地域活性化の牽引役として「みなとまちづくり」に大きな期待が寄せられています。列島・日本には、千カ所以上の港があり、それぞれ長い歴史と地域固有の文化があります。そうしたみなとまちの往時の賑わい再生のための全国各地における施策や取り組み状況とみなとまちの魅力を紹介します。
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【202号 PDF版】
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「津々浦々」。日本中どこにでもあった港町は、現在では大半が漁村となり、港には漁船だけが係留される。旅で、あるいは日常的に移動する時々、港町へのアプローチは鉄道や自動車であり、船ではない。船を乗り物として気軽に選択できない現状が当たり前になって久しい。
だが、多くの人たちが港町に心引かれる。中世・近世に栄えた港町を旅すると、港が、単に物流基地だけではなく、港と町が一体化した、人々の交流の場であったと実感するからだ。人や物の流れは、本来港町が起点となり、物流の効率性以上に都市文化を開花させてきた長い歴史がある。
古代に奈良や京に都ができ、戦国時代以降に城下町が各地に建設された。政治・経済が大都市に集約化されても、港町の賑わいは、衰えるばかりかさらなる展開を見せ、賑わいの場であった。近代以降、陸の文明の象徴として鉄道網が日本全国に張り巡らされる。その時も、水と陸との接点である、港町との関係が常に視野にあった。港町の重要性は変わることなく、港町は文化と賑わいを生成する基軸であり続ける。
高度経済成長期以降、わずか半世紀。社会・経済状況が大きく変化する。物流の根本が自動車主体に転換する。船は中・近距離の物流の分野からはじき出され、燃料効率から見てはるかに劣る自動車が船を圧倒する。船は天候に左右されやすく、スピードや正確さも劣る。自動車はドア・トゥー・ドアで人も物も運んでくれる。だが、飛行機とともに究極の乗り物として唯一残り得るかといえば、そうではない。地球規模での環境問題は、便利な乗り物、自動車に疑念を抱かせる。対置するように、スローライフ、スローフードに心引かれ、船の存在が見直されてきている。
利便性の追求は、この半世紀の間に、都市の構造をも大きく変えてきた。その象徴的な出来事は、舟運を支えた運河が高速道路に変貌したことだ。特に経済が集中する大都市では、港と町の関係が分離し、都市から離れた場所に物流基地であるコンテナ埠頭が新設された。そこには、人の営みにより成立する町を介在させる余地がない。自動車や飛行機に比べスピードがはるかに劣る船は、大量輸送が可能であるメリットを最大限に生かし巨大化する。船も、町から離れる。
一方、漁村化した、近世以前に栄えた港町はどうか。港町は、城下町に比べ、規定された都市空間の基本骨格を堅持してきたわけではない。変幻自在に空間を変化させ、あるいは付加してきた。それも、過去の歴史を切り捨てるのではなく、新旧の空間を有機的に複合させて仕立て上げた。厚みのある新たな場には、賑わい空間がつくられた。歴史の波にもまれ、港町は幾度も再生してきたのだ。漁村となった港町は今、半世紀というわずかな休息を楽しんで待っているかに思える。再び港町に光が当てられる時代は近い。
(おかもと さとし)