わたしの1冊第24回
『川端康成と書』
-文人たちの墨跡
水原園博 著
求龍堂 2019年

首藤勝次(一社)竹田市健康と温泉文化・芸術フォーラム理事長

「わたしの一冊」として紹介させていただくのは、『川端康成と書-文人たちの墨跡』である。
 奇しくも、今年が没後50年に当たる文豪・川端康成。日本で初めてのノーベル文学賞を受賞したこの作家のことを知らない人
はいないであろう。
 この本は、川端の生誕120年に当たる年、つまり2019年に川端康成記念会の理事であり事務局長だった故水原園博氏が上梓したものである。
 ご存知の方も多かろうが、川端は書画骨董の類にも造詣が深く、そのコレクションは国宝の凍雲篩雪図や十便十宜図をはじめ交流のあった作家たちの遺墨や、文豪が掘り出した新人画家たちの作品など多岐にわたり膨大である。
 ここに紹介するのは、この文豪と交わりのあった文人たちの墨跡を中心にしているが、その交流のきっかけや場所などの背景が興味深く、ゲーテではないが、『若きの日に旅せずば老いての日に何をか語らん』の言葉どおり人生という旅で出会ったストーリーが呼び起こされていて楽しい。
 さて、私の住む竹田市長湯温泉は日本一の炭酸泉として近年注目を集めるが、九州最高峰のくじゅう連山の麓に位置し、絶賛に値する高原美を堪能できる。また、市町村合併により、瀧廉太郎ゆかりの荒城の月の舞台となった岡城を有する竹田市と一緒になったことから歴史文化も奥が深い。田山花袋や与謝野晶子・鉄幹夫妻、北原白秋、種田山頭火らが訪れ、その縁を今に活かして姉妹都市交流へと結びつけたのである。文化は時空を超えるという格言どおり、瀧廉太郎ゆかりの仙台市、長野県中野市とはトライアングルで音楽姉妹都市になってすでに半世紀が過ぎた。
 川端は昭和27年と28年の2回、取材旅行を兼ねて久住高原から竹田盆地に遊んだ。その経験から生み出されたのが小説の続・千羽鶴(波千鳥)であった。この土地と川端を結び付けたのが春陽会の画家高田力蔵だったが、高田の作品と川端の揮毫した作品群は昨年の全国山の日大会の折に長湯温泉のラムネ温泉館・美術館に展示された。
 コロナ禍によって、旅のスタイルも仕事のあり方も大きく変化しつつある昨今、高田は長湯温泉に知己を得て、長期滞在をして作品を仕上げていった。その縁が50年以上経った今も温泉地の新しい魅力づくり、つまりアーティスト・インレジデンス構想を生み出したのは嬉しい限りである。
 人と人、人とものごとの出会いに偶然はない。すべて理由があって縁が授けられているのだとする『有由有縁』の世界が私たちにとっては未来への羅針盤となる。
 それにしても、単に温泉があるから地域が栄えた時代に比べて、今はいかにその地域に奥の深い多彩な歴史が重ねられてきたか。特に、アカデミックな魅力、文化と観光が結びつく世界の大切さを教えられる故水原園博氏の著書『川端康成と書』はこれまでの観光振興の路線だけでは気付くことのできない大切なことを教えてくれるのである。
 今年没後50年を迎える川端康成の記念展は、わがまちと姉妹都市の関係にある大阪府茨木市の川端康成文学館で行われることになっている。


首藤勝次(しゅとう・かつじ)
(一社)竹田市健康と温泉文化・芸術フォーラム理事長。1953年大分県竹田市生まれ。 1976年大分県直入町役場入庁、主に企画・広報・国際交流の分野を歩み、炭酸泉を縁としたドイツとの国際交流を推進し、姉妹都市締結を実現。2001年㈱大丸旅館社長就任、2002年から大分県議会議員を3期務める。その間、2004年には国土交通省の「観光カリスマ」に選定された。2009年からは竹田市長として、これまで培った幅広い人脈を生かし、地域主権の確立を目指した「農村回帰宣言市」を標榜、「温泉療養保健適用」制度の確立など、全国初のさまざまな挑戦に取り組んだ。国の補助金を有効活用して総合文化ホール「グランツたけた」や歴史文化館「由学館」「城下町交流プラザ」「クアパーク長湯」などもつくり、2021年4月勇退。近著に『有由有縁|竹田市長の小さなエッセイ集』(志學社、2021年)がある。