特集② 観光がひらく、もう一つの居場所

〜繋がり、発酵する関係性が地域を変える〜

人口減少が進む地域において、観光は単なる交流人口の拡大ではない。
人と人の関係性を再編し、埋もれていた可能性をひらく営みである。

株式会社KURABITO STAY
代表取締役 田澤麻里香(たざわ まりか)

長野県小諸市出身。旅行会社勤務を経て独立し、観光地域づくりに携わる。2019年に創業、2020年に酒蔵に滞在しながら酒造りを体験する「酒蔵ホテルⓇKURABITO STAY」を開業。
35カ国以上からゲストを受け入れる。内閣府クールジャパンプロデューサー。地域文化と観光を掛け合わせた体験設計を専門とする。

1 観光は「人の関係性」を編み替える

 観光は、単なる交流人口の拡大装置ではない。人の生き方や、地域との関わり方そのものを編み替える力を持っている。私は近年、その可能性を、特に「女性」という点から強く感じている。
 地方で暮らす女性、とりわけ自立的な意識を持つ人ほど、生きづらさを抱えている現実がある。子育てや家族との関係、地域の慣習、既存の組織構造ーーそれらは決して悪意のあるものではないが、結果として個人の選択肢を狭めてしまう。凝り固まった性別役割分担の意識が、女性は、母は、「こうあるべ菌」という見えない胞子を降り注ぐかのように、静かに、しかし確実に人の行動範囲を規定している。「女は黙って言うことを聞いていれば良いんだ。」、と言われたことは一度や二度ではない。
 私自身も、子育てをしながら「このまま、自分の人生を終わらせたくない」との思いを募らせ、既存の制度の中では突破できない壁を感じてきた一人だ。保育施設のキャパシティ問題、時間の制約、社会や家族からの役割の期待、評価軸の不在。それらは一つ一つは小さなことのようでいて、積み重なると確かな閉塞感になる。

2 観光というフィールドの自由度

 転機となったのは、自ら事業を構想し、酒蔵というパートナーと出会ったことだった。観光というフィールドは、不思議な自由度を持っている。既存の産業のように厳密に役割が固定されているわけではなく、アイデア次第では比較的小さな投資でも参入でき、さらに「何を価値とするか」を自分たちで定義できる余地がある。特にインバウンドをターゲットにしたツーリズムに対しては、これまでの国内需要向けのノウハウをそのまま適用してうまくいくほど単純ではなく、絶対的正解もない。だからこそ、そこに自分の思想や美意識を持ち込むことができる。「これは、きっと自分の人生を取り戻す最後のチャンスだ」、そう思った私は、人生で初めて銀行から1000万円の借入をした。

 無謀だと言われたこともある。私が事業をしている佐久市は観光地ではないし、酒蔵という長い歴史と厳格な文化を持つ場所に、外部の人間で、かつ30代の女性が関わること自体が、そもそも前例の少ない試みだった。しかし、小さくても自分の意思で始めた取り組みは、やがて形を持ち始めた。試行錯誤を繰り返しながら事業が育っていく中で、私の世界は大きく広がり、かつて距離を感じていた既存組織やビジネス界隈の人々とも、次第に接点が生まれていった。

3 内と外のあいだで価値は立ち上がる

 ここで重要だったのは、「外から来た人間が何かを変える」という構図ではなく、「内と外の関係性が再編されていく」というプロセスである。観光は、その媒介として機能する。外部のゲストが訪れることで、地域の人々が自分たちの文化や営みを言語化し直す必要が生まれる。私はこれを「価値の翻訳」と呼んでいる。その過程で、これまで当たり前すぎて意識されてこなかった日常が、価値として輪郭を持ち始める。
 酒造りの現場は、その象徴的な場所だ。発酵という現象は、人の意図だけでは制御しきれない。温度、湿度、微生物、時間││さまざまな要素が重なり合って、ようやく一つの酒が生まれる。その繊細なプロセスに立ち会うと、人は「効率」だけでは測れない、見えない世界の存在に気づく。かつて蔵人たちが当たり前のように過ごしていた日常そのものが、唯一無二の価値になる。

4 観光は「発酵」に似ている

 観光は、その発酵のプロセスに似ている。人と人が出会い、時間を共にし、言葉を交わし、何かがゆっくりと変化していく。この事業に共に関わる中で、街の人同士も繋がりを再認識する。すぐに結果が出るわけではないが、確実に何かが醸成されていく。数ヶ月後、数年後、ゲストがリピーターとなって「あの人にまた会いたい」と、街を訪れる。この「繋がり」と「時間の質」を提供できるかどうかが、これからの観光の本質的な価値になると私は考えている。
 効率化が極限まで進んだ現代において、「時間をかけること」自体が価値になる領域は限られている。その中で、酒造りと観光は、共に「時間を味わう」産業である。だからこそ、この二つが重なり合うとき、他にはない深い体験が生まれる。

5 埋もれていた女性たちの変化

 興味深いのは、地域の中に埋もれていた女性たちの変化である。これまで表に出る機会のなかった人たちが、観光というフィールドを通じて、自分の役割を見出し始めた。料理、接客、語り、気配り││日常の中で培われてきた力が、価値として可視化されていく。
 たとえば、ある女性は「自分は特別なことは何もできない」と言っていた。
しかし、彼女が何気なく作る家庭料理に、ゲストは強く心を動かされた。その料理には、レシピには書けない土地の記憶や、季節の感覚、暮らしの知恵が詰まっていたからだ。観光は、それを「価値」として外部に提示する場をつくる。
 このプロセスは、単なる労働参加ではない。「自分の存在が地域やゲストに必要とされている」という実感を伴うものだ。その実感は、人の内側にある自己認識を静かに書き換えていく。

6 人口ではなく「空気」が変わる

 もちろん、観光が人口減少を直接的に食い止めるわけではない。しかし、地域の空気は確実に変わる。外からのまなざしが入り、内側の価値が再定義され、人の関係性が更新されていく。
閉じていたものが、少しずつ開かれていく。
 この「空気の変化」は、統計には現れにくい。しかし、地域の持続性を考える上では極めて重要な要素だ。なぜなら、人がその場所に関わり続けるかどうかは、最終的には「居心地」によって決まるからである。

7 観光がひらく未来

 観光と女性の相性の良さは、国際的にも指摘されている。柔軟な働き方、多様な関わり方、そして「関係性をつくる力」が求められるこの領域は、従来の産業構造では活かしきれなかった人材を引き出す装置になり得る。
 酒蔵もまた、本来そうした価値の集積体である。発酵という時間の営み、季節とともにある生産、地域の水や米に依存した土地性。これらはすべて、近代的な工業生産とは異なる価値軸の上に成り立っている。だからこそ、観光との親和性が高い。
 観光とは、場所を売ることではなく、人の可能性をひらく営みである。誰かにとっての「居場所」が増えるとき、その地域は静かに、しかし確実に強くなる。私はこれからも、その穏やかでゆっくりとした変化の場をつくり続けていきたい。