空前の“冬ソナブーム”のお蔭で今、日本と韓国は近年類を見ない熱い状態にある。
先日、某俳人からこんな話を聞いた。何でもDVDを借りてきて“冬ソナ”を全て観たというのだ。
「先生も“冬ソナ”にハマったのですか?」驚いて尋ねると、そういうことではないらしい。投稿される一般の人の俳句に“冬ソナ”を詠んだものが急増しているので、参考のために観たという。そういわれてみると、この頃“冬ソナ”を詠んだものかと思われる幾つかの俳句を私も見た。“冬ソナ”を観ておかないと、選句できないとは……“冬ソナ”ブームはついに俳句の世界にも上陸したのである。
私が釜山--ソウル間を徒歩で踏破する旅に出たのは、今から3年半前のこと。ワールドカップ目前だったこともあり、日韓関係はかなり良い状態になりつつあった。しかしあれから3年半。現在のそれは当時の比ではない。1年ごとに、いや1週間ごとに両者(特に日本)の体温が上昇しているのがわかる。
個人的には“冬ソナ”にも“ヨン様”にも興味はないが、何はともあれこの現象を両国にとって喜ぶべきことだと思う。今の日本と韓国を男女の関係で例えれば、出会って恋に落ちたばかりの甘いひととき。しかし熱情はいつかは冷める。そして2人に突きつけられるのは、そう甘くない現実だ。そして恋の病から冷めた2人をつなぎとめるものは、互いを敬い尊ぶ気持ちと慈しみである。
私が“冬ソナ”に興味が持てないのは、冬ソナに登場する人物や街、家、店などが、欧米色のペンキで塗りたてられていて、本来の韓国の姿、文化があまり見えないからである。日本のドラマも然り。韓流も日本流も欧米文化の追随に過ぎない。もっと本来の韓国を見たい、知りたいと思うのは、私だけだろうか。
先日、友人の子供が韓国の一般家庭でホームステイを経験した。じつは出発前両親は、辛い食べ物が苦手な我が子を心配していたが、案ずるより生むが易し。朝はパンとコーヒー、給食の他はマクドナルドにたびたび子供同士で行っていたらしい。これでは韓国にホームステイした意味がない。
日韓の新しい友情を築く第1歩として“冬ソナ”ブームは、まさに神様からのギフトだったと言っていい。しかし今後、一時の恋がやがて本当の愛に成長するには、歴史問題も含めて、互いのことを知る努力をしてゆくべきだと思う。そのためには、それぞれがまず自国のの文化を知ることも不可欠であろう。
恋から愛へ、そして両国の間に未来に向けた新しい可能性が育まれることを願ってやまない。
(まゆずみ まどか)