③ 地域内関係者の資源利用をめぐる観光ガバナンス
北海道標津町を事例に

保全と利用のバランスが求められる「鮭(サケ)」などの地域資源の体験観光での活用をめぐり、酪農業、漁業、観光関係者はどのように合意形成・調整を図っているのか。北海道・標津町の「エコ・ツーリズム協議会」の活動を通じて考察する。

阪南大学
国際観光学部 国際観光学科 教授
森重昌之


1 地域内外の多様な関係者のかかわり

 日本における観光ガバナンスの研究はまだ緒についたばかりであるが、海外では10年ほど前から盛んに議論されている。観光ガバナンスとは、「不確実性の高い移動を伴う来訪者も含めた、観光にかかわる多様な関係者の意思決定や合意形成を促すとともに、その活動を規律・調整するためのしくみやプロセスとその考え方」である(1)。ここで「多様な関係者」に焦点を当てると、大きく2つの視点に分けられる。
 1つは「地域内」関係者の多様化である。従来の観光は宿泊や交通、飲食、物販など、一部の事業者で完結していた。しかし、観光形態の多様化や観光とまちづくりの接近により、地域住民を含めた地域内の多様な関係者のかかわりが求められるようになった。DMOや観光地経営に関する議論はその典型であり、国内外で幅広く研究が行われている。
 もう1つは「地域外」関係者のかかわりの多様化である。特に人口減少社会を迎えた日本では、地域外関係者のかかわりに注目が集まっている。地域外からの来訪者は観光客だけでなく、リピーターや長期滞在者、二地域居住者、移住者など多様であり、彼らのかかわりによるまちづくりが期待されている。これらは観光行動面から捉えた研究が多いが(2)、近年は関係人口のように地域側からの議論も始まっている(3)。
 観光ガバナンスの議論の背景には、こうした関係者の多様化があげられる。今回は地域内関係者の多様化の面から、北海道標津町を事例に観光ガバナンスの現状と課題を紹介したい。

2 標津町の体験観光の概要

 標津町は、北海道東部に位置する人口約5200人の酪農業と漁業の町である(図1)。標津町が本格的に観光に取り組み始めたきっかけは、日本有数の漁獲量を誇るサケの安全性をPRするために、2000年に実施したモニターツアーであった。漁業者はそれまで、「観光は自分たちに関係ない」と考えていたが、漁業者の取り組みに感心するツアー参加者を目の当たりにして、彼らもサケを購入する消費者であることに気づいた。つまり、漁業者が「自分たちも観光のステイクホルダーである」と認識するようになった。そこで、酪農業も含めた町内全体で体験観光を推進する組織として、2001年に「標津町エコ・ツーリズム交流推進協議会(エコ・ツーリズム協議会)」が発足した(4)。

 


 エコ・ツーリズム協議会には観光協会や農協、漁協、商工会、旅館組合、町役場、ガイド協会など、町内の20団体が参加している。現在は主に修学旅行生を受け入れており、酪農体験やサケ荷揚げ見学、イクラづくり体験、カヌー体験、北方領土学習など、地域資源や産業を活用したツアーを実施している。実際のツアーは次のように進められている。まず、①エコ・ツーリズム協議会が受け入れ窓口となり、②ツアーメニューやガイドの手配はガイド協会、③宿泊(分宿)は旅館組合が調整する。そして、④ガイド協会から農協や漁協などに協力を依頼し、⑤当日のツアーの実施はガイド協会が担当する(図2)。

 



 それでは、エコ・ツーリズム協議会が体験観光を推進するにあたってどのような役割を果たしているのか、観光ガバナンスの視点から捉えてみよう。

3 資源利用をめぐる関係者間での合意形成

 標津町では、モニターツアーの成功を受けて体験観光を推進することになった。その際に、観光振興を目的とするのではなく、地域の産業振興やまちづくりに資する観光をめざした。このことは、エコ・ツーリズム協議会規約の中でも「地域資源を活用した滞在型の体験観光を産業団体など関連する団体の協働によって推進して…(中略)…ふるさと意識の醸成や地場産業の幅広い活動に利用して、魅力と誇りある町づくりを進める」と明記されている。
 観光振興そのものが目的ではないので、地域資源の観光利用にあたっては、産業面での持続的な利用を前提とすることが確認された。エコ・ツーリズム協議会には、地域資源の保全と産業利用を考える農協や漁協も、観光利用をめざす観光協会や旅館組合、ガイド協会もかかわっている。その中で、体験観光を推進する前に、地域資源の利用をめぐる関係者間での合意形成が図られた。これによって、地域資源の行き過ぎた観光利用にも歯止めがかけられる。毎年エコ・ツーリズム協議会総会で活動方針が確認されるが、これまで地域資源の観光利用をめぐるトラブルは起こっていない。このように、地域資源を観光利用する前から、その保全と利用をめぐるルールが共有されていた。

4 地域資源にかかわる機会の創出

 エコ・ツーリズム協議会は、地域資源に多様な関係者がかかわる機会をつくり出している。例えば、サケは漁業者が排他的に利用できる資源であるが、実際には見学や体験、食事、シンボルなど、さまざまな形で観光利用されている。エコ・ツーリズム協議会は、関係者間での合意を前提に地域資源の多様な利用を認める場になっている。
 前述したモニターツアーは漁業者と旅館業者、町役場で役割を分担しながら実施したことから、体験観光の推進においても他団体のかかわりが重視されていた。また、当時の町長が、漁業だけでなく酪農業を含めた体験観光の展開を強く求めたことも、エコ・ツーリズム協議会に多様な関係者がかかわるきっかけになった。このように、多様な関係者に地域資源のかかわりを認めることで、サケが「みんなのもの」として共有され、地域資源に対するコモンズの意識が醸成されている。関係者のかかわりの深さに応じて発言権を認めようという理念は「かかわり主義」と呼ばれているが(5)、エコ・ツーリズム協議会の運営にもかかわり主義の思想が見られる。

5「ハイブリッドな実践」による新たな価値創造

 Bevirはガバナンスに特有の特徴の1つに、行政システムに市場や非営利組織の手法を組み合わせた「ハイブリッドな実践」をあげている(6)。このハイブリッドな実践に着目すると、エコ・ツーリズム協議会によって関係者間のネットワークが再構築され、地域内でさまざまな変化が起こった。例えば、それまで酪農業と漁業の関係は希薄であったが、2003年度から「産業環境に関する懇談会」を開催し、双方の共通基盤である自然環境の保全活動に協働して取り組んでいる。また、2007年に町内の異業者が「産業クラスター研究会」を発足し、サケを活用したペットフードの開発や首都圏での「標津ブランド丼」の店舗展開などを図っている。
 一方、町役場は地域外からの評価が活動の促進につながると考え、体験観光を積極的に地域外にPRした。その結果、2006年に「オーライ!ニッポン大賞」、2008年に「平成20年度地域づくり総務大臣表彰」地方自治体表彰を受賞した。また、2007年10月にはこれまでの取り組みが評価され、「日本で最も美しい村連合」にも加盟できた。

6 エコ・ツーリズム協議会の課題と現状打破の可能性

 標津町では、多様な地域内関係者がかかわるエコ・ツーリズム協議会によって体験観光を推進してきた。そして、ここで形成されたネットワークがまちづくりに生かされてきた。しかし、体験観光に取り組み始めてから20年近くが経ち、新たな課題にも直面している。
 顧客満足度の高いツアーを続けているが、2000年代に見られた新たな価値創造が継続できていない。エコ・ツーリズム協議会には新たな取り組みを提案する「かかわり」の機会があるが、関係者のかかわり意欲が下がっている。つまり、しくみは整っているが、その機会を生かしきれておらず、ハイブリッドな実践というガバナンスの特徴を発揮できていない。その背景には、エコ・ツーリズム協議会が関係者間の水平型ネットワークゆえにリーダーシップを発揮しづらいこと、もともと観光振興だけをめざしていなかったことに加え、近年のサケ漁業の低迷による影響も大きい。
 他方で、エコ・ツーリズム協議会の外部では新たな胎動も見られる。例えば、漁業者の女性グループである「しべつAMIE」は、漁業資源を使った商品開発・販売を始めている。また、若手酪農家からなる「標津ベコスケ」や若手漁師による「標津漁師会」が発足し、農産品や魚介類の消費拡大や付加価値向上に向けて活動しているほか、両者が連携して料理を提供する「漁農食堂」も展開している。さらに、これらのメンバーの中には体験観光にかかわっている者もいる。標津町はこれまで産業を取り巻く危機を何度も克服してきた。今後、意欲の高いこうした団体にも「かかわり」の機会を認めることで、エコ・ツーリズム協議会が持つガバナンスの効果を高めていく必要があろう。(もりしげ まさゆき)

 

 

 

 

 

森重昌之(もりしげ まさゆき)
阪南大学国際観光学部長・
教授、博士(観光学)
大阪府豊中市出身。金沢大学経済学部、同大学院経済学研究科修士課程を経て、パシフィックコンサルタンツ株式会社、株式会社計画情報研究所に勤務。その間に北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院博士後期課程を修了、博士(観光学)号を取得。2011年に阪南大学国際観光学部に着任、現在に至る。著書に『観光による地域社会の再生』(現代図書、2014年、観光学術学会平成27年度学会賞「教育・啓蒙著作賞」受賞)、『はじめて学ぶ生物文化多様性』(共編著、講談社、2020年)など。

【注】
(1)森重昌之・海津ゆりえ・内田純一・敷田麻実(2018)「観光まちづくりの推進に向けた観光ガバナンス研究の動向と可能性」『観光研究』Vol.30, No.1,p.29.-36
(2)小原満春(2019)「ライフスタイル移住の意思決定に関する研究−観光経験による態度形成過程を中心としたアプローチに向けて」『観光学評論』Vol.7, No.2, p.111-122などを参照のこと。
(3)田中輝美(2017)『関係人口をつくる』木楽舎などを参照のこと。
(4)エコ・ツーリズム協議会発足までの経緯の詳細については、森重昌之(2014)『観光による地域社会の再生』現代図書、p.91-104.を参照のこと。
(5)井上真(2004)『コモンズの思想を求めて』岩波書店、p.142
(6)Bevir, M.(2011)Governance as Theory, Practice, and Dilemma, Bevir, M. ed., The Sage Handbook of Governance, Sage, p.2.