機関誌「観光文化」

縄文文化と現代―三内丸山に学ぶ (観光文化 201号)

縄文文化と現代―三内丸山に学ぶ (観光文化 201号) 全文無料公開中

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特集  縄文文化と現代
    ―三内丸山に学ぶ

 三内丸山遺跡は日本最大級の北の縄文集落遺跡です。一万年にもわたって持続した縄文社会の自然環境や文化的背景と、北海道や北東北で進められている縄文遺跡の世界遺産登録へ向けた取り組みなどを紹介し、今後のツーリズムの可能性について考えます。

発行年月
2010年05月発行
判型・ページ数
B5判・36ページ
価格
定価1,540円(本体1,400円 + 税)

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[巻頭言〕岡本太郎と縄文の発見 東北芸術工科大学東北文化研究センター所長  赤坂 憲雄

 あの『太陽の塔』を創った前衛芸術家・岡本太郎こそが、紛れもなく縄文文化の発見者であった。それはしかし、意外なほどに知られていない。いや、忘れられたと言うべきか。戦後間もない、晩秋のことだった。太郎は上野の東京国立博物館で、縄文の土器のかけらや土偶との衝撃的な出会いを果たした。それを「四次元との対話─縄文土器論」と題した論考に仕立て、『みづゑ』という美術雑誌に発表した。センセーショナルな反響を呼び起こした、という。それから、六十年ほどの歳月が過ぎている。
 例えば、ここにいう「発見」とは、何を意味しているのか。それは取りあえず、モノやコトに対して、新たな知の文脈に根差した意味の付与を行うことである。近世に、第一の発見があった。十八世紀の末、紀行家の菅江真澄などは、土器片のスケッチを残し、「縄形、布形の古き瓦」「網代らしき紋様」といった観察を行い、「いにしえの蝦夷」が作ったものかという推測まで書き留めていた。第二の発見は、アメリカの考古学者・E.S.モースによってなされた。大森貝塚の調査・研究の中で、「縄紋」の紋様を持つ土器について記述し、「縄紋土器」という名付けの先駆けをなした。縄文考古学の幕開けである。
 そして、第三の発見が岡本太郎その人によってなされる。太郎はいわば、縄文土器そのものとの対話を試みたのである。そこに縄文人の美学を認め、それを世界観の結晶として読み解こうとした。強烈な表情、激しい流動性、シンメトリーの拒絶、破調、ダイナミズム、混沌、無限の回帰と逃走、……狩猟文化の影。縄文土器を単なるモノとしてではなく、縄文人の心や精神が宿りするウツワとして眺めること。太郎はまさに、縄文土器に新たな命を吹き込み、縄文人の精神世界を甦らせたのである。
 その発見の舞台が東京国立博物館であったのは、偶然ではない。若き日、パリに留学していた時に、太郎はマルセル・モースの下で本格的に民族学を学んだ。この民族学を光源として、縄文文化が発見されたのである。単なる芸術家の思いつきや直感ではない。未開社会の仮面や神像の中に隠されている、豊かな精神世界を解読する方法を、太郎は知っていた。だからこそ、縄文土器に対して、民族学の方法をもってアプローチすることができたのである。縄文文化は今、第四の発見の季節を迎えているのかもしれない。

(あかさか のりお)

掲載内容

巻頭言

岡本太郎と縄文の発見 P1 赤坂 憲雄

特集 縄文文化と現代―三内丸山に学ぶ

特集1 縄文文化と次世代ツーリズム
 ―グリーンライフ・ツーリズムの可能性 P2
石森 秀三
特集2 三内丸山に見る縄文人の暮らし
 ―定住を支えた自然環境と社会的背景 P6
西本 豊弘
特集3 三内丸山遺跡の保存と活用
 ―世界遺産を目指す「JOMON」 P10
岡田 康博
特集4 三内丸山と市民を結ぶ
 ―「三内丸山縄文発信の会」発足とその諸活動 P14
菊池 正浩
視点 「平成の大合併」後
 ―合併せずに生きる過疎自治体の観光・交流事業のあり方 P18
朝倉 はるみ
◆二百号特別企画座談会(後編) 「旅は世につれ」 P22
 ゲスト:池内 紀氏・山口 由美氏/司会:外川 宇八
新着図書紹介 P36