[巻頭言]ジャパニーズクールと日本的感性 文筆家・消費行動研究家 辰巳 渚
日本的感性のどこが欧米からみて「クール」なのか。はっきりと説明できる人はいるだ ろうか。私たちは、ジャパニメーションをはじめとして、いま、「日本のポップカルチャーはクールなんだ」とちょっと驚きをもって再発見している。とはいえ、「彼らはクールだと思っているらしい」という外発的自覚でしかないところがまた、日本的だと思わせるのが現状だろう。私は、欧米的感性とのもっとも大きな異質性は、「物」との関わり方にあるのではないか、と見ている。まずは、ものは試し、考えてみてほしい。英語で「物」はobject。物体、対象、目的など、こちらに「私」がいて、「あちら」にあるものを指すように思う。では、日本語で「もの」というと、どうだろう。ものの本、もののふ、もののけ、ものがなしい、もの思う、「そういうものでしょ」、もののはずみ、ものになる……。物体を指すのみならず、なんと懐深い言葉だろう。
このところ私は、物と人との関わりを考えつづけてきた。物質への欲は近代化を推進してきた力だけれども、物とはただ持つため(所有価値)、使うため(使用価値)だけにあるのか。物を持つことには、「見せびらかし」のような他者との関係性を確認する意味しかないのか。消費財はただ消費されるだけのために生産されるのか。そのためだけだとすれば、物質的には満たされてしまった私たちの世の中は、どんづまりにきたことになってしまう。
そういう時代になって、「ジャパニーズクール」である。私たち日本人にとって、物は単なる物体ではなく、「心」と深く深く結びついている。私たちは精神と物質の世界ではなく、モノ(かたち)とコト(動き)の世界で生きており、八百万の神々などと言いださなくても、ヒトとモノとカミは渾然一体の存在だ。いまや日本文化のキーワードとなった「オタク」にしても、モノの世界に深く沈潜することで「私」であろうとする心のありよう、といえるだろう。
モノが「私」、「私」はモノ。このフラットな感性。じつは、「物との関わり方」は物質文明にあるからこそわかりやすい日本的感性のひとつの表れであって、もっといろいろな表れ方を探しだせるかもしれない。たとえば19世紀末にヨーロッパを驚かせた浮世絵の、平面的で単純化された物の捉え方。たとえば、動かしがたい階級制社会にはならない感じ方。その軽やかさこそが「クール!」なのではないだろうか。
(たつみ なぎさ)
掲載内容
巻頭言
ジャパニーズクールと日本的感性 文筆家・消費行動研究家 | 辰巳 渚 |
特集
特集1 世界に躍進する日本発ポップカルチャー P2 | 中村伊知哉 |
特集2 世界の巡礼者が集う、日本ポップカルチャー・ファンの聖地「アキハバラ」 P7 | 小野打 恵 |
特集3 フランスに広まるジャパニメーションとマンガ P12 | 鳥海利香 |
特集4 エンターテイメント商品と観光振興 P17 | 樋口利恵 |
連載
連載I あの町この町 第10回 星に祈りを・・福岡県・星野村 P22 | 池内 紀 |
連載II 英国物語12 英国人の生活習慣 P28 | 長谷川洋子 |
連載III ホスピタリティの手触り31 知られざる観光立国ボツワナ P30 | 山口由美 |
視点 知られざる山西省平遥・・明、清の全国金融を支配 P32 | 島根慶一 |
新着図書紹介 P36 |