【180号 PDF版】
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人をもてなすことは、自分自身と向き合うことである。
一人でいる時は案外自分自身に出会いにくい。自分のことは解っているという気持ちがそうさせるのであろう。
人と出会うことによって、自分自身と出会うことができる。
時には腹立たしく、時には嬉しくなる人との出会いは、そのまま自分自身との出会いでもある。人のことは見えるが、自分のことは解りにくい。出会いによって腹を立て、嫌な思いをする時には、その人に自分の嫌なところを見ているものである。人をもてなすことは自分との出会いであり、自分を知るチャンスでもある。
もちろん、人をもてなすには、自分の持っているものを最大限活用する必要がある。物質的なものだけではなく、自分自身の思いをフルに活用することが大切である。この自分自身の思いが形となり、いや、形を超えたものとなって人をもてなす。
自分とは何か。何をどう考え、どのように思うか。これは、その人が今日まで育ってきた時間や文化から得たものによって違うはずである。しかも、いつまでも変化し続けるものである。
仮に誰かをもてなそうとすると、なすべきことを具体的に考え、実行しなければならない。
たとえば、どのような設えでもてなすのか、どういった食材でもてなすのかによって、まったく違ったことになる。それには、今日まで学んできた、他者と接する方法によっても違ってくる。違わないのは相手を思う心だけである。この思いがなければ、もてなすことはできない。
人をもてなすことは、その日、その時に自分の中にある思い、すなわち自分自身が表現されることであるから、その時までに蓄積されたものが大切である。いや、蓄積しようとしてきたことが、思いとなるといってもよい。つまり、もてなしとは、こびることではなく、顕示欲をみたすことでもなく、自分自身と向き合うことによって自己を知り、自己が実現されていくことなのである。
(よどがわ りゅうけん)