三方を海に囲まれて温暖な気候に恵まれ、豊かな自然環境を有する千葉県。昨今、開発や都市化が進み、森林・農地等の緑地が減少、多様な生き物の宝庫である里山の良さが失われるなかで、二〇〇三年五月、他県に先駆けて「里山条例」を制定した。今号では、この千葉県の里山の保全・整備・活用と観光立県に向けたさまざまな取り組みを紹介する。
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【190号 PDF版】
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里山は、人の手が入って豊かになった自然環境である。縄文の時代から日本人は、自然の循環のシステムを活用することに長けていた。里山で薪を採り、炭を焼き、木や竹を切り出して家を建て、家具や農機具を作り、生活の糧を得ていた。しかし、何よりユニークなのは、里山で人と自然の好循環が進んだことで、手を入れた里山には程よく太陽の光が差し込み、下草が繁茂し、昆虫や小動物などさまざまな生き物たちの賑わいの場ができたことである。
春には山菜を摘み、筍を掘り、秋には栗を拾い、アケビを採るなど山の幸に恵まれ、小川で捕る沢ガニやヤマメ、そして森で捕るヤマウサギや野鳥は貴重な蛋白源だったに違いない。里に住む村人にとって里山は裏庭のような存在であると同時に食の宝庫であり、生活文化の源であった。
何千年、何百年と言う歳月を重ねる中で、北にも、南にも、それぞれの地方の地形に、気候に合った里山が、ミニダムの役を果たす棚田が、田圃が作られた。それは日本の原風景であり、日本人の心の故郷である。
我が千葉県はと言えば、高い山がなく、最高峰が標高四〇八メートルの愛宕山である。だから、ほとんどが里山で、その谷間に「谷津田」と呼ばれる独特の水田風景が広がっている。さらに、三方は里海で、その浜を、南からの黒潮と北からの親潮が洗う。昔から貝などの海の幸も食卓を賑わせていたに違いない。
しかし、今、里山の危機が叫ばれている。都市化の進展に伴い、人が手を入れなくなって里山が減り、埋め立てによって里海が減ってきた。
里山が姿を消し始めると人は寂しさを感じ、掛け替えのない自然が少なくなっていくことに不安を抱き始めたのだろうか。これまであまり語られることのなかった里山、里海が急にクローズアップされるようになった。
御宿に茅葺き屋根の農家を使って地元の田舎料理を出す庵がある。日曜日などは八十人もの客が東京から来ると聞いて、私は「そうしてその方たちは何をするのですか」と思わず訊いた。「田圃の畦を、畑や里山の辺りをただぶらぶらと歩いていますね」というのが主人の返事であった。
これまでのように名所旧跡を訪れるのではなく、その人たちは自らの故郷の自然と重ねて、里山や里海に憩いの場を求めているのだろうか。無意識にかもしれないが、今、私たちは里山、里海を訪れて日本人としてのアイデンティティーを確認しているのかもしれない。ふと、そう思えた。
そういえば、週末になると、都会から子ども連れの若夫婦からお年寄りまで、森の散策や虫取り、野外料理など、それぞれの楽しみを求めて里山へやってくる。昔と違った形で人が里山に入るようになってきた。このような流れが荒れた里山を生き返らせるのかもしれない。そればかりか人々は里山に新しい観光地としての魅力を間違いなく発見し、新しい旅の形として広がり始めている。里山文化は奥が深く、自分発見の場でもあるからであろう。
(どうもと あきこ)