視座

暗中模索を続ける世界の観光地

変化を続ける世界

 筆者は、2023年11月発行の観光文化259号「ポスト・コロナの観光地マネジメント〜京都市〜」の視座において、「我々は、コロナ禍(パンデミック)の後、改変された時間軸にいるのではないか」とのコメントを述べた。
パンデミックの前後の現実が「同じようなのに、少しだけ違う」と感じる部分が多かったからだ。
 今年度実施した3つの地域、米国ハワイ州、オセアニア、そして欧州の視察は、その思いを強めるものだった。
 パンデミックから、早期に回復した米国は、国内の観光需要の回復も早く、ハワイ州の観光は、量的に見れば2022年度にはパンデミック前の水準に戻っていた。しかしながら、そこに日本人の姿はない。2023年5月発行の観光文化257号「ポスト・コロナで再起動する海外旅行」において分析したように、パンデミック中に日本人の海外旅行に関する市場構造は大きく変わってしまったからだ。ハワイ州は、日本人にとって、最大級のデスティネーションであり、ハワイ州の観光事業者にとっても重要な需要であっ
たが、2024年夏となっても観光客数が回復しない状況に直面し、日本市場に頼らない「世界」を考えざるを得ない状況となっている。

 オセアニアはオーストラリアとニュージーランドで、大きな違いが生じていた。かつて、オーストラリアにとって観光産業は「輸出産業」であったが、天然資源の産出国として堅調に経済が推移し、比例して人口も増大していったことで、国内需要が増大。かつて、日本人などインバウンド客が多く押し寄せていたゴールドコーストは、国内客があふれ、国内資本による投資が多く行われるリゾートとなっている。2032年の夏季オリンピックの開催地となるブリスベンでは、中心を貫くブリスベン川を起点としたライフスタイル型とも呼べるような都市再開発が行われていた。シドニーも同様であり、ベイエリアでは業務・住宅・観光が高度に複合する大規模な再開発が進行中であった。ハワイ州同様に、パンデミックによって海外との交流が抑制されたことで、内需主導に転換したといえよう。

 一方、ニュージーランドのクライストチャーチは、2011年に発災したカンタベリー地震からいまだに復興途上にある。ニュージーランドは、2024年3月発行の観光文化260号「世界の観光ダイナミズム2023」でも取り上げたように、自然環境や文化を主体に持続性の高い観光を志向しているが、突発的な事態への対応力という点では課題を感じる状況である。その理由の一端は、特集2‐4でも整理しているが、震災やパンデミックによってNZ社会における観光の影響力、プレゼンスが低下していると感じた。このように、オーストラリアとニュージーランドは、隣国でありながら、観光のあり様は大きく変わってきている。これも、パンデミック期間中の断絶によって、その変化が加速度的に生じた結果であろう。

 欧州、オランダのアムステルダムと、イタリアのヴェネツィアは、スペインのバルセロナと並んでオーバーツーリズムの象徴的存在となっている地域である。いずれもパンデミック前から人気の観光地であり、オーバーツーリズムに関わる各種の問題が発生していたが、パンデミックによる「中断」を経て、再び多くの観光客が訪れるようになっている。その姿はパンデミック前と同様に見えるが、今回、現地で関係者と意見交換する中でわかってきたことは、パンデミックという冷却期間の中で議論や研究が積み重ねられ、新しい「対策」が展開されているということだ。詳しくは、特集3で整理しているが、その取り組みは地域分散、条例策定、データ取得と検証による計画立案修正などなど、多方面に広がっている。
ヴェネツィアの入島税も、地元自治体だけで実現できるものではない。事業者との議論を通じて理解を得て、さらに、国内法の制限がある中で特別に税として制度化し、世界でも初めてとなる取り組みにチャレンジしている。これは、両地域ともパンデミック後にオーバーツーリズムが再来することを見越し、着実に準備を進めてきたことを示している。さらに興味深かったのは、両地域とも「世界的に観光需要が増えているのだから、人気のある当地により多くの人々が訪れることは当然であり、それを前提とした対応が必要である」という認識を持っていたことである。パンデミックを経て、両地域における観光地マネジメントの次元は一つ上がったと感じる。

学術的なアプローチ

 一方、2024年の学術研究はどのような傾向を見せていたのか。昨年に引き続き、観光系の代表的な研究ジャーナルである「Annals of Tourism Research」を見てみよう。本ジャーナルは2024年に6号出され、掲載された論文は93本であった。その内容は多岐にわたるが、環境問題への対応、情報社会におけるマーケティングといったテーマが多く確認できる。例えば、Anna Torres-Delgado 他は、カーボン・フットプリントの動きにDMOがどのように対処すべきかを分析し、Marta Nieto-García他は持続可能な観光の推進にあたり、消費者と研究者の間で発生する問題について論じている。Sabina Albrecht他は、観光の「楽しさ」が環境保護行動と衝突するかについて研究を行った。また、Alena Kostyk 他は、バーチャル・リアリティと観光地ブランドとの関係について研究し、Guang-Xin Gao他は、新しい技術であるブロックチェーンを利用したプラットフォーム登場の可能性について論じている。
 また、今日的な観光魅力についての研究テーマも多く見られた。例えば、Thanakarn Bella Vongvisitsin他は、都市コミュニティに立脚した観光開発、Jillian Rickly他は観光経験における「本物らしさ」を、Shalini Bisani他は、観光地ブランドについて論じている。
 この他、目についたのは、社会の中で「観光」はどう位置づけられていくのかということをテーマとした研究が散見されたことである。例えば、Scott McCabe は「Theory in tourism」と題して観光が地域の経済やコミュニティとどのように関わっていくべきなのかということについて、改めて整理を行っている。同様の考察は、Raoul V. Bianchi他や、Kewen Wang他、Qingyun Pang他なども行っている。
 こうした動きは、環境やDXといった社会全体の変化に加え、パンデミックを経て観光の受給構造や、その外側となる経済、地域と観光との関わり方が変化してきていることを示している。
 観光市場は、国際的な需要増大に合わせて拡大を続けてきた。これは、正の効果だけでなく、オーバーツーリズムのように負の効果も発生させてきたが、人は、何かを得られることよりも、失うことの方が強く意識をしてしまう傾向にある。そのため、観光振興による効果も、「渋滞によって時間がかかるようになった」「以前の価格で買えなくなった」「うるさくなった」など、負の効果の方が強く認識されがちである。オーバーツーリズムとして、観光の弊害が各所で伝えられる理由は、ここにある。しかしながら、パンデミックによる強制的な観光の休止は、それまで薄弱に認識していた観光の正の効果を強く実感することになった。皮肉なことに「失った」ことで、改めて、その存在の大きさ、地域社会・経済との関わりの強さが広く共有されたといえるだろう。
 こうした関係性を改めて示したのが、前述したScott McCabe による論文「Theory in tourism」での整理である。McCabe は、観光に関わる事象レベルを3つに区分し、観光の議論において、どのレベル、事象が対象となっているのかを意識し、その位置
づけを明確にすることが必要だと主張している(図1)。

 この整理を基にすると、観光にかかる日本での近年の議論の多くは、観光地マーケティングのようにマイクロ・レベルに立脚したものが多いことがわかる。しかしながら、地域社会における観光の存在感が増大してきたことで、観光は観光業界だけの問題ではなくなってきている。気候変動への対応もその一つであるが、観光によって地域経済をどのように形成していくのかも大きな課題となっている。例えば、前述したQingyun Pang他は、中国・元陽県の農村観光を対象に、政府主導、企業主導、コミュニティ主導による来訪者のロイヤルティや消費性向の違いを分析した。結果、コミュニティ主導の効果が高く、所得分配にも有効に作用すると報告している。観光の世界的な隆盛に伴い、国際的なホテルチェーンが登場し、大規模な投資ファンドも登場している。地域に立地する事業者タイプによって、観光消費が地域にもたらす経済効果も大きく変容する。地域にどういった観光「資本」を集積させ、どういった産業形態を構築していくのかは、大きな課題となっていくと考えている。

観光地「管理」から「経営」への転化

 各方面への視察や、学術研究の動向を見ていて感じるのは「観光地マネジメント」が高度化してきているということだ。2024年3月発行の観光文化260号「世界の観光ダイナミズム2023」でも指摘したように、昨年度の時点で「マーケティング」は、どの地域でも控えめとなっていたが、今年度は、さらにその傾向が強まっている。その一方で、前に進んでいる地域ほど、強化してきているのは、観光課題への対応のための枠組みを地域社会全体に広げてきているということである。例えば、アムステルダムやヴェネツィアでは、時間的・地域的な観光客集中を避けるために税制度や交通サービス、開発制御(建築規制)など地域政策全体と一体的な対応が展開されている。旺盛な内需と、オリンピック誘致という追い風を受けながら、新しい価値観に基づいた都市開発を進めているブリスベンは、オーストラリアを代表する都市となっている。ハワイ州は、これまでDMOであるハワイ・ツーリズム・オーソリティ(HTA)に「観光はお任せ」であったが、2021年にホノルル市郡に経済活性化局(OER)を新設し、地元食材の調達拡大に向けた取り組みを展開してきている。一方で、HTAの予算は削減されており、観光客とのコミュニケーション量は減少、ポスト・コロナの新しい観光行動として打ち出したリジェネラティブ・ツーリズムは市場に浸透しているとは言い難い。また、NZのクライストチャーチは、かつて、ガーデン・シティと呼ばれた美しい都市であったが、今の同市にその面影はない。
これは、震災とパンデミックによって、観光の地域社会における位置づけが希薄となり、観光都市としての再生活動が滞ってきたことが理由だろう。
 McCabe の整理に基づけば、アムステルダムやヴェネツィアなどは、マイクロからマクロレベルまで広範に対応している一方で、クライストチャーチはマイクロレベルのみ、それも限定的な取り組みとなっているといえる。
 これらは、それぞれの地域がもともと持っている「観光的魅力」だけでは、その魅力を持続させることが困難な時代となり、マクロレベルまで取り込んだ総合的な取り組みが必要な時代となったことを示している。
 ところで、「マネジメント」は日本語で、「管理」と訳すこともできるし、「経営」と訳すこともできる。ただ、当然ながら、双方が持つ意味は違う。
限定された資金や人材などの範囲内で取り組みを行う「管理」に対して、各種の資源を時系列的に傾斜配分することで実施体制そのものを強化していくのが「経営」となる。少し前の「観光地マネジメント」は、管理に相当する概念であったが、「先進地」のそれは経営に相当する概念にまで高まってきているのではないだろうか。
 マネジメントが経営概念にまで高まったと考えれば、マーケティングへの言及が弱まり、マネジメントへの言及が多くなることも理解しやすい。経営があってこその、マーケティング活動であることは自明だからだ。

最後に

 我々は、日々さまざまなことを考え、意思決定を行っているが、その際の基準となるのは、自身が培ってきた経験や知識の範囲内のものであることが多い。そのため、外部環境が変化しても、その変化を正しく捉えることができず、いわゆる現状維持バイアスが生じてしまう傾向にある。特に、過去「成功」し、安定した状況を確立していると、その傾向はさらに強まることになる。
 ただ、前号、観光文化263号「不確実な時代に求められる観光研究の役割」でも示したように、観光を含む現代社会はVUCAが「基本」となっている。海外地域がたどっている筋道の違いは、VUCAへの対応力の違いと読み替えることができるだろう。
 人口縮小が進む我が国において、観光産業の隆盛は国の行く末を左右する戦略的存在であると私は考えている。
 我々には、観光によって、どのように社会が変わっていくのか、また、社会によって観光はどのように変化するのかを、これまで以上の広がりと深さをもって見極め、時代に対応する「経営」手法を立案し実践していくことが求められている。国内だけでなく、国外の研究者やDMO関係者などとも連携しながら、この難題に取り組んでいきたい。