入後にメールで送られる認証番号を専用アプリに入力し、開始ボタンを押下することでアクティベートされる。物理カードはアムステルダム中央駅のI amsterdam ショップで購入することができ、最初の施設で使用を開始(=スキャン)した瞬間からアクティベートされる。いずれのカードも、アクティベート後からカードの使用上限時間( 24時間券であれば、24時間)が過ぎると、カードの機能が自動的に停止される仕組みだ。また、アプリにおいては、アプリカードの二次元コードの表示だけでなく、特典提供施設・体験の紹介やMAP上での表示、お気に入り施設・体験の保存といった機能を有している。
物理カードの裏面には識別バーコードが印字、アプリカードはアプリ内で二次元コードを表示することができ、各施設ではこのコードをスキャンすることで、カードの使用を記録する。各施設はシティカードの着券記録をamsterdam & partners にフィードバックし、各施設の入場料等の定価の一定割合の金額に着券数を乗じて精算を行う。なお、アムステルダムの地下鉄やトラムの改札機はクレジットカードのタッチ決済に対応しており、同じ改札機で、アプリカード及び物理カードのコードを読み取ることができる。
4.アムステルダムにおけるシティカードの意義
I amsterdam City Cardは、アムステルダムのDMOであるamsterdam & partnersが企画・発売・運営を行っている。DMOが運営を担う意図としては、かつては旅行者の利便性向上及びビジネスモデルとしての側面が強かったが、今日的には、観光地マネジメントの側面も併せ持っている。マネジメント視点でのシティカードを促進する狙いは、①中小のミュージアム(美術館、博物館等)訪問推奨による滞在促進、②シティカードの利用を通じた旅行者行動の把握の2つに分けられる。
① 中小のミュージアム等の訪問推奨による滞在促進
アムステルダムは、オランダ独自の建築物や美術、精巧に整備された運河などが世界で広く知られているが、ミュージアムの多さも魅力のひとつであり、アムステルダムの中心エリアだけで70を超えるミュージアムが集結している。一方、ゴッホ美術館やアンネ・フランクの家等、人気施設への需要が集中している他、特定の曜日・時間に混雑する傾向がある。
シティカードの利用を促進することは、旅行者に対し、著名な施設だけでなく、中小の施設や体験の「選択肢」を提供することと同義となる。また、シティカード購入時に提供するパンフレットや、アプリ内での施設・モデルルート紹介、アプリでのおすすめ情報のプッシュ通知等を通じ、中小の施設や体験の魅力、混雑時間帯等の情報を訪問者に提供することで、旅行者にダイレクトに行動変容を促すことも試行されている。amsterdam & partnersのDMOとしての取組目標のひとつに「Encourage dispersion(=分散の促進)」が掲げられているが、著名な施設以外の来訪も促すことはamsterdam & partnersのミッションのひとつであり、シティカードはそのツールとして位置付けられている。なお、現時点ではシティカードの利用促進による混雑解消や分散化効果の発現までは至っていないものの、シティカード利用者の中小のミュージアムの訪問者数は伸びており、訪問者の滞在促進に一定の効果を生んでいる。
② シティカードの利用を通じた旅行者行動の把握
シティカードの購入やアクティベート、着券等の記録から、旅行者動態に関する様々なデータを把握することが可能であり、amsterdam & partners では、収集したデータをもとに、様々な分析を行っている。まず、シティカードが購入及びアクティベートされたタイミングについて、曜日や時間帯を分析し、旅行者の旅行開始のタイミングを把握するとともに、購入とアクティベートの時間差から、どれくらい前に旅程が決まっているかについて分析している。また、各施設でのカードの着券記録により、需要が集中する曜日・時間帯について可視化するとともに、「どのような旅程を辿っているか」「どのくらいの施設を周遊しているか」「どのエリアやどのような施設に需要が集中しているか」といった旅行動態を把握している。さらに、混雑状況を加味したおすすめ訪問時間帯やスポット等に関するプッシュ通知を特定の利用者に送付することで、旅行者の行動がどう変わるかのA/Bテストも行われている。
これらのように、シティカードの提供を通じて、旅行者行動の全容の把握が可能となっている。なお、カード利用者には事後アンケートが配信されており、カード利用及びアムステルダム滞在に関する満足度や課題を調査し、事業の改善につなげている。
5.データは「特典」としての効果も
ここで少し、シティカードを経由して得たデータの活用に関連した話題をひとつ紹介したい。先に述べたシティカードを経由して得た旅行者動態等のデータは、DMOであるamsterdam & partners のマーケティングデータとしての活用に留まらず、同DMOが提供するデータダッシュボードである「Visitor Insight」において、その集計結果が掲載されている。観光振興を行う上で、データをもとに戦略立案を行う必要性があることは周知のとおりではあるが、近年、あらゆる観光関連データをダッシュボードの形で集約し、様々なステークホルダーが閲覧・分析できるプラットフォームの整備を進める例がいくつか見られる。
Visitor Insight もその一例となるが、特徴的なのは、ダッシュボードのアクセス権限が多層的だという点だ。
Visitor Insight は、シティカードのデータに加え、市内宿泊者数やスキポール空港の到着人数、観光関連施設の来訪者数、国際会議開催数等、公的な統計データから民間施設の提供データまでのあらゆる観光関連データを集約している。これらのデータを閲覧するにあたり、アクセス権限が①すべての人、②DMO会員、③データ提供施設の3層に分かれている。①すべての人においては、宿泊者数や空港到着人数、観光関連施設訪問者数といったデータの総集計結果の閲覧が可能となり、②DMO会員においては、①の閲覧権限に加え、各データの月別集計やシティカードの利用データ、国際会議数等の閲覧が可能となり、③データ提供施設においては、②の閲覧権限に加え、施設別の詳細データの閲覧が可能となっている。アクセス権限を多層的にしているのは、幅広い人にデータを公開することでDMOの取り組みの可視化やアムステルダムでの起業や新たなビジネスを生み出すための検討材料を提供する効果を持たせつつ、詳細データを限定的に公開することにより、DMO会員としての特典や各施設によるボトムアップ型のデータ提供にメリットを感じてもらう狙いがある。公的な統計データのみなら、行政の統計窓口からでも収集は可能であろうが、シティカードのデータのような旅行者の動きを捕捉するデータは、事業者個人では得ることができないものであり、有意義な「特典」としての効果を持っている。このように、ステークホルダーとの関係構築というマネジメント視点においても、シティカードから取得できるデータは一定の意義を持っていると言える。
6.ヴェネツィアのアクセスフィーとシティカードの関係
今回の視察で訪問したヴェネツィアにおいては、1997年よりシティカードが導入されている。かつては「Venice Connected」や「Venice Card」という名称で展開されたが、2013年より現在まで「Venezia Unica City Pass」という名称で展開され、島内の交通機関の利用やミュージアムの入場、公衆トイレの使用等の特典が用意されている。初期においては、ヴェネツィア島内のチケットオフィスでカードを購入する必要があったが、Venezia Unica のシステムとなってからは、事前にオンラインで購入可能なシステムが構築されている。
現在は、事前にオンラインで使用期間やオプションを選択し、決済をすることで、メールにて二次元コード型のバウチャーが送付される仕組みとなっている。
さて、ヴェネツィアはアムステルダムと並び、オーバーツーリズムが発生している地として著名だが、2024年の4〜7月の29日間に「アクセスフィー(=入島料)」を徴収する実証的な取り組みが行われたことで注目を浴びた。アクセスフィーは、ヴェネツィアへの日帰り訪問客を対象に5ユーロを徴収する取り組みである。ここではアクセスフィー施策自体の詳細な説明は割愛するが、特筆すべき点は、アクセスフィーの徴収をVenezia Unicaのシステムで行っているということである。ヴェネツィア訪問者は、自身で事前にVenezia Unica のシステム上で属性情報や訪問予定日を登録し、オンライン決済を行う形でアクセスフィーを支払う。決済完了後は訪問者にバウチャーが発行され、実際の訪問時にヴェネツィア島内で待機しているスタッフにバウチャーを掲示することで、支払いの確認がなされるといった運用の形となっている。なお、住民においては事前登録及び支払い義務は発生しないが、宿泊客においては、支払い義務は発生しないものの、Venezia Unica システム上での事前登録が必要となり、宿泊客であることが証明されるバウチャーが発行される。
ヴェネツィア市の資料によると、アクセスフィーの実証の成果として、「ヴェネツィア島内にいつ、どんな人がどれくらい訪れるか」の事前の把握が可能となったことを述べている。これにより、島内の清掃や警備等の計画を立てる上で有効なデータが入手できるようになった。このような「事前の訪問者数の把握」が可能となったのも、従前よりVenezia Unica のオンラインシステムを構築していたことが大きいと言えるだろう。
なお、アクセスフィーの実証は2025年においても継続されることが発表されている。対象期間は54日間に拡大されるとともに、支払い額は事前登録を訪問日の4日前までに行うと5ユーロ、訪問日前3日以内での登録の場合は10ユーロと傾斜をつけ、訪問者の事前把握の精度向上やアクセスフィー徴収による訪問者数の影響などを引き続き検証していく予定だ。
7.まとめ
ここまで、アムステルダムにおけるシティカードの取り組み状況及び、ヴェネツィアにおけるシティカードのシステム活用について述べた。いずれの地域においても、古くよりシティカードの提供を通じ、旅行者の利便性向上に努めてきたが、今日においては、デジタル技術の進展に伴い、シティカードの取り組みをベースに、独自の手法で旅行者の行動を捕捉するチャレンジをしていた。アムステルダムでは、シティカードの利用状況から混雑の可視化や旅行者行動の把握を試みており、ヴェネツィアにおいては、シティカードのシステムを用い、訪問者数の事前把握の精度を向上させている。
このように、来訪者の行動を正確に捕捉することで、地域側では事前の準備が可能となる他、来訪しているまたは来訪することが決まっている人々へのコミュニケーションが可能なことから、今後は来訪者の適切な「誘導」に関する施策がさらに展開されていくことが予想される。
今回の視察から、観光地のマネジメントは科学的な領域へレベルアップしていることをシティカードという切り口から学び取ることができた。この一連の取り組みは、国内の観光地においても大いに参考になるだろう。無論、両地域の「事例」は、シティカードを含むこれまでの取り組みや議論のストックと連続性があり、現在につながっているということに留意が必要である。
〈参考文献〉
1)I amsterdam City Card WEBサイト(https://www.iamsterdam.com/en/tickets/i-amsterdam-city-card)、
最終閲覧2024年12月5日
2)City Cards Project WEBサイト(https://citydestinationsalliance.eu/initiatives/City-Cards-Project/)、
最終閲覧2024年12月5日
3)データダッシュボード「Visitor Insight」(https://amsterdam.visitorinsight.nl/Dashboard)、
最終閲覧2024年12月5日
4)ミラノ工科大学経営学部のデジタル イノベーション研究所資料
「Involving cultural institutions and attractions in a shared tool for visitor data sharing:
the Amsterdam case」(https://eng.osservatori.net/en/products/formats/business-cases/involving-cultural-institutions-attractios-shared-tool-visitor-data-sharing-amsterdam-case-business-case)、
最終閲覧2024年12月5日
5)Venezia Unica City Pass WEBサイト(https://www.veneziaunica.it/en)、
最終閲覧2024年12月5日
6)Venice Access Fee WEBサイト(https://cda.ve.it/en/)、
最終閲覧2024年12月5日