機関誌「観光文化」

横浜開港150周年 (観光文化 193号)

横浜開港150周年 (観光文化 193号) 全文無料公開中

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特集 : 横浜開港150周年

 2009年に横浜は、1859年(安政6年)に開港してから150周年を迎えます。開港以来、日本の貿易および外交の拠点となり日本最大の国際都市として発展します。今号では、横浜の歴史を振り返るとともに、開港記念事業をはじめ、今後の観光交流への具体的な取り組みなど、横浜の最新動向を紹介します。

発行年月
2009年01月発行
判型・ページ数
B5判・32ページ
価格
定価1,540円(本体1,400円 + 税)

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[巻頭言] 横浜都市づくり150 年の軌跡 法政大学名誉教授  田村 明

 横浜開港は1859年(安政6年)6月(新暦7月)、今年がちょうど150年に当たる。その前年の1858年(安政5年)7月に結ばれた日米修好通商条約では、開港場は「神奈川」と明記されていたが、幕府はあえて東海道から外れた横浜(現在の関内)に新たな都市を造り開港した。
 横浜が歴史の舞台に上がるのは、開港より5年前の1854年(嘉永7年)3月、ペリー提督が上陸し日米和親条約を締結した時だ。これにより日本は長い鎖国を終え、国際社会の一員としてスタートした。横浜は日本の開国を記念する唯一の都市である。

 100戸ほどの寒村を立ち退かせて全く新しい都市を建設した。他の開港場の長崎や箱館は遠く、兵庫の開港は遅れたから、外国に開かれた文明開化都市として先頭に立つ。幕末から明治にかけ、新しいことはすべて横浜から始まった。

 こうした輝かしいスタートを切りながら、その後は多くの災厄に見舞われる。1923年(大正12年)の関東大震災では東京以上の災害を受け、震災復興の式典からわずか15年後、アメリカ軍の空襲で再び壊滅する。戦後は日本占領軍であるアメリカ第八軍司令部が置かれ、米軍は主要な埠頭施設のほか、その背後地である横浜の都心すべてを、軍の宿舎や物資の集積所という軍事基地にしてしまった。やっと戦後10年ほどで都心部を返還してもらうが、もう一度焼け跡時代に返る。ほかの都市は「もはや戦後ではない」と復興から成長の時代に入っているのに、横浜は心臓を失った姿のままだった。その上、東京から押し出された人口増加の波は、小さな丘陵を乱開発し、がけ崩れや水害をもたらし、学校や上水、ごみ処理施設の 不足という深刻な問題を引き起こすが、国には対応する施策はなかった。

 横浜には文明開化の歴史以来、新しいことに挑戦するDNAがある。混迷の続く1963年(昭和38年)に市長になったハマッ子の飛鳥田一雄は、それまで官僚的だった市政を市民のものにする自治体の変革を試みる。当時は反対する勢力が強かった市民参加を訴え、現在では当然のことにしてしまった。中央各省庁の下請け執行機関にすぎなかった横浜市は、自ら新たな都市づくりに取り組む。国際性ある文化と中枢性のある都市を目指し、その実現のために、みなと未来やベイブリッジを含む六大事業を発表した。金がない権限がないと言われたが、主体性ある知恵と工夫によって現在ではすべて実現している。

 事業は行えばよいのではなく、都市の個性を生かすことを考えた。赤レンガ倉庫や石造のドックは文明開化時代をしのばせるもので、保全し有効に活用した。ペリーが上がってきた地点は開港広場として整備する。特色ある山手の丘には独自のルールをつくる。市にアーバンデザインのチームをつくり、当時の建設省と争いながらも景観や歩行者を重視し、専門家も育てた。戦後見る影もなかった横浜は魅力ある都市として再生しつつある。

 都市づくりに終わりはない。開港150年はひとつの通過点にすぎない。ただこの機会に、困難な時にも個性と主体性を失わず、新しいことを切り開いてきた横浜市民の歴史と伝統に思いを寄せ、さらに今後に展開させていくべきだろう。

掲載内容

巻頭言

横浜都市づくり150 年の軌跡 P1 田村 明

特集 横浜開港百五十周年

特集1 ペリー来航と横浜開港
  ―歴史遺産を訪れ、日本の近代化の原点を振り返る P2
西川 武臣
特集2 外国人が見た・書いた・描いた YOKOHAMA P7 宮野 力哉
特集3 文化芸術創造都市の形成と開港百五十周年 P12 今井 信二
特集4 アイ ラブ ヨコハマ P17 バーリット・セービン

◆連載

連載I あの町この町 第31回 八福神のお出まし
  ―新潟県・糸魚川市 P22
池内 紀
連載II 風土燦々(4) いだごろ踊りの山里(前編)
  ―宮崎県美郷町 P28
飯田辰彦
連載III ホスピタリティの手触り 51
  ホテルと旅館 P30
山口由美
新着図書紹介 P32