コロナ禍を経て取り組む、先行的研究…❼
2050年脱炭素社会に向けた観光地のあり方研究
〜環境対応に係る国内外の最新の動向、コロナ下で見つけた2030年の芽
観光地域研究部 環境計画室長/上席主任研究員 中島 泰
今年8月、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、産業革命前と比べた世界の気温上昇がこれまでより10年早く、2021〜2040年に1.5度以上に達するとの新たな予測を発表しました。また、国内外では豪雨や干ばつ、熱波の増加など異常気象による災害が頻発しており、気候変動への対応は未だかつてないほど重要な課題となっていると言えます。
脱炭素社会の実現に向けて、待ったなしの状況である今、観光地が果たすべき役割にはどんなことがあるのでしょうか。当財団では今年度、2050年の脱炭素社会の実現からバックキャストする視点での観光地のあり方を示すことを目標に、環境対応に係る国内外の最新の動向を把握し、社会に分かりやすく発信するための研究を開始しました。
1.観光分野における脱炭素の決意表明グラスゴー宣言
COPは、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを究極の目標として、1992年に採択された「国連気候変動枠組条約」に基づいて毎年開催されている年次会議で、今回のグラスゴーでの開催が第26回目となりました。なお、グラスゴー開催は本来、2020年に予定されていましたが、COVID‐19の世界的感染拡大の影響を受けて延期となり、2021年の開催となりました。ちなみに、グラスゴーのある今回の開催地・スコットランドは、観光局(VisitScotland)が気候非常事態宣言を行った、世界で最初の地域でもあります。
COP26は、エリザベス女王による各国首脳への「言葉だけではなく、行動を」との呼びかけから開幕し、計197カ国の参加による2週間にわたる議論の末、最終的に「グラスゴー気候合意(Glasgow Climate Pact)」を採択して閉幕しました。今回のCOP 26においては、2015年採択のパリ協定で「気温上昇幅について1.5度に抑えるべき」としていた努力目標が、公式文書における正式な目標として位置づけられた点が大きな成果として位置づけられます。また、石炭使用の削減や化石燃料への非効率な補助金の削減、2030年における排出削減目標の再検討・強化について合意を得るなど、多くの成果がありました。しかし一方で、先進国と途上国・新興国との対立が目立ち、途上国・新興国側の強い反対によっていくつかの合意において内容の後退・妥協が見られたことも事実です。
このCOP26の中で、観光分野における気候変動対策として発表されたのがグラスゴー宣言です。同宣言では、観光産業におけるCO2排出量を2030年までに半減、2050年までに実質ゼロにすることを掲げています。その上で、観光分野において、幅広い関係者が協働して取り組むべき行動として、「測定(Measure)」「脱炭素化(Decarbonize)」「再生(Regenerate)」「協働(Collaborate)」「資金(Finance)」の5つの観点から取組事項を整理しています。今回は、発表に合わせて、観光に携わる民間企業や組織、政府など約300の関係団体が宣言への参加署名を行っており、日本からは北海道ニセコ町、一般社団法人JARTA、春陽荘の3団体が参加する形となりました。これらの団体・組織等は、取組事項に記載された内容に沿って計画を策定し、今後より具体的な気候変動に対する対策を実施していくこととなります。
2.日本政府の取組と観光地に求められること
そうした中、我が国の政府としての対応はどのようになっているでしょうか。まず、日本政府は、2050年のCO2排出量実質ゼロを長期目標に、2030年度における排出量の46%削減(2013年度比)を中期目標に掲げています。この目標は、従来の目標を前倒しで実現するもので、これまでにない取組を今後10年以内で次々に実施していくことが欠かせない状況となっています。
こうした、かなり高いハードルを乗り越えるため、政府では「地域脱炭素ロードマップ」の中で、2030年までを「基盤的施策の実施期間」と位置づけ、「地域」「ライフスタイル」「ルール」の各側面から脱炭素イノベーションを起こすことに取り組んでいます。また、2025年の中間地点までを「5年間の集中期間」と位置づけ、少なくとも100カ所の「先行地域」の創出と、8つの項目からなる「重点対策」の実施を行っています。その中身を見てみると、発電や住宅・建築物関係の再生・省エネルギーに係る取組、資源循環に係る取組等が目立ち、「観光」に直接言及した取組としては、国立公園における「ゼロカーボンパーク」のみとなっています。その意味では、国立公園等の一部の地域で独自の取組が進められていく一方で、多くの観光地では当面は、観光に拠らない一般地域の一つとして、エネルギー・資源関係の取組が求められていくことになりそうです(図1・2参照)。
COP26、そしてグラスゴー宣言を経て、我が国の観光地でも、脱炭素社会の実現に向けた取組がますます加速していくことが想定されます。ただ一方で、COP26の枠組み自体は政府が前面に立つものであること、またグラスゴー宣言については今後次第ではありますが、現時点での参加は3組織に留まっていることから、地域主体の全体的な動きとなるにはまだ時間を要しそうです。
ただし、国際的な枠組みや政府の取組と並行して、先行・自発的に積極的な対応を見せる地域もあります。例えば北海道ニセコ町では、2020年7月に「ゼロカーボン宣言」を行い、脱炭素化社会の実現に向けた取組を進めています。気候変動の問題はニセコ町が単体で取り組んでも解決できるものではありませんが、取組の根底には、気候変動がこのまま進み、地球が温暖化すれば、世界の観光客を惹きつけているニセコのパウダースノーも失われてしまうのではないかといった危機感があります。それを防ぐには、まず率先して脱炭素に取り組み、賛同する地域を増やしていく必要があるということです。この構図は、海岸線の上昇に悩む島しょ国の状況にも似たものがあるかもしれません。これらの国・地域は、単体では確かに小さく、取組の効果も小さいのかもしれませんが、気候変動に係る会議の場では、フィジーやツバルなどを始めとして大きな発信力と説得力を持ってきたのも事実です。
3.未来志向で社会に変化を
脱炭素は、環境問題に対する対応の視点として現時点において最重要の課題である一方で、概念や対象が大きすぎるため、何から、どのように取り組んで良いかが分かりづらい側面があります。そうした中、脱炭素とも密接に関連しつつ、地域の自然環境の保全を行っていく中で観光地の中長期的な質的向上にも寄与する可能性のあるアプローチとして「グリーンインフラ」「NbS」「Eco-DRR」などがあります。
グリーンインフラは、社会資本整備や土地利用等のハード・ソフト両面において、自然環境が有する多様な機能を活用し、持続可能で魅力ある国土づくりや地域づくりを進めるもので、例えば、従来のコンクリート護岸による河川整備から多自然型の川づくりを行うことによって、河川内の土砂コントロールや生態系システム、河川景観等を中長期的に回復させる取組などが該当します。NbSは、グリーンインフラと近い概念ですが、自然を基盤とする解決策(NbS:Nature-based Solutions)の略で、生態系を活用した防災・減災(Eco-DRR)やグリーンインフラなど、自然を基盤として社会の諸課題を解決していくアプローチを包含するコンセプトを指し、国内ではグリーンインフラはよりインフラ(従来のハード社会基盤)の整備面・取組面に着目し、NbSはより包括的な概念として使われることが多くなっています。一方、Eco-DRRはこれらの概念、取組の中で、防災・減災に関連付けて使われるアプローチで、遊水地による増水時の保水機能の発揮などが当てはまります。これらのアプローチは、従来のインフラ機能を代替しつつ、生態系および景観等の自然環境を中長期的に回復させる取組として、生活環境の向上はもちろんのこと、地域が従来の環境を取り戻すことによる観光地としての魅力向上に大きく寄与することが期待されます。
加えて、こうした取組を進める際の視点として、連携・パートナーシップの重要性を挙げたいと思います。従来型のコンクリート中心のインフラ整備(いわゆるグレーインフラ)とグリーンインフラの間にはどちらが正解ということはなく、短期的・中期的・長期的それぞれの視点から、コストや整備の効果、リスク等の面において複合的にメリット・デメリットがあり、整備方針の決定は、ひいてはどのような地域を作るのか、その地域でどのように生きるのか、といった根源的な問題と深く関わってきます。そのため、これまでよりさらに丁寧な合意形成と意思決定のプロセスが求められることとなります。最後に、そうした新たな社会構築における官民連携と市民参加のユニークで軽やかな枠組みとして「ミズベリング・プロジェクト」の取組を紹介したいと思います。
ミズベリング・プロジェクトは、かつて行政に任せっきりだった河川敷などの水辺空間のありかたを自分事にする人々を応援するソーシャルデザインプロジェクトで、ウェブでの情報発信、全国の水辺活用先進事例の紹介、ご当地会議の推奨、全国大会イベント等を行っており、2018年度にはグッドデザイン賞も受賞しています。ミズベリングは「水辺+RING(輪)」、「水辺+R(リノベーション)+ING(進行形)」の造語で、水辺に興味を持つ市民や企業、そして行政が三位一体となって、水辺とまちが一体となった美しい景観と、新しい賑わいを生み出すムーブメントを、次々と起こしています。例えば、毎年川の日である7月7日には「水辺で乾杯」といった全国同時多発イベントを開催しています。参加のルールはシンプルで、各地で自由に水辺に集まって乾杯するだけで、「水辺で乾杯」のウェブサイトに「ここで乾杯します!」という事前の「乾杯宣言」と、当日実際に乾杯した後の「実施写真」を投稿することができます。2015年から始まり、徐々に規模を拡大し、2019年には全国242カ所、1万人以上が参加する一大イベントとなりました(2020年、2021年は新型コロナウイルス感染症の影響拡大のため、規模・内容を縮小して実施)。このイベントでは、市民、企業、行政がフラットに参加することよって、水辺といった公共空間において「つくる人」と「使う人」に分かれていた人たちが、領域を越えて連携することに繋がっています。行政だけで公共空間を整備しようとすると、どうしても「ユーザーの視点」が薄くなりがちですが、ミズベリング・プロジェクトは、官民が連携しつつ、主役の市民が「使うひと」としてデザイン段階から参画し、作り上げた空間をそのまま使っていくプロセスをそれは公共空間の整備において実現している点で参考になる取組です。
4.今後の研究の方向性
今回進めていく研究では、このように取組の視点とアプローチの方法・プロセスにも着目しながら、全国のリアルな取組の現場を、観光×環境の側面でなるべく幅広く取り上げていきたいと思います。現時点で具体的に想定している対象範囲は、以下の通りです。
−観光地タイプ別のエネルギーミックスのあり方・可能性
(再生可能エネルギー/温泉熱の活用/グリーンスローモビリティなど)
−観光地タイプ別の物質循環のあり方・可能性
(サーキュラー・エコノミー/地域循環共生圏/ビーチクリーンなど)
−観光地における脱炭素対応ビジネスの支援スキーム
(自然関連財務情報開示タスクフォース
(TNFD)/エシカル起業家の支援など)
−観光地における取組・ステイタスの見える化
(カーボン・カリキュレーター/観光における管理有効性評価(MEE)など)
−観光客に求められる対応
(観光地誓約(Pledge)/自主ルール/カーボンオフセットなど)
COP26の開幕時、エリザベス女王は、「行動による恩恵は、いまを生きる世代全員が得られるものではない。しかし、自分たちのためではなく、子どもたち、さらにその子どもたちのために行動を起こすのだ」とも述べています。COP26、そしてグラスゴー宣言を経て、次世代のために、そして世界中の美しい観光地を残すためにも、観光地独自の取組がより多面的に拡がっていくことに期待しながら、当財団としても本研究を精力的に進めていきたいと思います。
以上