オンライン座談会【1】…開催日:2020年9月28日
② コロナ禍で観光地を支え地域を守る
礼文町・小笠原村・座間味村

観光が大きな比重を占める3つの地域は、コロナ禍の8カ月間をどう生きてきたのか。前号では〝民〞の立場から、今号は、前号とは地域が異なりますが〝官〞の側からの声をお届けします。

観光の役割と位置付け

寺崎 コロナ禍において、まさに最前線で対応されてきた方々に、現場で感じたこと、気づいたことなどをお伝えいただきたいと思います。行政という立場から、話しにくいこともあると思いますが、なるべく直球を投げていただけますか。まずは、ご自身のことからお願いします。
川村 私は礼文に生まれ育ち、高校3年間は稚内、札幌に1年暮らしました。私が所管する産業課では水産、観光、商工労働、自然環境、温泉と大変バラエティに富んだ仕事をしており、観光協会の事務も行っています。他のお2人とは、島の位置や産業、医療、文化のあり方が異なるので、今回のコロナ禍に対する向き合い方も違うと思うのですが、情報交換が楽しみです。
渋谷 私は1983年に小笠原村役場に入りました。大学生の時にスキューバダイビングをやっていたのがきっかけで、大学3年の時に小笠原を訪れ、その後移り住みました。いわゆる移住組です。役場に入って3年目から産業観光係(当時)に所属し、ホエールウォッチング事業の立ち上げに関わるなど、観光関係、町づくりの仕事をしてきました。その後は東京事務所勤務などを経て、産業観光課長の時にはエコツーリズムの推進に携わりました。
 コロナ禍に関しては、小笠原は医療体制が非常に脆弱ということから、かなり慎重に取り組んできましたが、9月19日に2名、24日にさらに2名発症者が出ました。これから具体的にお伝えしますが、いろんな対策をしても限界があると感じているところです。
宮里 私は座間味村で生まれ育ち、島内には高校がないので中学卒業後に沖縄本島に、大学は福岡に出ました。沖縄に戻ってからはリゾートホテルで2年ほど働いた後に島に戻り、26歳から役場に勤めています。41歳で村長選に出て、現在は3期目の最終年にあたります。職員時代に小笠原に1週間ほど視察で伺ったことがあります。礼文に行ったことはないですが、村長になってから斜里町や羅臼町に国立公園の視察で訪れています。
 職員時代は観光には携わっていませんでしたが、観光はとても重要視しています。学生時代にダイビングを始めたということもあり、職員の中でも観光のことが分かっているほうだと思います。
 コロナに関しては、疑いのある方がこれまでに8例ほど発生し、非常に不安な日々を送りましたが、結果的に今のところ村の罹患者はゼロです。ただ、本土と座間味を結ぶフェリーの船員1人が罹患してしまい、濃厚接触者ということで約半分の船員が休むことになりました。1週間から10日ほど船の運航に支障をきたすなど、観光も大きな打撃を受けました。
寺崎 それぞれの町村の政策における観光振興の方向性はどうでしょう。島の経済に占める観光の役割、住民にとって観光はどのように位置付けられているかなどについてお聞きします。
川村 礼文町の総合計画では「未来につながるたくましい産業づくり」として水産、商工業、観光が3つの柱として位置付けられています。ただ実質的には漁業を中心とした水産業と宿泊飲食を中心とした観光業が二大産業と言えます。
 歴史上、この島が開かれていったきっかけが漁業だったので、漁業は島の人にとって大切な産業なのは事実です。ただ、私は今では観光業は水産業より経済的効果、地域への影響が大きいだろうと思っています。
 2015年の国勢調査による礼文町の総人口は2773名、就業者数は1768名です。このうち漁業が651名で、観光業は試算では762名なので漁業より多く、全体の4割強は観光関連で占めていると言えます。
 経済面から見ると、2019年度の漁業の水揚げは32億4500万円でした。観光の入込数は11万2000人、宿泊数が5万6800人ですから、観光業の経済効果は14億1800万円と試算をしています。町の一般会計が毎年50〜60億円で推移している中で、観光は地域を支える産業だと考えています。
 観光客が訪れるのは5月から10月くらいまでで、春夏偏重型と言えます。統計方法が今とは違うのですが、これまでの観光入込のピークは2002年の30万8000人です。この頃はいわゆる団体のバスツアーが主流でした。最近では個人客も増えていますが、今でも団体ツアーは多く、来島者の多くは、礼文で1〜2泊するパターンのようです。
寺崎 今回のコロナ禍では団体ツアーは全く動きませんでした。そうすると礼文島も大きな影響を受けたことになるのでしょうね。
川村 6月末の時点で、宿と食堂のキャンセル額が8億円強あったと推計しています。
渋谷 小笠原村の人口は2600人弱です。このうち母島に約500人、父島には約2100人が暮らしています。産業では一番が観光、次いで漁業、農業という順番です。
 太平洋戦争前の小笠原は漁業と農業で成り立っていました。戦後から1968年までの間はアメリカの統治下に置かれ、欧米系の方約130名だけに帰島が許され、ほとんどが米軍の管理する土地となりました。父島では大村・奥村地区以外は荒廃し、現在人口約500人の母島は無人島という状況でした。
 帰島が始まった1968年から改めて島づくりが始まりますが、観光が成り立つようになるのはアクセスが徐々に改善されてからです。私が学生の時は父島丸という船で39時間かかっていましたが、その後はおがさわら丸という船が内地と結ぶようになりました。今のおがさわら丸は3代目で、所要時間は28時間から25時間半、24時間に短縮されています。それでも未だに東京から船のアクセスのみで、行き帰りの船中泊を入れると基本は5泊6日となり、現地では3泊することになります。
 現在は島民も含めた乗船客数は年間で3万人前後です。このうち島民利用の平均が年間3000人なので、来島者は約2万7000人になります。仕事や観光で来た方は最低3泊しなければいけないので、延べ人泊数は約7万人泊です。産業は観光が最も盛んで、村では観光を基軸にして産業振興することによって、農業や漁業に波及効果が出ると捉えています。
 今では、1989年にスタートしたホエールウォッチングがきっかけとなり、エコツーリズムを基軸とした観光振興を行っています。小笠原の海に魅力を感じる人が多いのですが、2011年の世界自然遺産の登録によって認められた陸に息づく固有の動植物による生態系の価値が広く知られるようになり、山や森歩きのツアーも増えました。
宮里 座間味村は座間味島、阿嘉島、慶留間島の3つの有人島があり、人口は約930名です。座間味村の就業人口の92.4%が第三次産業に従事しています。従事者数は488名で、ここから公務員を100人引いたとしても約75%が観光関連で働いていることになり、小笠原や礼文に比べても、観光に頼っている割合が非常に大きいと思います。
 観光客は2012年に6万9000人くらいまで落ち込みましたが、ここ数年は年間で約10万人が訪れています。沖縄県民が145万人で、そこに観光客が年間1000万人来ていますが、対人口比で考えるとそれをはるかに上回る観光客が座間味に訪れています。
 那覇市から40キロくらいしか離れていないので、日帰りが十分可能です。このため4割から4割5分くらいが日帰りのお客さんではないかと思われます。
 観光シーズンは夏場に特化しており、7〜9月に集中しています。この期間には日帰り客は7割弱くらいを占めています。秋・冬・春をどう増やしていくかが課題です。
 観光によるメリットは、この20数年のあいだに同規模の離島自治体に比べると移住者が増えたことです。若い人たちが増え、村で結婚して子供も増えてきました。これは経済面だけで測れないメリットだと思います。観光従事者だけでなく、役場の正職員のうち20数名は県外からの移住組で、全体の3割以上を占めています。そういう意味では観光がいい方向で、人口減少に歯止めをかけている面があります。
寺崎 座間味島や礼文島では季節波動が大きいという話がありましたが、小笠原ではどうでしょうか。
渋谷 ホエールウォッチングを始めたのをきっかけに2月から4月の来島者も多くなりましたが、やはり観光客が多いのは夏です。冬場は学生と高齢者の団体が多く、夏は家族連れ、9月には学生のダイバーが多くなります。秋が少し弱く、10、11月は船便ごとの来訪者は300〜400人程度に落ち込みます。
寺崎 地方創生の課題として中山間地の人口減少が挙げられ、その対策として観光による地域の活性化の取り組みがいっそう盛んになりました。座間味では観光振興の効果により人口の社会増を果たしているということですが、小笠原と礼文はどうでしょう。
川村 礼文は自然減が40人くらいあり、出生数などが20〜30人なので、徐々に減っています。例えば観光で来られて、漁師のお嫁さんになる方もいますが、観光で人口が増えているという感じはないですね。


渋谷 1944年の全島強制疎開前は7000人弱の人が父島と母島、硫黄島に住んでいましたが、戦後すぐに戻ることができたのは欧米系の方約130名でした。
 1968年に返還された5年後の1973年には1000人を超え1978年に1500人、1992年に2000人を超え、今は2600人弱です。経済的な基盤を内地に作った旧島民は戻ってこなかったという背景もあり、私のようなIターン者が6〜7割を占めていると思われます。
 人口の増加は船の変遷と連動しており、観光が振興されたことが一つの大きな要素だと思います。もう一つ、2011年の世界遺産登録により自然を守るための仕事が増え、ここにきてその関係者も増えてきたと感じます。
 例えば行政機関なら環境省の事務所ができたり、そうした仕事を請け負う研究機関ができ、常駐者が増えました。来年は海上保安庁が船を配備し、乗員だけで15人増えることになり、その家族も増えます。こうした公務員層の影響もあると思います。

観光に対する住民のまなざし

寺崎 各島ともに観光が重要なポジションを占めていることは共通していますが、観光に直接関係のない島民は、観光や観光客に対して温かいまなざしを向けているのでしょうか。
川村 コロナ禍の前は、良い関係であったと思います。しかし、一方で漁業の方には、漁業だけで島の経済が成り立っているという感覚も実はあり、水産物を食べるのは誰かということを理解されていない方もいます。漁業者が獲ったものを島で食べ、買い物して、都会に帰っても食べてくれるのが観光客なのですが。でも昔に比べればだいぶ理解していただけるようになってきたと思います。
 礼文には漁業協同組合が北と南に2つあり、組合員は150名ぐらいずついます。漁協が昼食を提供する食堂を造ったこともあり、ずいぶん観光に対しての考え方は優しくなりました。25〜30年前に私も水産関係の部署にいましたが、その頃は観光にあまり目が向かない時代でした。
宮里 観光は1965年頃の海水浴から始まったと思います。次は30年くらい前からのダイビングですね。漁協の組合員には、ダイビングショップや民宿も経営している兼業の方が非常に多く、マリンスポーツで働きながら漁獲高をあげた若い方が、新規で組合員になるケースもあります。漁業が専業の方も数名いますが、その方々も島で魚を買っていただいているということで、観光とは良好な状況だと思います。
 農業をやっている人もいますが、生業としている人はゼロです。ですから基本的には観光に対する村民の皆さんの視線は温かいです。
渋谷 そもそも漁業者も農業者もIターン者が比較的多い島で、島内的に観光が一番の産業ということは皆さん理解していますので、問題があるとは思っていません。

来島制限をめぐる動向

寺崎 コロナ禍では2月頃から観光に影響が出始め、現在に至りますが、皆さんのところではこれまでどのように推移したのでしょうか。まずは入込客数から教えてください。
川村 礼文は夏偏重なので、冬は月あたり700人くらいしか来ていません。コロナ禍の始まる今年1月から3月までは平年並みかむしろプラスでした。しかし4月になると例年は3000人くらいだったのが700人に落ちました。この数値には転勤などで動いたビジネスの方も含まれます。
 団体旅行は2週間前くらいに手仕舞いしますが、5月半ばくらいになると、6月以降の花のシーズンの予約がどんどんキャンセルになり始めました。キャンセルの数字を把握するために事業者にアンケートをとったところ、6月末時点で宿のキャンセルが2万5000人、昼食のキャンセルが4400食で、合計8億4000万円が流出したと試算しています。
 昨年の5月は1万2300人の観光客が来ていましたが、今年の5月はビジネス含めて500人でした。6月が前年の2万4200人に対して1700人、7月が2万4400人に対して5800人、8月が1万8700人に対して6800人という数字です。
 前年の5月から8月までの入込客数の合計は7万9600人ですが、今年は1万4800人と、比べ物にならない数字になりました。「Go Toトラベル」キャンペーンや北海道民向けの「どうみん割」などで若干の盛り上がり感はあるものの、一番いい時期がこういう状態なので9、10月はどんなに頑張っても厳しいという状況です。


寺崎 コロナ禍の対応はどのようにされましたか。例えば、入島制限などは考えましたか。
川村 他の各町村の町長や村長がいろいろメッセージを出されましたね。例えば石垣島では観光客に来島自粛要請をされたと聞いたので、電話をかけて聞いてみたりもしました。
 ではわが町はというと、4月24日に島嶼地域への移動を遠慮してほしいという離島町村長のメッセージが広く出始め、呼応するように島内関係者からも来てほしくないという声が聞こえ始めた時、町長は「今は来ないでください」というメッセージを発信しました。先ほど旅行会社のキャンセルの話をしましたが、この頃は旅行会社もいつ予約をキャンセルするのかを迷っていたのだと思います。
 商品としては売りたいけど、感染者が出ると送り手としての責任が出てくる。島にも迷惑をかける。タイミングを探っていた頃に町長が来島自粛要請を発信したので、5月の手仕舞いのタイミングと合わさって、一気にキャンセルが出たのだと思います。東京の方も島に行ってみようという雰囲気ではなかったでしょう。礼文では今でこそマスクをして、手指を消毒されていれば、さほどストレスはなくなりましたが、医療体制の問題があるので4、5月までは来ないでほしいという声が島内では強かったのが実際です。
渋谷 おがさわら丸は24時間かかり、6日に1回の運航しかない中、感染者が発生すると医療系の補充はすぐにできません。また、患者さんの救急搬送には自衛隊の応援をいただくのですが、従来は感染症の方は運ばないことになっていました。今回はコロナに関しては運んでいただけるという約束ができたので、安心しましたが、とにかく最初から、何とかして水際でコロナを防がなければという意識が強くありました。
 2月初め、おがさわら丸が船の定期検査から戻ってくる時から、まず竹芝での検温体制を村が実施することにしました。その時はまだ来島制限をかけるという話はなかったのですが、3月後半に徐々に島民からも「今のままでいいのか」という声が上がりだし、毎年3月頃に来島するにっぽん丸やぱしふぃっくびいなすといった国内クルーズ船のキャンセルが続きました。これにはダイヤモンド・プリンセスの事例が大きな影響を及ぼしたと思います。


 このような状況を経て4月6日、国の緊急事態宣言前日に、島民の上京自粛とともに、来島自粛要請を出しました。父島・母島の観光協会もこのままお客様を迎えるのは非常に危険だということから、タイミングとしては村からの要請の少し前に自ら来島自粛のお願いを打ち出しました。
 その結果として出ている定期船の乗船数ですが、3月は昨年が2988人に対し、今年は2236人に落ち込みました。4月は来島自粛により、昨年の2385人に対して439人でした。この数値には島民の行き来も含めています。5月はさらに落ち込み2453人が107名となりました。国の緊急事態宣言は5月に解除されましたが、島の体制は十分ではないので6月も来島自粛を継続しました。結果、6月も182名の乗船数しかなかったです。したがって、4、5、6月には、観光客はほとんど来なかった状況です。


 来島自粛は強制できないので、船に乗ってしまえば受け入れざるを得ないですが、来ている方の中には「都内にいるより小笠原の方が安全なので」という感覚を持たれていた方もいたようです。
 7月に来島自粛要請を解除しました。一番密になりやすいのが船内なので、運航会社と相談し、個室は定員通りですが、それ以外の特2等や2等客室については、和室タイプはグループ間を3人分空けることにしました。例えば1人客とカップルがいたら、カップルは隣同士ですが、1人客とカップルの間は3人分空けるという形です。これによって本来は800人以上の定員ですが、今は400人前後で運航しています。
 通常の7、8月には一便あたり500人、600人という数字が出るのですが、この上限があったので7、8月の来島者は例年の半分以下となりました。
 9月以降は例年だと400人乗れば多いという感覚なので、10、11月も400人前後の数字で推移するなら、月別では従来の数字に近づくことになります。正月はまた制限しますので、お客さんは半分以下になると想定しています。
宮里 座間味村へのアクセスは高速船とフェリーの2隻体制です。空路はヘリのチャーターのみなので、ほぼないと言えます。定員200名の高速船が1日2往復、定員400名のフェリーは1日1往復が基本で、ゴールデンウィークと7、8月は高速船が3往復になります。
 それを前提としたお客さんの推移がこちらです(図-2)。3月までは例年よりやや減少という程度ですが、3月中旬からは影響が出始めました。4月は国の指針に従って私たちも動き、対前年比10%ほどまでにお客さんが減りました。5月は対前年比5%ほどです。6月が30%、7月には60%にまで戻りますが、8月は沖縄県独自の緊急事態宣言により再び30%に落ち込みました。


 4月25日からゴールデンウィーク明けまで、私たちは緊急事態宣言を受けて、まず高速船の運航を全便止めました。フェリーは通常、座間味に12時に着いて16時頃に出ますが、座間味発を14時に繰り上げ、日帰りのお客さんが来られないような状況を作りました。
 ゴールデンウィーク明けから徐々に船の運航を回復させましたが、例年通りまで回復するのは9月になってからです。それまでは何らかの制限をかけて、船を運航していました。併せて、島の民宿やマリンスポーツのオーナーにこの施策を宣言したところ、むしろ協力的に「自分たちも店を閉める」と言われ、ホームページやFacebookで休業を宣言してくださいました。8月頃から徐々に通常に戻してきていますが、まだまだお客さんは前年並みまでには回復していない状況です。
寺崎 船を間引いたり、発着時間を変えることにより観光客の滞留時間を短くするなど、行政が主導して対策を取られていますが、その判断に至るまでの観光事業者や一般島民の声、行政の対応に対する声の変化はどうだったのでしょうか。
宮里 最初に船を止めるという話をした時には「むしろよくやってくれた」というのが、行政に対する評価だったと思います。反対の方もいたかもしれませんが、私や行政職員の耳には届いてきていません。
 ただ、観光関係の従事者が多いので、コロナ禍による経済的な影響はボディーブローとして効いてきていますね。国の各種給付金があったので、なんとか生活できていましたが、7月頃になると事業者から元に戻してくれとは言われませんが「いつになったら通常に戻るのか」というような不安の声が聞こえてきたのは事実です。
 コロナの罹患者は出ていませんが、疑い事例が8〜9例出ています。その半数くらいを検査するために本島に送りました。個人情報なので流しませんが、どうしても住民に漏れ伝わります。心配しながら「どうすればお客さんを呼べるんだろうか」という意見に変わってきたのが、7月頃からです。


寺崎 礼文島もトップが来島自粛を要請したということですね。
川村 観光協会は4月9日に宿泊業者に対して「今年の観光客向けの開業日はいつを予定しているか」といったアンケートをとりました。結果は、普段通り営業するというところは少数でした。いつもより開業を遅らせる、あるいはまだ決めていないという回答が多かったです。
 6月1日に再び調査したところ、段々と宿を開けるところが増えてきて、6月20日にはほとんどの宿がオープンしています。提供部屋数を少なくしたり、密を避けて食事してもらうなどの対策をしてお客さんを入れるようにしたと聞いています。
 観光協会では事業者の皆さんの不安を聞くための会議も開催しています。ホテルは5月15日、民宿旅館と商店部会は6月9日、女性部会は6月8日と7月3日で、最初の頃は随分厳しい意見が出ていました。
 例えば食堂からは「町民以外の来店を断ります」ということで、実際にそういう掲示をされたところもあります。また当然のように責任問題として「患者が出たらどうするのか」という意見もありました。
 アイデアもいろいろ出していただきました。例えば、「熱がある人は行きのフェリーに乗せなければいい」とか。でも、フェリーは業法上できないんです。「行くんですか?」とは言えても、乗せないということはできない。フェリー会社は当然船員の罹患をすごく気にしていて、町もフェリー会社もおっかなびっくりでやっていたのだと思います。
 ただ、観光客が来ないという現実問題に対して、大きなホテルはスタッフも多いので、苦しみながらも肚をくくっていたのだろうと今となっては思います。私たちは、小さな民宿旅館は踏ん張りきれるだろうと見ていました。実際、コロナを理由に廃業された方はいません。雇用調整助成金をはじめ町や国、北海道がいろいろな支援をしたこともありますが、振り返るともう一つ大切なことがあったと思います。
 島の漁業は季節感がはっきり分かれています。コンブやウニ、ホッケをとる夏の漁は5月下旬くらいから始まり、9、10月まで続きます。5、6月に入ると町の人の目が一定程度は漁業に向いていたので、トゲトゲしい気持ちが丸くなる時間ができたのだと思っています。コロナ禍の中の観光に慣れるための時間的な余裕を漁業によってもらった、これはありがたいと感じました。
 そういう中で少しずつコロナについて分かってきて、その中で多くの宿の方も肚をくくって営業を始めたのだと思います。最初の頃は、観光協会にも観光以外の業種の方から「あの宿に団体が入ったね」とか「観光客来るの」といった声もありました。でも、今は観光客の方が歩いていても、マスクをしていれば「いるよね」というくらいです。
寺崎 町全体で観光を見ているのですね。
川村 島外の病院に通っていた方も通院を自粛する傾向にありましたが、夏休みで自分の親類縁者が里帰りする、自分も冠婚葬祭で出るといった必要な移動が始まり、自分もマスクをして手指消毒をすれば一定程度は安全という経験をしたり感じられるようになってきたので、観光客へも理解を示すようになってきたのかもしれません。例えば、小学生の子が野球の交流試合などで本土に出る姿などを見ることによって、「観光客の方だけがコロナを持ち込むのでは」という目が和らいでいったんだろうなと思います。
寺崎 小笠原はかなり厳格に人を入れないことで発症者を1人も出さないという姿勢でしたが、そうした姿勢に対して観光産業からはどのような反応がありましたか。
渋谷 4月6日に自粛要請を出すにあたり、村長と相談したのは「自粛要請は支援策とセットだ。そうしないと納得してもらえない」ということでした。小笠原の観光、農業、漁業、それぞれの特性に応じた支援策を真っ先に出しました。
 観光面では「生活支援金」という名称で最低保障をしました。一人世帯なら10万円の基準を設け、コロナの影響で1カ月の収入が10万円以下になったら毎月その差額を出しましょうということです。2人世帯は15万円、3人は20万円、4人なら25万円、5人以上は30万円で、最大30万円です。東京都からの補助も含めて何も決まらない時に、とにかく村の財政調整基金を崩してでもやろうと考えました。報道されていませんが、かなり手厚い施策だと自負しています。
 結果として東京都や国からも交付金等が出てトータルでいろいろな支援を充てることになりましたが、それでも持ち出しはかなりありました。
寺崎 そうすると観光産業からの不満などはあまりなかったですか。
渋谷 そうですね、多くの方は納得していただいたと思います。中には村に「補償しろ」という人もいましたが、村長は「補償ではなく支援だ」と議会でもはっきり言いました。
 農業では、4月から6月はパッションフルーツが最盛期で、市場に出さなくとも観光客が買って帰ったり、島民がお中元などで贈ってさばけていました。ところが来島者がほとんどいなくなったので農業振興策として送料を補助することにしました。結果として売れ残りがなく、農業者からは評価されました。
 漁業関係では、底物などの高級魚が、内地の料亭などの需要がなくなったので、漁協が漁師から差し引く送料や氷代に対して、父島に2000万円、母島に1000万円の補助を行いました。
 それ以外にも国や東京都からの給付金などがあり、それでやりくりしてくれていると思います。人の往来を閉めるだけでなく支援もするということで、多少なりとも不満は出なかったのではないかと思います。
 いちばん影響が大きかったのは船会社です。生活物資も運ぶので、10人、20人しか乗っていなくても週1回の運行を続けてもらいました。離島航路として東京都が赤字補填をしています。
 7月からいよいよ自粛を解除するという時に、本当に大丈夫なのかという声が多かったので、先ほどお話ししたように船の定員を制限しました。

観光の再開に向けて

渋谷 自粛解除に向けて、6月頃から業態ごとにマニュアルや指針が出されましたが、父島・母島の両観光協会では飲食関係、ガイド関係の方たちが自分たちで小笠原版としてのマニュアルを作り、それを会員に広める形で準備してきました。
宮里 沖縄県の状況はまだまだ戻っていない中、船の運航はほぼ通常に戻したのもありますが、座間味村は7月に前年同期の6割くらいまで戻りました。9月はまだ数字が出ていませんが、確実に5割以上戻っていると思います。ただし船の旅客収入は年間6億円くらいですが、4〜7月の4ヶ月で対前年比1億4000万円減と聞いています。
 観光客の戻りは沖縄県全体に比べて確実に早いと踏んでいますが、より安心して行きたいと思える座間味村にできるよう、安心して迎える環境づくりが必要だと考えています。日々、船員の皆さんには検温をしていただいたり、宿でもそれなりのルールを作ってやっています。また、それ以上に行政が果たす役割は何かと模索しています。
 明日から私も石垣島や竹富島に取り組み事例を勉強しに行く予定です。アプリやウェブなどのデジタルを活用して、安心安全を提供できる仕組みを作らなければいけないという話をしています。
寺崎 小笠原では来島者に対してPCR検査を行っています。この取り組みについて、詳しく教えてください。
渋谷 PCR検査を行うようになったのは、東京都からの声がけがきっかけです。都知事が離島での水際対策をしっかりすべきだと考え、今協力いただいているソフトバンク関係の検査会社とつながりができました。
 ソフトバンクが社会貢献として格安で検査することを目指すという報道があったようですが、本格事業化の前にソフトバンクの社員とおがさわら丸の乗船者に試験的にやってみようということになり、7月中旬くらいから村とソフトバンク、東京都、小笠原海運で話し合いが始まり、8月11日に運用がスタートしました。
 最初のうちは出発前に竹芝港で検体をとり、船に乗っている間に結果が出るという方法で3回ほどやりました。当初の話し合いの時から船内で発症したらどうするのか、濃厚接触者を誰が見出すのかという課題があり、実施方法の壁にぶつかりました。
 9月からは検査の結果が出てから乗っていただくようにするために、自分で唾液を採取してもらい、前日あるいは前々日に竹芝まで検体を持ってきていただく方法にしました。前日あるいは前々日に東京まで出てこられない方々もいますし、そもそも受けたくないという方も当初からいたので、今のところ7割くらいの方が検査を受けていることになります。
 さらに、感染して4日経たないと結果が出ないというようなPCR検査のスクリーニングの限界もあります。そもそも前日や前々日に感染した場合は、偽陰性や偽陽性などではなく、検体から感染結果が出ません。それでも、無症状の方がたくさんいることもわかってきているので、そうした方々をなんとか事前に見出し、感染拡大を防ぎたいので、検査費用を村が負担する形で、役割分担しながら進めているところです。
寺崎 小笠原に行く方は誰もが無料でPCR検査を受けることができるのですね。
渋谷 そうです。強制ではないのですが、受けていただけるようお願いしています。
川村 小笠原がPCR検査を行うというのをテレビで見て、すごく羨ましく思いました。礼文島では当然できないし、稚内ではできるようになりましたが結果が出るまでには結構な時間がかかると聞いています。
 国か北海道が、PCR検査用の移動車両でも造って、受けさせてくれないかなと思っていましたが、小笠原の話を聞いて、やればやったでいろんな課題があると感じました。そもそも受けたくないという人がやはりいるのか、という感想を持ちました。実情を知ることができてありがたかったです。
渋谷 PCR検査は村が積極的に動いたというより、そういう話が唐突に来たというのが実際のところです。ソフトバンクは1件2000円で自治体・企業向けにPCR検査を始めたので、こういうスクリーニングをしたい時にはぜひ活用されたらよいと思います。
 陰性という結果を持って島に来てもらえれば多少安心ですが、検体を出した前日や前々日に感染した場合はそもそも結果が出ないというハードルがあります。それでもやらないよりやった方がいいというスタンスです。
宮里 先日、座間味村のリピーターのお客様にご挨拶させていただいた時、「2週間後に小笠原に行くのでとても楽しみにしています」というお話でした。ただ、大阪に住んでいる方なので、「竹芝にだす検体を大阪でも可能にできないか」という話を聞き、改めて離島は難しい問題をいろいろ抱えていると感じました。
 迎え入れる側としては、そういう形で来ていただければ本当にありがたいのですが、来島者にいろんな負担を強いてしまう、マイナスイメージにならないかと気がかりです。

コロナ禍を経た観光の今後

寺崎 地域活性化に向けて観光振興への取り組みがいっそう盛んになってきました。一方でコロナ禍によって外部者の来訪にはリスクが伴うことに直面しました。より具体的な観光の弊害が見えたことにより、観光振興への取り組み方は変わるのでしょうか。地域の産業における観光のポジションを変えるようなことはあるのでしょうか。
川村 今回の座談会に向けて、改めて観光についていろいろ調べました。その中では、観光の灯が細くなっていくことが、わが町にとってどれだけマイナスになるのかということをしっかり考えていく必要があると改めて思いました。観光は人の交流なので良いものも持ち込みますが、今回のコロナのように望まないものも持ち込みます。
 では、これから我々はどこに向かうべきかということを考えるために、観光協会でコロナの影響を受けていると思われる105施設、96事業者にアンケートをとっています。そこでは我が町がやってきたことへの評価と、来シーズンに向けてウェルカムキャンペーンをした方がいいかという意向を聞き、その結果を担当課として町長に届けようと考えているところです。
 間違いなく、観光はわが町にとって大きいけれど、生活する者としてはコロナが入ってくるのは嫌だ、でも生活するためのお金をどこに見つけるのか。今年は国からも北海道からも支援をいただいていますが、問題は来年以降です。ワクチンや特効薬ができるだろうという希望を持つしかないと思いつつ、しかし、一方ではそれだけでがむしゃらに進むのは危険もあるので、まずは関係者の皆さんの考えを知りたいと思っています。
 関係の一番深い漁業に改めて目を向けると、総じて今回のコロナ禍は漁価安を招いています。今、ちょうどコンブの出荷時期ですが、消費地ではあまり消費は動いていません。うちのコンブは出汁用なので、料亭が開かないと消費されないのです。それが何千束も倉庫にあり、いつ売れるのかというような事から漁業への影響が起きています。とにかく、前を向いていくしかないかなと考えています。
渋谷 小笠原の主たる産業の一つが観光です。農業関係も結局は観光客に頼っている部分があり、漁業は市場に出すのがメインですが、そうは言っても国内の経済が回り始めないと、今のコンブの話と同じで、成り立たないわけです。
 ですから、今日集まっている離島の我々がどうするかという以上に、日本国内のコロナ対応がどうなっていくのか。小笠原として今後はこうしたらいいといった考えはなく、今できるなかで受け入れていく、やれることをやっていく。
 島内でも、「Go Toトラベルキャンペーンを本当に受けちゃっていいの」という人もいれば、「最大で400人しか乗ってこないなら、適正だから受け入れよう」という人もいます。コロナや観光に対する考え方は島内でも大きな温度差があると感じています。その中で私はどうしたらいいかという考えはまだまとまりきっていません。
宮里 沖縄県全体で言うと、農漁業もありますが観光に経済を頼る部分が大きく、県独自の施策をいろいろ行っていますが、経済界には相当な不安がくすぶっていることをよく聞いています。そうしたことも踏まえ、座間味村としてどう政治的な動きをしていくかは大きなテーマだと思っています。
 コロナ禍の前から座間味村では観光がリーディング産業でしたが、行政運営をしていく上で一次産業も必要であり、長期的スパンで伸ばしたいと私もこの十数年感じていました。しかし農地面積や人手の問題などで非常に難しい中、起きたのが今回のコロナ禍でした。コロナ禍がなかったとしても別の産業へのシフトや、他の産業を立ち上げながら座間味の経済を立て直すことは容易ではないと思っています。ですからここは、行政としてしっかりと観光を下支えする取り組みを、商工業者の皆さんとの連携の中でやることだと思います。
 持続可能性や「量より質」といった課題にはこれまでも取り組んできましたが、改めてそうしたことに取り組みながら、安全安心を担保できるような形を作り、観光をしっかり立て直していくことが大切だと思っています。
 観光があったからこそ、若い人が県外から移住して子どもたちを産み育て、人口減少に歯止めがかかったという実績を作りましたので、これからもそこをしっかり担うことができるよう、地域振興を行うことが第一だと考えています。職員も頑張っていますので、他の離島から見ても、「座間味村のようなことをすれば経済が持ち直せる」と言われるような地域づくりをしていきたいと思います。

コロナ禍で学んだこと

寺崎 最後に、コロナ禍の現場での気づき、学んだことについてお話しください。
川村 わが町は団体旅行によって都会並みのたくさんのインフラを手に入れました。フェリーも大きくなり、道路もよくなり、Wi-Fiも飛んでいます。ところが、日本全体の流れとして、団体の旅行形態は衰退すると言われるようになりました。
 個人化への対応はいつかはやらなければいけなかったのですが、コロナ禍で加速的に今すぐやらないとだめだということになりました。きっかけは良くなかったけれど、各宿でこれまで100人宿泊していたのが来年以降は半減するかもしれない中、来られた方には経済活動をたくさんしていただきたい。そういう方向に向かっていくためのスターターやエンジンとしての使命をわが町の観光は負っているのだと思います。
 これまで礼文島の観光は花を見てウニを食べ、少し歩くというのが定番でした。でも、観光入込み客数が半分になると想定した時に、それだけでは経済が細くなる。例えば今流行りのドローンや自転車などを組み入れた新しい島での楽しみ方など、いろいろやりながら経済活動をしていく方向に向いていただかないといけない。単に観光の灯を細くしないという意識だけでなく、具体的なプログラムをお示しして、観光事業者の皆さんと一緒に進めることになると思います。
 進める上で、公務員の私が言うべきことではないかもしれませんが、これまで観光事業者などの所謂受益者が取り組みに参加をするとき、時にはリスクを負い、大きな責任を持って行動されていたかというと、少し疑問を感じています。多くの町ではおそらくこれまで税金を投じた事業を行う時には「すべての町民に対して不公平なく」という大前提があったと思います。しかし、来年は今年のように幅広い支援や投資はできないでしょうから、先ずは頑張る人、頑張る事業者とパートナーやチームを組んでいくべきだと私は思っています。頑張ったらその分のリターンはあるかもしれないという希望を持つ形で、協働していこうということを強調したいと思っています。
 礼文は有人国境離島で、国土保全・形成の中では大切な役割を持つ地域だと思っています。だからといって、何もしなくても国や北海道が助けてくれることはあり得ないので、知恵を出して果敢に前に進むことで、望む未来がこっちを向いてくれるかもしれないと思います。それには努力が必要で、事業者の業態も変化するかもしれませんが、来年はいろんな部分でチャレンジしていかなければいけない年になると認識しています。
渋谷 私はついこの間、感染者を出した島という立場から、情報について話をしたいと思います。とんでもない感染症だというイメージから始まって来島自粛を行い、無症状の方もいるとか、三密を避ければ多少は安心といった知識がだんだん広がってきて、結果として7月の来島自粛解除につながっていきました。
 その間、村の医療関係者もどういう診療ができるのか、対応ができるのかを検討しました。特に不安に思うのは島民の皆さんで、今回も感染者が出た時に、年代と性別くらいしか公表しませんでしたが「個人名はいいけど、もっといろいろ情報を出せ」といった声が、先週から今日にかけて続いています。
 そういう中で、「観光とどう付き合っていくかということはまだまとまっていません」と先ほど言ったのは、コロナに関してまだ見えないところがいっぱいあるからです。今、海外旅行はできないですし、海外からも観光客は来ない。一生懸命、日本は外国人を招こうとしていたけれど、今はそれが全然できない。それがどう変わっていくのかみえてこない。
 年間3万人ほどしか来ない小さな島ですが、現場を担う者としては、いろんな情報を収集しながら、小笠原の経済をなんとか観光でつなげていきたいと思います。しかし、ではどうしていくか、まだ確たるものが見えていない状況です。
宮里 今回のコロナ禍では、国の基本的な考え方を踏まえて沖縄県が判断し、座間味村では最終的に私が船を止めたり、いろいろな判断をしました。その中で一番頑張ったのは村の職員だと思います。
 そして、地域の皆さんの我慢と、ヘビーリピーターの観光客の我慢も非常に感じました。観光客が来ないと大変という中で、店の営業を止めていただいた方々、そして小さな島なので、いろいろなツールを通じて「行きたいけど我慢します」というヘビーリピーターの方々の声が、どんどん入ってくるんですね。そうした声を聞いた時、この2つの我慢に対して非常に感謝しつつ、私たちが悪いわけではないのですが、心苦しくもありました。
 ですから、我慢していただいた双方の方々が、1日も早く笑顔で会える環境作りをすることがとても大切だと思います。どういったことができるのかはまだ模索中ですが、行政でできることをしっかり行い、民間事業者と連携することで、観光客の皆さんに喜んで来ていただける状況を1日も早く作りたいというのが私の考えです。
 新たな魅力づくりも含め、どのような形で観光振興していくのかは、これからの私たちの大きなテーマになると思います。全国民が当たり前のように感染症対策をする世の中になりましたので、その中でさらに魅力を作り、より安心安全な座間味村になれるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
寺崎 私はずっと観光の仕事をしているので、逆説的に観光は地域の中で本当に役立っているだろうかということをよく考え、特に今回のようなことがあると非常に悲観的になります。今日は現場のお話を聞くことによって、観光は地域社会の中でとても重要なポジションにあり、それを今更否定して云々ではなく、どうやってそれを支え、一次産業などを含めて伸ばしていくかという実情にあることを実感することができました。これが私にとって重要な学びとなりました。どうもありがとうございました。

   


川村 長(かわむら・たける)
北海道礼文町産業課長 兼 礼文島観光協会事務局長。礼文町出身。1980年礼文町役場入庁。産業関係としては、水産・港湾・漁港を7年、観光・商工労働・自然環境を9年それぞれ担当。2019年から現職、水産・港湾・漁港・観光・商工労働・自然環境・温泉を所管している。

   


渋谷正昭(しぶや・まさあき)
東京都小笠原村副村長。学生時代にダイビングで小笠原への来島をきっかけとして小笠原村に移住。1983年小笠原村役場入庁。ホエールウオッチング事業の立ち上げや小笠原におけるエコツーリズム振興などに関わる。産業観光課長、総務課長を経て、2015年から現職。

   


宮里 哲(みやざと・さとる)
沖縄県座間味村長。座間味村出身。1967年生まれ。村内に高校がないことから、中学卒業後、沖縄本島の高校へ進学。福岡県内の大学を卒業後、沖縄本島内のホテルに勤務。その後、地元の座間味村へ戻り、1994年座間味村役場入庁。2009年、座間味村長に就任し、現在3期12年目。

   


コーディネーター
寺崎竜雄(公益財団法人日本交通公社 理事・観光地域研究部長)

編集協力
井上理江