オンライン座談会【2】…開催日:2020年9月30日
④ 地域活性化の現場で考える観光振興のゆくえ
藤里町・南砺市・津久見市

基幹の産業があって、観光は地域活性化の手段のひとつ、という地域は多い。コロナ禍は、そんな街の人々の、観光へのまなざしを変えたのか。

地域の営みの中に観光がある3つの地域

寺崎 皆さんの地域の共通点は、基盤となる地場産業の継承と、地域住民の暮らしの安定を強く意識する中で、比較的近年になって観光振興に目が向けられてきたことだと思います。その点も踏まえて、簡単なご紹介をお願いします。
佐々木 私は藤里町の町長として3期目の1年が過ぎたところです。それ以前は町の職員として世界自然遺産に登録された1993年から白神山地をずっと担当しておりました。その関係もあり、まちづくりの核として白神山地を中心とした地域振興、地場産品とのコラボなどに取り組んでいます。
 藤里町は平成の合併をしていません。近年は人口減少が顕著で、歯止めをかけるために定住促進住宅の建設や義務教育学校の設置など、いろいろもがいている最中です。様々な取り組みを教えていただきながら、これからのまちづくりに反映できればと思っております。
米田 南砺市は富山県の南西部にあり、2004年に合併して8町村がひとつになりました。私の前職は南砺市役所のブランド戦略部長で、合併前は旧福野町の職員として教育委員会に通算20年勤め、そのうち14年間は「円形劇場ヘリオス」という公立劇場で企画を担当していました。
 合併当時の南砺市は人口が6万人くらいでしたが、15年経過した今は5万人に減りました。平均すると毎年600〜700人ずつ人口が減り、旧8町村の1つが消えてなくなったような状況です。そういう中で、観光は失われていく消費、縮小する地域経済を食い止めるためにとても大事な役目をしていると思っています。
寺崎 南砺市は山間の合掌造りや、水田が広がる中にポツンポツンと屋敷森を抱えた住宅が点在する散居村があったり、旧井波町は欄間の彫刻で有名だったり、地域固有の資源、観光素材が豊富で、非常に印象深いところです。
旧杵 私は2012年度から8年間、津久見市で商工観光関係の課長を務め、2020年度からまちづくり課を所管しています。津久見市は大分県の南東部に位置し、藤里町と同じく平成の大合併を経験していません。面積は79.5平方キロ、人口は1万7000人弱で高齢化率は44.4%です。昔からミカンとセメント、野球の町として栄えてきました。現在も基幹産業の石灰石・セメント産業は健在ですが、これに観光産業を結び付けられないかと現在頑張っているところです。
 高校野球は昭和時代に春、夏に1度ずつ、市に一つしかない県立津久見高校が全国優勝した実績があり、市民にとっては野球の2文字がシビックプライドです。
寺崎 それでは改めて、各市町における観光の位置づけや役割、観光に取り組む目的などを伺いたいと思います。
佐々木 藤里町ではまちづくり計画で、産業振興の主要プロジェクトに観光を位置づけており、地域資源と観光を結び付けて特産品の振興を図ることがメインです。藤里町は地勢的に国道、鉄道がないので、自然発生的な流動人口が非常に少なく、主な製造業もないので、ビジネス目的の来町も少ない状況です。そういう中で、白神山地を核としたまちづくりを行っており、近年は「森の教養を高める場所」「森好きが育つ場所」をテーマにした体制づくりをしています。
 企業の社会貢献活動の一環として、2010年に当町とご縁が生まれたのが高級化粧品メーカーのA社で、研究所の拡張を進めているところです。藤里町ではワイン造りも一生懸命やってきましたが、ワインが化粧品の材料になるということで現在ワイナリーも建設中です。
 白神山地の良質なイメージをビジネスに転化してブランド力を高める手法は、藤里町が目指す来訪者ターゲットに訴求する上では好事例だと思っています。これまで行政主導で行ってきた各事業を、民間主導で行う新たな体制に移行している最中です。
 人口減少に対応して義務教育学校の設置をしているところですが、それに合わせて保護者の仕事づくり、雇用の受け皿としても観光産業は重要だと考えています。コロナ禍においてはテレワーク、ワーケーション環境など働き方改革に対応した取り組みを進めようとしています。


寺崎 就業人口数ベースでの主要な産業は何でしょうか。
佐々木 基幹産業は農林業ですが、林業に従事している人はあまり多くありません。農業人口は200人程度、田んぼの面積が400ヘクタールと零細な土地なので、町外に出て給料を得ている方が多いです。人口は1980年には5800人だったものが今は3100人に減っており、高齢化率は51.1%と秋田県では第2位となっています。
寺崎 いつ頃から、雇用の場として観光を重視されるようになったのでしょうか。
佐々木 昭和の終わりから平成に入った(1989年)あたりです。この頃からいろんな事業をはじめ、白神山地が世界自然遺産となった1993年にホテルなどを建て始め、第三セクターでは健康保養館、白神山地の水販売事業、マイタケの事業などに取り組んでいます。
米田 合併後の第1次総合計画から豊富な地域資源を活かした地域振興策として観光を位置づけております。
 2013年に策定したアクションプラン「交流観光まちづくりプラン」は、2015年の北陸新幹線金沢開業を見据え、観光振興の具体的な施策として策定されました。「交流観光」には交流を軸に観光を進めていこうという思いが込められ、旅先を決めるための3つの要素である知名度、わざわざそこに行くべき理由、交通アクセスのよさをしっかり押さえようということで「情報発信」「魅力づくり」「おもてなし」という3つの柱を立てています。
 産業の中で観光の占める割合ですが、宿泊業と飲食業という括りで見るとそれほど大きくはなく、事業所数は約11%、就業者数は6.2%になります。いちばん多いのは製造業で一部上場の企業があったり、昼間人口の方が多い地域があったりします。
 従来から観光に取り組んだ地域として、五箇山という1995年に世界遺産に登録された合掌造りの集落があります。この集落を中心に民宿や飲食業、お土産店が営まれており、観光が人々の暮らしを支えてきました。ここはテーマパークではなく、実際に人が住んでいるので、集落を守るには人々の生活を守らなければいけません。そういう意味では、観光が集落の保存を担ってきたという側面があります。
 昭和40年(1965)代後半に起こった民宿ブームの頃、五箇山の合掌造り集落近辺の民宿に「an-an」を携えて若い女性たちがたくさん訪れた時代もあったようで、五箇山地域では古くから、住民の皆さんの観光に対する意識も比較的高かったと思います。今は平野部でも少しずつ観光に意識が向き始めた感じでしょうか。
 南砺市が観光に取り組んでいる理由は3つあります。1つ目は人口減少の状況下、地域経済の縮小を食い止めるために交流人口による経済効果の期待があります。2つ目は私がブランド戦略部長の時からいつも言っていたことですが、地域ブランディングを進めて、南砺という地域の価値を高めることです。
 3つ目は「幸せのおすそ分け」です。我々市民が豊かで幸せに暮らしていることを認識した上で、それを訪れた方にお裾分けするという発想です。論語に「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」という言葉がありますが、地元の人が豊かに暮らし、そこに遠くからも人が来るという発想だと思います。
旧杵 津久見市は全国にも類を見ない独特の産業構造で、石灰石鉱山は採掘量・生産量ともに全国一と言っても過言ではありません。セメントについては日本有数のセメント会社の主力工場があり、鉱山から海岸へベルトコンベアーで輸送できるという利点があります。産業構造としては、窯業・土石製品製造業、海運陸運の運輸業、鉱業、砕石業、砂利採取業といった、石灰石・セメント産業が突出しています。
 平成の市町村合併の議論が展開されていた当時、経済界などから「資源(石灰石)にはいずれ限りが来る。市町村合併による飴もない。50年後を見た時に新しい魅力ある産業として観光産業を育成するべきでは」という議論もありました。石灰石セメント産業という基幹産業のおかげで市民所得が高く推移してきたこともあり、今のうちに将来を見据えて新たな産業を構築しようと着目されたのが観光でした。
 2011年の4月に、イルカと人間の「ふれあい・癒し」をテーマにした体験型施設〝うみたま体験パーク「つくみイルカ島」〞という施設を官民で誘致したことが、観光に舵を切る一つの転機となりました。そして、2017年3月には、観光産業育成に向け、具体的施策や数値目標を定めた津久見市観光戦略の策定を行いました。
 そして、2018年度に市の組織機構の改革を行い、新設されたのが商工観光・定住推進課で、私が初代課長を務めることになりました。最大の課題である人口減少対策と定住促進を、商工観光部門と一体化させるという考え方です。商工観光と移住定住、ふるさと納税、地域おこし協力隊、空き家の利活用といった業務を一体的に取り組むという、大分県下でもあまり例のない組織となりました。
 現在、市の第5次総合計画の後期5カ年にあたり、改定作業を行っていますが、津久見市における観光振興の位置づけは大変高いと考えています。また築60年を経過した市役所庁舎の老朽化が大きな課題となっており、市中心部の埋立地において、新庁舎と大分県南と宮崎県北の広域観光を目的とした集客交流拠点の一体的整備を検討しています。
 今後も観光施策は、その他の施策との連携を図り、交流人口増などを目指すことが基本となります。

これまでの観光振興とコロナ禍の影響

寺崎 各市町とも地域の人口減少対策や活性化に観光が重要な役割を果たしていますが、観光客数がここ数年どのように推移している中でコロナ禍に直面したのでしょうか。
 コロナ発生から現在までの状況について、データも交えて、これまでの課題とともにお話しください。
佐々木 1993(平成5)年に第三セクターのホテルを建てて、少しずつ誘客を図ってきましたが、追加投資の循環がうまく進まなかった面もあり、ハード面の老朽化、ソフト面のマンネリ化により徐々に来訪者が減ってきています。


 うちは自然系の観光地ですが、山奥に来る道路が土砂災害などで通行止めになりました。いちばんの問題は、冬季間はまったく現地に行けないという制限があることです。
 もう少しなんとかしなくてはということで、世界遺産登録25周年を機に始めたブランド再構築が少しずつ効き始めたところです。
 またこのエリアはインバウンドにシフトしてきていたので、少しずつ上昇基調にあると捉えていました。藤里町の直接的な外国人宿泊者は100人にも満たない数でしたが、少しずつ増えてきていました。着地型ツーリズムの要として、独自商品の販売をするために念願の旅行業登録をしたところにコロナ禍があり、今年はほとんど稼働していない状況です。これまで作り上げてきたものが、ちゃんと発揮できていないところです。
寺崎 コロナ禍において、藤里町でこの時を境に大きく観光が変わったといった明確なターニングポイントはありましたか。
佐々木 緊急事態宣言の発出でしょうか。元々冬季はほとんど誘客がなく、始まりは大体ゴールデンウィークあたりからなのですが、そこで緊急事態宣言が出されたので、5月25日まではほぼまったくだめでした。観光シーズンが始まらなかったような感じです。
寺崎 その頃はほとんど町の中に外部の人が歩いていない状況でしたか。
佐々木 はい。この頃は県外ナンバーの車を見ると役場に電話が来たりと、ナーバスになった時期がありました。おかげさまで町内に感染者は出ませんでしたが、近隣では少し発生していたので、そうすると自らの活動も制限しなくてはいけないというところがありました。
米田 合併した2004(平成16)年以降の市内全域の観光客入込数の推移です。2004年は約300万人とありますが、実数はもっと少ないと思います。ただ、今まで物差しを変えていないので、経年変化を見る上ではいつもこのグラフを参考にしています。


 愛知県の一宮と富山県を結ぶ東海北陸自動車道が全線開通した2008(平成20)年は371万人と大きく伸び、中京圏から合掌造りの集落を見て氷見で美味しい魚を食べて帰る方達にたくさん来ていただきました。
 しかし2年後の2010(平成22)年に295万人に大きく落ち込み、原因についていろいろ議論しました。行き着いたのは、受け入れ態勢がしっかりしていなかった、情報発信や魅力づくりの準備ができないまま全線開通を迎え、お客様がたくさん来てくれたことの反動が表れたという結論です。この轍を二度と踏まないように頑張ろうということになりました。同じく2010年に6つあった観光協会を合併して南砺市観光協会としてスタートしました。この年が本気で観光に取り組むスタートラインだったと私は思っています。
 2013年には交流観光まちづくりプランを策定し、2015(平成27)年の北陸新幹線金沢開業を目指して、いろいろなアプローチをして来ました。それによって少しずつ入込数が伸び金沢開業時には350万人になり、2019年も350万人強だったのでなんとか横ばいを維持している状況です。
 ではコロナ禍でどうなったか。観光協会本部事務所はJR城端駅舎の中にあり、駅の観光案内所も運営しているので、日常的に観光客と接する中で状況を肌で感じていますが、4、5月は本当にお客様を見かけなくなりました。案内所の利用者数は3月が前年比13%減、4月は81%減、5月は88%減でした。6月に少し回復して48%減、7月が44%減、8月が41%減でした。4、5月でガクンと落ちて6月から少し回復して来たという感じです。
 高岡と白川郷を結ぶ世界遺産バスの乗客数もほぼ同じ推移です。市全体についてカウントはできないのですが、指標としてはこの2つが観光客の動きを表していると思います。
 コロナ禍を意識し始めたのは、2月27日に安倍首相(当時)が小中高校の休校要請を発表した頃で、その後は案内所にお客さんが来なくなりました。ですが、私は案内所が観光の最終インフラだと思っているので、とにかく営業は続けようと、4月20日から営業時間を短縮し、職員同士の接触もないよう一人体制にして、リモートワークも導入しました。決定的だったのは4月7日の政府の緊急事態宣言で、これはもうダメだと実感しました。
寺崎 コロナ禍が4、5月になった時、南砺市としてはお客さんにどういう呼びかけをしていましたか。
米田 5月25日までは「ステイホーム」と言っていました。私の後ろにある「NO!3密」は案内所に掲げていた日除けのれんですが、この前に「ステイホーム」と書いたものを掲げていて、「観光協会がそんなのを掲げていいんですか」と心配されたりもしました。今はGo Toトラベルキャンペーンも始まったので、通常の「案内所」と書いたものに変えています。
 市内は自宅にお客さんを迎え入れる民宿が多いのですが、高齢者がいるところもあるので、不安を通り越して恐怖という感じで、未だにお客さんを受け入れていない宿もあります。


旧杵 津久見市の観光客数は、1990年は約5万2000人で、東九州自動車道の津久見インターチェンジが開通した2001年は若干増え約9万人でした。以後10年間は10万から10万5000人の間で推移し大きな増減がない状況でした。
 2011年に〝うみたま体験パーク「つくみイルカ島」〞がオープンして、この年に約24万人と、日帰り客を中心に大きく伸びました。その後、食・桜観光などの取り組みを行い、2015年に30万人、2018年に40万人を突破しました。観光戦略では2021年に60万人、2025年に100万人という目標を立てました。
 津久見市は、河津桜発祥の地である静岡県の河津町との交流もあり、津久見でも地域住民が植えた河津桜が観光スポットとなっています。例年、開花する2月はすごく人気で集客力が上がってきましたが、コロナ関係で今年2月中旬から観光客が来なくなり、並行して同じ地域にある「つくみイルカ島」の入場者も激減しました。転機になったのはお二人と同じく緊急事態宣言です。
 観光協会が飲食店に2月下旬〜3月初旬にアンケートをとり、その時点でも宴会などがかなりキャンセルになったとか、利用客が激減したという報告はありましたが、4月の緊急事態宣言を受けて、これは長くなる、経営が立ち行かないという危機感を募らせた事業者が多かったのではないかと思います。
 ゴールデンウィークは、「つくみイルカ島」と併設する物産館の「里の駅 つくみマルシェ」が休業しましたので実績はゼロで、そこから周遊する観光客で賑わう、人気の公園や飲食店も実績ゼロに近い状況でした。8月も学校関係の夏休みが短く、「つくみイルカ島」などの売上は例年の半分以下で推移しました。これまで経験したことがない事態の中、市内の飲食店を助けようと、観光協会が企画したテイクアウトに、市民や事業者から多くの協力をいただけたことが大きな成果であり、コロナ後の観光の一つの方向性かと思います。

地域住民の声

寺崎 今のお話で、藤里町では地元の方が県外ナンバーを見ると敏感に反応されたり、南砺の民宿の方は恐怖すら覚えたというお話を伺いましたが、改めてコロナ禍において観光客の来訪、あるいは地域での観光推進に対して、地元の観光産業の方、観光に関わっていない方の声をそれぞれお聞かせください。
佐々木 藤里町で観光を生業にしている事業所はあまり多くありません。民宿は1つの集落に5〜6軒ありますが、経営している方が60代、70代なので、コロナ禍でお客さんに来てくださいと言える状況ではありませんでした。あとは温泉旅館、簡易旅館が3軒ほどありますが、全国の状況を見て、自分のところに来てくださいとはとても言える状況ではなかった。第三セクターももちろん誘客を進めませんでしたし、どう補填すれば維持できるかに当初は腐心していました。
 5月25日に緊急事態宣言が解除されてから、秋田県知事は、最初は県内移動を中心に、次の段階では北東北3県を中心にお客さんを増やしていこうという方針でした。藤里町も県の方針に則った形で宿泊費の助成事業を実施したりしながら今に至っています。当時は持続化給付金などの相談は多かったと思いますが、「お客さんに来て欲しい」といった相談はなかったと思います。
寺崎 今はGo Toトラベルキャンペーンについてテレビなどで情報提供される状況になり、一般の町民の方も観光客が来ることに、少しずつ心理的バリアが解けてきた状況でしょうか。
佐々木 「感染対策をきちんとすることが前提」と皆さん異口同音に言われているので、少なからずそれが前提でお客様に来ていただくのが合言葉になるのではないかと思います。
寺崎 では、観光は絶対ダメだということではなくなってきているわけですね。
佐々木 そうですね。
米田 先ほどの、民宿のおかみさんの不安を通り越して恐怖という話がよく状況を表していると思います。市民が県外ナンバーに過敏に反応することもありましたが、本当にネガティブな声というのはあんまり聞きませんでした。ただGo Toトラベルに関してはやはり「あんなことをやっていいのか」とおっしゃる市民の方はいらっしゃいました。また、私が飲食店に予約を入れると「どちらの方ですか」「どういうお集まりですか」と聞かれたことがありました。やはり、慎重になっているんだなと感じました。先日も同じことを聞かれましたね。
旧杵 中には「県外のお客様は遠慮していただきたい」とか、離島を抱えているので「船に乗るのは島民だけに」という声もありました。
 飲食店は、「3月の1カ月間を乗り切れば」という気持ちも若干あったのかなと思いますが、送別会やお花見、歓迎会の時期を逸してしまい、長丁場になりましたので、かなりの打撃となりました。
 しかし食のキャンペーンを行うにつれ、飲食店の皆さんは徐々に観光客が来ることに期待をする状況に変わりました。観光協会が飲食店組合と連携して、感染防止の学習会をスナックで行ったり、飲食店の感染防止対策についてはかなり指導しました。宿泊についてはビジネス客が多いので、まだ慎重かなという状況です。

今取り組んでいること

寺崎 コロナ禍対策として、今はどのようなことに取り組んでいますか。
米田 観光面での現在の取り組みとしては、「なんと安全・安心と笑顔の宿」という取り組みを7月26日から始め、2つのフェーズで展開しています。
 フェーズ1は、コロナ禍で最初に求められる安全安心の確保です。お客様だけでなく受け入れる側も求めていることです。しかしながら、業界団体から出ているガイドラインが、何ページもあってすごく詳細に書いてある。見ただけでこれはあかんと思うほどハードルが高い。
 そこで、お宿の皆さんとワーキング会を行い、南砺の宿版ガイドラインを作りました。本当にシンプルに7項目にまとめています。この作成と合わせて、宿泊事業者の皆さんと一緒にお宿の悩みや課題を解決する「宿ゼミ」も開催し、コロナ対策をテーマに公衆衛生の専門家に来てもらいました。
 また、南砺の宿版ガイドラインを実践するお宿は安全宣言ができるというスキームにしました。宿は南砺全体で約70施設あり、安全宣言をしているのはそのうち47施設です。安全宣言をしているお宿をとことん応援しようということで宿の紹介動画を作り、YouTubeなどいろんな形で発信しています。また、宿の紹介のほかにお客様の口コミも表示される「Google マイビジネス」は、お客様と双方向でやりとりできるので、その登録支援もしています。
 フェーズ2は経済対策として、市民向けのプレミアム宿泊券を販売しました。7月末に発売し、利用期間は8〜9月の2ヶ月間です。市民が地元の宿に泊まるのかという不安もあったので思い切って6割引にし、5000円の宿泊券が2000円で買える形にしました。1万枚用意し、今日が販売最終日ですがほぼ完売です。
 何度も買いに来てくれるお客様もいて、話を聞くと「こういうのがあったからこそ地元に泊まろうと思った」「地元にいいところがいっぱいあるのを再発見できた」と、まさに教科書に書いたようなコメントをいただき、嬉しく思いました。
 Go Toトラベルキャンペーンも含め、世の中は割引合戦ですが、それに踊らされてしまうと終わった時に何も残らない。結局お客さんが来なくなっては意味がないので、今だからこそできること、やれることをしっかりやっていこうと動画を撮ったり、Google マイビジネスを支援したりしています。
 今は12月から2月の3カ月間で市民向け宿泊券の第2弾を実施しようと、市と調整しています。コロナ禍が過ぎた後、生き残るために何をしなければいけないのか、例えば3密を避けるため、定員を減らして営業しないといけません。その中で利益を出すには、サービスの質や付加価値を高めて、客単価を上げないといけない。
 でも、宿の人たちからすれば言っていることはわかるけど、どうすればいいかわからない。質を高める方法を勉強しましょうということで3回目の宿ゼミは「コロナ禍でも人気の宿」をテーマに、商品ジャーナリストを招いて、どうしたらサービスや付加価値を上げられるかを勉強する予定です。
 その上で第2弾の宿泊券を販売する時には安全・安心を担保した上で、うちの宿はこんなにいいところがあるとアピールします。第1弾と同じく、6割引で1万枚やりましょうと市に言っていますが、そういう取り組みがまさに今だからこそやるべきこと、やれることだと思っています。
佐々木 観光事業者にやっていただかなければならない必要最小限の対策を、町として統一した形でお願いする必要があり、早急にやりたいと思っています。
 今後、多分旅行の形態も少し変わってくると思いますし、今藤里町で期待し、取り組んでいきたいと思っているのがワーケーション事業です。
 自然系の観光地なので一つはキャンプ場の再活用、もう一つは従来のホテル施設をワーケーションできるような形でリニューアルすることを考えていきたいと思っています。できれば、テレワークやワーケーションへの期待や可能性について、今日お集まりの皆さんからご意見をお聞かせいただければありがたいです。

これからの観光振興の取り組みは、変わるのか

寺崎 ところで、コロナ禍を経験して、地域活性化への取り組みにおける観光の役割は変わるのでしょうか。また、観光振興のやり方自体を変えるつもりなのか、それともこれまで通り、引き続き丁寧にやられていくのでしょうか。
佐々木 基本的には、やろうとすることに大きく変わりはないと思います。いずれにしても、コロナ禍がきちんと収束できていない状況で、どのような対策を講じていけば、必要最小限で済むのかということは、常に追求していかないといけないと思っています。
 これからアフターコロナに向かっていくためには、今質問されたようなことを、各事業者とディスカッションしながら、進め方を再検討していければと思います。
旧杵 大前提に市民の感染防止対策がありますが、その次に今やらなければいけないことは、観光も含めて事業者の経営を継続させること、つまり、倒産や廃業をまず防ぐことだろうと思います。これについてはコロナ関連予算にて、飲食店の対策、特に、小規模事業者が多いので、国や県と連携した事業支援を行っています。


 観光については、うちの主要観光施設である「つくみイルカ島」と、併設する「里の駅 つくみマルシェ」については運営を継続していくために応援しようという事業も組んでおり、さらに次の段階に向けて、市中心部の公園のリニューアルも検討しています。
 国は「リビングシフト」という言い方をしていますが、地方にとっては今、移住者を取り込むチャンスだと思います。先ほど、佐々木町長からお話のあったワーケーションまたはテレワーク事業所を誘致するため、公共施設の改修事業などについても、今行われている議会で予算を上げているところです。また地域にない人材を確保する予算や、コロナ後の観光戦略をどう立てていくか、計画を作る費用についてもいろいろ工夫しているところです。
 佐々木町長もおっしゃったようにコロナ禍を経験しても、やること自体はあまり変わらないと思いますが、観光という切り口で地場、市民に目を向けるという考え方はあると思います。当市は基幹産業がしっかりしているので、補完する形で市民に観光を喜んでいただき、楽しみや学習材料にできればということで、新たな観光戦略を考えていかなければならないと考えています。
 来年度は個人住民税をはじめ、税収の落ち込みがかなり危惧されます。また、人口が減れば地方交付税などにも影響があります。行政全般の運営の中で、観光地域づくりについてきちんと戦略を持ち、市の上位計画と同様に推進していく庁内体制を作っていくことも大事です。
 観光DMOの考え方については、津久見市は一般的なDMOの役割に加え、移住者や新規創業者のワンストップ窓口も兼ね備えた、総合的な「津久見市版観光DMOを目指していますが、こうした視点を、コロナを契機に再認識したということです。
米田 旧杵さんがおっしゃった「移住者を取り込むチャンス」というのは、全く同感です。そういう意味で、当市も佐々木町長がおっしゃったワーケーションにも取り組みたいと思っています。桜ヶ池というリゾート地に、デザイナーなどが入居するクリエイターズプラザという市営施設があり、宿泊施設も備えたワーケーションにちょうどいい場所なので、取り組みを進めていきたいと思っています。
 観光はある意味人々の営みの一つといえるので、時間がかかるかもしれませんが、必ず需要は戻ってくると信じています。インバウンドはおそらく数年戻らないと思いますが、市場調査を見ていると、アジアやオーストラリアなどで旅行が戻ったらまずどこに行きたいかというと日本なんですね。そういう意味では注目度も高く、ニーズは必ずあるので、今できること、やらなければいけないことをしっかりとやっていきたい。
 それがしっかりとした情報発信と受け入れ環境の整備だと私どもは思っており、そうしたところをきちんとやっていきたいと思っています。事業者の皆さんは客単価を上げることにも取り組まなければいけないので、次のステップとして、例えばいくつかの宿にパイロット的に専門家を入れてグレードアップし、それを市内にも市外にも発信する。
 全体の質を上げるため、一点突破ではありませんがどこかを上げたら必ず周りも上がっていきますので、そういう取り組みもやりたいと思って市と協議を進めているところです。

コロナ禍で学んだことは

寺崎 それでは最後にコロナ禍の現場で、まさに最前線で体を張っていた皆さんが気づいたこと、学んだことについてお一人ずつお話しいただけないでしょうか。
 例えば、地元の中の交流を深めてみようという取り組みをされて、改めて観光というのは外との交流だけでなく、地域住民の気づきにもなるということ。どういう生き方、どのような人生を送るかということを考える機会にもなったと思います。
 6月にも別のメンバーで観光は今後どうなるのかという座談会を行いましたが、その時に、これまでは必ずしも観光客の訪問にいい印象をもっておらず、鬱陶しいよねとか、自分たちの産業とは関係ないと言っていた人たちの中から、コロナ禍によって観光客がぱったり来なくなった、街がすごく静かになった、自分たちが作った農産物などが売れなくなった、実は来る人たちによって自分たちの産業や暮らしの賑わいが支えられていたことに気づいた、という声があったことを聞きました。
 コロナ禍によって、これまで観光がもたらしてきたことが住民の暮らしの中に伝わり、今までは観光にネガティブな印象をもっていた人たちにとっても、観光は自分が住んでいる地域にとってなくてはならないものであるという気づきがあったということだと思います。観光振興を推進する立場としてコロナ禍では悲観的な思いが続く中で、地域社会における観光の重要性の理解と普及こそ重要だということを学びました。
佐々木 今回、子どもたちが学校へ行くこともできない、友達と遊ぶこともできない状況になり、家庭でそれを補ってあげなければならなかったのではと思っています。
 一方で、例えば小学生の子どもが2人いる若い夫婦がいたとすると、どこで仕事をしても食べていける社会に変わりつつあると思います。安心して子育てできる環境を提供すれば、都会でなくてもきっちり仕事ができて収入を得られる方向に変わっていきつつあると。
 我々もそういう環境を提供できる町になっていけるのではないか、今後はそういう面を主体的に強化していければと思います。
 また、昔のように団体旅行であちこちに行くという旅行形態は、今後は考えにくいとも思います。これからは個人や家族単位の移動が主流になるだろうということで、その人たちをターゲットにした観光や教育、医療をメインにやっていきたいと思っています。
米田 宿泊券を使って地元の宿をご利用いただいたり、飲食店を支援する施策で、地元の皆さんが宿や飲食店を助けようと実践する姿を垣間見て、改めて地域のつながりの強さを感じ、すごくありがたいというか、尊いことだなとまず思いました。
 それはコロナ禍の今だからこそ感じることができたと思いますが、そういう中で「地元の良さを改めて発見できた」と言っていただくこともあり、最初にお話ししたように「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」と、まさに観光が目指すべきものを改めてこのコロナ禍で気づかされたなと感じました。
旧杵 津久見市でも同じように休校し、部活動が自粛、少年野球などの社会スポーツも停滞しました。
 色々と大変な事も多かったのですが、交流人口、外貨獲得が目的である観光が、コロナ渦で来訪者に期待できない中、あらためて地場に目を向け、コロナ収束後の体制を固めていくことの必要性を強く感じました。
 飲食店の窮地を救ってくれたのは、市民や地場の事業者の方々でした。率先して、観光協会が企画したテイクアウトで飲食店を利用していただいたわけですが、この行動は飲食店の皆様も意気に感じたと思います。このテイクアウト企画は、観光協会が、市・商工会議所などの団体・飲食店・交通事業者間の調整を図ったものであり、いわゆる「津久見市版観光DMO」機能の一つと考えます。コロナ渦を契機に、この機能を強化し、市民生活の価値観や地場事業者の発展など、市民や事業者からの評価、期待を得る中で、市民目線に立った息の長い観光地域づくりにあらためてチャレンジしていくことが、今後の津久見市の観光行政のあり方ではないかということです。
 とはいえ、観光が経済活動や生産性の向上に寄与しないと継続していくだけの事業予算が確保できないことになります。今後もWithコロナを前提に、安全対策をきちんと講じた上で観光資源をブラッシュアップして新しい魅力を作っていく、子育てや教育といった政策間の連携を図り、市民や関係者の参画を得ることも必要です。
 さらに移住者を含めて津久見市出身者や津久見市に縁のある関係人口にテーマを絞りながら、観光戦略をきちんと構築し、津久見市の中でも観光の位置づけが高いことを、バランスを図りながら周知していく必要があると思います。
 基幹産業(石灰石・セメント産業など)がさらに発展し、観光による消費アップや市民や事業所の理解度、観光が子育て・教育につながるおもしろさ、野球などのスポーツ振興などにより、人口減少社会の中でも、津久見市に住むことを誇りに感じ、市民自らがまちを創っていくといった「シビック・プライド」の醸成につながればと思います。
寺崎 地域の中には、様々な産業や働き方、考え方、人の交流、人の暮らし、行政の施策がありますが、観光振興というのはそれらをつなぐこと、かもしれませんね。今日はどうもありがとうございました。

   


佐々木文明(ささき・ふみあき)
秋田県藤里町長。1956年生まれ。1975年藤里町役場入庁。世界自然遺産に登録された1993年から白神山地を担当してきた。農林課長、商工観光課長などを経て、2011年から現職。白神を地域振興の中心に据え、「白神の町」を前面に出すまちづくりを目指し、現在3期目を迎えている。趣味は温泉巡りとドライブ。

   


米田 聡(よねだ・さとし)
一般社団法人南砺市観光協会専務理事。1981年福野町入庁。1991年から14年間、福野文化創造センターヘリオスにおいて文化事業の企画運営を担当、ミュージック・フェスティバル「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」のプロデューサーを務めた。南砺市観光課長、産業経済部次長、ブランド戦略部長を経て2019年南砺市観光協会事務局長、同年5月から現職。

   


旧杵洋介(うすき・ようすけ)
大分県津久見市まちづくり課長。津久見市生まれ。津久見市商工観光課長を経て2018年から津久見市商工観光・定住推進課長として、津久見市の観光戦略と「津久見市版観光DMO」の構築に向けた観光協会の体制強化、観光プロモーション、マーケティング、観光拠点の基本構想などに取り組む。現在は、都市・まちづくりを担当。津久見高校硬式野球部出身、元津久見市役所野球部監督。

   


コーディネーター
寺崎竜雄(公益財団法人日本交通公社)

編集協力
井上理江