観光立国や観光立地は、日本の出足が少々遅れたが世界中の国々や地域が目指す合言葉である。その理由は幾つかあるが、観光産業はまず平和産業であることだ。戦争や諍いが あるところに、人々は訪れようとはしない。観光を盛んにしようとすれば、安全で平和な地域を創らなければならない。争いへの抑止力、これが観光力の大切なところだ。また、観光は複雑系産業だ。例えばIT産業は技術と工場があれば成り立つが、観光産業はそうはいかない。美しい環境や、豊かな文化、歴史や伝統のストックが大切だ。加えて、その地域の人々のお招きの心、ホスピタリティが求められる。かつては立派なホテルやゴルフ場、テーマパークのような施設インフラがあれば観光地は成り立った。だが、これからはそう簡単ではない。旅館の女将やスタッフのもてなしに心躍るが、施設を一歩外に出るとよそよそしい雰囲気に出会うことがある。観光のプロがお招きの心で対応するのは当然であるが、地域の真の観光力はそのコミュニティが持つホスピタリティの力、人間力にある。
フランスの田舎町を旅していて、質素な教会に出会った。カメラを向けていると、私の肩をトントンと叩く人がいる。かわいらしいお嬢さんだ。その女性は満面に笑みを浮かべ「この教会の後ろにも美しい鐘楼がありますよ。どうぞそれも忘れずに」とアドバイスしてくれた。その彼女の心遣いが嬉しくて、旅をしている間、ずっと心が温かった。日本に帰ってきて、関東の奥にある町を訪ねた。古い蔵のある歴史の町だ。町が隆盛していた時代に建てられた洋館に案内され、写真を撮ろうとした。建物が大きくてフレームに入らない。後ずさりをしてカメラを構えたら、突然後ろから「何ですか!」という大きな声がした。目を吊り上げた男性が立っている。その家の経営する駐車場に入ってしまったらしい。私は慌ててお詫びを言って飛び退いた。町を巡って、弾んでいた気持ちがすっかり萎えてしまった。もしその時、かのフランス女性のような対応だったら、この町の印象はもっと心に響いたはずだ。
日本では、観光にまだまだ人間力が欠如している。大学の私のゼミでは、夏の合宿には必ず観光地を選ぶ。そして主に市民の方々と協働して“観光まちづくり”の発表会をやる。市民には観光の大切さを、学生には地域経営の重要さを学んでもらいたいからである。ここ数年私がアドバイザーを引き受けている敦賀市では「遊敦(ゆうとん)塾」という市民がホスピタリティを学ぶ塾が立ち上がった。専門家だけに任せない、市民主体の感動を創る「観光人間力」の時代が始まろうとしているのだ。
(もちづき てるひこ)