視座「デスティネーション・ガバナンス」の概念整理と我が国における方向性

公益財団法人日本交通公社 総務部企画創発課 上席主任研究員 菅野正洋

1 はじめに

 2017年7月に発刊した本誌「観光文化」234号では、「デスティネーション・マネジメントの潮流」と題する特集を企画した。
 発刊当時、観光による地域振興の司令塔として「観光地経営」を担うDestination Management/Marketing Organization(DMO)への期待が高まっていた。また当財団では、かねてより観光地をマネジメントの対象として捉える「観光地経営」の重要性を指摘し、「観光地経営の視点と実践」等の刊行物としてその考え方を整理しつつ、受託調査等の中でもその概念を応用することで、理論化と実践を行ってきていた。
 上記のような「観光地経営」と、用語としては対応する海外の「デスティネーション・マネジメント(Destination Management)」概念の誕生や変遷について必ずしも共通の理解になっていないという課題認識のもと、234号の特集は「デスティネーション・マネジメント」概念の定義や実態について学術研究、実践の両面から整理を行ったものであった。
 その結果、我が国の「観光地経営」概念と海外の学術研究分野における「デスティネーション・マネジメント」概念は、その対象とする内容において、若干の差異はありながらも、概ね合致していることを把握できた。
 一方で、新たに認識したこともあった。それは、近年、特に2010年代以降においては、観光地をマネジメントの対象とする概念は、すでに「デスティネーション・ガバナンス(Destination Governance)」という用語に包含されるようになってきているということである。
 しかしながら、土屋氏が巻頭言で指摘するように、「デスティネーション・ガバナンス」、すなわち観光地における「ガバナンス」については、概念的にはその重要性が認識されつつも、その実際の理解は未だ十分でない現状がある。
 上記の背景を踏まえ、本特集は「デスティネーション・ガバナンス」という我が国ではこれまで比較的馴染みがないと思われる概念について、改めて学術研究、実践の両面から整理を行い、その概略をつかむことをねらいとして企画したものである。

2「デスティネーション・ガバナンス」概念の特徴

 まず、各特集から導かれる「デスティネーション・ガバナンス」の概念の特徴を整理してみたい。

(1)観光地における多様な関係者の存在と不確実性が背景としてあること

 土屋氏は巻頭言において、観光における複雑さの背景として、様々な業種の主体や公的団体が関係する点、また歴史文化、自然、生活の場である街そのものなど、多様な観光資源が対象となる点、さらには地域外からの観光客が大きくそのあり方に関わる点を指摘している。
 筆者は特集1で、「デスティネーション・ガバナンス」に関する研究の背景として、観光地が行動原理の異なる多様な主体の集合体であり、従来の「マネジメント」概念のみでは対応に限界があることを指摘した。
 八巻氏は特集2で、国立公園の管理運営においてガバナンスが重要な意味を持つ背景として、その管理に行政や土地所有者、地域資源利用の権利者、観光従事者、NPOやボランティアといった多様な関係者が関わり、それらの主体が連携・協力して行う必要があることを指摘している。
 森重氏は特集3において、観光ガバナンスの議論の背景として、「地域内」「地域外」の両方の関係者の多様化を挙げている。
 Beritelli氏は特集4において、「デスティネーション・マネジメント」の限界として、観光地全体をマネジメントする必要がある中で、DMOが地域内で発生する様々な事項の全てを調整するだけのリソースを有していないことを挙げている。
 上記のような一連の論調からは、「観光地が行動原理の異なる多様な主体の集合体であること」、あるいはそのことによる「予期しない様々な事象が発生することによるマネジメントの難しさ」が「デスティネーション・ガバナンス」概念誕生の背景としてあることが、改めて確認できる。

(2)地域関係者間の「意思決定」や「合意形成」に関わる概念であること

 土屋氏は巻頭言において、ガバナンスの要点として、「どのような範囲の人を集めて、どのような方法で議論をするのか、事務局はどこがやるのかに始まり、議論の運営を経て、結論から実行過程への移行、実行諸主体の動機付け、実行後のモニタリングと進行管理へと繋がる一連の過程を、透明性、公平性等の評価軸も常に意識しつつ、いかに順応的に、そして参加と協働を担保しつつ行っていくかが問われる」ことを指摘している。
 八巻氏は特集2において、「マネジメントが課題解決へ向けて何をどうするかといった、施策の具体的な実施手段や行動を指す領域であるのに対し、ガバナンスは目標や課題解決の方針を誰がどのように決めるのかといった、意思決定に関わる権力関係や責任の所在に関わる領域」であると説明している。
 また、森重氏は特集3において、「観光ガバナンス」を、「不確実性の高い移動を伴う来訪者も含めた、観光に関わる多様な関係者の意思決定や合意形成を促すとともに、その活動を規律・調整するためのしくみやプロセスとその考え方」と定義している。
 これらの説明からは、「デスティネーション・ガバナンス」が「目標や課題解決のために多様な地域関係者間で「意思決定」や「合意形成」を行う際に、関係者間の権力構造や責任の所在をどのように設定し、かつ実践するか」に着目する概念であるといえる。

(3)「マネジメント」との「並立」「拡張」が前提であること

「マネジメント」と「ガバナンス」の関係としては、「転換」「並立」「拡張」といった複数の関係性が想定できる。
 筆者は特集1で、既往研究における「デスティネーション・マネジメント」と「デスティネーション・ガバナンス」の説明に共通する点として、「デスティネーション・マネジメント」が観光地で「何(what)」に取り組むかという概念であるのに対し、「デスティネーション・ガバナンス」は「誰が(Who)」「どのように(How)」「なぜ(Why)」取り組むかに着目する概念であるという両者の関係性を指摘した。
 この関係性を前提とすれば、まず「何」に取り組むかという「マネジメント」の概念があり、「ガバナンス」はそれに「誰が」「どのように」「なぜ」取り組むかという視点が「拡張」されたものであるともいえる。
 これに関しては、八巻氏が特集2で「(保護地域の管理運営には)ガバナンスとマネジメントを両輪とする取り組みの推進が不可欠である」と指摘している。このことからも、ガバナンスはマネジメントから全く別の概念として「転換」されるものではなく、あくまで「並立」あるいは「拡張」されるものとして捉える必要があるだろう。

3「デスティネーション・ガバナンス」の構成要素

 次に、各特集において「デスティネーション・ガバナンス」の実現のための条件や特徴として共通して言及されている内容を整理する。
 八巻氏は特集2において、礼文島での実践等を踏まえ、保護地域における協働型ガバナンスの実現のための条件として、
○人的なつながりとしての社会ネットワークを基盤として生み出される信頼や相互扶助、ルール遵守の意識、規範(=「ソーシャル・キャピタル」)
○ネットワークを一定の方向に導くリーダーシップの存在
○課題解決に向けたビジョンの共有
○関係者間で合意されたルール
○連携・協力を引き出すインセンティブ
を挙げている。
 また森重氏は特集3において、標津町の取り組みの特徴として、
○関わりの深さに応じた発言権(=「かかわり主義」)
○行政システムと市場・民間の手法の組み合わせ(=「ハイブリッドな実践」)
を挙げている。
 さらに、Beritelli氏が特集4で紹介している観光客の流動(フロー)をベースとしたアプローチからは、
○観光地に関する包括的な視点(ビジョン)を共有する場の提供
といった特徴が浮かび上がってくる。
 特集1では、海外の既往研究において頻出する「ガバナンスの要素」において、「信頼」「相互依存」「コミットメント」「文化」「戦略的なビジョン」「合意」「関与」「市場」といったキーワードが挙げられていることを整理したが、これらのキーワードは特集2〜4で提示された上記の項目と概ね合致する(表1)。
 つまり、これらの内容は観光地の関係者が、自らの地域の「ガバナンス」の程度を高めるために、取り組みにあたって特に留意すべき点であるともいえるだろう(表1)。

 

 また、こうした整理からも分かるように、ガバナンスは、どのように取り組みを進めるのかという要素が主体となっており、何を目指すのか(どこに向かうのか)を設定し規定する要素に乏しい。後者は、マネジメントの範疇であり、さらに、目指す方向によって「関係者」の範囲も変わってくることを考えれば、マネジメントとガバナンスは、より良い観光地域形成を展開していくにあたって、表裏一体の関係にあることが改めて指摘できる。

4 我が国における「デスティネーシガバナンス」概念を活用した観光地域形成の取り組み方向

 では、我が国で「デスティネーション・ガバナンス」概念を活用して観光地域形成を行っていくには、どういった取り組みが考えられるだろうか。
 八巻氏が特集2で指摘するように、我が国は国立公園等の保護地域において環境省が主導して協働型のガバナンスを推進しており、議論が先行している状況がある。これは環境省という主導的な存在がマネジメントを展開し、その実現手法としてガバナンス概念を現場に導入しているためと考えることが出来る。
 同様のことは、都市計画の分野においても先行的に生じている。「計画」を立てるだけに留まりやすかった都市計画において、住民参加による理解と協働をすすめることで、魅力的な都市エリアが多く創造されつつあるからだ。もともと、「観光開発」から「観光まちづくり」、そして「観光地経営」概念にいたる我が国の観光政策は、観光の領域が都市計画(特にまちづくり)や地域計画の領域へ拡大し、知見を取り込みながら変遷を経ていることが指摘されている(菅野ほか、2018)。ガバナンス領域においても同様に、都市計画での先行例を取り込んでいくことは有効であろう。
 実際、Beritelli氏が特集4で紹介している手法は、地図を用いて作業ベースで合意形成やビジョン共有を図っていく点等、我が国の都市計画・まちづくりの分野において実施されるまちづくりワークショップの手法とも共通する部分が多い。
 また、前項において「デスティネーション・ガバナンス」の構成要素として挙げられた「ビジョンの共有」を図っていく際にも、保護地域の管理に代表される地域計画や、都市計画・まちづくりの分野で蓄積された意思決定や合意形成のための知見や技術など、観光分野でも応用出来る取り組みは少なくない。

5 より良い観光地域を目指す取り組み

 ここで、今回の特集を企画する中で把握された海外の観光研究分野における新たな概念導入の動きについても触れておきたい。
 2019年の9月末から10月にかけて、筆者は「デスティネーション・マネジメント」や「デスティネーション・ガバナンス」の分野で数多くの研究実績があり、特集1でレビュー対象とした研究の多くにも関わる2名の研究者と意見交換を行う機会があった。1名はEurac-Research/Catholic University of Eichstätt-Ingolstadt(イタリア・ボルツァーノ/ドイツ・アイヒシュテット)のHarald Pechlaner氏、もう1名は、本特集にも寄稿をいただいたSt.Gallen大学(スイス・ザンクトガレン)のPietro Beritelli氏である。
 Pechlaner氏によれば、「デスティネーション・ガバナンス」の次に着目している概念としては観光地の「レジリエンス」、すなわち「デスティネーション・レジリエンス(Destination Resilience)」があるとのことであった。レジリエンスとは直訳すれば「回復力」「復元力」といった意味合いになり、当初は防災や環境の分野で使われ始めた用語である。それを観光地のマネジメントに適用し、災害や市場環境の劇的な変化等、予期し得ない要因によって観光地が大きな影響を受けた場合に、その状態から効果的かつ効率的に回復するための方策等に着目する概念として捉えられている(Innerhoferほか、2018)。実際に、「デスティネーション・レジリエンス」をテーマとする研究も2010年代後半から増加していることが分かる(図1)。

 

 また、もう1人のBeritelli氏が所属するSt.Gallen大学では、2年ごとに「デスティネーション・マネジメント」をテーマとする国際カンファレンス(Advances in Destination Management(ADM)をホストとして開催しているが、同氏によれば、今後社会科学に留まらず、自然科学分野等とも融合し(例:生物学をベースに観光地の多様な関係者の振る舞いを捉える等)、学際的な知見を持ち寄ることによって新たな価値を創造することを目指して開催のあり方をリニューアル予定とのことであった。
 いずれの考え方も、「何」を規定するマネジメントと、「どのように」を規定するガバナンスを両輪として捉えた上で、社会経済に密接な関係を有するにいたった「観光」に持続性を担保するための方策に注目しているように思われる。
 このように、海外、特に欧州の観光研究分野においては、異なる学問分野から積極的に新たな知見や概念を導入しようとする動きが盛んであり、常に新たな概念がアップデートされている状況がある。
 我が国の観光振興の今後のあり方を考えるにあたっては、盲目的に上記のような海外の取り組みに追従する必要はないものの、少なくとも他分野からの知見の応用を目指すその積極的な姿勢や動向をキャッチアップし、相対的な視点で我が国の取り組みの立ち位置を認識しておく必要はあるだろう。

6 おわりに

 観光地(デスティネーション)は、多様な関係者やそれによって生じる不確実性を内包する、いわば「複雑系」ともいえる性質を有している。そのため、各特集を通して見てきたように、その「マネジメント」に実効性と持続性を与えるべく、国内外において「ガバナンス」視点に基づく様々な研究・実践の試みが進められている。
 観光のグローバル化や情報化が進む中、観光地はこれまでのように国内だけに目を向けている状況ではいられず、世界のデスティネーションと比較される競争環境下に置かれるようになっている。そのような状況において、国内のみならず、世界からも選好されるデスティネーションとしてのポジションを獲得することは決して容易ではない。そのためにも、観光地においては、本特集で見てきたような「ガバナンス」(あるいはその次の概念)に関する国内外の知見も積極的にウォッチし、また必要に応じて取り込みつつ、さらには土屋氏が巻頭言で指摘するように、その時代や地域を成り立たせる規範に応じた「良いガバナンス」によって、その「マネジメント」の取り組みをさらに高めていくための試行錯誤が求められていると言えるだろう。
 当財団としても、組織目標として掲げる「実践的な学術研究機関」として、本特集でテーマとしたような観光地における「ガバナンス」の問題に関しても、引き続き知見の蓄積につとめ、受託調査等を通じて実践分野へ応用するとともに、その成果の国内外に対する発信にもつとめていきたいと考えている。

付記:本特集はJSPS科研費18K11862の助成を受けたものである。

【参考文献】
○菅野正洋, 吉谷地裕, & 山田雄一. (2018).日本の「観光地経営」に関連する概念の変遷および海外における類似概念との比較.日本国際観光学会論文集, 25, 25-35.
○Innerhofer, E., Fontanari, M., & Pechlaner, H. (Eds.). (2018). Destination resilience: challenges and opportunities for destination management and governance. Routledge.