コロナ禍を経て取り組む、先行的研究…❹
多様性を持つ新たなツーリズムのあり方についての研究
〜高まる多様性への関心、旅行・観光分野に求められる対応とは

観光政策研究部 社会・マネジメント室長/上席主任研究員 菅野正洋

1.課題意識

(1)研究の背景

 2021年夏に開催された2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、「東京2020大会」)では、「多様性と調和」がコンセプトの一つとして掲げられた。これは、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩する、という理念のもと、東京2020大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とするとの目的で掲げられたものであった。
 このことに代表されるように、近年では、社会が持つ「多様性」を尊重する動きが国内外で広がりつつある。例えば、企業では「ダイバーシティ経営」として多様な人材を活かし、その能力が最大限発揮できる機会を提供することで、イノベーションを生み出し、価値創造につなげることが期待されている。また、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の「誰一人取り残さない」とする理念が浸透するに従い、この事も多様性を尊重する社会的な関心の高まりを後押ししている。
 観光分野においても社会の多様性を意識した取り組みは広がっている。国連世界観光機関(UNWTO)はすべての人々、特に最も弱い立場にある人々への平等な機会を促進するためのツーリズムとして2018年に「Inclusive Tourism」についてレポートを発表している。また性的マイノリティ(LGBTQ)を対象とした観光のあり方についても2011年に続き、2017年にも第二次のレポートを発表している。
 誰もが観光や旅行を楽しめるツーリズムとしては、これまで我が国では「ユニバーサルツーリズム」や「バリアフリーツーリズム」として過去10年以上にわたり取り組みが行われてきた。
 例えば、観光庁では「ユニバーサルツーリズム促進事業」として、2011年度から10年以上にわたり事業を推進してきたことで、ユニバーサルツーリズムへの理解が広がるとともに受入環境の整備が進んだ。また、沖縄県でも長年「おきなわ観光バリアフリー推進事業」を継続的に実施してきており、近年では性的マイノリティ(LGBTQ)をテーマとした内容で観光地の関係者向けにセミナーが開催されている。また2021年8月に策定した沖縄県SDGs未来都市計画では誰もが楽しめるツーリズムとして「ユニバーサルツーリズム」の推進が盛り込まれている。

(2)研究の意義

 前述のように、バリアフリーツーリズム、ユニバーサルツーリズムは長年にわたる取組の結果、認知が高まり、受入環境の整備が進展している現状がある。
 その中で、今日的な課題として、観光(観光地、観光産業)が旅行者の多様性に対応することの必要性は下記のように複数の観点から整理できる。

① 社会の多様性に対する意識や関心の高まりへの対応
 冒頭で挙げたように、特に持続可能な開発目標(SDGs)の社会への浸透もあり、多様性を認め、受け入れることについて、かつて無いほどに社会的要請が高まっている現状がある。
② これからの旅行を牽引する世代の意識への対応
 前述したように、多様性に対する認知は近年急速に高まっているが、P21で言及があるように、特にミレニアル世代やZ世代と呼ばれる若年層では、ある意味当たり前の考え方として認識されている状況がある。今後これらの世代が旅行市場の主役となってくることを想定すると、観光(観光地、観光産業)は今から多様性への対応に取り組み、そのあり方や体制を整備しておく必要がある。
③ 観光産業側の多様性への対応
 旅行者の多様性について述べてきたが、当然のように多様性は旅行者だけでなく、観光産業側の従業員も有していることになる。本論の冒頭でダイバーシティ経営に触れたように、多様な人材が生き生きと働ける環境を整えることは経営面でプラスに働き、観光産業の持続性にも寄与することが期待される。

2.研究フレームと研究活動

(1)研究フレーム

 本研究では、社会に存在する多様性、つまり各種の多様なセグメントの中で「性的マイノリティ」と「慢性疾患」に着目して取組を進めている。
既往研究では社会の多様性を捉える複数の軸が提示されているが、代表的なものが「可変的で選択可能なのか」(荒金、2013)という視点と「可視化されているかどうか」(中村、2017)という視点である。
 この2つの視点を軸として、様々なセグメントを表現してみると、例えばこれまで取り組まれてきた「バリアフリーツーリズム」や「ユニバーサルツーリズム」は主として体格や障がいといった身体的特徴や年齢による身体機能の低下などを対象としていることから、「不変的で選択不可」でありなおかつ「可視化された」属性に対応する取組として位置づけることができる。また、外国人観光客を対象としたいわゆる「インバウンド対応」も、国籍や出身地、宗教、あるいは人種や宗教上の戒律等「不変的で選択不可」な属性に対応する取組として位置づけることができる。
 今回対象とする「性的マイノリティ」と「慢性疾患」のセグメントは、この2軸上で見た場合、「不変的で選択不可」であり、なおかつ多くの場合「可視化されない」という点で、共通していると言えるだろう。

(2)研究活動

 本研究では、上記の「性的マイノリティ」と「慢性疾患」を対象として、下記の項目について情報収集や整理を行っている。
① 既存情報の整理(デスクリサーチ)
② 観光地での滞在に対する意識・ニーズ把握
③ 受入に関する観光地や事業者等の取組整理
④ 対応すべき事項の整理

 上記のうち、特に①既存情報の整理(デスクリサーチ)および③受入に関する観光地や事業者等の取組整理について、先行的に取組を進めている。

3.現時点で見えてきたこと

(1)対象セグメントの概要

 「性的マイノリティ」と「慢性疾患」の双方のセグメントの概要は下記のとおりである。
① 性的マイノリティ(LGBTQ)
 各種調査によると、性的マイノリティ(LGBTQ)に該当する人の割合はおおよそ9%といわれている。認知度についても、電通ダイバーシティ・ラボの2020年の調査では8割、LGBT総合研究所の2019年の調査では91%に上る。いずれも同じ調査で以前に行われた際の結果と比較して大幅に認知度が上昇しており、この数年で急速に認知が進んだことがわかる。

② 慢性疾患
 厚生労働省の患者調査によると、傷病別患者数では最も多いのは高血圧、糖尿病、脂質異常症(コレステロールが高い)、がんと続いている。また、時系列でみると高血圧、糖尿病、がんの患者数は年々増加しつつある。これらの慢性疾患を持つ方は年齢が上がるにつれ多くなる傾向があるが、がんに関してみると患者全体のうち3分の1、約100万人は64歳以下の勤労世代が占めており、必ずしも高齢の方だけの病気ではないことがわかる。慢性疾患があり、配慮を必要とする方がどの程度いるかまでは明らかにされていないが、このデータから推測すると一定数の方が慮を必要としていると考えられる。
 なお、女性のがんの中で最も多いのが乳がんである。乳がんは40代で罹患のピークを迎えることから比較的若い年齢層の患者が多いことも特徴である。また、乳がんは手術痕が体の表面にあることから温泉入浴をためらう方が多く存在し、様々な取り組みが行われている。


(2)対象セグメントの受入に関する観光地や事業者等の取組における特徴・共通点

 「性的マイノリティ」と「慢性疾患」の双方のセグメントに対する取組に共通している点としては、以下のような点が挙げられる。
① 旅行者への対応
 旅行者側が旅行に行きたいという意向を持っているにも関わらずためらいを持っている場合、受け入れ側が歓迎しているという姿勢を表すことが、ためらいを持つ人の背中を押す役割を果たしていることが示唆された。そのため、まずはそのような仕掛けを用意しつつ、情報としても発信することが重要である。
② 受入側の対応
 まずは多様性について「知る」ということが必要となる。この際には、必ずしも特別なことをしなければいけないわけではなく、旅行者が何か困ったり要望が合ったりしたときに柔軟に対応することが重要である。また、できることとできないことを線引きして、できることをきちんと行うところから始めるという対応が求められている。

(3)取組事例等から見えてきた取組の方向性

 以下、取組事例等から見えてきた取組の方向性を整理する。
① 従業員の多様性に関する理解促進
 従業員(特にサービススタッフ)を対象として、研修等を実施することで多様性に関する理解を促進する必要がある。その際、必ずしも正解はひとつではないことから、マニュアルに沿った画一的な対応を教えるのではなく、自らが最適だと思う対応を考える力を身につけるような内容にしていくことが必要である。
 最近では多様性への理解が社会として浸透するのに伴い、相手の立場や状況を「尊重(リスペクト)」するという観点で行われる研修も登場しており、こうした考え方を取り入れることも重要である。
② 商品やサービス、施設や設備、備品の当事者目線でのチェック、見直し、改善
 ホテルパームロイヤルNAHA国際通りでは、性的マイノリティ(LGBTQ)だけでなく、外国人や障がいを持つ人がいる状況で防災訓練を実施し、すべての宿泊者が安全に避難できるかを検証している。このように、商品やサービス、施設や設備、備品を当事者目線でチェック、見直し、改善を加えていく必要がある。
③ 上記の取組を行っていることの対外的な明示、情報発信
 ①②のような取組を行っていることを発信し、なおかつ来訪を歓迎する姿勢を表明することで、旅行にためらいを持つ人の背中を押すことにつながる。

4.今後の展開

 本研究では、特に①既存情報の整理(デスクリサーチ)および③受入に関する観光地や事業者等の取組整理について、先行的に取り組みを進めている。今後は引き続き②観光地での滞在に対する意識・ニーズ把握を進めるとともに、研究を通じて得られた知見をウェブサイト等で発信していくこととしている。

取組事例

性的マイノリティ(LGBTQ)への対応

カフーリゾートフチャクコンド・ホテル(沖縄県恩納村)
○ 2015年着任の経営トップ(総支配人)がスタッフへのLGBTQ研修を自ら企画・実施。スタッフ450人を20〜30人ずつに分け、同性カップルへの対応を含めて、まず〝知る〞こと、〝いるかも〞を前提とした配慮を浸透させた。
○ 2016年に那覇市の同性パートナーシップ制度ができた際のカップル第1号の挙式を、当時沖縄で唯一LGBTQウエディングを手掛けていたカフーリゾートが行った。

ホテルパームロイヤルNAHA国際通り(沖縄県那覇市)
○ 2014年に宿泊施設として「LGBTフレンドリー宣言」を行い、館内外にレインボーフラッグを掲出。
○ 2016年にLGBTQ層に配慮したジェンダーフリートイレを設置。ハンディキャップ者専用のトイレを改修。ピクトグラムも男女を分けないデザインを当事者であるデザイナーに依頼して作成。
○ ハネムーンで来館する宿泊客に部屋のアップグレードをサプライズで提供するサービスを、同性パートナーにも適用。

公益社団法人京都市観光協会(京都府京都市)
○ 2018年1月、LGBTQにやさしい受入環境の整備に向けた情報収集等を強化するため、IGLTA(国際ゲイ・レズビアン旅行協会)に加盟。
○ 2018年、京都市が主催し、観光協会が共催する形でLGBTQ対応を含む「おもてなし講習会」を開催。
「LGBTQツーリズムの現状と課題」として、講師を招聘して基本的な理解とマーケティングの考え方、企業や政府の取組事例について学ぶとともに、LGBTQ当事者を交えた意見交換(トークショー)を実施。
○ 市内事業者等が実施する「外国人観光客にやさしい受入環境整備を助成する制度」(京都市観光協会インバウンド助成金)において、LGBTQ観光客の受け入れのための環境整備(ダイバーシティ対応)も助成対象とした。

慢性疾患への対応

ピンクリボン温泉ネットワーク(認定NPO法人J.POSH)
○ 乳がん手術の経験者を入浴着着用での入浴を歓迎するなど、乳がんに理解のある旅館、ホテルのネットワーク。各施設では入浴着の貸出等も行っている。
○ 宿泊招待のキャンペーンは患者も「温泉に行ける」という気づきのきっかけとして機能
○ 入浴着に対する患者の感想は賛否両論であるが、必要とする人に情報が届く事が重要と判断している。
○ 一般利用者への理解促進の為、ポスターを脱衣所等にも掲示できる防水性の強い素材で作成。

ピンクリボンのお宿ネットワーク(事務局・株式会社旅行新聞新社)
○ 加盟にあたってはハード面やソフト面で対応可能な項目を宿に選択してもらう形をとっている。
○ 毎月ピンクリボンの日を設け、常連として定着化している宿も存在する。
○ 各都道府県の健康福祉課や企業会員を通じて、がんの拠点病院及び全国800の病院にリーフレットを送っている。ホームページでも宿の紹介を行っている。

がん患者向けの宿泊施設「ラクスケアホテル」
○ 看護師スタッフが在籍するほか、地域の介護サービス事業者と連携。また、運動プログラムの作成事業者と連携して提供。
○ 2階カフェスペースは交流の場として開放、セミナー開催や患者会など交流の場としての活用を想定(ただし、コロナ禍で現在は行えていない)。
○ 病態の聞き取りについては試行錯誤中。
質問への回答や相談応対は行うが、患者が心を開くまでは宿泊施設側からはあえて尋ねることはしない。
がんの種類によって必要な配慮が全く異なるのでどう寄り添うか100点はないとの認識である。対応できる範囲を明確化することが重要との認識。
○ スタッフが担う範囲を看護師スタッフと共に明確化するよう議論。人によりサービスを変えないように留意している。

参考文献
荒金雅子 「多様性を活かすダイバーシティ経営 基礎編」(2013)日本規格協会
中村 豊 「ダイバーシティ&インクルージョンの基本概念・歴史的変遷および意義」(2017)、高千穂論叢52(1)、53-82