バカンス先進国のフランス人のバカンスの過ごし方は、せわしなくアチコチ動き回る周 遊旅行ではなく、海辺や田舎に滞在するのが一般的である。フランスの新聞記事によれば、 バカンスの妙味は日常生活からの脱出、休養、地元の人々との交流、家族との再会、だそ うである。嫌な上司も仕事もわすれて、ノンビリ休養し、プライベートな時間と空間に浸る。宿泊先は親や友人宅がほとんどと聞く。
日本でも都会に出てきて就職した人たちの多くは、お盆になると家族を連れて3、4日故郷に帰る。交通機関は帰郷ラッシュになる。しかし、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のころまでは、高速道路網も、新幹線もなく、飛行機は庶民の手に届かなかったから、故郷帰りには1日、2日がかりという人が多かった。苦労して帰郷したのだから一週間くらい滞在し、家族や近所の人々、幼馴染みとの再会や交流を楽しんだ。子供の頃過ごした地域コミュニティでは本来の自分に戻るため、よそいきの標準語ではなく、方言が飛び出した。
故郷にはまだ豊かな田園風景が残っていて、都会育ちの子供たちは親がしたように、山でウサギを追いかけたり、川で小鮒を釣ったりして、自然と親しんだ。何代も前から都会暮らしで、さらに裕福な人々は夏になると軽井沢などの別荘地に滞在した。自然の中でゆっくり過ごすためだけではない。そこには、東京の日常と違ったコミュニティがあるからだ。財界や政界の重鎮も、ポロシャツ姿で分野を超えた気軽な交流が
できる。昔、某首相が軽井沢で近所の別荘に住む女優をお茶に招き、マスコミに騒がれたことがあるが、それが軽井沢のスタイルである。皇后陛下が皇太子妃時代に軽井沢がお好きで、夏を頻繁に過ごされたのも、そこに「日常生活」と異なるコミュニティがあったからだろう。
庶民であれ、上流階級であれ、日本の滞在型旅行の原点はここにある。自然に親しみ、家族や地域コミュニティと交流し、本来の自分に戻る。日常と異なる空間と時間を享受する「生活」、フランスではそれをバカンスと呼ぶが、日本人にとっても特段新しいコンセプトではない。
しかし21世紀の今日では、都会に住み始めて2代目、3代目の人が多く、故郷に帰りたくとも、帰る故郷のない人が多い。親子ともにマンション生活というケースも稀ではなく、田園風景豊かな田舎に実家のある人は限られている。といって皆が別荘を所有することも難しい。そういった人々に、一時的な故郷や日常と異なるコミュニティでの滞在を提供する、それがこれからの観光の重要な役割ではないか。少子高齢化が進み観光市場が縮小に向かい、個人の価値観も量から質へ移行しつつある時代にあって、ビジネスチャンスもそこにある、と思うのだが。
(めぐり ようこ)